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 這うように充満する雲は、どんよりと濁った灰色で。弩級恒星間移民船アリサ級の低い空を、より一層低く感じさせる。何度来ても慣れぬ閉塞感に、フェイはやれやれと溜息を付いた。相方はしかし、いつものポーカーフェイスで先を歩く。ここは八番艦パシファエ…パイオニア2重化学工業の中心地。
 今日の目的はただ一つ…巷のキャスト達を震え上がらせている、パシファエの通り魔退治。しかし、事件が連続して多発しているにも関わらず、恐ろしく情報は少なかった。解っている事と言えば、被害者は全員がキャストであり、パーツの一部を剥ぎ取られているという事。中には替えの利かないパーツを無理矢理生きたまま引っこ抜かれ、命を落としたキャストも少なくない。

「よう!ブラックウィドウのお出ましか…子守の片手間に通り魔狩りたぁ余裕だな」
「ヘッ、ロートルが抜かしやがる…オレの相棒はアンタよりゃ使えるぜ?」

 各艦を繋ぐ軌道レールの、パシファエ工業団地駅を出てすぐ。顔馴染みのレイキャストに声を掛けられ、いつも通り応じるフェイ。互いに悪態を吐きながら、手荒い挨拶で笑い合う。

「そうこなくっちゃな、フェイ!景気はどうでぇ」
「まぁボチボチってとこかな?ラグナ、ビルドラプターのおやっさんだ。ビルで通ってる」
「宜しくな、お嬢ちゃん…って言うと何か怒られそうだな、ガッハッハ」
「構やしねぇよ、なぁラグナ」

 自分の倍程もある巨躯を見上げて、ラグナはぺこりと頭を下げる。ビルは無骨な手でその髪を優しく撫でながら、カメラアイの光を細めて豪快に笑った。キャストの中でもとりわけ、男性型は表情に乏しいが。付き合いの長いフェイからすれば、ビルはラグナよりよっぽど顔に出やすい性質だった。

「ジンクの旦那は?今日は一緒じゃないのか」
「ああ、奴は今日は別件だ。お前さんこそ、いつも一緒のベッピンさんと坊主は…」

 不意に二人とも世間話を止めた。と、同時にもうラグナは走り出している。躊躇無く後を追うフェイとビルは、先程より鮮明な二度目の悲鳴を聞いた。瞬時に同族の声だと解析すれば、自ずと相手は特定出来る。白昼堂々の犯行に驚きながらも、三人は工場が乱立する路地へと踏み込んだ。

「クソッ、野郎は何処だ!?舐めた真似しやがって」
「ラグナ、奴は近いのか!?…あん?何だ、この音…」

 腰のホルダーからセイバーを引き抜き、粒子の刃を灯らせて。迷わずラグナが道を選んで先行する。恐らく彼女は、悲鳴に入り混じる異音を拾って、その元へと向っているのだろう。工場の機械音や雑踏に紛れる微かな、しかし確かなその音を、フェイもビルも確認していた。
 耳障りな機械音へと、三人は確実に近付いて行く。フェイはハンドガンを構えて壁で背を守りながら。薄暗い路地裏への曲がり角で、身を潜めるラグナにゴーサインを出した。同時にビルもブラスターを片手に突入する。最後に頭上を警戒しながら飛び込んだフェイは、巨大な背中に強かに鼻を打ち据えた。

「ってーなオイ!どうしたビル、竦んじまったか?ええ?」
「何てこった…こりゃ酷ぇ」

 立ち尽くすビルの陰から出て、真っ先にフェイが視界に捉えたのは…見るも無残に蹂躙されたキャストの姿。胸から腹にかけて、外装が引っぺがされているものの、何とかまだ生きてる様子で。既に悲鳴を上げる余力も無く、ガクガクと震えてアスファルトに転がる。その姿は瞬時に、フェイの怒りに火を付けた。
 その時ラグナはもう、異形の両剣を振るう通り魔と切り結んでいた。棚引くボロ布で全身を覆い、甲高い作動音を響かせるヒューキャシール…犯人もまた、同族であるキャスト。ビルは動揺を隠し切れなかったが、すぐさま冷静さを取り戻すと。急いで被害者の延命措置を試みる。

