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 ハンターズギルドには日々、多種多様なクエストが…そんなプロローグを自分に言い聞かせる事を、もうエディンは諦めた。最早現実逃避にも限界がある。同様に、彼が許容できるクエストの常識にも限りがあった。しかし今彼は、複雑な記号と数字が踊る地図を読み上げ、その内容をヘルメットのマイクに怒鳴る。すぐ隣でハンドルを握るフェイとの会話でさえ、無線を介さなければならぬ騒音と震動。

「フェイさん、後に張り付かれてますっ!次っ、右のヘアピン!」
「っしゃあ!すぐにバックミラーからっ、消してっ、やんよぉ!」

 目にも留まらぬ音速シフトダウンと同時に、思い切り良くブレーキを踏み込むフェイ。甲高いスキール音を響かせながら、二人を乗せたプジョーはギャラリーの並ぶ急カーブへと飛び込んでゆく。フロントに荷重が掛かり、前輪の接地感が増すやニヤリと笑って。フェイはサイドブレーキを引き上げステアを切った。鼻先を即席のガードレールに擦り付ける様に、コーナーをクリアすると…再び急加速に襲われ、エディンは息を詰まらせる。
 星の海を渡る移民達は、誰もが皆娯楽に飢えていた。貧しき者は生活苦から目を逸らす為に…それはささやかな楽しみだったが。富める者の退屈たるや、想像を絶する。だからこんな馬鹿げたお祭騒ぎが提案されても、総督府はあっさりと許可を出したのだろう。
 かくして賽は投げられた。パイオニア2の名だたる企業がこぞって協賛する、その一大レースは最早恒例行事となり。二年目の今年は、より多くの者が自慢の愛車を持ち込み競っていた。PRC…パイオニアラリーチャンピオンシップ、その第三戦。このレースの為だけに、三番艦ガニメデには車道がアスファルトで布かれていた。この時代、全ての車両はフォトンで飛行するから。

「どーだエディン?巻いただろ?ターマックじゃ悪ぃが負ける気がしねぇぜ!」

 小柄なハッチバックは四つのタイヤでシッカリ地面を掴むと、フェイのハンドル捌きで右に左に高速でスラローム。拍手と歓声を浴びながら高速コーナーを駆け上がってゆく。強烈な横Gに身を軋ませながら、エディンは揺れる視界で地図を睨んだ。

「次、グリップインベタで!何かフェイさん、SSだと断然やる気が違ってますよね」
「ったりめーよ、時間合わせだのチンタラやってられっかって!せー、のぉ!」

 第三戦、ガニメデラリーはALL舗装路のターマックラリーである。到着時間指定無しのSS(Special Stage)を含む、全24ステージを鋼の獣が駆け抜けるのだ。そのどれもが、今では博物館に飾られるような四輪車で。フェイ達が駆るプジョーも、これ一台で10年は遊んで暮らせるだけの値打ち物らしかった。それを今更引っ張り出して、子供じみたレースに興じている…しかも有毒な排ガスを撒き散らして。

「かーっ、やっぱオリジナルはいいねぇ!この野生的な直4サウンド」
「僕には単なる騒音にしか聞こえませんけどね!」
「ああ?聞こえねぇぜ、エディン!」
「だーかーらー、こんなの単なる騒音だっ…うわっ!」

 その車体のあちこちに、スポンサーのロゴを輝かせながら。常時慣性ドリフト状態で、緩い左コーナーをカッ飛ぶ青いプジョー。物凄い速さで後へと飛び去る景色に、エディンは堪能する暇も無く。トップギアを叩き込んで、フェイが床よ抜けろとばかりにアクセルを踏み込めば、シートに埋まって唸る他無い。

