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 硝子の空を紅に染めて、真っ赤な夕日が落ちてゆく。その強大な映像美が失せ、空と大地を染める紫色の境界線も宵闇に溶け消えると…太鼓の音を合図に、祭の火蓋は切って落とされた。同時にサクヤは弓を携え矢筒を背負い、用意された駿馬へと跨る。そのいでたちは全裸に見え、体中をくまなく走るは古代の祝詞。無論、素っ裸ではなくタイツを着用していたが。白い肌に栄える朱色の文字は、今はもう読める者も少ない。

「阿母瑠神様の御降臨〜!それ皆放れ、絵馬放れ!やれ皆放れ、絵馬放れ!」

 宮司の声を合図に、サクヤはハッ!と掛け声を叫んで。同時に横っ腹を蹴られたエラーラ産の名馬は、勢い良く通りへと躍り出る。神社の境内へと続く長い一本道は、沿道を人の群が埋め尽くし。阿母瑠神の化身が現れると皆、歓声と共に空高く絵馬を放り投げた。巧みな手綱捌きで人馬一体となったサクヤは、弓に矢を番えて射ながらその中へと飛び込んで行く。
 この祭の正確な起源を、もう誰もが覚えてはいないが。遥か太古の昔から、この神社は縁結びの神様で有名らしく。それはパイオニア2船団の九番艦リシテアに境内を移した今も、些かも変わる事は無い。だからこうして年に一度の祭も、盛大に執り行われる。伝承によれば、阿母瑠神なる神様が昔、想い人の名を書いた絵馬を矢で射抜いた所、その恋が成就したという。そんな訳で今、阿母瑠神の化身に扮したサクヤは大忙しのテンテコマイだった。

「阿母瑠神様っ!私の想いをブチ抜いてぇ!」
「おっ、俺!この絵馬に矢が当ったら、告白するっ!」
「押さないで下さい、線からはみ出ないで…危ないですから!押さないで!」

 篝火が照らす薄明かりの下、サクヤは宙を舞い散る絵馬を射る。依頼主である宮司の話では、適当に矢をばら撒いてくれればいいとの話だったが。彼女は律儀に絵馬を、丁寧かつ迅速に撃ち落してゆく。それは嫌でも本人に、文武両道を常とする名門の生家を思い出させたが。今は意識を集中して、一気に駆け抜けるサクヤ。当然矢の何本かは目標を外れたが…宙を舞う絵馬はゆうに千を越える。そもそも矢に当らずとも、自分の絵馬を拾って奉納すれば、御利益が得られるとされていた。
 こうしてつつがなく、パイオニア2でも有名な奇祭は、その一番の目玉を無事終えた。サクヤは境内へ飛び込むなり口上を述べると、飛び降り巫女に馬を預けて。そそくさと奥の社務所へと逃げ込む。流石の彼女でも今の格好は酷く恥ずかしく、祭の熱狂と興奮が無ければ大役は勤められなかった。

「お疲れ様です、サクラギさん。シャワー使えますので、タオルどうぞ」
「すっごい良かったです!やっぱり今年はハンターズギルドに依頼を出して正解でした」

 巫女達は皆、今夜の祭の主役を労うと。礼を言うサクヤに一礼して、外から呼ばれる声に飛び出していった。相変わらず外は祭の熱気で騒がしく。しかし一人になると、笛や太鼓の音もどこか遠くに感じられた。一人のクエストは時に侘しいものだと、溜息を一つ。

「ま、一人だから出来たんだけど。こんな格好、とてもじゃないけど見せられないもの」

 誰に?と独り言に自問して。否定済みの答を未練がましく心の中で呟きながら、サクヤは脱衣所に入るなりタイツを脱ぎ捨てて。シャワールームで全身のボディペイントを洗い流した。汗で滲んだ祝詞が熱い湯に溶けて、排水溝に朱色の螺旋を描く。

