圧倒的な劣勢から立ち直って尚。狩りが好転する気配をサキネは掴めずにいた。ルナルの粘り強い攻防を糸口に回復をはかり、今は二人でジンオウガを相手によく攻めよく守っているとも思えたが。スタンを取ってその間に尻尾の切断までこなしたあと、サキネ達は手詰まりに陥っていた。  いっそう怒りを高めて襲い来るジンオウガは、正しく雷神の化身……その怒涛の猛攻を前に今は逃げ惑うのみ。 「ちょっ、ちょちょちょ、ちょっと! 笛吹く隙もないんですけどお!?」 「くっ、踏み込むタイミングが掴めんな」  蒼雷を纏うジンオウガの巨躯は今、絶え間ない攻撃でサキネとルナルの体力を削ってゆく。時間すら獰猛な雷狼竜に味方したようで、紅い月明かりは荒れ狂う牙と爪を妖しく輝かせる。その鋭さから逃げ惑う二人は、互いに文句を零し合いながら大地を転げまわる。隙を見て一撃とは思うのだが、その好機は見出すことができない。 「ぐぬぬぬぬ、サキネっち。これってやばくね? みたいな? 超怒ってるよぉ〜」 「今は耐えるのみ……ノジコとアウラは必ず帰ってくる。四人になればチャンスも巡ってこよう、なっ!」  ルナルへの返事と同時に、サキネは身を投げ出して宙を舞う。そのすぐ背後で、ガチン! と強靭なアギトが空を噛む音を聞く。そのまま大地へ正面衝突した彼女は、間髪入れずに立ち上がるや己の身を押し出す。全く息をつく暇も与えず、サキネが逃げ込んだ場所に鋭い爪が突き立てられた。  ルナルがそうであるようにサキネもまた、辛抱強くジンオウガの猛攻をしのいて避け続けていた。だが、それがいつまでもつかは自分でも見当がつかない。勿論、自信など持てよう筈もなかった。 「ええい、埒があかんっ! ……一意専心っ、真っ向勝負!」  逃げ惑うルナルの安全を横目に確認して、サキネは回避につぐ回避から身を翻す。背に重い大剣を手に取るや、その巨大な刀身を盾にジンオウガの爪へと立ちはだかった。  衝撃と同時に襲う激痛。  空の王者と謳われたリオレウスの甲殻と鱗で紡いだ防具が、いとも容易く悲鳴を上げてダメージを貫通させた。同じ素材をふんだんに使った剣は今、その鋭さを削られ金切り声の悲鳴を歌う。圧倒的な質量のぶつかるインパクトと共に、サキネは全身の筋肉が軋む音を聞いた。その痛みは全身に張り巡らされた神経を駆けまわり、五臓六腑に伝搬して骨身を強烈な痛みで染め上げる。  だが、サキネは踏みしめる大地を抉りながら踏みとどまって、ジンオウガの一撃を受け止めた。 「今だっ、乾坤一擲……チェスッ、トォォォォォォォッ!」  身を声にした絶唱の咆哮が迸った。  サキネは喉も張り裂けんばかりの気勢を叫ぶや、ひび割れ刃こぼれの浮かんだ大剣を振りかぶる。限界まで引き絞られた全身の筋肉が、割れんばかりの悲鳴に変えて激痛を走らせた。だが構わず、サキネはほんの僅かな隙に……ジンオウガが振るった爪を踏みしめ起点に、もう片方の爪を振り上げたその間隙に全力を集中させる。  サキネというモンスターハンターが培った全てが瞬発力となって爆発し、それを乗せた刃が振り下ろされた。 「やたっ、サキネっちナイス! その隙、いただきっ! ここは安定狙いっ、粉ば使うよお」  視界の隅で、ルナルが生命の粉塵を振りまく姿が見える。至極面倒な調合を経て作られる、高価だがハンター必須のアイテムがサキネに痛みを忘れさせた。全力で振るう刃に、刀身の重みとサキネの想い、ルナルの意気込みが重なる。  生命の粉塵は世間では一般的には、周囲の仲間を癒す薬の一種だと認識されている。そしてそれは間違ってはいない……薬であるという点のみ。竜の牙と爪をすりつぶして粉末状にし、不死虫の力を凝縮したこの薬の効能は癒しではない。それは、痛みを忘れる麻薬のようなもの。