「オレと代れ、ラグナァ!久々に切れたぜド畜生っ…人を、同族を何だと思ってやがる!」

 フェイが怒鳴ると、通り魔はちらりとその声の主を、次いでビルを一瞥した。まるで品定めをするかのような冷たい視線。
 その一瞬の隙を衝いてラグナは、懐に潜りこんで一撃を浴びせる。唸るような低周波を響かせたセイバーはしかし、通り魔の纏うボロキレを掠めて空を切った。

「あら、貴女ブラックウィドウじゃなくて?ウフフ…今日はいいパーツが手に入りそうネ」

 通り魔が放つ言葉も、ハスキーな声もいちいち癇に障る。無論、嫌に大きな作動音も。奥歯をギリリと噛んでフェイは、フードの奥で笑う双眸を睨み返した。その視線を平然と撥ね退け、通り魔はラグナと互角に立ち回る。壁や頭上を走るパイプの間を、縦横無尽に飛び交う影と影。
 パイオニア2が小さな閉鎖社会とは言え…世間は広いと痛感するフェイ。異常な作動音を引き連れ、デタラメな太刀筋ながらも、扱いの難しいとされる両剣を自在に使いこなし…あまつさえ、あのラグナと互角に渡り合っている。並みのキャストでは無いと感じ、彼女はもう一丁のハンドガンを取り出した。激しい怒りに燃えながらも、ブラックウィドウはクールに状況を飲み込んでゆく。

「思い出したぜフェイ!あの噂は本当だったのか…奴ぁレフトハンターズだ」
「はん、道理で…ますます許せねぇな」
「前にジンクが話してたんだが、奴ぁアチコチでパーツを漁っては自分を強化してるらしい」
「この酷ぇ音はそれか…パーツ同士のバランスが破綻して、相互に干渉し合ってやがる」

 レフトハンターズ…それはギルドに属せず、当然ライセンスも持たない非合法のハンターズ。仕事も暗殺から誘拐まで、金次第で何でもこなす無法者。本来は忌むべき存在の彼等彼女等をしかし、一般市民が区別する事は難しく。ハンターズの社会的地位が、なかなか向上しない原因の一つでもあった。

「私は三人同時でも構わなくってよ?早く楽しませて頂戴…ブラックウィドウッ!」
「ハンターズ同士に多対一は無ぇ…例え手前ぇがレフトハンターズでも、だ」

 地を蹴るフェイと入れ替わりに、ラグナは剣を納めて引き下がった。同時に通り魔の動きが一段とスピードを増す。狭く入り組んだ路地裏へと、その動きはフェイを誘うようで。迷う事無く彼女は、狂気が牙を剥く領域へと踏み込んだ。

「改めてはじめまして、ブラックウィドウ。そしてさようなら。最後に私の名を教えてあげる」
「やかましいっ、知るかっ!今すぐ五体不満足にして、移民局の特務課に突き出してやるっ!」

 威勢良く吼えては見たものの、フェイは射程内を飛び交う影を追うのに必死で。闇雲に発砲する訳にも行かず、相手の出方を窺った。地の利もフェイには無く、自慢の長身も今はハンデとなる。
 後方で見守るビルが叫ぶや、彼女は咄嗟に身を翻して飛び退いた。今まで立っていた地面がえぐれ、宙を舞うアスファルトの礫。その爆心地で通り魔は、躊躇無く二撃目を繰り出してくる。その凶器が極めて稀少な、デモリションコメットと呼ばれる両剣だと即座に照合して。フェイは交戦可能な場所を求めて翔んだ。

「なんつーモン振り回しやがる!とりあえず奴ぁハッタリじゃ無ぇな…っし、全開っ!」
「あらあら、逃げ回るだけかしら?すぐ掻っ捌いて、中身をブチ撒けて差し上げますわっ!」

 一際甲高い作動音を響かせ、背後の殺気が加速する。フェイは網の目の様に張り巡らされたパイプを縫って飛び、巨大な工場の非常階段に足を掛けると。周囲の障害物に当らぬよう、瞬時に狙いを定めて斉射三連。昂ぶるフェイの氣に合一したフォトンの弾丸が、勢い良くハンドガンから迸った。

