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 それは突然の不意打ちで。本人すら忘れていたから、余りに突然過ぎて返事の言葉に困り。しかしそれだけ嬉しい事なのだと彼は思った。エディン=ハライソの二十歳の誕生日は、こんなにも賑やかで騒がしく、温かで何よりも愛しい。一人じゃないから…苦楽を共にした仲間が居るから。普段と全く変わらない山猫亭の酒場も、今は心なしか華やいで見える。

「ようこそ大人の世界へ、エディン!さあ乾杯だ、酒は初めてだろ?ベイビー」
「あらそうなの、見た目通り真面目よね…ふふ、お誕生日おめでとうエディン。奢るわよ?」

 何がいいかと女将が聞くより早く、フェイが勝手に自分のボトルの栓を抜く。元老院憲章には明記されてはいないが、飲酒は二十歳になってから…それはこのパイオニア2でも一緒で。既に形骸化して久しいこの不問律を、エディンは律儀に守って来たから。フェイの注ぐ初めての酒を前に、思わず唾を飲み込んだ。

「じゃ、じゃあいただきます。えー、本日は私如きの為にお集まり戴き、真にありが…」
「っとに固い奴だな、お前さんは。いいからほら、グラスを持てよ。そう、こうだって」

 軽やかな音を立てて、クリスタルガラスが触れ合う。その響きを追うように、二人の手の中で氷がカランと鳴った。いよいよ覚悟を決めて、そのまま飲もうとしたエディンのグラスを持つ手は「だから、こうだっての」とフェイに止められて。そのまま彼女はエディンの腕に自らの腕を絡めると、肘を交差する形で杯を煽る。必然的にエディンは有無を言う間もなく、合成酒のスコッチを一気飲みさせられた。

「おっと、画面の前のみんなは真似しちゃ駄目だぜ?ブラックウィドウのフェイ姐さんと約束だ!」
「誰に喋ってるんですか、フェイさん。誰も見てませんよ…メタな台詞は慎んで下さい」
「お、おう。いや、こっちの話だ。それよりエディン、初めて飲む酒はどうだ?」
「え、あ、はい。凄く…美味しいです」

 どうしようも無く嘘が下手だね、ベイビー…そう言って嬉しそうに、フェイはボトルに手を伸ばす。本物の銘酒が並ぶ山猫亭の酒場で、彼女がキープするボトルは帆船のラベルが貼られた安酒で。いかにも守銭奴なブラックウィドウらしいと思ったから。その手からエディンがボトルを恐る恐る奪うと、フェイはニヤリと笑ってグラスを差し出した。
 正直、何故こうも大人は酒を飲むのかと。毒にも薬にもならず、どちらかと言えば前者に近い苦くて渋いアルコールを、何故に摂取したがるのかとエディンは思うが。全く美味とも思えぬ琥珀色の液体はしかし、舌ではなく心で味わうものだと知ったから。正直に美味いと言ったが、フェイはそれを笑った。もう既に、エディンは大人を論じるより実践しなければいけない、名実共に正しく大人だった。

「晴れてエディンも成人ね…親御さんも喜んでいるでしょうね」
「そうでしょうね、多分喜んでいると思います。コーラルで」

 手酌でもう少しだけ飲んでみようと試みるも、フェイにボトルを奪われて。なみなみと注がれれば、角の丸くなった氷が小さな音を立てる。頬の火照りを感じながら、二杯目で唇を濡らしてエディンは振り返った。今はもう、光の速さでさえ何年も先の彼方に暮らす家族を。
 本星コーラルとの連絡手段が限られている為、一移民に過ぎないエディンは当然、家族との縁は切れたも同然で。しかし彼は、別に気にしてもいなかった。最後に会った時より老いていようとも、己を生み育んでくれた両親は、恐らく確実に多分絶対元気に暮らしている。父を目指すと張り切っていた兄も健在だろう。コーラルでも戦災とは無縁な地に次男坊として生まれた彼には、家族の話題は気楽で心安らぐものだった。

「どうしてこの船に…パイオニア2船団に乗ったの?エディン」
「女将さんはどうしてですか?店ごと根こそぎ移転してまで…ヴォーテック社やミク社の社長もそう」
「ふふ、私?私は…山猫亭は、常にハンターズの最前線、フロンティアであって欲しいだけよ」
「僕も似たようなものですよ。この船団に…ラグオルに未来を感じたんです」