「フェイさん、あれ!うわ〜、あれ一台で何年暮らせるんだろ…」
「ありゃミツビシかスバルか…おーおー、完璧にオシャカだな」

 長い直線の先には、鋭角なつづら折の連続コーナー。その手前でクラッシュしたコンパクトなセダンタイプを、フェイは無難に減速しながらパスして。低速のギアが力強く強化クラッチを噛むと、景色はフロント硝子を左から右へと通り過ぎて行く。
 どういう訳か、この御時勢にフェイは四輪自動車の運転に精通しており。そればかりか、低速コーナーの鉄人と誉めたくなる程の職人芸まで身に付けていた。サクヤがこの依頼を受けたのも、彼女のそんな隠れた才能を知っていたからだろうか?激しく左右に身を揺さ振られながら、エディンはそう思う一方で。先程通り過ぎた風景が頭から離れなかった。

「っしゃ、ゴール!っと…おいエディン、サポートの連中はどこだ?スタビが強すぎんだよ」

 チェックポイントを駆け抜け、一際大きな声援を浴びながら。二人のプジョーは指定速度まで減速すると、サポートチームのキャリアが並ぶサービスパークをのろのろと走った。車とドライバーだけではラリーは出来ない…実際にはその何十倍も、時間と人手、何より予算が必要。この時代で四輪自動車のレースをするという事は、それだけ贅沢な遊びなのだ。

「ああ、あそこですよフェイさ…!?あの爺さんだな、二人にあんな格好までさせて」
「おお、居た居た。シシシ、良かったじゃねぇかエディン?目の保養って奴だぜ」

 嘗て本星で、様々なカテゴリーが存在したモータースポーツ。二輪四輪を問わず皆、化石燃料で疾走する鉄とアルミとプラスチックの塊に熱狂した。誰よりも速く…ただそれだけを貪欲に求めて、大手メーカーのワークスから小規模なバックヤードビルダー、果ては本業そっちのけのプライベーターまで。今ではもう、その全てを持ち出しこのパイオニア2で行う事は出来ないが。その名残を楽しみたいという声は圧倒的に強い。

「御疲れ様、二人とも。トップとの差は一分半、充分射程範囲内だと…」
「フェイちゃぁ〜ん!いやぁ、もう最っ高ぉ!」

 パラソル片手に手を振るサクヤを追い越し、小柄な老人が元気に駆け寄ってくる。彼は車を降りたフェイの腰に抱き付き、その豊満な胸に頬を擦り付けて歓喜の声を上げた。そんな事をすれば鉄拳制裁が常だが、フェイも誉められ悪い気がしないらしく。相手が依頼主という事もあって、丁寧に老人を引っぺがした。
 そんなやり取りを横目に、エディンは気が気では無い。確かにレースクィーンと言えばモータースポーツの華だが。その必要性が疑われる望遠レンズの数々が、水着姿のサクヤへと一斉にフラッシュを焚くのが我慢ならない。そんな男達の劣情漲る視線に、律儀に愛想を返すサクヤにも。これは仕事と自分に、念仏の様に言い聞かせれば…ハイレグのラグナが、ナビ席から降りたエディンにドリンクを差し出した。

「まったく、ドコ撮ってんだか。あれが数時間後にはプソネットにUPされて…もぉ!」
「お前さん、何やってんだ?」
「何でもありません!ええと、次のステージは、と…」
「ちゃんとペースノート見とけよ。っとそこの!うん、お前さんだ。足回りなんだけどよ」

 葛藤するエディンの相手もそこそこに、フェイはプジョーの周りを囲み始めたスタッフに声を掛けて。そのままツナギ姿の男達に混じって、何やら専門的な話をし始めた。ロールで荷重をどうとか、しなやかな猫足がどうとか…エディンにはさっぱりな単語が行き交い、にわかに車体の周囲が慌しくなる。
 ヘルメットを脱ぎ、ドライバースーツの首元を緩めながら。相も変わらずうるさいシャッター音に、取りあえずは無視を決め込んで。水分を補給しながら自分の携帯端末を操作するエディンは、自分を見詰める視線に気付いて足元を見下ろす。気付けば依頼主の老人が、ニコニコと満面の笑みを浮かべていた。

「若いのもご苦労さん!いやぁ、急にドライバーからキャンセルされてね」
「はぁ、それは災難でしたね…」
「チームの維持費で手一杯って訳で、ダメモトでギルドに依頼をだしたんだが…」
「お力になれて良かったです。こっちも今日は楽しませて貰ってますし」
「オマケにレースクィーンまでとは!アイツの維持費に比べれば安い買い物じゃったよ」
「それはどうも…やっぱ高価なんですよね、あの車。因みにすみません、実際のお値段って」

