――時は来た。  温泉で身を清めて心を引き締め、湯上りのドリンクを一気飲みして。ルナルは気合充分、鼻息も荒くギルドカウンターでクエストを受注する。ジンオウガ狩猟、その名も『月下雷鳴』……楷書体で認めた受注表をダン! とクエストボードに貼り付け、腕組みルナルは振り返った。 「さあっ、ジンオウガいくよっ! ……って、ありゃりゃ?」  普段なら待ってましたとばかりに、仲間達が我先にとクエストボードへ寄ってくるのだが。今日に限って、誰一人としていない。集会浴場は寂しいもので、しどけなく浴衣を着崩したサキネが暖簾の向こうへと消えてゆくだけだった。  慌ててルナルはサキネを捕まえるや、その腕にぶら下がって声をあげた。 「なんだルナル、どうした? 他の者? ふむ、確かに今日は見てないな」 「えう〜、どうしてこうなった! おっかしいなあ、こんな筈じゃなかったのに」  ルナルはレイアシリーズ一式をガシャガシャ言わせながら、その場で地団駄を踏む。  サキネはその姿をぶらさげたまま、暫し黙考に耽ってぽつりと呟いた。 「そういえば最近、皆の様子が変だな。ミヅキは社に篭りっきりだ。なにをしているのか」 「そうっ、お姉ちゃん! 折角一緒に行こうと思ってたのにぃ。なんだよもぉー」  しかし、普段と違うのはミヅキだけではない。このユクモ村に集まったハンター達は誰もが、どこか最近は変に落ち着かない。  先ほどまでの覇気はどこへやら、ルナルはふくれっつらでブーたれたまま唇を尖らせた。 「おかしいといえばコウジンサイ殿もだ。お屋敷に篭りっきり……何かあるのか?」  自分の腕にしがみついてじったんばったん暴れるルナルをそのままに、サキネは気配を感じて振り返る。そこには、白い小さな影が浮き出ていた。存在感の希薄な姿が、風呂桶に手ぬぐいを抱えて立っている。 「……御館様は、ジンオウガを狩りには出られませぬ」  チヨマルは普段の怜悧な無表情で、ぼんやりと赤い瞳を半目にサキネを見詰めてきた。その顔は心なしか疲れているようにも見えたが、相変わらずなにを考えているのか皆目見当もつかない。  だが、その囁くような声だけは嫌によく通る。 「ふむ、ではコウジンサイ殿はいいとして、他の者達は――」 「モンスターハンターとは困った方達ですね。義理や義務がなくとも、危険へ飛び込んでゆく」  寂しげにチヨマルは鼻で笑った。  そのどこか諦観にも似た笑みをしかし、黙って見過ごせぬ者がサキネの腕を離れて声をあげる。 「チヨちゃん、それは違うよ? ハンターはいつだって、大事なものの為に命かけてるんだよ」 「それは地位や名誉でしょうか? あるいは希少な素材や高額な報奨金」 「それが大事って人もいる。けど、それだけじゃないとあたしは思うなあ」 「ルナルさんもそうなのですか?」  ルナルは自分を指さし「あたし?」と小首を傾げる。  静かに頷くチヨマルを見やって、彼女はしばし考える素振りを見せた。サキネはサキネで、自分はどうなのかと己に問う。彼女にとって狩りとは生業、生きる術だから。他に食い扶持を稼いで暮らす術を持たぬのがサキネだった。  だが、答えを見つけたようでルナルの顔がパッと明るくなる。 「あたしは勿論お金も欲しいし素材だって。でも、一番大事なのは……ちてきたんきゅーしん?」 「知的探究心、ですか」 「そ、ワクワクがね、待ってんのよ。狩場には未知の発見がたっくさんあるんだよ?」 「……それだけですか?」 「え、だってすごくない? 冒険しながら生活費も稼げちゃうんだよ? 美味しいじゃん」  この返答にはサキネも面食らった。  いつの間にか連れ立ってクエストから戻った、ノジコとアウラもクスクス笑っている。だが、その笑みには自分に近しい者を見つけた時の喜びが浮かんでいた。  再度サキネは自分の中のモンスターハンターサキネに問う……なにが自分をこうまで狩りへと駆り立てるのか? その答えを既に知っているような気がするし、気付いてもいるような気がするが。 「ジンオウガさ、あれは既存の飛竜種には該当しないんだよね。珍しいじゃん? 面白くない?」 