一狩り終えて先に戻ったアズラエルは、工房に向かう途中で親しい顔を見つける。思わず表情を崩して駆け寄る彼に、向こうも気づいた様子だが。だが、何かおかしい。キヨノブは焦点の定まらぬ瞳を彷徨わせながら、アズラエルを見るなりおたおたと足を引きずり近付いて来る。 「キヨ様、先程戻りました。どうかされましたか?」 「ああ、アズ……あれだ、農場でトマトがな。それで、コウジンサイんとこに」 「そう言えば、妹君にお会いしました」 「お、おう、そうなんだ、来てるみたいでよ。うん」  真っ赤に熟れたトマトを籠に入れ、キヨノブは杖をついてアズラエルの前に立った。そうして動揺も顕な視線で見上げてくる。  こんな時、アズラエルはただ黙ってキヨノブの言葉を待つしかない。  そしてキヨノブは、まるで何かから逃げるように白々しい話題を切り出した。 「そ、そうだアズ。その素材は? 見ねぇ代物だな、ようやく防具を新調する気になったか」 「迅竜、ナルガクルガから剥ぎ取った物です。ランスを新調しようかと」 「おおそうか! うん、それがいいな、うんうん。……防具は?」 「そんなに散財はできませんよ、キヨ様。少し斬れ味のいい武器があれば十分です」  そうは言うものの、特に急ぎの発注でもない。アズラエルは両手いっぱいの素材の数々を持ったまま、キヨノブに並んでそぞろに大通りを歩き出した。足の悪いキヨノブの歩調に合わせれば、自然と人の流れが追い越してゆく。それでもアズラエルは気にした様子もなく、ただ連れ添い寄り添った。  だが、キヨノブのことには誰よりも敏感なのがアズラエルだ。  今も、その身の異変に気づいて胸が痛む。いつも優しくおおらか、彼の保護者以上の存在、キヨノブ。共に歩みたいと望むことすら恐れ多い身分の男だが、アズラエルはキヨノブを慕っていた。父親のようにも思うし、兄貴も同然だし、それ以上ですらあると感じる。 「……アズ、老山龍を覚えてるか? ココット村を俺達で守った、あの狩りを……闘いを」 「ええ」  キヨノブが昔ばなしをするのは珍しい。なによりも大事な思い出こそ、胸にしまっておく男だ。大事な人との思い出ならばこそ……シキ国ではそれを、"秘すれば花"とする言葉もあると後にアズラエルは知った。キヨノブがその身から自由な五体満足を失っても、その胸には枯れない花が咲いている。風に揺れる花びらの香りが、共に生きるアズラエルにも感じ取れるくらいだ。  なぜならアズラエルもまた、同じ花を胸中に咲かせて育む者だから。 「あん時ぁ絶体絶命だったが……数は少ないが、仲間がいた。俺ぁ、一人じゃなかった」 「ええ。……キヨ様は今も、一人じゃありませんよ」  意外そうな顔ではっとキヨノブが面をあげて、再度俯き黙ってしまう。  だからアズラエルは、もう一度ハッキリと自分の意志を告げた。告白と言ってもよかった。 「私が一人ぼっちにさせません。キヨ様、なにかお困りではないですか?」  アズラエルの真摯な言葉が、キヨノブの真芯を捉えた。  だが、キヨノブは迷いを見せながら足早に歩く速度をあげる。アズラエルは黙って付き従うと、ユクモ村の外れの農場へ向かった。すれ違う誰もが、不思議そうに首をかしげて二人を見送る。農場の管理をしながら、日がな一日オトモアイルー達と過ごすキヨノブ……その人柄の良さは村でも評判だったが、今はその好青年の顔が陰っていた。 「あ、アズラエルさん。もうお戻りですか?」 「おかえりなさい、アズラエルさん。キヨノブさん、お願いしていた蟲ですけど――」  農場で二人を出迎えてくれたのは、見覚えのある制服を来た女性書士と、尼僧姿の学者だ。ノジコとアウラはオトモ達に囲まれながら、なにやら文献を整理しているらしい。アズラエルの目にも、二人が手にして交互に覗き込む、いやに古びた書物や巻物が見て取れた。 「お、おうノジコちゃん。蟲な、ええと……あ、あれだ、ちょっと待ってな」 「あ、いえ、急ぎではないですから。でも珍しいですね、キヨノブさんが農場をあけるなんて」 「……トマトが熟れてたからな。そらっ」  キヨノブは大きなトマトをノジコに、続けてアウラに投げるや、ヒョコヒョコと蟲箱の方へ行ってしまった。最後に籠ごとトマトを受け取るアズラエルは、その背を見守り思案を巡らせる。  