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「おやフェイ、早かったじゃないか。雑貨屋のオヤジは元気にしてたかい?」
「ハッ、あのハゲよか手前ぇの心配でもしやが…なっ、何やってんだババァ!」

 敷居を跨いですぐ、サクヤの目に入ったのは足を拭くフェイで。彼女は出迎えた老婆に振り返り、仰天して雑巾を取り落とした。この人物がどうやら、噂のティアン=ノースロップのようで。自分の生家と同じ日本家屋ながらも、随分と手狭な玄関を見渡していたサクヤは、目が合うなり丁寧に頭を下げた。

「どうしたのさ、フェイ。こんな品のいいお嬢さん、どこからさらって来たんだい」
「いつも話してるだろうがよ、ダチのサクヤだ。つーか何で大人しく寝てねぇんだよ」
「初めまして、ノースロップさん。私、サクヤと申します。フェイにはいつもお世話になって」

 見るまでもねぇ、とフェイは言っていたがその通りで。眼前の老婆は溌溂として生気に満ち溢れていた。白髪の目立つ髪も綺麗に整えられているし、その眼には老体故の弱々しさは無く。毒付くフェイも何のそので、ティアンは挨拶を述べるサクヤに瞳を輝かせる。

「まあ、貴女がサクヤね…話は聞いてるわ。ささ、そんな所に立ってないで上がって頂戴。いやねえ、もう…あたしが想像してた通りの娘じゃない。こんないい娘がフェイの戦友、じゃない、ええとお友達?ほんともう、あたしゃ嬉しくて泣けてくるよ」
「…ま、上がってけや」
「ふふ、お邪魔します」

 それは狭く古い家で、靴を脱いで上がれば廊下がギシリと音を立てたが。まるで家主を体現しているかのように、屋内は隅々まで清掃が行き届いていた。それはどこか広く静かで閑散とした生家よりも、その分家であり幼少期を過ごした桜木の家をサクヤに思い出させる。もっともティアン自慢の豪邸は、それよりもさらにうんと小さく慎ましかったが。
 居住空間は僅かに二部屋、寝室と居間のみで。他には廊下を跨いで台所等の水周り。ティアンはいそいそと座布団を出すとサクヤに進めて、庭に面した戸へ手を掛ける。どうやら傾いで渋いらしく、しかし大して苦にした様子も無く空間が繋がると。手狭だが良く手入れされた庭の空気が、ほのかな花の香りと共に室内を満たした。

「ババァ、後はオレがやっから寝てろって。この間みたいなのは勘弁だぜ、な?」
「何言ってるのフェイ、折角のお客様じゃない。あたしだけノケモノなんて酷いわっ!オヨヨ…」

 フェイは心底心配らしく、口は悪いがその気遣いようは尋常では無い。しかしティアンの方は、そんなフェイを手玉に取るようにもてあそんで。芝居がかった仕草でさめざめと泣いて見せた。

「つーかよ、ババァ。恥ずかしいから見え透いた嘘泣きとか止めろって」
「じゃ、止めるわ。サクヤ、何か飲まない?うちは何でもあるわよぉ、お酒なら何でも!」
「あ、はあ…あの、お酒は今はちょっと」

 師弟と言うよりはそれは、まるで本物の親子のようで。冷蔵庫や棚から山ほど酒瓶を持ち出したティアンは、フェイに叱られ渋々それを元の位置へ仕舞う。その光景はサクヤには、どこか羨ましく見えた。二人の間に確かな絆が感じられるから。そうでなければ、あのフェイがこんなにも人を心配することなど考えられないから。
 フェイは口は悪いが、その実は誰にでも親切で優しい。それは彼女自身が、自らをヒーローたれと振舞っているから。しかし今、サクヤの目の前に居るのは模範的ハンターズの凄腕ガンスリンガー、泣く子も黙るブラックウィドウでは無い。もっとも親しい人間を前にした、飾らぬありのままのフェイがそこには居た。

「そうねえ、じゃあフェイが買って来た…って何?あんたこそお酒ばっかりじゃない」
「半分はババァの分だろ…つーか茶の一杯も出せねぇのかよ、この家は」
「あ、あの、お構いなく」