空気中に散布された顆粒は、吸い込む者の痛みも疲労も忘れさせる。全ての苦痛を忘れた狩人は、限界を超えた身体能力を発揮、時には眠れる潜在能力をも呼び覚ます。  サキネは今、自身の意識が澄んでゆく感覚の中で剣を振り抜いた。 「っしゃあぁ! 効いているぅ、効果は抜群だ! って感じ? あとはもぉ、畳み掛けるっしょ」  ルナルの声を実感として感じる、それだけの手応えを一撃にサキネは感じていた。  真っ直ぐ脳天に振り下ろされたレッドウィングは、ジンオウガの額を割って鮮血を吹き上げさせた。だが、サキネにはもうその後に続く二の太刀が振るえない。あとはもう、ルナルの言う通り……有言実行で狩猟笛を振り上げ走るルナルの行動が全て。  あと一撃、一撃だけでいい……短い悲鳴をあげて怯んだ鬼神に、あと一撃。  想いとは裏腹に動かぬ我が身にサキネが唇を噛んでいた、その時だった。 「お待たせしましたっ! ルナルさんはフォローを……その隙っ、私が頂きますっ」  巨大な盾を放り投げるや、戦線に復帰したノジコが武器を振り上げた。その手に握るガンランスに見覚えがあって、サキネは思わず安堵感が込み上げる。嫁と見込んだ人間が今、引き出物にと渡した逸品を構えて傍らに突進してきた。防御を完全に捨てたその姿は、突貫と言ってもいい。  サキネは残された力を総動員して、ノジコに道を譲るや倒れこんだ。  サキネの渾身の一撃は、それでもまだ怒れる鬼神に無防備な一瞬を与えていた。その僅かな一瞬、刹那の瞬間にノジコが割り込む。上段から力任せにガンランスを叩きつけるや、彼女は迷わずトリガーを引き絞った。  ――次の瞬間、サキネは吹き飛ばされて無様に転がるノジコを見た。 「ノジノジ!? うっぞお、弾いた……弾かれたっ! どんだけ肉質硬いねんっ」  転がるノジコを庇うように、ルナルが武器を構えてジンオウガとの間に割って入る。恐らく初めてであろう致命打に、未だジンオウガはひるんで大きく身を揺らがせていた。サキネの目にもはっきりとわかる……この好機を逃す手はないと。自身が切り開いた勝利への狭き門はしかし、続く者が不在ゆえに固く閉じられようとしていた。 「それにしても変に吹っ飛んだよ、ノジノジ。だいじょぶ? 急いでトドメを叩き込まないと、サキネっちが」  そう、もうサキネに余力は残されていない。 「あ、あのっ、ルナルさん。今の、弾かれたんじゃありません。このガンランス、その、ええと……はっ、反動が」 「はんどぉ〜!? んな馬鹿な、だってノジノジ……それガンランスだよ? ボウガンじゃあるまいし」 「本当ですっ、トリガーの瞬間に砲身が。これは装弾数も一発だし、炸薬が強力過ぎるんですっ」  それはもともとは、ガトリングランスを中折れ式に急造仕様で作ったものだ。それをサキネが、余った雄雌の火竜素材で勝手に魔改造したもの。誰も選択することがなかった派生先を、村の工房の技師は面白そうに教えてくれた。ヴァルキュリアシリーズの失敗作にして欠陥品、ラーズグリーズ……貫通式と称して合金製の杭を打ち出す、言わばパイルバンカー。その装填数は僅かに一発、それゆえに、 「うん、工房の爺様に相談したのだ。通常の三倍の炸薬を装填する仕組みだぞ、ノジコ」  辛うじて絞り出したサキネの声に、ノジコが表情を失う。逆にルナルは露骨に呆れた顔をしてみせた。 「あんねぇ、サキネっち? 駄目じゃん、ガンランスに反動あったら。しかもこれ、装弾数一発でしょ?」 「……でもっ、威力は保証できるってことですよね? 今、反動で手元がぶれて芯を外しました。でもっ!」  飛び起きたノジコが再度、クイックリロードに銃槍を振るや駆け出す。排莢された空薬莢が回転して宙を舞い、地に落ちて転がる前に彼女は再びサキネの脇をすり抜けた。