 酔っていると自覚はあった。それをこの店の女将は笑わなかった。無論、傍らで静かに杯を傾けるフェイも。それは恐らく、この船団に居を構える誰もがそうなのだろうと。エディンはこの時、酷く良い気分で楽天的にそう考えていた。無論、彼が知る世界はそれだけだったから…真実とは違って。
 兄が父を目標として、厳格で公正な役人を目指すと言ったあの日。自由を与えられたエディンは迷わず、オラキオ記念大学パイオニア2キャンパスへの進学を希望した。それは同時に、未知なる異星への移民をも意味していたが。今ではその決断を、紆余曲折を経た末の小さな成功だと彼は思っていた。失敗の連続で、つい先日も過酷な現実に打ちのめされたが…今、仲間達と過ごすこの瞬間は、こんなにも素晴らしい。

「ヘイ、エディン!偶にはイイ事言うじゃねぇか…未来へむかって。オーライ、ゴキゲンだ」
「そう言うフェイさんは、どうしてパイオニア2に乗船して移民になったんですか?」
「…まあ、色々とな。それよか飲めよ。サクヤ!お前さんもだ、偶には景、気良く…飲ま…」
「サクヤさんも飲んで下さいよ。アンセルムスさんも、お酒は無理で、も何、か適…当に…」

 カウンターに並んで座るいつもの四人。その残りの二人を振り返りフェイが、次いでエディンが硬直する。思えば、この山猫亭を待ち合わせ場所に数々のクエストに挑んで来た四人だったが。フェイもエディンも、アルコールを口にするサクヤの姿を眼にするのは初めてで。それは恐らく、彼女の傍らで杯を傾けるラグナも同じ。

「何?何よ…私は飲んでますー、ねーラグナー?エディン、貴方こそどうなのよー」

 サクヤの言葉に頷くラグナは、ほのかに頬が赤い。彼女が持つグラスは、普段から愛飲している毒々しい色の炭酸飲料では無くて。無色透明ながら無味無臭ではないそれは、サクヤが抱える本星産の特級酒本醸造「酒乙女」であった。あの剣聖も好んで飲むという、一杯数千メセタの銘酒をサクヤは勢い良く飲み干す。

「二人ともー、飲みが足りないんじゃないー?こう、ぶわーっといきなさいよー、ぶわーっと」
「サ、サクヤさん!?不味いですよ、アンセルムスさんは未成年じゃないんですか?」
「なーにを固い事言ってんろ…ニューマンは見た目じゃないってんろー!」
「な、何がいったい…らしくないですよ。フェイさん、これは…フェイさん!?」

 それはエディンの中に形成された、憧れであり理想である女性像を木っ端微塵にする破壊力に満ち溢れていた。正しく醜態としか言い表せぬ有様を露呈して、カウンターに頬杖突くサクヤ。その姿は黙っていれば、世の男達を吸い寄せる魔性に満ちていたが。呆気に取られるエディンに代って、フェイは何も言わずに席を立つ。船を漕ぎ出したラグナを追い立て、サクヤから一升瓶を取り上げると。彼女はそのままサクヤの隣に居座り、躊躇無く酒を注いだ。

「何だよ、飲めるじゃねえかサクヤ…笑っちまうだろ?あのエディンが二十歳だってよ」
「むふふ、まだまだ坊やかと思ってたら。もう二十歳なんらろ?フェイ、覚えてる?あの日の事」
「忘れるかよ…この馬鹿は無属性のセイバー片手に、生マグの装備も忘れて現れやがった」
「そうよ、ハンターズのハの字も知らない坊やが…あら、二十歳?やだ、三つも違わないじゃない」

 普段からついつい幼く見てしまう、エディンの実年齢を改めて再確認して。驚くサクヤはしかし、上機嫌で杯を重ねる。そのしどろもどろな言葉に付き合い、フェイは空になったグラスに一升瓶を傾けた。その横ではもう、真っ赤に茹で上がって聞き取れぬ小声で何かを呟き、フラフラと山猫亭の奥へと歩くラグナ。慌てて女将が部屋の鍵を投げれば、振り向かずにそれを掴んで。彼女は一番安い山猫亭の部屋へと消えた。