 何やら台所が騒がしくなって来た。フェイとティアンは二人で、ドタバタとサクヤをもてなす準備をしているらしいが。急須が発掘され、湯呑の代わりにエルメスのティーカップが発見されると。一番大事なものが見つからずに、フェイは溜息を吐きティアンは肩を竦めた。

「あらやだフェイ、肝心のお茶っ葉が無いじゃない」
「どーゆー訳か珈琲豆が山ほど出て来たが。グアテマラ、キリマンジャロ、コロンビア…」
「そんなに古くないわね、香りが飛んでないもの。いいわ、珈琲にしましょう」
「オーライ、ミルを掘り出せたらな…あーもぉ、ホント何も無いのかババァー!?」

 呆れるフェイにも構わず、いつもの事よとサクヤにウィンクして。ティアンは台所の引き出しという引き出しを片っ端から引っくり返す。無論、お茶っ葉はおろかティーバック一つ出ては来なかったが。しかしどうも意地になっているようで、彼女は愛弟子へと檄を飛ばす。

「フェイ、お隣からお茶っ葉借りてらっしゃい!」
「はぁ!?」
「ポーカーでの貸しがあるのよ。チャラにしてやるって言えば、あの娘なら」
「ったく、何してんだか。まあ、またハゲの店に行くのもだるいし…」

 腕組み考え込んだ挙句、ティアンとフェイは互いに向き直ると。互いを指差し声を揃えて同時に言い放つ。その様は見てるだけで可笑しく、思わずサクヤは笑いを吹き出した。思えば心から笑ったのは久しぶり。

「「店で買うのは金が掛かる!」」
「それだな、やっぱ…ちょっと隣のネーチャンから借りてくらぁ」
「当たり前でしょ…いってらっしゃい、宜しく言っといて頂戴」

 茶筒は無いが、オレンジペコの空き缶を見つけて。それを片手にフェイは大股で玄関を飛び出していった。サクヤはもう、もてなしの茶などどうでも良く、むしろそんな容器にお茶っ葉を入れたら香りが…などと思ってしまうのだが。やはり二人のやりとりが楽しくて、思わず目尻を指で拭う。

「悪いわね、あの子ったらドタバタしちゃって…ふふ、笑顔も素敵ね、サクヤ?」
「えっ、あ、いえ…」
「フェイが言う以上に利発そうだな、って思ったけど。少し思い詰めてる風に見えたから」
「…そんなに顔に出てますか?私」

 思わず身を乗り出してしまったサクヤに、軽く首を横に振って。ちゃぶ台を挟んで向かい側に座ると、ティアンは「顔じゃなくて雰囲気が、ね」と微笑んだ。思わず恥ずかしくて、サクヤは膝の上で何度も手を握りながら俯く。

「私、嫌なんです…そうやって、自分だけが辛いって態度で居るの」
「そういう風に見られるのが嫌なのね…いいんじゃない?サクヤはそうじゃないんでしょ?」
「それは…そのつもりです。いつでも、いつも。でも…」
「ならいいじゃない。やれる事やってりゃ、後は野となれ山となれよん〜」

 膝を崩してあぐらをかくと、ティアンはサクヤの悩みをあっさりと切って捨てる。それは恐らく、この場に居ればフェイも同じ事を言っただろうと感じて。それを聞きに来たサクヤはしかし、そう簡単に割り切れる程には経験も無く。しかし不思議と、初めて会う老婆に彼女は心境を吐露していた。

「私、世間知らずの御嬢様も、悲劇のヒロインも嫌なんです」
「それはでも、周りが見て抱く印象ね。百人が見れば、百人のサクヤが生まれるわ」
「エディン君やラグナの中の私は…あ、私の仲間…仲間だったんですけど、二人とも」
「二人ともフェイから聞いてるわ。色々とネ…仲間だった、か。もう過去形なの?」

 それはもう、サクヤ自身にも解らない事で。ある日を境に突然、エディンもラグナもどこか余所余所しく。しかし漠然とだがサクヤには心当たりがあったから。特に、自分に想いを寄せていたエディンの事は、こうなって当然とも思えて。寧ろ当初からこうなると思っていたし、そうあれかしと振る舞い伝えて来たから。サクヤはしかし、いざそれが現実になるとショックを隠し切れず。そんな自分にラグナも呆れたのだろうと思い悩んでいた。

