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「本当ですっ、本当に出たんです!」

 食堂に一同を招いて珈琲を出すなり、依頼主は先程と同じ主張を繰り返した。エディンは物言わぬ執事と目礼を交わして、改めて周囲を見渡す。その横ではラグナが、テーブルの中央に積まれた果物へと手を伸ばした。
 十三番艦アンブリエル5番地7号…本日のクエストの舞台は、和洋をごった煮にして中華的なティストで纏め上げた、見るも珍妙な建造物。しかし、周囲はこれといって特徴の無い閑静な住宅街であるにも関わらず。異様に目立つその屋敷は、奇妙な一体感で街並みに溶け込んでいた。

「大丈夫です、カレン=オバナンさん。信用しますから…ね、フェイさん?」
「なな、なっ、何言ってんだエディン。そそ、そんな非科学的な事、ある訳が無ぇだろ」

 さらりと言ってのけるものの、それは便宜上の嘘で。依頼主の主張を、エディンは傍らで震えるフェイ同様に断じていた。非科学的である、と。ここ最近の、以前よりもだいぶ頭の柔らかくなったエディンでさえ、その主張を全面的に受け入れる事は難しかったから。
 今日の依頼主は、この屋敷の主に使えるメイドのカレン=オバナン。その依頼内容は当初、ギルドに通うハンターズの誰にも相手にされていなかったが。依頼主自ら懇願する姿に、サクヤは同情して引き受けたらしいのだ。らしい、と言うのは…今日に限って彼女は、依頼を受けて現場を知るなり、急用を口実にクエストに参加していなかったから。

「き、きっ、きっとサクヤの奴ビビッたんだな…ハ、ハハハ。こいつは笑えるぜ」
「ビビッてるのは誰ですか、フェイさん。まさか、本当に」
「なっ、い、いいい、言うじゃねぇかエディン!このフェイ姐さんが、そんな…」
「…意外だなー、ブラックウィドウともあろう人が。まぁ、無理もないか」

 バン!とカレンが両手でテーブルを叩いた。エディンを締め上げていたフェイも、蜜柑の皮を剥いていたラグナも、取り合えずは真剣な表情でメイドの少女を見詰める。当然、解放されてハンターズスーツの襟元を直すエディンも。一同をぐるりと見渡すと、カレンは先程と同じ言葉を繰り返した。

「兎に角っ!出るんです、幽霊が!私、こう見えても霊感が強いんですから!」

 お屋敷に出る幽霊の退治…それが本日の仕事の内容。これをサクヤから引き継いだ時、エディンは自分なりに単純に解釈した。何らかの要因で幽霊が出ると信じ込んで怯えている、眼前の少女を救えばいいのだと。その思い込みの要因を取り除く事が、今日のクエストの本質。

「まあ、落ち着いて下さい。取り合えず、今まで見た幽霊の話を詳しく聞かせて戴けますか」

 エディンはカレンにも椅子を勧めて、チラリと執事の方を見やる。身形の整った執事は、目を合わせる事もなく背筋を正して、一点を見詰めながら立ち尽くしていた。どうやら彼は、この幽霊騒ぎの被害者では無いらしい…そう仮定してやはり、エディンは自分の見解を強めた。年頃の娘には良くある事という、世間での一般的な話も今は心強い。

「ええと、その…時々凄い音がするんです。ミシッ!とかバキン!とか」
「ハ、ハハ…あれか、ラップ音って奴か。きっ、きき、聞き間違いじゃねぇか?なぁ、ラグナ」

 古い木造建築では良くある事だ。気圧や湿度の変化で、木材に染み込んだ水分が膨張して音を立てるのだ。とりあえずは言い分を全部聞いた上で、その事を説明してやればいいとエディンは思ったが。今は話の腰を折らずに、黙って先を促す。

「時々、人の気配と言うか…視線を感じるんです。悪寒が凄いんですよ」
「オ、オオオ、オレもさっきから、背筋がむわむわするぜ…き、きっ、気のせいだよな」

 それは"幽霊屋敷に居る"という極端な思い込み。良くある心理的視野狭窄現象だとエディンは感じた。傍らで落ち着かない様子のフェイがそうで。実際には室内は適度に暖かく、寒気は感じない。一番薄着のラグナは別段変わった様子も無く、今度は林檎に手を伸ばしている。やれやれと思いながら、再びヒアリングに戻ろうとした時…エディンの視界の隅で、ラグナが振り返った。