「縁結びの神様ですって、この私が。ふふ、おかしな話」

 今宵多くの男女が、恋の成就を願って絵馬を放り投げたのだろう。たかが迷信と笑う者も、藁にも縋る思いの者も、ただただ祭の興奮にひたりたい者も。皆が皆、自由に想い人の名を書き入れて。それはサクヤには、望んでも得られぬささやかな一時だった。無論、望むことすら許されない。
 それはいい。例え抗えぬ運命とあっても、限られた枠の中で精一杯に生きたい。そう思うサクヤはしかし、後学の為にと市井に出た事を後悔していた。一人のハンターズとして仲間と過ごす、世界のなんと広く豊かな事か。その輝きは余りにも眩しくて、より強く濃く己の影を刻む。知らなければ良かった…こんなにも温かく心躍る日々を。触れなければ良かった…共に今日を生き明日へ生き抜く仲間達に。感じなければ良かった…一途に想われる恋心。

「っふう…よしっ!悲劇のヒロイン、終わりっ!」

 胸に澱む悲壮感を払拭するように。サクヤはパシン!と両頬を叩く。ここ最近は迫るリミットよりも、その事に怯える自分こそが最大の敵で。何度も彼女は、傲慢で自己中心的な己に酔いそうになるが。自分で言うのもおかしく思えたが、サクヤはそこまで弱く卑怯な女ではなかった。ただ、少しの勇気が持てないだけ。

「いいこと?そんな顔、みんなに見せたら承知しないわよ?サクヤ…サクヤ=サクラギ」

 曇った鏡を手で拭い、そこに映る自分を指差し叱る。鏡の中のサクヤはしかし、自信無さそうに曖昧な笑みを浮かべるだけで。彼女は深い溜息を吐いて石鹸を手に取りタオルを泡立て、全身をゴシゴシと強く擦りだした。これだから一人はいけないと、独り言を呟きながら。
 全身に書き入れられた朱色の文字を、綺麗サッパリ擦り落として。水圧を強めた熱い湯を、頭から被って天を仰ぐサクヤ。湯を弾く柔肌は擦り過ぎで僅かに赤みが差し、少しだけヒリリと痛んだが。構わず石鹸の泡を洗い流すと、彼女は狭いシャワールームを後にした。

「ほいっ、バスタオルや」
「ありがと」

 バスタオルを受け取り、身体を拭いて。洗面台のドライヤーを拝借し、長い長い髪を乾かす。低く唸るようなドライヤーの音を聞きながら、ぼんやりと目の前の鏡を眺めていたサクヤは…その中に自分以外の人間が映っている事に、その時始めて気付いた。狭い脱衣所の洗濯機に腰掛けて、ニューマンの少女がニヤニヤと笑っている。

「何や、やっと気付きはった。相変わらず鈍いで、サクヤ〜」
「やだリリィ?いつからそこに居たの!?」

 みんなに見せたら承知しないわよ、のとこからやと笑いながら。リリィと呼ばれた少女は洗濯機を飛び降りようとして…逆に蓋を踏み抜き、すっぽりドラムの中へ落ちて。慌ててサクヤは宗家で代々盟主に仕える、自称"謎の美少女使い魔"を助け上げた。
 彼女の名はリリィ…それだけしかサクヤにも解らない。物心付いた頃より、サクヤに寄り添うように、それが当たり前のように家に居て。その容姿は成長するサクヤに対して、全く変化が見られない。サクヤの生まれて初めての友人…それは同時に、彼女の運命の水先案内人でもある。

「でも驚いたわ…よくこの場所が解ったわね、リリィ」
「まあ、そこはアレや。伊達にヨォンはんを張り付かせてないっちゅーねん」
「じゃあ、おじ様が御目付け役をしてくださるのは…」
「それはヨォンはんが勝手にやってる事やけど、ホンマ助かるわぁ…宗家の年寄りが煩いんよ」

 どうやらリリィも、最近は御屋敷に居辛いらしく。それもこれも全部、自分の我侭が原因かと思えば申し訳無く思ったが。当の本人はしかし、特別気にした様子も無く。着替えるサクヤを待ち切れずに、早く祭を見に行こうと落着きが無い。

「はよう、サクヤ!祭が終わってまうで」
「ちょっと待って、リリィ。まだ着替えが」

 フォマールの正装に着替えながら、リリィを追って社務所を出ると。外はもう、祭の賑わいで息苦しい程で。この中を先程、素っ裸同然の格好で疾走したかと思うと、顔が僅かに火照るのを感じるサクヤ。しかしそんな彼女に構わず、リリィは出店が並ぶ境内を一人ではしゃぎ回る。

