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 既に馴染みの山猫亭の、いつもの指定席。カウンターの右から三番目に陣取り、今日もラグナは石を磨く。それはありふれたセイバーのフォトンドライブに使われる、小さな合成石の触媒で。しかし、極めて珍しいエレメントの刻印が刻まれていた。

「いらっしゃいラグナ、相変わらず熱心ね。いつものでいいかしら?」

 女将のリョウカはメニュー片手に、それが不要なのを知りながら差し出しつつ。ラグナが小さく頷くのを見て、冷蔵庫へと踵を返す。ニューマンの年齢は外見では判断出来ないが、少なくともラグナは見た目通りの年頃のようで。しかしその表情は、十代の少女にしてはあまりに感情に乏しい。それでも別に、リョウカはその事を不幸だとは思わなかったが。移民もいろいろ、ハンターズもいろいろ…人それぞれ、千差万別の事情があるから。

「それにしても、随分とくたびれたセイバーね。石もそろそろ磨き切るんじゃなくて?」

 客の半分はハンターズ、そんな店が山猫亭である。当然その女将であるリョウカも、ハンターズが扱う武具に関しては、ある程度の予備知識があったが。彼女の見立てではそのセイバーは、随分と長く使われているようで。触媒となる石ももう、じっと見詰めるラグナの顔が映り込む程に磨き上げられていた。
 それでも僅かに首を左右に振り、出されたバナナザボンソーダにストローを突き立てて。一口飲んで喉を潤しながらも、まるで何かに取り憑かれたかのようにラグナはグラインダーから手を放さない。黙々と、ただ切々と。彼女は無言で石を磨く。そうする事で彼女は対話しているのだ。今はもう会えない、この剣の真の持ち主と。

「臭い!臭いデス!今日のクエスト、報酬以外は最悪デス!」
「…臭いが染み付いている気がする。早くチェックインして、先ずはシャワーだ」
「いやしかし、もうこりごりッスよ。鼻が曲がるかと思っ…っと、ごめんス〜」

 ドン!と衝撃が華奢な肩を掠めた。仕事上がりの騒がしいハンターズの一団が、丁度ラグナの後を通り過ぎたのだ。その瞬間、リョウカは小さな悲鳴を聞いた。同時に椅子を蹴って、弾かれたように立ち上がるラグナ。彼女はすぐさま振り向き、薄暗い店内の床へと這い蹲って。転げ落ちた石を捜し求めて、客達の足元を彷徨う。その顔は相変わらずの無表情だったが、リョウカには心なしか頼り無げに見えて。思わずカウンターを出ようとする彼女をしかし、制して床に膝を突く姿があった。

「探し物はこれかな?お嬢ちゃん。ほお、よくもまぁここまで磨いたもんだ」

 少女の大切な石を、すぐさま見つけて拾い上げると。ヨォン=グレイオンは目の前でもそもそと床を這う小さな尻を、ポンと叩いてそのまま撫でた。肩越しに振り返るラグナの、その目が大きく見開かれる。

「エレメントは…こりゃ珍しい、スピリットか。とっとっと」

 ラグナは瞬時にヨォンへと跳び掛かり、その手から石を奪い取る。そのまま両手でそっと、包み込むように胸に抱いて。手の中を覗き見、確かに自分の石である事を確認。安堵の溜息を吐いて初めて、彼女は立ち上がる恩人に深々と頭を下げた。気を悪くした様子も無く、その頭を撫でてやるヨォン。
 心底安心した様子で、再びカウンターの席へとラグナが戻ると。彼女と同じ物を、とリョウカに言って隣に腰を下ろすヨォン。彼は運ばれて来たバナナザボンソーダに一瞬、シマッタとたじろいだが。いつもの女性を口説き落とすノリで注文した事を後悔しつつ、黙ってリョウカに笑われながら…一気にそれを喉に流し込む。

「ふぅ、なかなかエキセントリックなドリンクを愛飲してるんだな。女将、次はビールだ」
「あらあら…流石の貴方も、この娘は落とせそうもないわね」
「それは解らないさ、あと五年も待てばラグナちゃんも、とびきりのイイ女になる」
「ふぅん、それで今のうちに唾付けとこって話か。ごめんごめん、嘘よ…優しいのね、ヨォン」

 笑ってリョウカが、ビールサーバにジョッキを突っ込むと。黄金色の麦酒がなみなみと注がれるのを見やりながら、ヨォンは背の太刀を外してカウンターに立て掛ける。それはこの時代には珍しい実剣の中でも、特に異様な雰囲気を滲ませる一振りで。太古の紋様を刻んだ、仰々しい封印が鞘に目立つ。