「それだけの理由が、命を賭すに値すると? ルナルさん」 「もっちろん! だからあたしが狩るんだ。お姉ちゃんと一緒に」  サキネはようやく合点がいった。ルナルはやはり、自分や他の仲間達とは似ても似つかぬ生活態度なのに……どこかもっと根源の部分で凄く似ていた。彼女の中に自分が見つけられるし、自分の中に彼女を感じることができる。だから、直ぐ目の前で意気込む青色の髪にポンと手を置いて、 「ならばルナル、少しは姉離れすることだな。お前はお前、姉と対ではあるまい?」 「むー、サキネっち。でもっ、あたしはお姉ちゃんと狩りたいのっ!」  サキネの手を頭からどけながらも、じゃれるような声音で抗議するルナル。  だがその時、チヨマルはうつむき痛切な声をぼそぼそと零した。 「恐らくミヅキさんはいらっしゃいません。他の皆様も――」 「ん? それはどういうことだ? チヨマル、なにかあったのか?」 「そういえば私達、オルカさんとご一緒したいと思ってたんですけど……」  異国の学者コンビもそろって顔を見合わせ溜息を零す。ノジコとアウラは、ジンオウガの狩猟に際してオルカの手を借りようと思案していたらしい。というのも、生け捕られた個体を調べた結果、ジンオウガは氷属性に弱いということがわかったから。つまり、ベリオロスの素材から作ったスラッシュアクスを持つ、オルカの突出した攻撃力が生きると考えたのだ。  だが、朝からオルカはアズラエルと共に姿が見えないのだった。 「チヨマルさん、この村になにが起こっているのですか?」 「良ければお教え下さい。わたし達、力になれるかもしれません」  ノジコが、次いでアウラがチヨマルの前へと歩み出る。四人のハンターが囲む華奢な矮躯は、自分よりも長身の皆を一様に見回して、ことさら表情を固くした。 「それは申せませぬ。申しはしませぬが、一つだけ」 「一つだけ?」 「はい。皆様、ジンオウガを倒してこの村の英雄になられませ」  荒ぶる鬼神の如く渓流を支配するジンオウガ……その被害は拡大の一途を辿っていた。今では城下町との街道は安全とは言えず、ジンオウガの跳梁によって生態系もほころびを見せていた。特に、サキネがこの村に来るにあたって遭遇した、ひときわ巨大な個体……その獰猛な脅威は、今もユクモ村を脅かしていた。  必定、これを鎮めるは英雄的行為に違いはないだろう。 「御舘様は引退されます……どうかジンオウガを倒して、そのあとをお引き継ぎくださいませ」 「ふむ、それはよい。それはよいがチヨマル、お主……」  サキネは膝に手を当て僅かに屈むと、チヨマルに視線を並べて顔を覗き込む。 「お主、どうして泣きそうな顔をしておるのだ? ……話せぬのだな」 「御館様の心残りは、ジンオウガと村のハンター達。それが上手く運べば安泰と」 「ふむ、さてルナル。どうしたものかな? 私は……いいさ、付き合おう」  チヨマルを優しく抱き寄せ、その背をポンポンと叩きながらサキネが振り返った。 「あっ、ああ、あたし!?」 「当然だ、お前が貼ったクエストなのだからな」  ルナルは突然話を振られて困惑気味で、しきりに照れてノジコとアウラを交互に見やって髪をバリボリとかいている。 「私でよければお手伝いしますよ、ルナルさん。どのみち一度は狩らねばいけませんし」 「わたしもです。本局の局長からも、ジンオウガが古龍種かどうか見てこいと言われてますし」 「決まったな。ノジコ、私がやったガンランスがあっただろ? あれを持っていけ、あれを」  サキネはチヨマルの身を離れて立ち上がると、武具を取りに屋敷へと帰っていった。ノジコもアウラも慌ただしく狩りの準備へとショップやアイテムボックスに散ってゆく。  気合を入れなおして頬をはたくルナルは、それを見送るチヨマルのか細い声を聞いた。 「これでようございますね……御館様」  かくして、ユクモ村の存亡をかけた緊急クエスト、月下雷鳴に四人の若き女ハンター達が挑むこととなった。だが、ユクモ村のだれにも祝福され応援される四人の影で……誰にも知られず死出の旅へと旅立つ若者達の姿があった。