誰にでも親身なのに、自分では悩みを抱え込んでしまう……キヨノブの悪い癖だった。 「あ、おいし。で、アウラさん。どこまで翻訳しましたっけか」 「とりあえず序文だけですね……天に風神、地に雷神。均衡崩れし時、彼の地に災禍訪れん」 「ものものしい話ですね。あと、この絵は――」 「なんでしょう、ね。古龍だとは思うのですが」  二人は研究に余念がないようだが、アズラエルにはとんと感心のない話だった。飛竜であれ古龍であれ、それはアズラエルにとって日々の生活の糧でしかない。幼い頃より過酷な現実を生きてきたアズラエルには、狩りに対するシビアな感覚が染み付いていた。  だが、妙に余所余所しいキヨノブを見守る目線に、つい熱が籠ってたのもある。取り越し苦労であればと視線を逸らしたアズラエルは、不思議そうに覗き込んでくる二人の女性と目が合った。 「あ、これですか? ミヅキさんのお許しが貰えたので、柳の社の文献を調べてるんです」 「何かの古龍を祀った社らしいのですが。柳が意味するところが、まだちょっと」  飛竜と古龍の専門家が、二人並んで腕組み知恵を絞って首を傾げる。農場脇の切り株をテーブルに、二人はトマトで小休止を取りながらも思案顔だ。 「オオクワアゲハ、採れてたぜ? ノジコちゃん、気をつけて持って帰んな」  虫かごを持ってキヨノブが戻ってきた。その晴れぬ表情とは真逆に、必要な素材だったらしくノジコにぱっと笑顔が咲く。二人の研究会は一時中断のようで、アウラも立ち上がると大きく伸びを一つ。 「二人はまた研究かい? 熱心なんだな……あの社、随分と古いらしいからなあ」 「そうですね、でもアウラさんがいてくれて助かります。古龍に関しては私もまだまだで」 「わたしはドンドルマで色々な古龍種を処理してきましたから」  古龍……それは災害クラスの攻性生物。分類不能、捕獲不可能な生き物すべての総称だ。この世界で人類より上にヒエラルキーを占める、全生物の頂点でもある。 「その、アウラちゃんよ。ジエン・モーラン、ってのは……あれだ、どんな古龍なんだ?」  不意にキヨノブはぽつりと零した。  ジエン・モーラン……アズラエルには聞き覚えのない名前だ。 「砂漠の街ロックラックという場所が大陸にあるのですが――」  記憶を探るように空を見上げて、ぽつりぽつりとアウラが喋りだす。かつてアズラエルがキヨノブ達と狩猟に汗を流した、懐かしい大陸にその砂漠の街はあるらしい。 「ジエン・モーランは広大な砂漠を統べる巨大な古龍です。お祭りがあるんですよ?」 「お、お祭り?」  災害クラスの古龍を相手にお祭りとは、これはまた脳天気な地方だとアズラエルも内心思う。 「はい、ジエン・モーランはめでたい古龍で、狩猟船を出して大々的に狩る風習があります」 「そっか……じゃああれだな、珍しく危険度の低い古龍なんだな! そーかそーか」  なにやら安堵の表情でキヨノブが胸を撫で下ろす。だが、アウラの言葉は逆に鋭さを増した。 「ロックラックという特殊な街に限っての話です。どんな手練でも撃退がせいぜいですし」 「そ、それじゃあ――」 「あの砂漠は無限に広く、そこでジエン・モーランは悠々と暮らしてます。その営みにせいぜい、人間はお祭り騒ぎでつつくくらいしか干渉できません。まして、その命を本気で狙おうものなら」  嫌に白いアウラの顔は、ただ真面目な表情を象りじっとキヨノブに向けられた。  思わず隣で虫かごを抱いたまま、ノジコも表情を凍らせる。 「そ、それじゃあ、この冴津でジエン・モーランともし闘ったら」 「砂海が広いといっても、ここは小さな島国ですから。ジエン・モーランはいませんけど――」 「仮にいるとしたら! その、仮にいたとして、仮にそいつと闘えば」  アズラエルは断定的なアウラの冷たい一言を聞いた。 「間違いなく命を落とします。こんな狭い国でジエン・モーランが大人しくはしないでしょうし」  嫌に具体的な仮定の話で、なんとなくアズラエルには大体の事情を察することができた。今、キヨノブは難題を抱えて一人で苦しんでいる。それが解るから、自分が何をすべきかも思い出す。  アズラエルはただ、自分の命をキヨノブの為に使えばいい……ただそれだけのシンプルな男なのだった。