「ヨォン、貴方もラグナを見習って、少しは自分の剣の手入れでもしたら?」
「カッカッカ、コイツはな女将…抜けんのよ。俺程度じゃビクともしない」
「あらあら、剣聖を袖にするなんて嫌な剣。ほんとでも…何かこう、嫌な雰囲気よね」
「へえ、解るかい?実は女将、コイツは使い手の命を吸う…呪いの妖刀なのさ」

 ホント?と悪戯っ気のある笑みを向けるリョウカ。ニヤリと笑ってヨォンは、嘘だと舌を出す。その横ではラグナが石を磨き終えて、セイバーを組み立て始めていた。彼女にとっては、どんなにレアリティの高い武器も興味無く。すぐ手を伸ばせば届く距離に、伝説の星刀があると知ってさえ、その態度は変わらないだろう。

「やだもう、ヨォンったら…でも不便じゃない?剣聖が抜けない剣しか持ち歩かないんじゃ」
「問題は無いさ。俺に剣を抜かせるような奴は、そうザラに居るもんじゃない…それにね」

 冷たいビールの喉越しに唸って、気持ち良さそうに口元を袖で拭うと。ヨォンは己に言い聞かせるように言葉を紡いだ。それはサクヤを初めとする弟子達にも、口を酸っぱくして言い聞かせた信念。

「剣は剣士の魂その物…だが、抜かずの剣こそが、真に強き者の剣。これがな」

 ほのかに酒気で赤い頬で、照れ隠しに笑ってジョッキを煽るヨォン。その姿を気付けば、リョウカとラグナはじっと見詰めていた。彼女達だけではない、店中のハンターズが尊敬の眼差しで、剣聖の背に熱い視線を送る。余りに普通に、何の覇気も感じさせず溶け込んでいるが…やはりこの男は、星の巫女が唯一認めた無二の剣聖、ヨォン=グレイオンなのだ。
 言うは易し、だがそれを実践出来る者は少ない。寧ろハンターズの中では、好んで剣を抜いては力で解決を図る者も少なくない。それを未熟と笑わず、短慮と咎めもせずに…黙って剣聖は道を示すだけ。ただ、己の生き様で。

「剣聖ヨォン=グレイオン、俺に一杯奢らせて下さい!俺っ、感動しました」
「ボクもです、さあ飲んで下さい…光栄です、本当にもう」
「抜け駆けは良くないな。さ、グレイオン師…今夜は飲み明かしましょう」
「さあみんな、乾杯しようぜ!乾杯だ!」

 何人かのハンターズが、我先にとカウンターに詰め寄って来た。見れば誰もが、ヨォンと同じハンター…ヒューマーやヒューキャスト、ハニュエールにヒューキャシールで。他の客達も店のアチコチで立ち上がると、進んで杯を高く翳した。しきりに照れるヨォンがグラスを持てば、無数の酒瓶が差し出される。

「あらあら、凄い人気ね。勿論、私からも奢らせて貰うわよ?」
「そいつは嬉しいがな、女将。出来れば酒より是非、二人だけで今度ゆっくり…っとっと」
「こんなお婆ちゃん口説いてないで、いいから若人の道標役をやんな、さいっ」
「カカッ、こりゃ一本取られたね。まあ諸君、剣聖などと煽てられてはいるが、俺はもう若くない」

 並み居る若者達を見回し、店内の全員を見渡して。ヨォンは立ち上がると杯を掲げる。

「これからは若き者達の時代さ。パイオニア2の…ラグオルのハンターズは諸君だ。乾杯!」

 山猫亭の酒場全体を震わせて。皆が皆口々に、乾杯を叫んで杯を交わした。その一人一人に目を細めて、ヨォンは自分に言い聞かせる。これからの自分の役目、それは次代のハンターズを育て守ってゆく事。その為、時には抜かずの剣を抜く事もあるだろう。その日その時その瞬間を迎えた時、伝説の星刀は応えてくれるだろうか?今はまだ傍らで沈黙する、まだ見ぬ刃へと無言で問う。返事は無い。

「しかしこれ、凄いですね…こんなに長い太刀、抜けるのかな」
「ちょっと拝見しますよ、グレイオン師…むむ、む?抜けぬ、な」
「ははは、俺に貸してみろよ。フォトンウェポンと一緒さ、氣の弱い奴には…おろ?」

