ユクモ村にいつもの日常が戻ってきた。  湯治客達は互いに挨拶を交わしながら、村中に点在する露天風呂や共同浴場へと行き来する。土産屋や居酒屋は大繁盛で、話題は常にこの村のモンスターハンター達のことだ。  そんなありきたりな光景を突き抜けて、今日もあの娘達が屋敷にやってくる。チヨマルは庭に回って縁側へ勝手に上がり込んだ姉妹を出迎え、いつも通りペコリと頭を下げた。 「チヨちゃん、おいーっす! コウジンサイのおじーちゃんは準備できてっかなー?」 「おはようございます、ルナルさん。御館様はすぐ参りますので、少しお待ちください」  巨大な狩猟笛を背負ったレイアシリーズの狩人は、縁側にぽすんと腰かけるなり足をブラブラさせながら首を巡らせてくる。そうしてチヨマルを見てはゆるんだ笑みに頬を崩すのだった。  だが、その横で気張った様子のガンナーは今日も生真面目にキリリと表情を引き締める。 「チヨマルさん、おはようございます。あの……今日も、今朝もサキネさんは」 「おはようございます、ミヅキさん。ええ、ずっと眠ったきりです」  この応答は何度目になるだろう? チヨマルは今朝も定例の定型句を切った後で胸に痛みを感じる。そう、この村をジンオウガの脅威から救ったモンスターハンターの一人は、未だ深い眠りの奥底にまどろんでいた。医者は外傷の完治を既に確認しており、脳への損傷もないと診断している。なのに、サキネは今も眠り続けていた。  チヨマルは彼女が眠り姫になって初めて、不思議な感情に戸惑っている。あのトンチンカンな両性具有の竜人美女は、自分にとって特別な存在だったのだ。それを相手が意識していることに気付けぬまま、チヨマルは失って初めて気づく存在感と喪失感に疼痛を感じている。あの笑顔は今、嫁婿の為に女らしさや甲斐性を求めて自分に頼ってこないのだ。  サキネはまだ、畳の上にしかれた布団の上で沈黙している。 「カカカッ、待たせたの! さて、今日はアグナコトルだったか」 「あっ、じじぃキター! お姉ちゃん、揃ったよ。行こうっか〜」  気付けば甲冑に身を固めたコウジンサイがチヨマルの背後に立っていた。その背には太刀を背負い、準備万端の様子だ。急いで履物を出すチヨマルはしかし、コウジンサイの豪快で気持ちのいい笑い声に心を洗われる。 「これルナル、今朝もちっくと待たぬか? あの娘っ子が起きてくるかもしれんでの」 「らじゃー! いやあ、じーさまに言われちゃかなわないですな。にひひ」  どっかと縁側に腰を下ろして、巨漢の老ハンターは腕組み黙った。厳つい鎧武者の様相は迫力があるが、その装面の奥から注がれる眼差しは優しい。その横で相変わらず両足を投げ出してるルナルは、くつろぎっぷりここに極まれりといった雰囲気で大の字に縁側に転がった。 「やっぱ狩りは四人に限るもんね! って訳でチヨちゃん、お茶! ヨーカンも! 端っこがいいな、アタシ」  ここ最近は、ユクモ村の三人の……否、四人のモンスターハンター達の通例になりつつある朝のお茶。毎度毎日、狩りの前にこの場所はハンター達のお茶会の場になる。誰もが四人目を待ちながら茶を飲み菓子をつまんで、それでも変わらぬ日々にやれやれと重い腰をあげるのだ。そんな日々はもう、かれこれ半月は続いていた。  コウジンサイもルナルも、ずっとサキネを待っている。仲間だから。 「では、お茶をお持ちしましょう。羊羹はルナルさんに端っこを」 「厚く切ってね、ブ厚く! アタシは渋いお茶にヨーカンが怖いのデス!」  奥へと取って返すチヨマルは、背中で具足を脱ぐ音を拾った。 「チヨマルさんっ、お手伝いします。……あの、サキネさんのお顔を拝見してもいいですか?」  チヨマルに断る理由はない。黙って頷くと、この村で巫女を務める少女はレイアシリーズに弓を背負ってガチャガチャと上がり込んできた。そのまま二人で、まずはサキネが眠る部屋へとふすまを開ける。  今日も今日とて、部屋の中央にしかれた布団の中でやすらかにサキネは眠っていた。  その表情は活き活きとしているが、微笑を凍らせて白い顔に寝息を静かに響かせている。 「……やっぱり、今日も起きる気配ないですね」 「ええ。お医者様の話では、特に理由は見当たらないそうなのですが」  サキネはジンオウガ討伐の決戦において、乾坤一擲の一撃を放った。それに続く仲間達の攻撃が決め手となったが、彼女自身は精魂尽き果てたかのように眠りに落ちてしまった。  じっと見つめるミヅキの横顔を眺めて、チヨマルはなんだか不思議な感覚に胸を曇らせる。  熱っぽい視線を投じて枕元に屈むミヅキに、なんだか胸がもやもやするのだ。 「ルナルが変なこと言うんです。こういう時、キスで目覚めるかもなんて」 「キス、と申しますと」 「口付けです、接吻……そういう物語があるそうで。わたしも少し、母から昔聞いたことがあります」 「そういえばそういう伝承や逸話もありますね。あくまでもお伽話ですが」  不思議とチヨマルは、自分でも変にムキになってる己がおかしかった。  