「よりどりみどりや、サクヤ!ウチな、アレ食べたいん…チョコバナナ!」
「うーん、それは無理かなぁ。だって食料統制も厳しいし、チョコなんて…」

 しかし現に、人混みで見失いそうになるリリィの姿は。今はいかつい剥げ頭の親父が座る、チョコバナナ屋の前にあった。的屋とは恐ろしいもので、何処から仕入れたのか本物のチョコレートでチョコバナナを作っている。無論、祭の一夜である…移民局もきっと目を瞑っているのだろう。

「ええと、じゃあすみません、チョコバナナを二つ…」
「四つ、四つやおっさん!チョコ特盛でたのむでぇ〜」

 強面の的屋が表情を崩し、顔に皺を刻んで豪快に笑う。彼が匠の技でチョコバナナを作る様に魅入りながら。リリィはサクヤに語り出した。

「あんな、サクヤ。最近ちょっちハンターズの動きが不穏やねん…せやから」
「レフトハンターズの事ね?でも大丈夫、私は正規のギルドで仕事を取ってるから」
「そのギルドやけど、ハンターズギルド自体を非合法な…おっちゃん、もっとチョコ盛ってや!」
「まさか、でも。まって、ハンターズ自体を見る社会の目が変わり始めている…そうかしら?」
「そや、こう、ぐぐっとチョコを…まあ、気をつけてや。ヤヤもミヨも心配してるさかいな〜」
「母様達が…うん、そうよね。大丈夫よリリィ、私…もうすぐ戻るから。そしてあの家に嫁ぐから」

 二人の母の名を聞き、サクヤの胸は痛んだ。さる異能の宗家の末席として、生まれながらに婿も決められ血を残す事を第一と生きて来た実母。それは無論、サクヤ自身も同じで。しかし実母は、外の世界を広く知る事が許されなかった…育ての母に預けられた自分とは違って。また、愛娘に力は色濃く出たものの身体が弱く、サクヤを生んでからはずっと病床に臥せっていた。

「ヘイおまち!200メセタになりまさぁ!」
「サクヤ、ごっつう安い買い物やで!このチョコ、ほんまもんのチョコレートや…毎度ゴチんなるで〜」
「…そんな気したのよね。ええと、細かいのが確か」

 はなから代金を支払う気も無く、両手にチョコバナナを受け取るリリィ。それはサクヤにとっては、幼少期の良く知る光景で。やれやれと小銭入れを出して、200メセタを払ってチョコバナナを受け取る。

「リリィ、そんなに急いで食べるとお腹を壊すわ。しかも三つも」
「二つは土産や、ヤヤとミヨに持ってくん。っと、アカンわ…忘れとった」

 チョコバナナを咥えたままリリィは、空いた右手で懐をまさぐって。目的の物が見つからずに七転八倒した挙句、小さな風呂敷包みを取り出した。受け取るサクヤは首を傾げる。

「何かしら、開けて見てもい…」
「ちょい待ち、サクヤ!なんやもぉ、そない簡単に開けたらあかんて」
「リリィ、これは」
「困ったら開けて欲しいて、あん御人が。ニヒヒ、憎いねぇこの色女っ」

 あの御人、と言われてサクヤは真っ先に、一人の殿方を脳裏に思い描く。互いにまだ、言葉らしい言葉も交わしていないのに…既に互いの将来を決めた仲の男。彼は今も、周囲の強硬論の矢面に立たされているのだろうか?宗家の重鎮達は焦る余り、サクヤの育ての親を盾に、半ば脅すように輿入れを迫る。

「何か言ってた?あの人…」
「なんも?ただな、あん御人のお陰でまぁ、ヤヤもミヨもそれなりに元気でやっとるで」

 それだけ言って、リリィはそれっきり黙り。今はもう、チョコバナナに夢中で。しかしその実、代々の盟主を見守って来たその眼で、サクヤの迷いと戸惑いを拾い上げる。彼女の未来の主は今、迫る期限と閉じゆく可能性に、必死で抗っていた。
 だから今、リリィは思う…振れば音が鳴りそうな頭で考える。心行くまで悩めばいいのだと。ヨォンを初めとする多くの者が、何より彼女の身近な仲間達が影ながら支えているから。二人の母も同様に。だが、少しは誰かに相談出来れば良いのだが…サクヤはリリィが見守って来た歴代の主の中でも、トップクラスの気丈さと不器用さを持ち合わせていた。

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