《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》

 往来を行き交う人々は皆、足を止める事無く黙々と歩く。既に時刻は午後一時を過ぎて、街は忙しい一日を折り返した。大企業の本社が軒を連ねるオフィス街…三番艦ガニメデは今日も、時間を気にするビジネスマンで賑わう。
 その日常的な風景から、まるで切り取られたかのように…ランチタイムの忙しさから解放され、閑散としたレストランで。通りに面した庭のテーブルに陣取り、サクヤはぼんやりと道行く人の流れを眺めていた。
 硝子に映る仮初の空は、サクヤの心境とは裏腹に快晴で。遠く渡る風に追い立てられて、雲は東へと吸い込まれてゆく。歩道の並木をそよがせ、頬を優しく撫でるそよ風はしかし…胸中の霧を晴らすには少し優し過ぎた。

「お客様、お一人ですか?」

 ウェイトレスの定型句が聞こえて、サクヤが店の入口を振り返れば。彼女の待ち人も気付いて手を振った。

「いえ、待ち合わせで。すいませんサクヤさん、ちょっと…いや、かなり手間取りました」

 そう言うとエディンは、軽快な足取りでサクヤの向かいに腰を下ろした。彼の言葉を待つまでもなく、纏う空気が雄弁に語る…初めて一人で挑んだクエストは、どうやら成功したらしい。

「御疲れ様、エディン君。その様子だと上手くいったようね、安心したわ。おめでとう」
「何か大袈裟ですよ、それ。でも嬉しいです、これで僕も一人前…だといいんですけど」

 小一時間前からの、サクヤに珈琲のおかわりを催促するという仕事から解放されて。やれやれという態度を営業スマイルの節々に滲ませながら、ウェイトレスがメニューを二人の前に表示する。Sold outが点滅するランチメニューを避け、サクヤが意外な料理を注文すると。エディンは深く考えもせず、自分も同じ物を、とウェイトレスに告げた。

「それではご注文の方を確認させて戴きます。ビーフカップをお二つで宜しかったでしょうか?」

 頷く二人を交互に見た後、ウェイトレスは素早く注文を入力。慌しくなるキッチンへと、踵を返して戻って行った。その背を見送りサクヤはクスリと笑う…悩んで迷って滅入っても、キッチリお腹は減るのだ。

「あれ、どうしたんですか?僕、何か変な事言いました?」
「いいえ、ちっとも。それより…ね、どんなだった?初めてのお使いは」

 そこからはもう、エディンの独壇場だった。彼は料理が運ばれてくるまでの僅かな時間で、クエストの詳細を克明に語った。さる大企業の社長へ書類を届ける、ただそれだけの仕事がいかに困難だったかを。

「いやもう本当に疲れました、クタクタです。やっぱり僕は…」
「お待たせしました!ご注文の品、以上で宜しかったでしょうか?」

 エディンの熱弁を遮って。ドン!と大きな丼が二つ、テーブルに並んだ。最後に薬味の入った器を置いて、ウェイトレスはペコリと頭を下げる。
 未だ冷めやらぬ興奮を宿して、まだまだエディンの話は続くのだが。不意に腹の虫が鳴く音が聞こえて。恥ずかしそうなサクヤに上目遣いで軽く睨まれ、取り合えずエディンは二人の時間を食事に譲った。

「…ゴメン、待ってるだけでもお腹減っちゃって。今、はしたない女だって思ったでしょ?」
「や、決してそんな事はっ!だだ、誰だってお腹は空きますよ、僕ももうハラハラペコペコで!」

 本当はそこまで空腹では無かったが。満腹と言えばそれも嘘になる。つまりエディンは、適度に働いたので適度に空腹だった。だから、いただきますと丼に手を合わせると、元気良く昼食をかっ込む。牛肉と玉ネギの程よい味付けが、白い飯にとても香ばしい。無論、合成食品では無い…全て船団内で栽培飼育された本物の素材。

「でも良かったわ。フェイの悪い影響でも受けて、荒っぽい仕事とか選んだらどうしよう、って…」

 エディンが使わない事を確認して、真っ赤な薬味を全部自分の丼にブチ撒けると。その上からさらに七味を振り掛け、サクヤは箸を割った。どこでそんな、渋い食べ方を覚えたのだろうか?いただきますと呟く目の前の女性が、良家の御令嬢だとはとても思えないエディン。

「でももう、エディン君も一人前ね。ふふ、変な話だけどちょっと寂しい、かな」

 暫くは断続的に、とめどない会話を交わしながら。二人は遅めの昼食をゆっくりと取った。
 思えば今まで、二人きりで食事などした事が無くて。料理にいささかムードが無いものの、エディンは妙な高揚感を感じていた。幸い午後はもう、ギルドカウンターに報告するだけ…言うなれば限りなく自由に近い時間。買い物に付き合うとか、映画に誘うとか、感じのいいカフェでお茶とか…何しろ今日は邪魔する者は誰も居ないので。エディンの妄想は限り無くとめど無く、見境無く広がった。

「それとね、エディン君…前にシーレンに言った事、キミにも解って欲しいな、って」

 少し派手過ぎるかしら?と言いながら、嬉し恥ずかし試着室のカーテンを開ける水着のサクヤを妄想した所で。不意にエディンは現実に引き戻された。短い沈黙の間、ウェイトレスが食後の緑茶と引き換えに、綺麗に片付いた丼を下げてゆく。
 エディンとは浅からぬ因縁のある、恋敵のスーパーコンピュータ…シーレン。サクヤのあらゆる情報を収集した彼は、愛を告白した後にあっさりと引き下がった。そして次は、どうやらエディンの番らしい。