「ほう、十七代目に挨拶でもと思うたが。相も変わらず覚悟の足りぬ娘よのう」

 御館様、と執事が短く言葉を発した。その声を吸い込む食堂の入口へ、皆が皆目を向ける。
 それは例えるなら、白い影。雪の様に白い肌の女性が、血の気を感じさせぬ顔に微笑を湛え佇んでいた。細められた瞳からは孔雀色の眼差しが、順々に珍客を一瞥してゆく。
 十七代目…どこかで聞いた事がある気がして、心に引っかかったが。慌てて立ち上がると、エディンは頭を垂れて。同様の挨拶をフェイやラグナにも無言で求めた。依頼主は確かに、この屋敷のメイドであるカレンだったが…この屋敷自体の主は彼女、婆娑羅=イュルドゥルム=桜之宮だったから。

「お騒がせしております、桜之宮様。すぐ済みますのでしばしご容赦を」
「そう畏まらずともよい。何やら面白そうな事をしておるではないか」

 身を強張らせたフェイが頭を下げ、ラグナがそれに続く。本来ならば、真っ先に主へと挨拶を済ませておくべきだったと…サクヤならばそれを怠らないだろうと、自分のミスを恥じながら。エディンは桜之宮家の現当主に促されるまま、おずおずと面を上げた。

「僕は…ん、私はエディン=ハライソと申します。本日はこちらにお勤めの…」
「固いのぅ、御主。畏まらずとも良いと言うておろうに。のう、ブラックウィドウ?」
「は、はぁ…なんだ、話の解る姐さんで助かるぜ。まぁ、大した仕事じゃねーからすぐに片付…」
「フェイさん!全くもう…あ、こちらはラグナ=アンセルムス…以上三名、お邪魔しております」

 既に退屈がピークに達したらしく、ラグナは手元のセイバーをもてあそび始めた。エディンには冷や汗モノだったが、御当主は気にした様子も無く微笑むと。自分にも茶を運ぶよう執事に言いつけて、エディンの向かいに腰掛けた。

「我の事は気にするな。役目を果たすがいい…ふむ、なるほどのう」

 獲物を品定めて精査するように、エディンを頭のてっぺんから足のつま先まで眺めて。御当主は話の先を促した。その空気に思わず呑まれそうにになりながら、エディンは改めてカレンから事情を聴取する。もう充分とも思えたが念の為。思い込みを解消するには、先ず全てを吐き出してしまったほうがいいから。

「他に何かありませんか?」
「ええと、他は…無いと思います。今喋った事で全てです」

 ふむ、と頷いて。エディンは立ち上がって一同を見渡した。充分に説得力を持つよう、慎重に言葉を選びながら…彼は、カレンに言い聞かせるようにゆっくりと、穏やかな声で語り掛ける。

「では結論から…幽霊なんて存在しません。全ては思い込みだったんですよ、カレンさん」

 意外な顔で自分を見詰めるカレンへと、エディンは解り易く事細かく語った。全ては科学的に説明の付く、些細な事の積み重ね。それを過大に意識して己の中に蓄積した結果…カレン=オバナンは自ら幽霊という存在を信じ切ってしまったと。
 当初から想定していた結論だったが、それを相手へ伝える事に、エディンは細心の注意を払った。何もそう、幽霊を信じ込む事が悪くはないのだから。誰でも時には、そんな精神状態に陥る事がある、と…そうフォローしようと思った瞬間。意外な人物が口を挟んだ。

「幽霊ならここにおるでは無いか…御主が見ておらぬだけぞ?」

 執事の運んで来た紅茶で唇を濡らして。この家の御当主が静かに呟く。余程怖いのか、フェイは腰を浮かせて周囲を見渡した。

「これはまた…お戯れを。今、私が説明させて戴きましたが、科学的且つ客観的に考えて…」
「ならば問うぞ、童。御主等ハンターズが繰りし、その身に秘めるフォトンなる力や如何?」

 突然問答を持ち掛けられてしかし、エディンはうろたえる事無く答を探した。フォトンが世に出て広まり、既に一世紀を過ぎた。だが、その前はフォトンも、気功とかチャクラとかエーテルとか、曖昧で不確かな定義だったから。正確に定義され科学で解明された今でこそ、誰もが当たり前の様に使っているが…フォトンも昔は、幽霊の類と変わらぬものだったと、この家の御当主は言いたいのだ。

「では、仮に今後の研究で科学的に幽霊の存在が立証されたとして、ですね…」
「うむ」
「御当主、貴女は今確かに『幽霊ならここにおる』と仰いました。間違いありませんか?」
「うむ」

