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「奥さん、この荷物も全部ですか?」
「ええ、その奥のも全部お願いしますわ」

 サヤスタ夫人は…否、元夫人はエディンの問いに答えた。彼女が指し示すのは、梱包された荷物の山で。流石に十カ国同盟が一つ、サラファミリア人民共和国のパイオニア2駐在大使の妻ともなれば、引越し一つを取っても大事だった。かといって、業者を使っては記録が残るし、噂も広がるだろう。駐在大使が離婚別居というのは、少しばかり世間には知られたくない事実で。となればハンターズの出番となるのは必定だった。
 この時代、既に本星コーラルは元老院の手で統一されて久しいが。未だに抵抗を続ける勢力も存在していた。十カ国同盟を名乗る、嘗て栄華を誇った大国の残滓。彼等は元老院との武力闘争を繰り広げる一方で、外交ルートを通じての領土奪回にも力を入れていた。それはここ、超長距離恒星間移民船団パイオニア2でも同じである。

「しかしデケェ家だな、流石は大使公邸…で、その駐在大使様はどうしたよ?」

 フェイは力押しの仕事が好きだが、力仕事が好きな訳では無く。しかし文句は言うものの、テキパキと荷物を運び出した。ラグナは相変わらずの無言無表情で、その小柄な身体に似合わぬ怪力ぶりを発揮している。女性陣に負けては居られないと、エディンも張り切って大きなトランクを持ち上げた。

「サヤスタ大使は今日もお仕事、多分総督府に出向いてるんじゃないかと…どうかしましたか?」
「いや、いいんだけどよ。自分のかみさんが出てくのに、旦那はそれでも仕事優先か」
「もう両人で話は付いてるんじゃないですか?奥さんも気にしてないみたいだし」
「…ガキが居るらしいんだ。こう、まだ小さい男の子がよ」

 なるほどフェイらしいと、エディンは思ったが。人の家庭の事情に首を突っ込んでも仕方の無い事。この家の子には、気の毒な事だと心底同情しつつ。皆もそう思っているだろうから、あえてエディンは口には出さなかった。

「サヤスタさん、これで荷物の運び出しは終わりました」
「そう、ご苦労様…ふふ、その苗字で呼ばれるのももう、今日でお終い」

 全ての荷物が運び出されて、サクヤがそれを報告すると。元夫人は玄関を出て振り向き、公邸を遠い目で見上げた。主不在の大邸宅は、見るも寒々しい威容を佇ませている。そこはパイオニア2出港から今まで、家族が共に暮らす生活の場であったのに。彼女は惜しむ気持ちを微塵も感じなかった。

「さて、そろそろ行こうかしら。ハンターズさん、報酬は…」
「あ、報酬の方は既に旦那様の…元旦那様の方から、ギルドカウンターに戴いてますので」
「あらそう。助かるわ、これから母子二人で何かとお金が…ん?そういえばあの子は?」
「えっ、私は見かけませんでしたけど。エディン君、知らない?」

 エディンが首を横に振れば、フェイも知らぬとばかりに肩を竦める。ラグナも覚えが無い様子で、一人無反応にセイバーをもてあそんでいた。
 そう言えば朝から、広い公邸内のアチコチを片付けて荷造りに奔走し、今やっと全ての作業が終わったが。四人の内の誰もが、この家の一人息子を見ていなかった。

「困ったわね…多分家の中だと思うのだけど。貴女、ちょっと見て来てくれないかしら?」
「それは構いませんけど、この家の事ならサヤスタさんの方が詳しいのでは?」

 元夫人の頼みに、当然の疑問を返して。サクヤはしかし、エディン達に目配せすると。三者は三様に頷き、再び公邸内へと入っていった。沈黙する元夫人に、何か訳でもあるのかと答を待たず、サクヤも後に続こうとしたその時。小さな独白の声が彼女を引き止める。

「やっとこの家から開放されたの…もう二度と足を踏み入れたく無いわ」

 駄目な女でしょう?と自嘲する元夫人が、この公邸でどんな日々を送って来たのかは解らないが。彼女にそうまで言わせてしまう何かが、きっと存在したのだろう。
 十カ国同盟という、元老院統治下の世界では枢軸国にも満たぬ小さな勢力の、パイオニア2への出先機関である大使館。その大使の妻ともなれば、常識では図りえぬ苦労もあったのだろう…そう思いサクヤは口を噤んだ。

「きっとあの人の書斎だわ。悪いけどお願い」
「書斎と言うと、あの一番奥の。では、ちょっと見て来ますね」

 我が身を抱いて俯くと、元夫人はそれっきり黙ってしまった。家族の形には色々あるとは言うが、一人の女性を、母親をここまで追い詰める元凶が、サクヤには想像出来なかった。彼女とて大層な家系に生まれ、幼少の頃から複雑極まるしきたりだらけの家庭だったが。父も母も皆、厳格ながらも優しく仲が良かったから。
 改めて公邸内へ戻れば、子供の名を呼び探し回るエディンの姿が目に付いた。熱心そうには見えなかったが、ラグナも鍋の中や下駄箱の奥などを真面目に探している。目的の書斎を目指して階段を上がれば、二階はフェイが捜索中だった。子供部屋へと入ってゆく彼女を見送り、サクヤは逆方向へと歩を進める。そこは今日の引越しで唯一、立ち入りの必要が無かった場所で。思い起こせば誰もまだ、中へは入って居なかった。

「っと、ビンゴ。こんな所に居たのね、お母さんが心配してるよ?」

 重々しいドアを開いた先は、今時珍しい紙媒体の書物が壁中を埋め尽くす、正に書斎と言うに相応しい部屋で。その中央に置かれた大きな机の影で、サクヤの声に反応して赤い髪が揺れた。その小さな人影はすぐに、机の下へと隠れる。