「えと、解って欲しいというと…その…」

 思わず視線を外へと泳がせるエディン。その目は、歩道を歩く小さな子供を捉える。十に満たないであろう年頃の少女が、手に風船を持って一人。気付けばサクヤも、目でその姿を追っていた。

「エディン君の気持ち、とても嬉しかった。でも駄目…私はキミの気持ちに応えてあげられない」

 重苦しい沈黙…穏やかな日差しを遮るパラソルが、そよぐ風に静かに揺れた。道路から小さな声が響き、揺れる並木に真っ赤な色が触れる。

「だからね、良く考えて…ハンターズとしての自分を。私を追うのはもう、意味の無い事だから」

 そう言ってサクヤは立ち上がると、歩道へ出た。木に引っかかった赤い風船を呆然と見上げる、女の子に寄り添い頭上へ手を伸べる。届かぬと知るや、背伸びして見るが…それでも駄目で。二、三歩下がって助走を付けると、サクヤは全身のバネを伸ばして跳んだ。
 良く考えて…言われるまでも無くエディンは、常に考え続けてきた。恋とは常に表裏一体、高まる期待は叶わぬ不安と背中合わせ。それもそうだが、ここ最近は特に熟考を重ねてきた。ハンターズとして自分がどう生きるべきが…むしろハンターズとして生きるべきか。
 素早く彼は、何やら面白そうに聞き耳を立てていたウェイトレスを呼び付け、会計を済ませると席を立つ。軽く汗ばんだサクヤが振り向けば、その長い蒼髪が風に靡いた。

「考えるまでもないですよ…ずっと考えてましたから。やっぱり僕はみんなと、貴女と一緒がいい」

 近付く歩調は徐々に速まり、歩幅は広くなってゆく。エディンは己の肉体が跳躍するイメージを脳裏に描き、呼吸を止めて下腹部に力を感じ取ると。それをゆっくりと脚部へ注いで地を蹴った。

「っと、もう少しで届きそうなんだけどな。ゴメン、取ってあげられないや。ちょっと待ってね」
「…私、少し思い上がってたのかな」
「いえ、あってます…サクヤさんに近付きたくて僕、ハンターズに。でも、諦め悪いですよ…僕は」
「そうなんだ、ちょっと意外…何かこう、お利口で聞分けがいいイメージあるけど」

 正確に言えば、諦めが悪くなった。サクヤ恋しで始めたハンターズという仕事に、気付けばエディンは本気でのめり込んでいたから。何より以前にも増して、サクヤを一途に想い続けていたから。

「まあ、でもっ、ご迷惑ならっ!…ふぅ、届かないや。僕はサクヤさんの重荷にはなりたくないです」
「重荷だなんて…エディン君、これからも私達を手伝ってくれる?調子のいい話だとは思うけど」
「こうしてっ、手伝って、るぅ、じゃっ!…ないですか、ハァハァ」
「ふふ、そうね…ありがと、エディン君。さて、じゃあ…そろそろ本気出しちゃおかな」

 未だ風船は頭上にあり。こんな時、ラグナが居てくれたらと思うエディンは…サクヤの突然の行動に仰天する。彼女はフォマール用スーツのタイトなロングスカートを、腰まで捲り上げて縛った。生足より尚眩しく艶かしい、ストッキングの脚線美。

「エディン君、肩車で届かないかな?」
「えっ…ええっー!?ちょ、ちょっと待って下さいよサクヤさん、人目が…」
「そうね、人が集まり出す前に片付けたいんだけど。逆でもいいわよ?」
「…僕はサクヤさんの重荷にはなりたくないデス」

 道行く人の視線はざわめきとなって、周囲に広がってゆく。騒ぎになる前に片付けようと、エディンはサクヤを担ぎ上げた。思っていたよりも軽いような、しかし確かな存在感を感じる重さ。エディンの上でサクヤが手を伸べれば、その指先が僅かに風船の紐に触れた。もう少し…あともう数センチ。

「ふむ…こんな所に居たのか。クェス、帰るぞ」

 既に人混みとなった周囲から、良く通る低い声。その声にエディンの足元で、今まで無反応だった少女が振り向いた。翠緑色のオカッパ頭が僅かに揺れる。

「マスター、もう難しいお話は終わり?」
「ああ、大きな仕事になりそうだ。それとストラトゥースが手酷くやられたみたいでね…急ぐぞ」

 うん、と大きく頷くと。少女は傍らのエディンに、その上に乗るサクヤに信じられぬ光景を見せ付けた。
 年端もゆかぬ幼い少女は、何気なく地を蹴ると…三角飛びの要領で木の幹を踏み台に、悠々と風船を手に取り戻す。呆気に取られるエディンとサクヤに、ニコリとはにかむと。少女は先程の声の主目掛けて駆けて行った。
 その小さな背中は、人混みより一歩踏み出た男へ吸い込まれてゆく。青いヒューマーのスーツを着込んだ、青い髪の男。それは普段見慣れたサクヤの蒼とは、全く別の印象をエディンに与えた。余りにも冷たい、凍てついた青…その色を一身に纏う男は、ニヤリと笑ってエディンを、次いでサクヤを一瞥。再び独特な低い声が響いた。距離は離れているのに、それはまるで耳元で囁かれているようで。

「ほう、十七代目がこんな所に。親切にありがとう…また会おう。さ、行くぞクェス」

 その人物を避けるように、自然と人だかりが割れて。その道を少女は、マスターと呼んだ男を追って見えなくなった。サクヤを肩車したまま、狐につままれたような気持ちで固まり見送るエディン。彼はその時まだ、自分が恐ろしい人間に遭遇したという自覚が無かったが。総身を震わせ恐怖に強張る、サクヤの緊張を肌越しに感じる事は出来た。その意味する所はまだ、明らかでは無かったが。

《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》