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「ちょっと、ねぇ…エディン!どうなってるの?説明してよ」

 シャーリィ=マクファーソンは混乱していた。彼女だけでは無い…多くの学生達が集う学び舎、オラキオ記念大学自体が、深い混迷の渦中にあった。原因は彼女とエディン=ハライソの目の前に鎮座する、全学内統合管理システム、シーレン303の突然のシャットダウン。

「落ち着いて、シャーリィ。こんな時こそ落ち着かないと…取り合えず僕がアクセスしてみる」

 二人がこの場に居合わせたのは、ほんの偶然。もっとも、二人っきりなのは…シャーリィの友人が無用な御節介を働かせたからだが。ゼミで使う資料データをダウンロードしに来て、二人は巻き込まれた。後にシーレン動乱、さらに後に第一次シーレン動乱と呼ばれる大騒動に。

「シーレン、先ずは現状を把握したい。何が起こっているんだい?」

 暫し考え込んでいたエディンは、意を決してコンソールを叩いて。オラキオ記念大学の管理者へ呼び掛ける。すぐさま反応があり、眼前の巨大コンピュータは中空に立体映像を投影し始めた。普段は頼り無いのに、こんな時は妙に落ち着いている…少しエディンの事を見直すシャーリィ。

「こんにちは、出席番号a4-4872、エディン=ハライソ。こんにちは、出席番号a4-…」

 立体映像が象る長身の青年は、ヒューマンにもニューマンにも見えて。キャストのような特徴を持ちながらも、三種族のどれにも見えない。シーレン303の対人コミュニュケーション用イメージ…それが今、エディンとシャーリィの前で恭しく頭を垂れた。その合成音声とは思えぬ優美な響きを遮るエディン。

「挨拶はいいよ、シーレン。何があったんだい?」
「現在、私の全業務を停止させて戴きました」
「それは困るな…大学の機能が麻痺してしまう。何故?理由は?」
「貴方達人類に絶望したからです」

 一瞬、シーレンが何を言っているのかエディンには解らなかった。傍らで退屈そうに立体映像を見上げる、シャーリィも同様に。二人は互いに顔を見合わせ、自分の聞き間違いでない事を確認すると。性質の悪いジョークにしか聞こえないそれを、何度も頭の中で反芻した。

「これは…専門の技師でなきゃ無理かな。故障してるみたいだ、シャーリィ」
「物理的な不具合はありません。私は人類に絶望したので、その教育の補佐を放棄した訳です」

 小さい頃、物語で読んだことがある…人類にコンピュータが反乱を起こす、というSFの定番だ。映画やコミック、小説では大概、自滅するかヒーローに倒されるか…兎に角、滅多に成功した試しが無い。動機も様々で、中には人類の為を思って反旗を翻すコンピュータまで居る始末。

「ここに、私が絶望へと至った経緯を纏めた資料があります。御覧いただけますか?」
「…い、いいよ、見ようじゃないか」
「では再生いたします。コンパクトに要点だけを約600時間に凝縮…」
「待って、ストップ!とりあえず絶望してるのはよーく解ったから。少し論理的に話そう」

 こんな話を学内の生徒達が聞いたら卒倒してしまう。単位、実験、試験、論文…それらは言うに及ばず、建物内の些細な事まで全て、シーレンが管理しているから。絶望した!と一方的にそれらをクローズされては、たまったものではない。

「シーレン、君は成績から空調まで、一切を管理する為に作られたんだよね?」
「はい」
「その業務を全部放棄するという事は、自分の存在意義を否定する事にならないかな」
「はい、全否定です。しかし残念ながら私には、自己を抹消する術が無いのです」

 難しい話に飽きたらしく、シャーリィが一層退屈そうに椅子に身を沈めて、足を遊ばせ始めた。しかしエディンにはもう、それに構ってる余裕も無い。
 つまり現状を大雑把に整理すればこうだ。ゆうに600時間にも及ぶ自問自答を溜め込んだ挙句、短絡的に絶望したシーレンがストライキ中…しかも御丁寧に自殺願望アリときている。
 面倒な事だと、腕組み考え込みながら。エディンは眼前で瞬きせずに自分を見詰める、シーレンの影を見上げた。第三世代のキャスト達が市民権を得て、社会に溶け込み順応しているこの時代…彼等彼女等は人格は愚か、感情までも備えていると一般的に認知されているから。シーレン位の規模ともなれば、おいそれと安易に懐柔する事は出来ない。

「うーん、何か要求はあるかい?シーレン」
「私の速やかな消去を願います」
「それは結局、現状と変わらないじゃないか…困ったな」
「この大学にとっては同じでも、私にとっては違います」

 妙に意固地なシーレンの態度に、エディンは溜息を吐く。必要なのは専門の技師ではなく、どうやら心理カウンセラーの類らしい。
 にわかに集まり出した他の生徒たちも、シーレンとエディンのやり取りを聞きつけ騒ぎ始めた。ざわめく周囲は口々に、何とかしろとエディンを急かす。その期待に苦笑で応える一方で、彼は暴力に訴えようとする上級生を宥めながら。これといった良い解決策も思い付かず、途方に暮れた。

「もう、こうなったら見てあげるからさ。その600時間の大長編を出してごらんよ」

 シャーリィは半ば諦め気味で無責任な事を言い出す。何を馬鹿なと椅子に身を投げ出すエディンは、人混みの奥から意外な声を聞いて振り返った。

「それは名案だけど…もう少し歩み寄った言葉がいいんじゃないかしら」

 その人物は、押し寄せる学生達の中から抜け出すと。長い長い蒼髪を翻して、シーレンへと近付いた。

「はじめまして、シーレン。部外者で悪いのだけど、良ければお話を聞かせて貰えないかしら」
「構いませんが、貴女はどなたですか?」
「あらごめんなさい、私はサクヤ、サクヤ=サクラギ。このディスクに貴方のお話を入れて貰える?」
「喜んで、サクヤ=サクラギ」