 骨董品のオーナーは黙って四本指を立てた。

「よっ、40万メセタァ!?そっ、それをあんな…壊れたらどーするんですか!?」

 道中、クラッシュした車を見た。それはもう、フォトン科学文明の粋を凝らしても完璧な修復は不可能そうに見えて。走る宝石も一瞬のミスで、ただの鉄屑へと変わってしまう。値段を実際に数値で聞けば、その恐ろしさが嫌と言う程エディンには理解出来た。庶民にはその金額は、ちょっとした一財産だから。

「ちっちっち、ケタが一つ違うぜ?400万メセタだ」
「よっ、よんひゃ…あの、いいんですか!?僕達のミス一つで…」
「じゃあ君、あれを後生大事にガレージへ飾っておけるかい?」
「それは…」

 エディンは言葉に詰まってしまった。しかし、高価な骨董品とも言える車で、こんな荒っぽいレースをする気持ちがまだ理解出来ない。常軌を逸しているとしか考えられなかった。

「コイツ等はみんなよ、車なんだぜ?走る為に生まれて来たんだ」

 老人は語る…今二人の眼前で、フェイや整備の人間達が囲む四輪自動車を。エンジンを心臓とし、ガソリンを糧として走るそれを、古の識者は魂の駆動体と呼んだ。正しく、走る為に生まれた鋼鉄の獣。
 老人は本星ではそれなりの資産家だったが、パイオニア2船団への乗船時にこの車だけは処分出来なかった。維持に莫大なコストが掛かり、走らせる場所も限られるというのに。そしてその限られた場所で、一瞬で永遠に失われる危険があると知りながら…その衝動を抑え切れなかったのだ。いつかはラグオルの大地で、という夢が、男の胸で確かに今も燃えている。

「これで足は決まったな…まあ姐さん、また何か気付いたら何でも言ってよ」
「給油完了…エンジン、イグニッション!油圧良し、水温にオイル温も正常!」
「よっしゃ、出るぞエディィィン!」

 その声に応えてヘルメットを被り直すと。エディンは素早くプジョーのナビシートに収まった。改めて座ると、それはちゃんとエディンの体格に合わせてセッティングされたバケットシートで。ナビとはいえ、車との一体感を感じずにはいられない。

「頼んだぜフェイちゃん!若いのも!」
「フェイ、エディン君…GoodLuck!」

 依頼主の老人に続いてサクヤが、ラグナが親指を立てて拳を突き出す。同じ仕草でフェイとエディンが応えると、係員の誘導で再びプジョーは走り出す。次のセクションは通常通り、スタートからゴールまでの時間を計り、指定時間との差異を競う…本来ラリーとは、地味な競技なのである。最も、疾走するクラシックカーを見れば、サービスパークを彩るレースクィーンを見れば…誰もが華やぎ気持ちは浮かれるが。

「トップとの差は一分半だそうですよ…残すステージはあと八つ」

 係員が腕時計に目を落とし、カウントを数え始める。その右手が静かに上げられた。

「ハッ、任せろってーの…初っ端から全力全開で行くぜ?目ぇ回して吐くなよエディン」

 係員の右手が勢い良く振り下ろされ、巻き起こる大歓声を直列四気筒の咆哮が掻き消した。フルタイム4WDで制御されたセミスリックタイヤが、白煙を巻き上げ大地を蹴る。人機一体となる青い車体は、あっという間にオフィス街の方へと消えていった。
 この日、フェイの腕とチームのサポート力が功を奏して。総合2位でガニメデラリーは幕を閉じる事となった。好成績が評価され、ドライバー達から引く手数多で依頼主は大喜び。これでもう、自分の華麗なドラテクが披露出来ないと…その夜、フェイは電話でエディンに長々と愚痴を零したが。エディンはプソネットに広まるサクヤの水着写真を集めるので忙しく、曖昧な相槌を打つだけだった。

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