「しっかりしてください、サクヤさん。ああもう、これ以上のお酒は体に毒ですよ」
「やだもう、聞いてよフェイ…エディンが私を。私を?ふふっ、エディンったらねー」
「まあ飲めよ、サクヤ。そんな夜もあらぁな、今日は飲め…それと、だ。エディン」

 まるで水を飲むように杯を乾かすサクヤ。その後先を省みぬ飲みっぷりを、咎めるどころか酒を勧めて。酌をしてやりながらフェイは、止めようとするエディンに向き直った。同時にフェイは、いつに無く真面目な声でエディンを諭した。彼女の携帯端末が、着信のメロディを響かせるまで。

「ヘイ、エディン?ずっと応援してたがベイビー、これだけは言っておくぜ」
「な、何ですか改まって」
「サクヤはお前さんの女神様じゃないぜ?生身の一人の人間だ、酒を飲めば酔いもす…っと、ああ?」
「…解ってますよそれ位は。解ってたつもりだし、解りたいですよ」

 酷く古めかしいアニメソングを、フェイの携帯端末が奏でた。その曲は緊急性を帯びているらしく、軽快でポップなメロディに反して、フェイはヒューマンの様に血相を変えて通信に応じる。彼女の手厳しい追及から解放されたエディンは、呆然とただ酔い潰れてカウンターに突っ伏すサクヤを眺めた。

「何っ!?ババァが!?…解った、いつも悪いな。今すぐ戻るぜ…ああ、飛んで帰る」

 酒気に火照った表情が一変した。フェイは席を立つと、らしくない景気の良さで会計を手早く済ませて。彼女は心配そうに額を寄せる女将と、二言三言と言葉を交わすと足早に店を出る。去り際に一度だけ振り返り、うろたえるエディンに眼を細めて。

「へい、エディン!お前さんのそんな所がでも、オレは好きだぜ?サクヤを頼む、よろしくやれよ」
「なっ、なな、何言ってるんですか…それより何かあったんですか!?」
「何か…そう、何かあったのかもな。帰ってみねぇと解らねぇよ。じゃ、またなエディン!」
「またな、ってフェイさん!ああもう…取りあえず、ごちそうさまでした!また明日、明日以降に」

 慌しくフェイは山猫亭を出て行った。その背を見送り、カウンターへと振り返るエディン。彼の鼻先に女将は、黙って部屋の鍵を差し出した。笑って「お誕生日プレゼントよ」と嘯くそれは、スィートルームの鍵で。訳も解らぬ様子のエディンはしかし、女将が手を放すので必然的にそれを受け取る事に。

「ええと、これは」
「もう大人でしょ?エディン、後は自分で考えなさいな」
「はあ、でもこれは…」
「とりあえず、サクヤを放ってはおけないでしょ?貴方なら」

 言われるまでも無くそれはそうだが。しかし、それとこれとは話が別で。泥酔した挙句に眠ってしまったサクヤをどうこうと言うのは、一人の男として余りにも卑しく小ずるい。そう思う一方でしかしエディンは、据え膳食わぬは男の恥という言葉も思い出して。正に今、彼の胸中では悪魔が囁き天使が歌う。
 ともあれ、放っておけないのは事実。答も出せぬまま鍵を握り、サクヤの華奢な肩を揺するエディン。目を覚ましてくれれば、そのまま自発的に宿泊するなり帰るなりしてくれれば。そうすれば自分も、山猫亭のスィートルームで一人寂しく寝る事にするが。サクヤはエディンの声に、要領を得ない返事を返すだけだった。

「サクヤさん、立てますか?もうお開きですよ?」
「むふふ…誕生日を知ってたって、一緒に祝った事が無ければ虚しいしね、って言ったじゃない?」
「何でまた今になって。良く覚えてますね、サクヤさん。っと、大丈夫ですか?」
「へーきよ、へーき!それよりろう?一緒に祝ってあげたわよー!ふふ、楽しいわエディン」

 ふらふらと立ち上がったサクヤの足取りは、いかにも頼り無げで怪しく。直ぐにエディンは彼女を支えた。もたれて見上げるサクヤの頬は上気して赤みが差し、その潤んだ瞳は見下ろす自分が滲んで映る。いよいよ迫られる決断。しかし未だ答を保留したまま、エディンはサクヤの肩を抱いて客室へと歩いた。自身の確かな、酒気による判断力の低下を感じながら。

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