宴の喧騒、遥か遠く。  ここは砂原、その最果て。巨大な龍撃船が舳先を向ける砂海は、帰路につく月の光で金色に輝いていた。静かに凪いだ砂の海へ今、コウジンサイは腕組み黙って視線を投じる。この人間には広い海は、昼は無限の灼熱地獄となる反面、夜には凍えて震える煉獄となる。そして恐るべき古龍にとっては、狭い狭い砂溜まりにも等しかった。 「テンゼン様! 全て準備、整いましてございます!」 「いざいざ、出陣の時……我等、最後までお供つかまつる!」 「敵は古龍、ジエン・モーラン! されど我等意気軒昂、裂帛の意思にて参陣つかまつる所存!」  コウジンサイの元には、この冴津で長らく苦楽を共にした武将達が集っていた。誰もが皆、コウジンサイがテンゼンと名乗り城代家老をしていた頃に育てた者達だ。若く英気に満ちた、これからこの国を盛り立ててゆく男達である。コウジンサイは先達として持てる文武を惜しみなく若者達に叩き込んだ。  だが、それは全て母国のため……生まれ育った故国のため。 「この戦、後には退けぬ……退路は既にない。よって、ワシはこれより修羅に入る」  コウジンサイは今、長らく戦場で着込んだ甲冑に身を固めている。装面して兜を被り、全身を装甲で覆った屈強な鎧武者が佇んでいた。その背に片膝をついてかしこまる者達もまた、手に槍や弓を携え、腰には太刀をはいた益荒男揃いだ。  誰もが今、鬨の声をあげてコウジンサイに付き従おうとしている。 「されば我等、地獄へ共にまっしぐら!」 「既にこれより先は戦場、腕がなりましょうぞ!」 「いざいざ! テンゼン様、再び我等を率いて冴津の為……ご決断を!」  テンゼンは振り向きぐるりと男達を見渡す。誰もが皆、目に入れても痛くないほどに可愛い息子のようなものだ。自らが手塩にかけて育て上げた、文武に秀でた立派なこの国の礎。これからキヨハルを演じる姫君を支えて、冴津の未来を牽引する若者達。  コウジンサイにはだから、取れる選択肢は一つしかなかった。 「……ならぬ」  小さな、しかし重々しい呟きに家臣一同が「は?」と首を傾げる。  コウジンサイは大きく息を吸い込むと、冷たい夜気を震わせ吠えた。 「ならんっ! なんぴとたりとも、共をすることまかりならん!」  にべもない言葉に、たちまち抗議の声があがった。 「何故ですか、テンゼン様! 我等は既に命を捨てる覚悟!」 「左様、この国の明日のために……共に今こそ、命を燃やす時!」 「我等冴津の武士魂、今こそみせつけてくれましょうぞ!」  ことさら若い連中は、コウジンサイに詰め寄りまくしたてる。  だが、そんな若者達をコウジンサイは一喝した。 「是も否もなし! 助太刀無用、うぬらは急ぎ急いて国元に戻るのじゃ!」  コウジンサイの言葉に誰もが、不満も顕にざわめきたつ。  その自分を憂いて慕う気持ちを、コウジンサイは愛おしく思って目を細めた。同時に、死への旅路に道連れは不要と、固く自分を戒める。 「よいか皆の衆……これはお国の一大事。されど、ここは年寄りに任せられよ」  しかし、と食い下がる者達を手で制して、コウジンサイは声音を和らげる。 「うぬらは国へ帰り、殿を支えよ! この国のために生きよ! それこそ大義、誉なり!」  異論が静まってしまった。誰もが皆、コウジンサイの言葉に決意を感じて押し黙る。コウジンサイが育てた、どこに出しても恥ずかしくない武人達だ。自然と、師の気持ちを汲めば引き下がるしかない。  そう、それでいい……命を賭して戦に飛び込むは、自分だけでいいとコウジンサイは心に結ぶ。  これより先は死地、待つは正しく激戦死闘。未来ある若者を、この国の財産をどうしてつれてゆけようか。ただでさえこの冴津は、女を捨てた姫君の手で危ういバランスを保っているのだ。いかにキヨハルを演じるハル姫が名君であっても、それを影に日向に支える人材は必須。そしてコウジンサイは、自分が育てた若者達に全幅の信頼を寄せていた。 「先の騒動の最後の火種、この年寄りに任されよ……一奉公たてまつる。なに、ワシに任せよと言うておる」  兜の下でニコリとコウジンサイは笑った。  居並ぶ武士達は皆、涙ながらに引き下がるしかないが……そうではない男が一人。 「そういうこった、お前ら。いいか、ハルを助けて国に尽くせ。頼んだぜ?」  その男は、片足を引きずりながらもコウジンサイの前に歩み出た。ユクモ村の工房で調達した防具を着込み、その背にはヘヴィボウガンを背負っている。  キヨノブは驚くコウジンサイの前で、悪びれずに不敵に笑った。 「付き合うぜ。