 動じる事無くカップを皿に置くと。御当主は愉快そうな笑みで頬杖ついて、エディンをじっと見詰める。その頷く一言一言は、妙な説得力に満ちて。思わず怯えたフェイはラグナに抱き付いた。
 ここに幽霊が居る…その言葉を反芻して、エディンは反論を試みる。彼の脳裏に、東洋の御伽噺が思い出された。普段から正論と屁理屈には少々の自信もあったから…彼は大昔のとんち和尚よろしく、大見得を切って御当主に向き直る。

「では御当主、その幽霊を今すぐ出して貰えますか?さすれば退治するなり成仏させるな…」

 エディンの言葉を笑い声が遮った。見れば御当主は腹を抱えて、人目も憚らずに笑い転げている。その孔雀色の瞳に涙すら浮かべて。呆気に取られるエディン達の前で、彼女は呼吸を落ち着けると言葉を紡ぐ。

「童、御主は裸の乙女を前に服を脱げと言うのかえ?これは滑稽…久方ぶりに笑うたわ」

 説明を求めて身を乗り出すエディンを、その白く細い手で制して。そのまま御当主は指差す。その先で黙っていた人物が、ゴクリと息を飲んだ。

「マクスウェル…ここ最近、新しい女中を雇うた記憶は?」

 すぐさま執事が否定を呟く。ようやく御当主の意図する所が伝わり、思わずエディンは立ち上がった。彼が驚きを叫ぶより早く、フェイが言葉にならない声を搾り出す。ラグナの影に隠れながら。

「まま、まっ、まさかよ、だってほら、アレだろ…幽霊って足が無ぇんだろ?そのメイドは…」
「まあ、それは迷信だとしても。カレンさんは実体のある人間の様に思えますが」
「かように現世への執着が強くば、その念は形を成すであろうな。何、珍しくも無い」

 怯えた様子でカレンは、一同を見渡して。その場にへたり込むと泣き出した。

「わっ、私は、小さい頃から霊感が…」
「御主のそれは霊感では無い、霊力じゃ」

 エディンは椅子に力無く崩れ落ちた。フェイに至ってはもう、半ば正気を失ってラグナにしがみ付いている。幽霊は確かに存在したらしい…しかも最初から。目の前に。
 やれやれと溜息を零すと、御当主は執事を呼び寄せ、その耳に何事かを囁いて。その後、座り込むカレンに近付いた。膝を抱えて泣く少女は、今見ればもう確かに幽霊そのもので。その証拠に、周囲を飛び回る鬼火も、何やらおどろおどろしい幽霊音もハッキリと見聞きできる。御丁寧にカレンの身体は半分透け始めた。

「これ女中…屋敷の事はマクスウェルに一切を任せておる。何か出来る仕事を分けて貰うがよいぞ」
「…へ?えっと、その…」
「未練故に迷い出たのであろう…成仏出来るまで屋敷に置いてやる。皆と仲良くの」
「は、はいっ!」

 まるで仲間を迎えるように、屋敷全体がガタガタと鳴る。この時もう、弾かれたように立ち上がると。フェイはラグナを小脇に抱えたまま、挨拶もそこそこに玄関へと猛ダッシュしていた。エディンもそうしたかったのだが、身体が動かない…生まれて初めての金縛りは、いくら考えても自分の常識では説明が出来なかった。

「見えぬものをこそ見よ…そういう事じゃ、童。しかし愉快であったぞ」
「は、はぁ…私はその、余り愉快ではない状態と、申しましょうか、何と言うか」
「理詰めも過ぎればこうもなろう?良い薬じゃ。オロ…サクラギとか言う小娘にも宜しく伝えい」
「サクヤさんを知って?そうだ、思い出し…あのっ、聞きたい事が」

 パン!と御当主が手を叩くと。金縛りが解け、途端にエディンは走り出した。まるで笑うように揺れる屋敷の中を、玄関に向けて一目散に。転がるように外へ飛び出し、夢中で門を潜って。先を走るフェイ達に追いついても、止まらず振り返らずに駅までエディンは走り抜ける。見えぬものをこそ…その言葉が耳の中で木霊し、脳裏にこびりついて離れない。
 彼等三人はこの日の事を、それぞれ己の胸に秘めて口を噤む事にした。だから、ブラックウィドウがオカルトの類が苦手であるという噂は、決して広まる事は無かった。無論、報酬は得られなかったが…不思議な事に、ギルドカウンターに問い合わせたところ、そんな依頼は最初から無かったという。その事は一層、三人の恐怖に拍車を掛け、暫くは彼等を迷信深くさせた。

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