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 ヨォン=グレイオンが教えてくれたアドレスは、プソネットで検索しても地図が表示されなかった。しかし実際に足を伸ばしてみれば、その場所は確かに存在している。軌道レールを初めとする公共の交通網から見放され、旗艦パイオニア2の外縁にへばりつく奇妙な町。硝子の空さえ遠く肌寒くて、サクヤはそっと我が身を抱いた。
 フェイが姿を現さなくなってから、既に一週間が経っていた。別々に仕事を取る事も少なく無いので、その事自体は何も不思議では無いが。全く連絡がつかないというのは、今までは一度も無かったから。一番頼りたい時に、一番頼りたいフェイが居てくれない…サクヤにはそれが何より心細い。

「参ったわ、プソネットに繋がらない…こんな場所が船団内にあるなんて」

 自分の携帯端末で、再度地図を確認しようとして。プソネットはおろか、通話やメールも出来ない事に気付くサクヤ。パイオニア2船団にくまなく整備されたそれらが繋がらない事は、常識では考えられなかったが。自分の携帯端末が壊れている訳では無い…彼女は実際、山猫亭でアドレスを聞いた時に一度、検索して地図が表示されないのを見ている。

「おや、お嬢さん。見ない顔だね?ははん、この町の人間じゃないな」
「あ、はい。あの、この住所を探しているのですが。ご存知でしょうか?」

 声を掛けて来たのはニューマンの老人で。アドレスが表示されたサクヤの携帯端末へ、それ自体がまるで珍しいものであるかのように目を細める。パイオニア2船団の移民ならば、誰にでも支給されている筈の多目的携帯端末…それもこの場所では、旧世紀のワープロ程度でしかない。

「ほっほっほ、どれどれ…最近は眼が弱くてね。お嬢さん、ここまで来るのに苦労しただろう」
「ええ、一番近い駅から歩いたのですけど、途中で道も…」
「完全に隔離されているからね。外との連絡にも、お嬢さんが通って来た区画までいかにゃならん」
「公社の船体管理用区画を跨いで造られてるなんて。この町はいったい…」

 パイオニア2船団の中枢である、旗艦パイオニア2。確かにこの場を振り返れば、遠くに総督府や移民局等の庁舎が微かに見える。しかしここは、人工太陽の光も僅かにしか射さぬ最果ての町。雑然としたその街並みは古く荒れ果て。どこか戦乱に疲弊していた統一戦争時代の本星コーラルを彷彿とさせた。

「この町はな、お嬢さん。棄民の町…さ」
「棄民、ですか?それは…」
「そう、正規の移民IDを持たぬ者達が、息を潜めて身を寄せ合い…じっとラグオルを待つ場所」
「そ、そんな…パイオニア2の移民は全て、希望者を厳正に審査した選抜の筈」

 だが、サクヤが今立つ場所自体が、そうでは無い事を無言で物語る。それは華々しいコーラル人類の新たな希望に潜む…もう一つのパイオニア計画。元老院が起こした統一戦争により、コーラルの地表より国境が消えて既に幾星霜。一時は激減したコーラルの人口は、今ではコーラル自体を食い潰すまでに肥大化していた。
 十カ国同盟を称する旧体制の残滓が存在するとは言え、国家間の諸問題から開放されたコーラル人類。しかしそれは僅かに遅すぎた…既にもう、コーラルの環境は増えすぎた人類を支えきれなくなっていたのだ。星の巫女を介してその事を知った元老院は、パイオニア計画の実行を急いだ。そして急ぎ過ぎたのである。

「ま、大半は希望者だがね。元老院の本音は、もっと詰め込みたかったのさ…いらない人間を」
「移民希望者ならもっと沢山居る筈です。その人達を優先して」
「希望の新天地は言い換えれば、未開の辺境。元老院が見積もったより、希望者は少なかったのさ」

 サクヤの携帯端末の細かな字を、額を寄せるように睨んで読みながら。老人は「こりゃティアンの家じゃないか」と呟いた。その声を聞いてサクヤは、慌てて我に返る。しかしその顔にはまだ、動揺の色がありありと浮かんでいた。