疾風にも似たスピードでジンオウガに肉薄、僅かに見せた隙を逃さず再度鋭い突きを繰り出す。 「威力はお墨付きっ、馬鹿っぽいけど十分っ! ならっ、あとはただ……そう、ただ撃ち貫くのみですっ」  ジンオウガの巨体に、深々とガンランスが突き立つ。ノジコは守りを捨てた突進力でラーズグリーズを押し込むや、身構え両足で大地を掴んだ。その意図を汲み取り、ルナルも駆け寄り側に立つ。 「反動でかいんしょ? ならっ、二人で抑え込むよぉ。ノジノジ、トリガーッ! てーっ!」 「ルナルさんっ、気をつけてください。これ、凄い反動です。さっきは全身の関節が抜けるかと思いましたっ」  ノジコは共に並ぶルナルと手に手をとって、ジンオウガへとガンランスを深々とうずめてゆく。もはや鬼神の威厳も恐怖もなく、己の中に異物をめりこませたままジンオウガは絶叫を迸らせた。  ああ、狩りが終わる……サキネは薄れゆく意識の中、確かに狩りの終焉を感じた。重い瞼も遠ざかる痛覚も優しく感じるのは、仲間達のベストを尽くす懸命な気持ちが響くから。それが心地よいから……そして約束された結果を疑う余地もないから。  サキネの想いを裏付ける声が続けて現れた。 「三人で力をっ! わたし、皆さんに見られたくなかった……この姿も、この力も! 怖かったから」  現れたアウラはもう、その可憐な素顔を覆うヘルムを脱ぎ捨てていた。真紅の月光に秀でた頭を光らせながら。ノジコとルナルの中に分け入りラーズグリーズの銃把を握る。 「わたし、人じゃないんです……ごめんなさい。でもっ、わたしの力を加えれば反動になんか負けませんっ」  その瞬間はいつも、最大限の歓喜を約束するのに切ない。  サキネは見守るしかない己の瞳をしっかりと三人の仲間達に向けた。もはや自分には見届けることしかできない。スタミナは尽き体力は限界で、モンスターハンターとして鍛え上げた肉体は既に主の言うことを聞かない。でも、だからこそ、この瞬間……己が切り開いた勝利への道をひた走る仲間達に目を見開いた。 「なにを言ってるかな、つるこは……人じゃない? わかんねー、けど仲間じゃん?」 「そうですっ、だから……あ、そこ抑えててください。ルナルさんもいいですか? 撃ちますっ」  三人が支えるガンランスが、装填された炸薬を薬室内で撃発されて吠えた。  通常の三倍に相当する火薬で打ち出された合金製の杭は、ノジコが真っ直ぐ狙った心の臓を……それに類する臓器があると思われる胸を深々と撃ち貫いた。その反動で暴れる砲身を三人が支えて、狙いあたわずラーズグリーズの一撃はジンオウガの背を突き破る。月光の光に、血に濡れたパイルバンカーの先端が輝き光った。  断末魔を叫ぶかのように天を仰ぐ、ジンオウガの全身からプラズマが弾けた。今まで目の前のモンスタに宿っていた力が、一撃でかき消されて霧散した。そのままジンオウガは、どさりと音を立ててその場に崩れ落ちた。 「やっ、やりました……流石は装填数一発のキワモノガンスです。……や、やだ、手が。トリガーから離れない」 「ふひひ、緊張しすぎだよノジノジ。でもあたしもびびった。この反動……馬鹿だね、大馬鹿者だねこの武器」 「わたしもびっくりしました。こんな武器、普通は造りません……作っても使いませんよ」  三者が三様に安堵のつぶやきを零す、その声すらサキネには福音に聞こえた。  獲物の討伐と、なにより仲間の無事を感じて安堵すれば、急激にサキネの視界は暗くなってゆく。そのまま揺れて傾く視界は、自分が倒れてしまったことを無言で語っていたが、身を起こす力ももう残されていない。勝利を喜ぶ余裕すらないまま、サキネは眠りにも似た深い闇に引きずり込まれていった。