《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》

 欲求と願望が見せる、それは一夜の幻。夢とはつまりそういう物で。フォトン科学文明の粋を極めたこの時代でも、人は見る夢を選べない。夢を選んで見る事は出来るが。深層心理の底より浮かぶ現の残滓を、人は拒む事が出来なかった。

『ああ、夢を…僕は夢を見ている』

 エディンは夢にまどろんでいた。夢でなければ、許されない行為に耽っていた。彼が抱き締める華奢な肩は温かく、鼻腔を擽る体臭は甘い。顔を埋める胸は思ったよりも平坦で、その膨らみはささやかな物だったが。頬を摺り寄せれば、優しく頭を抱いてくれる。
 そのまま互いの体温を分け合い、エディンは落ちるとも浮かぶとも解らぬ感覚で闇を彷徨う。夢だという自覚はあったが、それを判断する以外に思考は働かず。ただ求めに応じて抱いてくれる躯を、気付けば強く強く抱き返していた。

『どうしたの、エディン…そんな顔して』

 ふとした弾みで折れてしまいそうに思える位、細くくびれた腰へ手を回して。呼び掛ける声の、僅かな違和感にふとエディンは夢の中で瞼を開いた。柔らかな肌は雪の様に白く…は無く、古傷だらけの褐色で。何かが違うと思ったが、それを考えるにはエディンは疲れ過ぎていた。

『私が慰めてあげる、エディン』

 その声を見上げた瞬間、唇を柔らかな感触が包んだ。永遠にも思える一瞬を終えて、唇を離す相手の顔がエディンの瞳に映る。次第に焦点が定まり鮮明になるその表情は、普段は絶対に見れない柔らかな微笑を湛えて。その薄荷色の短い髪が視界に入った時、エディンは驚きの声を上げて現実世界に覚醒を果した。

「あっ、ありえないっ!…よなあ、夢だし。ふう、それにしてもあり、え…な、い?」

 カーテンの隙間から差し込む朝日に、小鳥達の囀りが入り混じる。他に聞こえるのは、バスルームの床を打つシャワーの音。さして高級でも何でもない、ビジネスクラスのシングルルーム。その小さなベットに身を起こしたエディンは、懸命に現状の把握に努めた。
 どうやらここは山猫亭の一室らしい。幸いにも昨日の記憶は鮮明…ある一場面まで。サクヤをスィートルームに押し込んで、なんやかんやで結局彼女一人を置いて部屋を出た後。その部屋を固く施錠した後。その後?自分はどうしたのだろうか、と悩むエディン。

「その後確か、家に帰ろうとして…そう、帰ろうとした!したんだけど…」

 エディンは取り合えず布団を跳ね除け、ベットから起き上がると。自分がパンツにインナーシャツ一枚だと気付く。だが幸いにも、彼のスーツはすぐに見つかった。床に無造作に脱ぎ捨てられたそれにはしかし、良く見慣れた服が折り重なっている。小さなホットパンツとシャツにジャケット…それは先程夢に出て来た、一人のハニュエールをエディンに想起させる。一瞬で血の気が引くのを彼は感じた。

「…何故?まさか、でも待て!待つんだ!何故僕とアンセルムスさんが…」

 今、シャワーを浴びているのは恐らく、間違いなくラグナ=アンセルムスで。それはエディンに、一つの結論を提示する。先程まで見ていた夢がそれを後押しした。つまり、エディンは昨夜、サクヤを無事に寝付かせた所で力尽きて…その後、何があったかは解らないが、ラグナの部屋に転がり込んだ。そして、共に一夜を過ごしたのだ。そうとしか今は、考えられない。

「思い出せエディン、エディン=ハライソ!昨晩何があったんだ、何が…」

 狭い部屋を腕組みウロウロと歩き回りながら。必死で記憶の糸を辿るエディン。しかし思い出されるのは、苦々しい決定的な失恋の瞬間で。諦めてと言われて尚食い下がり、身分の違いなど超えて見せると息巻いていた自分が、今は酷く愚かしい。違うのは身分だけでは無い…生まれた世界、住む世界。
 それを振り切るように頭を振って、急いで自分のスーツを拾うエディン。普段の彼ならば、冷静に現状を省みた上で、ラグナへの事実確認を怠らなかっただろう。その結果、自分の理性に感謝して胸を撫で下ろすなり、若さ故の過ちを謝り償うなりするのだが。今の彼は既に、己のキャパシティを完全に超えた現実を前に、平常心では居られなかった。

「はぁ、もうどうしたら…何でこんな事に。っと、このままは不味いな」

 急いで着替え終えたエディンは、未だ混乱のドツボに頭まで浸かって窒息寸前で。普段なら卑怯と思える行為も平然とやってのけようとする。そう、彼は逃げようとしていた…自分が居たという痕跡を消して、この場から消えようとしていたのである。
 散らかるラグナの衣服を掻き集めると、それを丁寧に畳んでベットの上に。初めて手にする女性物の下着にも動じず、動じる余裕すら無く。そうして退散準備を完了した彼は、まだ聞こえるシャワーの音をこれ幸いと、足音を忍ばせてドアへと歩く。そんな彼の爪先が何かを蹴飛ばした。