 誰もが剣聖の一振りへと、畏怖と畏敬の念を送りながら。憧れの気持ちに負けて触れてみる。普段から軽くて取り回しのいい、フォトンウェポンを使うハンターズ達。彼等は皆が一様に、重い実剣の感触に驚きながら抜刀を試みるが。鯉口三寸どころか、太刀はぴくりとも動かない。抜かずの剣を体現しているのだと皆、好意的に解釈したが…ヨォンは苦笑を零すだけだった。
 後は次代に道を譲ると、高らかに公言しておきながら。ヨォンにはまだ、果せず残された使命があった。一つは封印されし星刀が一振りを、真の振るい手を見出し託す事。そしてもう一つは…

「いやぁ、こんなに楽しい夜は久しぶりだ!女将、酒だ!グレイオン様も飲んで下さいよぉ〜」
「ここ最近は不穏な噂ばかりで、皆不安だったのです…レフトの連中が幅を利かせてるもので」
「俺等が真面目に働いててもよ、この船団の奴ぁ連中も俺等も纏めてハンターズだと言いやがる」
「まあ、それは本星でも変わりませんけどね。しかし最近の連中の跳梁、眼に余る物がある」

 陽気に酒を酌み交わしながらも、払拭しきれぬ不安。それは確実に、正規のライセンスを持つハンターズ達に蔓延していた。ヨォン自身もその目で見て、その耳で聞き、何よりこの場で肌で感じていた。だからその元凶であろう、自らに課した最後の使命の名を呟く。

「ブラウレーベン・フォン・グライアス…」
「それだ、それ!ファッキンな名だぜ…そいつを聞くようになってから、キナ臭くなりやがった」
「一体何者なのですか!?お教え下さい、グレイオン様。それが我々の敵の名、なのでしょうか」

 ハンターズに敵などおらぬ、と。敵を作る必要がないと前置きして、ヨォンは杯を乾かす。間髪いれずに注がれる酒に口をつけて、彼はその名をもう一度呟いた。ブラウレーベン・フォン・グライアス…レフトハンターズと呼ばれる無法者達を、力で従え暗躍する獣。抜かずの剣を誓いとする己が、再び剣を抜くとすれば。相手はその男に他ならない。剣が抜けずとも、己が身を刃に代えてでも…純然たる具現化した暴力の結晶を、この手で砕かなければならない。

「その男が現れたら、逃げる事だ。いいな、無駄に命を捨てる必要は…ん?」

 勇み猛るハンターズ達へと、自重を呼び掛けるヨォン。彼はその時、ピシリと硝子の割れる音を聞いた。同時に感じる、激しい怒りに昂ぶる氣のうねり。気付けば傍らの少女は、暗い目でグラスを握り締めていた。彼女はヨォンの視線に気付き、慌ててひび割れたグラスを手放し。何かを言おうとしては口を噤む。

「兎に角、その件に関しては俺に任せろ。伊達や酔狂で剣聖などとは、呼ばれてはおらんよ」

 ポンとラグナの短い髪に触れて、ヨォンはその顔を覗き見る。感情の読み取れぬ無表情はしかし、氷の仮面の下に激しい憎悪が煮え滾っていた。彼女はしかし、心配そうに見詰めるヨォンに気付くと、努めて冷静に感情を抑制。それはまだ十代のあどけなさを残す、可憐な乙女のする事ではない…良く訓練された人間特有の、造り込まれた仕草だった。

「あらラグナ、もう帰るの?今日はフェイもサクヤも来なかったわね…エディンも」

 椅子から飛び降りると、愛用のセイバーをクルクルと回して。腰のベルトにそれを吊り下げ、代金を支払うラグナ。彼女は賑やかに盛り上がる酒場の中心に、ヨォンの姿を振り返って。じっとその逞しい背を見詰めた。彼女の中で面影が重なり、追憶が鮮やかに蘇る。

「剣は剣士の魂…魂、拾って貰ったんでしょ?お礼、してらっしゃいよ」

 女将の言葉に小さく頷き、ラグナは若い連中と騒いでるヨォンに近付くと。そのスーツの端を引っ張り振り向かせる。赤ら顔で上機嫌のヨォンは、小柄で華奢な少女を見下ろした瞬間。頬に柔らかな感触を感じて硬直する。
 そっと背伸びして、ラグナのお礼のキス。ニコリと笑ったヨォンが逆の頬も指差すので。やはり唇を寄せると、ラグナはそのままいつもの調子で、一人飄々と山猫亭を後にした。その後、剣聖ロリコン説がまことしやかに囁かれて、ヨォンは一夜の恋人を得るのにも苦労する羽目となったが。

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