構わず言葉を続けるミヅキは、そっと小さく白い手でサキネの頬に触れる。 「サキネさん、わたし達は今も狩りに生きてますよ? モンスターハンターですから」  潤んだ双眸から零れ落ちそうな雫はしかし、その瞳に宿って光をくゆらせながら揺れていた。ミヅキは今日も泣かなかったし、こうして定期的にサキネの枕元を訪れる度に目を潤ませてた。  その横顔を見る度にチヨマルは、なんだか面白くない自分に気付けてしまう。 「ルナルは補助に徹するし、コウジンサイ様は手数が稼ぎたい……そんな今のわたし達です」  ミヅキは、すやすやと眠るサキネの額にかかる黒髪をそっと指で払う。 「切り込み役が、サキネさんみたいな剣士が必要かなって……あ、あくまで剣士がですよ? でも……」  チヨマルにははっきりとわかっていた。わかっていて避けていた、それは恋敵の存在。敵の存在にも否定的だったし、恋には懐疑的だった。だが、今こうしてしっとりとした時間を過ごしているミヅキを見ればわかる。  否、感じるのだ。 「ミヅキさん、試してみてはいかがですか?」 「えっ? そ、それは――」 「口付けで眠りから覚めるなら、やってみたらいいでしょう」  自分でも意地悪な言葉を吐いたものだと感心してしまう。案の定、チヨマルが予想した通りミヅキは狼狽に頬を赤く染めた。この少女は未だ生娘でオボコで、恋に恋する純情なイキモノなのだ。 「えっ、や、あ、あの、そういうの、ちょっと、えっと……」 「ふふ、冗談ですよミヅキさん。すみません、困らせてしまいましたね」  チヨマルは自分でも不思議だった。ミヅキの反応に、その躊躇と戸惑いに安堵してしまう。  そんな自分に驚いている間にも、もじもじとミヅキは言葉を紡いだ。 「サキネさん、言ったんです。わたしを嫁にするって……一緒に、こ、ここっ、こここ……子供、作ろうって」 「ええ、仰ってましたね」 「変なんです、わたし。もう、嫌じゃないっていうか。言われなくなると物足りないというか」  それだけ言って、ミヅキは立ち上がった。ペコリとチヨマルに頭を下げると、足早に縁側へと戻ってゆく。  その背を首を巡らせて見送りながら、チヨマルは外の光に目を細めた。 「よしっ! ルナル、行くよっ! コウジンサイ様、今日も宜しくお願いしますっ!」 「ええ〜、も少しマターリしようよぉ、お姉ちゃん。いつもみたいに茶をビシバシしばいてさあ」 「どうしたミヅキ? ……だが、その意気やよし! カカカッ、しからば行くかのう!」  モンスターハンター達は動き出した。今日もまた、狩場で待ち受ける大自然の脅威から明日を勝ち取るために。  人智を超えた野生に挑んで、その極限状態から糧を得る者……モンスターハンター。彼等彼女等は、目の前に狩場が広がる限り旅立ってゆく。例え己の身が朽ちようと、己の心が折れようとも。生ある限り今日を足掻いて、死せぬ限り明日へと生命を繋ぐ。その営みを繰り返して、人の暮らしに溶け込みながら生きてゆくのだ。  モンスターハンター達が征く……その眩しい背中をチヨマルは今日も見送った。 「じゃ、チヨちゃん! またあとで〜♪ むふ、お土産期待してねぇん」 「ワシも少し運動するとしようかの……チヨマル、留守を頼むぞ」 「では、行ってまいります。チヨマルさん、サキネさんをお願いしますね」  今日も飽くなき日常を繰り返すユクモ村、その往来を抜けて狩場へと狩人達が旅立っていった。  見送るチヨマルは、この時ほど己の病弱で脆弱な肉体を恨むことはない。その身は男としてはあまりにか弱く、その機能すら充分ではない。それでも、狩場へ赴くモンスターハンターを見送る度に滾る血潮を感じていると、自分が男であることを否が応にも実感できてしまう。ここ最近、失って初めて得た感情と共に。  そう、十代も半ばとはいえ男、チヨマルは一匹の雄なのだ。  自分はサキネを好いている、好かれたいと思っている。そう認めざるを得ないとわかった今は、今までの接し方全てが恥ずかしくも思う。だが、そう思う羞恥の気持ちすら心地よく感じるほどに恋焦がれているのだ。 「でも、サキネさん。子供が作れないかもしれない人間は、相手にされないんですよね」  一人零した溜息と一言に、次の瞬間チヨマルは驚き振り向いた。  その声は耳朶に浸透して染み入るようで、清冽でしっとりとして心地よい。  聞き慣れているのに久方ぶりの声へと、チヨマルは満面の笑みで振り返った。 「おはようございます、サキネさん。おかえりなさい」  気付けば駆け出す足が畳を蹴っていた。その身を浴びせるように抱きついていた。  麗しい表情に驚きを浮かべつつ、眠れる微笑を満面の笑みに変えたサキネはチヨマルを抱きしめた。  全ては今、シキ国は冴津の辺境、ユクモ村で廻る理……狩人は獣を狩り、男は女を愛して、女は男の愛に応える日々。その営みの中、男であり女でもある一人の少女は、使命と日常が待つ世界へと戻ってきたのだった。