「っと、これは。アンセルムスさんの剣だ、これも戻してお…え?これって」

 それは手にして初めて気付く。ラグナの剣は正真正銘、本当に普通のセイバーで。古びてくたびれているものの、それはエディンがハンターズになった時に、ギルドから支給された物と全く同じ製品だった。逃げるのも忘れて思わず、試しにスイッチを入れてみる。灯るグリーンフォトンは、使い込み過ぎたせいか僅かに白っぽいものの、間違いなく普通のセイバー。小さくEXと刻まれたボタンがある以外は。
 率直に言って意外だった。高レベルのハンターズほど、高価で強力な武器を好むから。フェイは別にしても、ラグナの剣はただのセイバーでは無いと思っていた。あれはセイバーに見えてそうでは無い、特別な剣なのだと思い込んでいた。

「エクストラアタック用ボタンがあるだけの、普通のセイバーだ…何でまた、あんなに大事に」

 その時、シャワーの音が止んでいる事にエディンは気付けなかった。彼が気付けたのは、バスルームのドアが開く音。振り向けばそこには、全裸で髪を拭くラグナの姿があった。目と目が合うも無反応だったラグナはしかし、エディンの手元を見るや僅かに表情を強張らせて。うろたえ刃を納めて後ずさるエディンにツカツカと歩み寄った。

「えっ、あ、あのっ!その、違っ、いや違わな…」

 ただただ狼狽するしかないエディンの、その眼前まで迫ると。ラグナはその手から愛用のセイバーを引っ手繰る。そのままじっと見詰められて、咄嗟にエディンは目を逸らした。目を逸らしても視界の隅に眩しい、褐色の幼い身体。その随所には、多くの古傷が痛々しい。まだ僅かに濡れた裸体をラグナが隠そうともしないので、ついにはエディンは背を向け壁をじっと見詰めた。

「あ、あっ、あの。昨晩は…ええと、その。ありが、とう…ございま、す」

 礼を言うのもおかしな話かとも思ったが、廊下に放置されるよりはマシな一晩を過ごせたから。しかし、誤解があってはいけないから、エディンは説明を試みたかったが…それよりも先ずは、事実関係を即急且つ早急に確認したかった。しかし無論返事は無く、身体をタオルで拭く音が聞こえるのみ。

「ええと、アンセルムスさん。僕とアンセルムスさんは昨晩…その、何と言うか」

 返事は無い。代りに響くのは、クラインポケットから物を出し入れする音と、衣服を身に付ける衣擦れの音。追求の声も、弁明の声もありはしない。困り果てるエディンはしかし、不思議と先程よりは落ち着いた気持ちで。着替えが終わる気配を感じて、恐る恐る振り返る。

「下世話な話なんですが、まあ、うーん…し、しちゃいました?」

 腰に愛用のセイバーを吊り下げたラグナは、エディンの問いに無表情で向き合うと。僅かに頬を赤らめ、視線を逸らして。そのまま部屋を出て行ってしまった。思わぬ反応に驚きながらも、慌てて後を追うエディン。彼が閉るドアを再び開いた時、小さな背中はもう見えなくなって。何としても真相を聞こうと試み、後を追う彼を呼び止める声。

「おはよ、エディン君。良く眠れた?」
「サッ、サクヤさん!?」
「っ!お願い、静かに喋って。ちょっと頭が痛いのよね」
「は、はぁ…」

 慌てふためくエディンの声に、サクヤはこめかみを押さえる。自分でも飲み過ぎの自覚が有るらしく、その顔は後悔も色濃く。少しやつれて見えたが、その憂いを帯びた表情も綺麗だと。そう思うエディンは、昨晩の事が思い出されて憮然とした。今はまだ、気持ちに整理がつかなくて。好きな人なのか好きだった人なのかも解らないサクヤに、どう接していいか戸惑う。

「ま、エディン君も飲み過ぎには気を付けて。って私が言える立場じゃないけど」

 そう言って弱々しくサクヤが微笑むと。エディンもぎこちない曖昧な笑みを返す。

「それにしてもスィートルームなんて。あ、エディン君が運んでくれたの?」
「え、ええまあ…」
「もうっ、女将さんの仕業ねこれは。ごめんね、重かったでしょ」
「いえ別に…もう関係無いですから」

 不思議そうに小首を傾げる、サクヤをもう直視出来ずに。一方的に会話を打ち切ってエディンはラグナを追う。訳も解らず佇むサクヤは、すぐに呼び止めようとしたが。その声はもう、エディンの耳には届いていなかった。

《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》