「僕はあの男が帰って来るまで、ここに居ます」

 机の下に篭城を始めた幼子が、あどけない声で我を張った。ふむ、と少し困ったが、とりあえず高そうなアンティークの机に腰を掛けると。サクヤはその下を覗き込んだ。年の頃は4、5歳程だろうか?赤い髪の利発そうな男の子が、膝を抱えてサクヤを睨み返す。本人は怖い顔をしているつもりらしいが、サクヤにはどこか微笑ましく、愛らしくすら思える。

「んー、でもお母さんがお外で待ってるんだけどな。今日、お引越しでしょ?」
「今日で最後だから、僕はあの男に仕返ししてやるです」

 彼は父親を先程から、あの男と呼び捨てている。その言葉の節々はサクヤに、背伸びした印象を抱かせたが。同時に、家庭の歪みの一端を垣間見た気がした。この年頃の子供はもっと、無邪気でいい筈だが…机の下に居座る幼児は、何やら尋常ならざる頑なさで。ちょっと話した感じでは、テコでも動きそうにもなかった。

「それよりお姉さん、貴女は誰ですか?もしかして貴女もあの男の…」
「こらこら、子供がそんな言葉を使うもんじゃ無いわ。私はお引越しをお手伝いしに来たのよ」

 この依頼をギルドで引き受けたのは、勿論サクヤ本人だったから。依頼主である大使の事も、多少は調べて知ったつもりだったが。幼児の一言は強烈な不意打ちだった。思わず鼻白んだが、サクヤは腕組みして言葉を選ぶ。フェイなら襟首引っ掴んで、即座に引っ張り出すだろうが…落ち着いて説得を試みるサクヤ。

「それよりさっき、仕返しするって言ってたけど。どうしてお父さんに仕返しするのかな」
「あの男はいつも、母様を苛めるからです」

 判を押したように、用意されていた答が返って来た。ある程度は予想していたが、どうやら依頼主は余り良い家庭を気付けなかったらしい。無論、その原因が依頼主であると、机の下で幼児は主張する。相手が自分の父親であるにも関わらず。
 半開きのドアからエディンの顔が覗き、声を掛けようと書斎に入って来たが。サクヤは片手でそれを制して、唇に人差し指を立てる。続けて現れたフェイに、エディンは同じ仕草をそっくりそのまま返した。その横ではラグナが、やはり退屈そうにいつもの癖を繰り返している。

「そっか…でももう、お母さんは苛められないと思うわよ?お引越しするんだもの」

 元夫人が異様なまでにこの公邸を恐れ怯える、その理由が少しだけサクヤは解った。それも不幸な事だが、こうして幼い子供が父を父とも思えず、母恋しの一念で暗い情念に身を焦がしている…その事に胸が痛む。この広い屋敷は、母子にとっては無限の牢獄だったのだろう。

「今日を限りに、僕はもう二度とあの男とは会わない。だから…」
「お母さんの敵討ち、って訳ね」

 机の下でこくりと、小さく確かな頷き。事情を察したらしく、エディン達は遠巻きにそっとサクヤ達を見守った。簡単な引越しの手伝いの筈が、とても難易度の高いクエストになってしまったが…しかし、ハンターズはパイオニア2の何でも屋。小さな子供一人救えないとあっては沽券に関わる。何より一人の大人として、サクヤは真摯に幼子へと向き合った。

「貴方は賢い子ね…でも、それでお母さんが喜ぶとは、私は思わないわ」

 エディンやフェイを押し退け、震えながら戸口に立つ人物を見据えて。サクヤは押し黙る幼子を優しく諭した。

「私なら、お母さんが喜ぶ事を考えるけど、どうかしら?その方がずっと建設的よ」
「母様の喜ぶ事?それは…何だろう」
「例えば、これから母一人子一人で暮らすんだもの…貴方、お母さんを守ってあげなきゃ」
「僕が、母様を…守る」

 出来るだろうか、と頼り無げな声。出来るわよ、とサクヤは力強く答える。まるで自分に言い聞かせるように。彼女もまた、母を想う一人の子だから。

「後はそうね…他に何が貴方に出来るか、私も一緒に考えてあげる。それに…」
「それに?」

「後はそうね…他に何が貴方に出来るか、私も一緒に考えてあげる。それに…」
「それに?」
「どうしていいか解らない時は、素直に直接聞いちゃえばいいのよ。ね?お母さん?」
「そうよ、カロン…今日からは二人っきりの親子ですもの。さ、出てらっしゃい」

 母親の声に反応して、ゴン!と鈍い音がサクヤの下で響き渡った。それでも頭を押さえながら這い出ると、子は母を求めて一直線に駆け寄る。これにて一件落着と、勢い良く机から飛び降りるサクヤ。

「まぁ、子供は素直が一番だな!オレが出るまでもなかったか」
「フェイさんが出て何をするんですか、何をイデデ」
「決まってんじゃねーか。襟首引っ掴んで、即座に引っ張り出すんだ、よっ!」
「そんなんじゃヒーローになれな痛いっ!痛い、ギブですフェイさん!」

 いつものようにじゃれ合うフェイとエディンはさて置いて。サクヤは何度も頭を下げる母親と、元気に手を振る幼子を見送ると。仲間達と共に書斎を後にした。
 十カ国同盟の大使ともなれば、養育費の支払い能力に問題は無いだろうが。パイオニア2の社会は、母子が親子二人で生きてゆくには、御世辞にも穏やかとは言い難い。それでもこの公邸の暮らしよりも、あの二人はそれを選んだのだ。だからサクヤは、幸あれと祈った。いずれ母となる我が身なればこそ。

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