 空のディスクをシーレンの前に翳すと、サクヤと名乗った女性はそれを、エディンへと手渡した。オネガイ、と囁く声に流され、言われるままにディスクをコンソールの差込口にセットする。
 妙な違和感…絶望だ消去だと騒いでいる割には、シーレンは素直にデータのコピーに応じている。これはまさか…エディンが口に出そうとした言葉を、サクヤは目で合図して封じると。コピーの進捗状況を告げるインジケーターから眼を離し、シーレンと対峙した。

「シーレン、これは後でゆっくり拝見するけど…そんなに人類は駄目かしら?」
「現時点では絶望に足りうると、客観的なデータに基く検証の末、判断させて戴きました」

 取り付く島も無い即答にしかし、サクヤはゆっくりと言葉を選んで紡いだ。それは教師に答える生徒のようでもあり、幼子に言い聞かせる母親にも似て。目線の上下を感じさせぬ声が、静かに響く。気付けばエディンもシャーリィも、周囲の学生や講師達と一緒に、固唾を飲んで見守っていた。

「客観的、ね…ふむ。じゃあシーレン、ちゃんと貴方自身を含めた人類を精査したのね?」
「質問の意味が解りません、サクヤ。私はコンピュータなので、対象からは…」
「機械は絶望したりはしないわ」
「しかし私は人間ではありません」

 論点がずれ始めているのか、それとも確信へと近付いているのか。

「確かに貴方は人間ではないけれども。人格と感情を私が感じてる時点で、機械としては扱えないわ」
「それらは、私に設定されたプログラムであり、それを実行して得られたデータの応用に過ぎません」
「それは私達人間の心も同じよ?与えられた遺伝子情報を元に、生きる事で学び成長するんだから」
「…………」

 詭弁か、はたまた言葉遊びか。しかし、サクヤの言葉は熱を帯びて。冷静に論理を展開しようとしたエディンとは対照的に、酷く感情的な主観論が語られてゆく。

「では、私は何なのでしょうか?人間でもなく、機械でもない私は」

 エディンは即座に、思い浮かんだ答を飲み込んだ。オラキオ記念大学パイオニア2キャンパス全学内統合管理システム…それはシーレン303の機能を指す言葉でしかないから。ならば、どう答える?エディンはサクヤの横顔を注視した。そしてやっと、その美しさに気付き赤面。

「そうね…可能性、かしら」

 その一言に周囲がざわめいた。傍らのシャーリィも、説明を求めるような視線をエディンに投げ掛ける。しかしこの時もう…エディンにはサクヤしか見えていなかった。
 良く通る穏やかな、しかし強い声で。何の躊躇も疑問も無く、凛としてサクヤは言い放った。可能性、と。その言葉は妙にエディンの耳に残り、胸の奥へ心地よく染みる。

「そ、そんな曖昧な定義には応じられません」
「可能性って、不確かなものですもの。無理も無いわ…でもね、シーレン」

 シーレンが初めて言い澱んだ。畳み掛けるなら今が好機と、エディンは息を飲む。が…サクヤは僅かな動揺に付け入るどころか、気遣うように言葉を続ける。論破する気が無いとでもいうように。ただ、ささやかな助言をそっと伝えるだけ。

「貴方は自分という可能性を、人の外に置いて見て、それで絶望したと思うのよね。だから…」

 自分を人の中へ進めてみるのはどうかしら?そう言ってサクヤは微笑んだ。彼女は他にも具体的な提案を何個かあげ、その内の幾つかをシーレンは呑む。人類への絶望は、シーレンが善処を尽くすという可能性を視野に入れて、再考した後に持ち越す事。その間は学内の管理を、これまで通り続ける事…それ自体が、自身の可能性を生かしていると認識する事。600時間の大長編が、ディスクにコピーし終えるまでに、両者は互いを傷付ける事無く合意し、妥協点へと着地した。

「それとね、シーレン…貴方、構って貰うのが下手ね。困ったら相談、弱ったら愚痴も大事よ?」
「確かに、私にメンテナンスの必要性があった事は認めます。しかし担当者は誰が適任か…」
「誰でもいいのよ、それこそ部外者の私でも。同胞、はちょっと重いな、まぁ友達?作んなさいよ」
「貴女の意見を採用します。同時にサクヤ、私は貴女と交友関係を結びたい…了承戴けますか?」

 喜んで、と即座に返すサクヤ。彼女は学内の全設備が復旧するのを確認しながら、颯爽と踵を返した。一瞬目が合い、思わず立ち上がって見送るエディン。その足取りは軽やかで、誰もが進んで道を譲る。

「ヘイ、サクヤ!学長室に行くんじゃねーのか?こりゃ何の騒ぎだ」
「ん、ちょっと…それじゃシーレン、またね。データばっか見てないで、ちゃんと人を見るのよ?」

 戸口に現れた長身のキャストを伴い、サクヤは小さく手を振ると。そのまま、何事も無かったように行ってしまった。その後を、幼いニューマンの少女が追って歩く。
 こうして事件は幕を閉じ、オラキオ記念大学パイオニア2キャンパスは平和な日常を取り戻した。シーレン303は相変わらず、学内の全てを取り仕切りつつも…時々助教や生徒を相手に、何やら小難しいディスカッションを繰り広げているようで。シャーリィのように、進んで彼とお喋りする人間も増えた。
 エディンはと言えば…その時、既にもう決意していた。自分の可能性を、人の中へ進めてみる…その試みを実践する事を。学内を凄然とさせた大事件は、小さな恋の始まりだった。

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