「サクヤ、貴女が努力してるのはきっとみんな解っているのよ」
「でもっ!私は、頑張っても頑張っても…」
「ほらほら、悲劇のヒロインになってるわよ?」

 思わず、はっとなり口を噤むサクヤ。ティアンはそんな彼女を見てニヤリと笑いつつ、咎める様子も無く。茶も無く手持ち無沙汰の両手を組んで、ちゃぶ台に身を乗り出しサクヤを見詰める。

「サクヤ、貴女がなりたくないサクヤは充分解ったわ。貴女、自分ではどうなりたいの?」
「私が、どう、なりたいか…」
「そうよ、どんなサクヤになりたいの?なりたい自分を目指しなさいな。そうすれば…ッグ!?」

 不意にティアンが咳き込み、口元を手で押さえて。その節ばった細い指の間から、吐き出した血が滲んだ。それが出来ない身分である事まで言いそうになったサクヤは、慌てて傍らへと駆け寄る。

「ふふ、大丈夫よ。驚かせてごめんなさい」
「いえ、でも御身体の方は随分悪いみたいですし、一度病院に…」
「それがダメなのよね。あたしは正規の移民IDを持ってないから」
「ノースロップさん…」

 直ぐに抱き寄せ、素早く精神力を集中させて力を噤むと。サクヤは癒しのテクニックを行使したが、その効果が薄い事は本人も承知で。傷を癒し出血を止めるレスタも、病魔を追い払う力には乏しかった。それでも何かせずにはいられぬサクヤの手を、ティアンは弱々しく握る。彼女が言うには、感染の恐れこそ無いものの不治の病で。老いも手伝って、既に病巣を取り除く事すら困難。無論、IDを持たぬ棄民には、それ以前の話だったが。

「この町じゃみんなそうさ。最も今回はフェイに心配掛けちまったけどねえ」
「それだけフェイにとって、ノースロップさんは大事な人なんです。だから…」
「医者に行け、かい?駄目だね。あたしが居なくなったら、誰がこの町を支えるんだい?」
「ノースロップさん…まさか、フェイが稼いでるお金は全部」
「いいえ、あの子の金は…フフ。あたしはただ、この町で日に三度、誰でも飯がゴホゴホッ!」
「この町はそんなに…私、知りませんでした。知らない事が多過ぎて」

 玄関の戸が開く音がガラガラと響き、ティアンは口元を拭うと。無言でサクヤを見詰め、眼で訴える。その意を汲んでサクヤが頷けば、フェイが転がり込んで来る前にティアンは平静さを取り戻していた。

「ババァ、お茶っ葉借りて来たけどな…ポーカー負け越してんじゃねーか!」
「あら、そうだったかねえ。ああ、隣の娘ね。そうそう、妙に引きが強いのよね」

 フェイはティアンの完璧な演技に騙されたが、サクヤの表情に眉を潜めて。しかし空気を察してそのまま、台所で湯を沸かし始める。嘘泣き以上にフェイには、ティアンの空元気は見え透いていたが。そうしてカクシャクとした自分を押し通す生き方は、正にフェイが知るティアンその物で。だから何も言わずに急須へと、何処の何ともわからぬ怪しげな茶葉を適当に入れる。

「フェイ、ノースロップさんは…」
「ん?ああ、ババァは殺しても死なねぇよ。オレ、決めてんだ…ババァにはラグオルで」
「そうじゃなくて。ノースロップさんはこの町で、具体的に何をしているの?」

 見るももどかしいフェイの手付きに、思わず立ち上がって。その手から急須を引っ手繰るサクヤの目に光が灯る。その時もう彼女は、残された時間を指折り数える事を忘れていたから。今出来る事を…なりたくない自分では無く、なりたい自分を見て。サクヤはたじろぐフェイから色々と町の事情を聞きだしながら、おぼろげに自分の中に感じ始めていた。自分が自由に出来る最後の時間を費やすべき、未来へ繋がる自分の姿を。

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