俺だって銃爪くらい引けらあ」 「若、しかし」 「ロートルの年寄りに、ドロップアウトしたかつての世継ぎ……丁度いいと思わねぇか?」  キヨノブは驚く周囲の家臣達にも頭をさげた。 「この通りだ! ジエン・モーランは任せろ……そのかわり、ハルを、キヨハルを頼む」  ざわめきが伝搬してゆく。 「若……お戻りあそばしたとは聞いておりましたが」 「でしたら若が、若こそが姫には」 「言うな! 言うでない……誰が若を再び城に戻せよう」 「左様、なにより姫が、殿が望まれますまい」  結局男達は、「ははっ!」とかしこまるやキヨノブに平伏した。それを見て大きく頷くや、キヨノブは龍撃船に乗ろうとする。それを止めるコウジンサイは、普段の顔に戻ってしまっていた。 「若、困りますな。これは遊びではございませぬ」 「おうよ。だが、一人より二人のほうが成功率が高いと思わねぇか?」 「ですが」 「ですがもヘチマもねえよ。手前が命を賭けるってんだ……付き合うぜ。それが筋だし、俺にできる全てだ」  そう言うキヨノブをしかし、コウジンサイは押し留めて押し返す。 「若、いけませぬ! せっかく得た新たな暮らし、平穏な日々でありましょう?」 「じゃあなにか? 俺は大事な人が命懸けで切り取る未来に、あぐらをかいて座ってろってか?」 「そうは申しませぬ、申しませぬが」  困り果てたコウジンサイはその時、息せき切って駆けてくる長身の影を見た。 「キヨ様! 私の命をお使いください。私が行きます」  アズラエルだ。誰もが振り返る異人の青年は、僅かに乱れた呼吸を立ち止まって整える。その怜悧な無表情には今、珍しく真剣で熱っぽい炎が瞳に燃えていた。 「アズ、お前……」 「一人より二人、キヨ様の言う通りです。なら、その二人は熟練のハンターであるべきだと思うのです」 「……俺はでもよ、お前を」 「私はキヨ様のモノなんです! キヨ様には私を使い捨てる、使い切る度量があるんです!」  アズラエルはキヨノブに駆け寄ると、その背からヘヴィボウガンを取り上げる。慌てて手を伸べるキヨノブだが、こういう時に長身のアズラエルは頑固だった。言い出したらテコでも動かない、それをよく知るのは、一番思い知っているのはキヨノブだった。 「アズさんだけじゃないですよ、キヨさん。狩りなら狩人にお任せ……勿論、死ぬ気ないですけど」 「コウジンサイ様っ、助太刀御免! 義と恩により馳せ参じました。私も行きますっ!」  オルカが、ミヅキが完全武装で現れた。背にはタル爆弾を背負い、他にも薬品類を満載した状態で駆けてくる。  流石に鬼を象る兜の奥でコウジンサイも驚いていた。 「ミヅキ! それにオルカも。お主等、ジンオウガの狩猟は……」 「はいっ、ルナル達に、妹達に任せてきました。あの娘は自慢の妹です、きっと大丈夫」 「俺もパス、村の英雄なんて柄じゃないですよ。いつどこで命を賭けるかは……自分で決めます」  しばし黙った後、アズラエルを囲んで一緒にキヨノブを龍撃船から引きずり下ろす二人にコウジンサイは背を向けた。  そのいかつい肩が僅かに震えている。 「……この大馬鹿者が! ワシがなきあと、ユクモ村の狩人はお主達ぞ」 「大恩あるコウジンサイ様を見捨てれば、柳の社の巫女の名折れ! 母様だって望みはしません」 「キヨさんも、あとは任せてくださいよ。俺とアズさんと、あとミヅキさん。三人で……いや、四人で」  オルカはなおも食い下がろうとするキヨノブを押して、完全に龍撃船から下ろすやアズラエルに並ぶ。  自分一人だけでもと思っていたアズラエルは、目を丸くしてルナルとオルカを交互に見やった。 「あの、オルカ様……ミヅキ様も」 「水臭いよ、アズさん。俺等、狩りの仲間じゃないか。それにさ、美味しい話だと思わない?」 「そうですよ、アズラエルさん! ……わっ、私はコウジンサイ様のためと、あ、あと……素材のためですっ」  そうして三人は改めて、コウジンサイに向き直る。  黙ってコウジンサイは、帆へと延びるロープを握るや引っ張った。 「……では、征くか! さらばじゃ、皆の者! 母国を守れ、殿を守れ! この冴津を守り通すのじゃ!」  勢い良くマストに帆が張られて、夜風がその白さをふくらませる。たちまち龍撃船は砂の上を滑りだした。歓声をあげて見送る男達の姿が、たちまち小さくなってゆく。  闘いの火蓋は切って落とされ、栄誉なき狩りへとモンスターハンター達は飛び込んでいった。 「死ぬなよ、アズ……コウジンサイも、オルカもミヅキちゃんも」  見送るキヨノブの声が、夜もふけた寒さに溶け消えていった。