「お嬢さん、ティアンの…ティアン=ノースロップの知り合いかい?」
「あ、いえ、フェイという人を訪ねる所です。ティアン、ティアン、ティアン…どこかで」
「ヘイ、うちのババァがどうかしたか?って、サクヤじゃねぇか。どした、何かあったか?」

 不意に聞き慣れた声が響いて、老人とサクヤは振り返る。そこには漆黒長身のレイキャシールが、両手に紙袋を抱えて立っていた。だれであろうその人こそ、サクヤがこの地を訪ねる理由となった人物。ブラックウィドウことフェイは、仲間の意外な訪問に驚きつつも。普段と変わらぬ反応でサクヤを安心させた。
 そう、サクヤは心底安心した。フェイだけはいつも通り、不思議そうにその顔を覗きこみながら。隣の老人に「オレの連れだ、助かったぜ爺さん」と笑って礼を言う。顔見知りらしい老人は、余計な事を言ったと詫びて手を振り去って行った。

「しっかし良くこれたな、この町に。苦労したろ?」
「苦労したろ、じゃないわよ…もう、連絡もつかないし」
「はは、ここは中継ポイントも無いしな。つーかケーブル来てねぇし、あるのは上下水道位か」
「でも安心した、いつものフェイで。ホントに心配し…わっ」

 伏せ目がちに瞳を潤ませるサクヤの、そのただならぬ空気を読み取って。しかし多くを語らず、フェイは紙袋の片方を押し付けると。付いて来いよとばかりに歩き出した。その背を追うサクヤは、何も聞かないフェイの優しさが嬉しい。

「サンキュ、オレは別にいいんだわ。ただババァが…あ、師匠なんだけどよ。そのババァが」
「女将さんから聞いたわ、大変だったみたいね。大丈夫?御加減の方は…」
「おう…それはまあ、これから見れば一目で解る。つーか見るまでもねぇ」
「そ、そうなの?」

 二人はトボトボと、殺風景な町を歩く。サクヤがそこで見聞きする光景は、とても超長距離恒星間移民船団の、それも首都にあたるパイオニア2の中とは思えなくて。町に生きる人は皆、穏やかだが少しだけ活気に欠けて。生活水準も御世辞にも、高いとは思えなかった。自分が知ろうとした外の世界は、さらにその外側があった…それも過酷な現実が。

「へへ、流石のサクヤも驚いたか。ま、ここがオレのホームタウンさ。住めば都って奴だな」
「さっき聞いたわ、みんな正規のIDを持たない棄民だって…本当なの?フェイ」
「オレみたいにID持ってる奴も居るには居る。この町は400人かそこら、ID持ちは半数位かな」
「私、知らなかったわ…こんな町があっただなんて」

 突然フェイが立ち止まった。それに気付かず俯き歩くサクヤは、硬い背にそのまま額から突っ込んで。慌てて顔を上げれば、ニヤリと笑って振り返るフェイと、思わずオデコを抑えてフェイを見上げるサクヤ。

「サクヤ、お勉強熱心もいいけどな。何でも抱え込むのはよそうぜ」
「え、ええ…そうよね、ゴメン。こんな町だなんて言い方、失礼よね」
「それと、だ。あんまり肩肘張るなっての。イイ子ちゃん過ぎると疲れるだろ。お互いよ」
「そんなに肩肘はってなんか…フェイも御嬢様や御姫様では居たくないでしょ?」

 それだよ、と笑ってフェイは指差して。そのまま人差し指で、サクヤの額をツンと押す。

「こうではいけない、ああではいけない、これも駄目あれも駄目…窮屈過ぎるぜサクヤ」
「そ、そうかしら」
「そうさ。なりたくない自分を見るな、なりたい自分だけを見ろよ。ババァの受け売りだけどな」