「まぁ、掠りもしねぇか…オーライ、追って来い子猫ちゃん。すぐにでも踊らせてやっからよ!」

 フェイは全速力で非常階段を駆け上がる。その足場を崩しながら、猛追するパシファエの通り魔。振り返るフェイの射撃を、彼女は全て巧みな剣捌きで弾きながら。遂に視界の開けた、工場の屋上へと躍り出る。そこには既にフェイが、腕組み立って待ち受けていた。

「あら、鬼ごっこは終わりですの?随分と諦めがいいのね、ブラックウィ…!?」
「オレ様がどうしてブラックウィドウの名を継いだか…たっぷりその身で味わいなっ!」

 周囲に遮蔽物の無い、開けた場所へと逆に相手を誘い込んで。フェイは怒気を叫んで両手を広げる。クラインポケットが解放され、彼女の所持する全ての銃器が天高く宙を舞った。その異様な光景に一瞬フェイの姿を見失い、奇妙な錯覚に囚われるパシファエの通り魔。
 まるで時間の流れが塞き止められたかのように、見る物全てがスローモーションで。ハンドガン、マシンガン、ライフル、ショット…全てがゆっくりと重力に引かれて落ちてゆく中。ブラックウィドウは順に次々と、手にして構え銃爪を引いた。それはあたかも、分身した複数のブラックウィドウに一斉射撃をされたような。強烈な連続波状攻撃に、パシファエの通り魔は吹き飛び地べたへ叩き付けられる。

「オーライ、チェックメイトだ。神妙にしやが…成程、それが手前ぇの正体か」

 最後に落ちてきたハンドガンを掴むなり、起き上がろうとする相手の額に突き付けるフェイ。纏うボロ布も綺麗に消し飛び、パシファエの通り魔はその全貌も露にフェイを睨んだ。無造作に伸びた髪のような、放熱ファイバーから覗く赤紫の瞳。
 その身体は所々フレームが剥き出しで、必要最低限の外装が申し訳程度に張り付いていた。組まれたパーツ群はどれも、善良なキャストを襲って奪い、自ら埋め込んだのだろう…フェイは一目で、そのピーキーなチューニングを見抜く。よくもまあ、こんなデタラメな身体であそこまで、と溜息。

「一つ教えてやる…どんなに高価なパーツを組んだって、手軽にポンと強くなる道理は無ぇよ」

 ツギハギだらけの我が身が恥ずかしいのか、震えながら己の両肩を抱くパシファエの通り魔。その身体を見るまでも無く、普通に考えれば解る事だった。確かに世の中には、規格外の質や精度で造られたキャストも存在する。だが、だからといって自らの物質的な強化が、必ずしも強さに結び付くとは限らない。
 大事なのは、己の心を鍛える事…その身に宿る氣を、生体フォトンをコントロールする事。種族を問わず真に強さを求めるならば、肉体的なフィジカルも大事だが、内面的な力をこそ重要視するべきだと。少なくともフェイはそう教わったし、実践して実績を積み上げてきた。

「流石ね、ブラックウィドウ…大したものですわ。私をここまで追い詰めるなんて」
「そりゃどうも…さあ、一緒に来て貰うぜ?移民局に突き出す前に、その身体を治さな…!?」

 突如不吉な電子音が鳴り響き、思わずフェイは飛び退いた。不意に二人の頭上へと、時限装置を作動させ浮かび上がるダメージトラップ。
 自爆と言う単語が脳裏を過ぎり、すかさず撃ち落そうとするフェイ。彼女の銃口は正確に目標を捉えていたが、不意に響く泣き声が人差し指を鈍らせた。

「それでも私はっ、強さが欲しいの!心も身体も、もっと…もっともっと強くなりたいの!」

 絶叫は爆音に消えて。荒れ狂う爆風に目を庇いながら、フェイは油断無く周囲を見渡しライフルを取り出す。後方の異音に振り向き構えた瞬間にはもう…白煙を巻き上げる手負いの通り魔は、遥か遠くへと屋根伝いに逃げ去っていた。零れる涙の代わりに、キラキラと破片を撒き散らしながら。
 こうしてパシファエの通り魔事件は一応の決着を見たが…犯人を取り逃がした為、フェイ達は多額の報酬金の、ほんの一部しか手に入れる事が出来なかった。そしてこの惨劇が、永らくパイオニア2船団に残る都市伝説の序章になるとは…この時誰も、予想すらし得なかった。

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