 再びフェイは踵を返して、荒れた路面を歩き出す。なりたい自分…その一言を反芻しながら続くサクヤ。
 思えば確かに、サクヤの生き方は反面教師との戦いで。家柄故か、長所を伸ばすよりも短所を潰す事に必死。自分の長所さえ気付けず、気付いても忘れてしまう。そうして見えないハードルを超えるだけの生き方を、人に指摘されたのは彼女は初めてだった。周囲も自分もそうあれかしと望んでいたから。

「だいたいエディンを見ろ、あんの幸せバカを。能天気に何も知らず、知ってもさらに…あ?」

 何かを思い出したかのように、ツツツとサクヤの横に下がって来るフェイ。凄腕ガンスリンガーも、こうして並んで語らい歩けば、まるで女学校の同級生のようで。しかし学校という物に行った事の無いサクヤは、それを頭の中で想像してみる他に手段は無い。

「そういやエディンはどうした?相変わらず諦め悪くジタバタしてんのか?それとも…」
「それとも?」
「あの日の夜だよ、サクヤ!あれからどうした?浮名を流すのも若いうちだぜ、ヒューマンは」
「…エディン君はね、彼こそ御利口さんなの!私、ちゃんと諦められちゃった」

 サクヤは一歩先を歩いて、この一週間を全て語った。エディンの誕生日を祝ったあの夜から、何もかもが変ってしまったと。あの日以来エディンは余所余所しく、一緒にクエストを受ける機会も激減した。ラグナはラグナで、やはり態度が妙で。彼女はエディンを避けているようだった。

「お酒で失敗、ってだけじゃないみたい。恋愛は駄目、でも仲間で居ましょう…都合良過ぎね」
「気にすんなって、それにエディンを舐めんなよ?ヘタレで甲斐性無しの口だけ達者な…」

 エディンの悪口だけなら、フェイは幾らでも並べる事が出来る。聞いてるサクヤが呆れて、思わずフォローを入れたくなる位に。コテンパンにエディンをこき下ろすと、フェイはサクヤに並んでその華奢な肩を抱くと。まだまだ止まらず、いちいち細かい所まで突っ込みを入れていく。気付けばサクヤまで、調子に乗せられエディンへの不平不満を口にしていた。

「だいたい何だ?このフェイ姐さんが音信不通だってのに、何で飛んでこねぇんだ奴は」
「あら、天下のブラックウィドウは年下が好み?ついね、エディン君って幼く見えるのよね」
「なっ、そりゃ無ぇよサクヤ!ありゃ舎弟みてぇなもんさ。オレの好みはよ…もっとこう」
「はいはい、そゆ事にしといてあげる。ラグナは…どうかしらね、案外ひょっとしたら」
「あー、うーん…ありえるかもな。今度あれだな、パジャマパーティでもやって吐かせるか」
「パジャマパーティ?それってあの、良く少女文学に出てくるあれ?」

 それはサクヤにとっては、本や映画の中にのみ存在する特別な行事で。しかしフェイは意外な事に経験豊富らしく、何やら怪しげな間違った知識をサクヤに植え付け始めた。いかに自分が、枕投げにおいて無双を誇ったかを、彼女は面白半分に語るのだが。それがパジャマパーティの真実なのだと、サクヤは真面目に何度も頷いた。

「っと、到着。普段は山猫亭とかに寝泊りしてるんだけどよ…まぁ、実家だ」

 フェイは突然立ち止まり、サクヤをクルリと回して。二人は小さな一軒家へと向き直った。一本しかない通りに面した、それは時代掛かった質素な木造平屋建て。鍵は掛かってないらしく、荷物片手にフェイはドアノブを躊躇無く捻る。

「ババァ、ちゃんと寝てたか!ダチ連れて来たけどよ、いいからそのまま寝てろや」

 な?とサクヤを振り返って。フェイはニヤリと笑って我家の敷居を跨ぐ。ダチ…思えば、自分を堂々と友人だと公言した人間は初めてで。気恥ずかしさと嬉しさに頬を赤らめながら、サクヤは後に続いて足を踏み入れた。今は銘を譲り隠遁生活に入った、伝説のガンスリンガー…ティアン=ノースロップの邸宅へ。

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