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 その町の存在自体は、パイオニア2出港前から知っていたが。実際にこうして足を踏み入れてみると、ヨォン=グレイオンは胸中穏やかでは居られなかった。船団の旗艦たるパイオニア2だけでは無く、ほぼ全ての艦に似たような町があり、棄民として放り込まれた者達が身を寄せ合って暮らしている。その事実から総督府や移民局は目を逸らし、正規の移民達は大半が知らずに生きているのだった。

「で、ティアンの家はどこだって?プソネットが使えないってのも、存外不便なものだな」

 アドレスを表示するヨォンの携帯端末は、今時ちょっと見ないクラシカルなタイプで。しかしそれを覗き込むのは一人ではなく。ヨォンの手元へ背伸びして、ラグナも額を寄せて小さな文字を追った。しかし二人ともこの地では、右も左も解らぬ異邦人。
 フェイを頼ってサクヤが消えてから、既に数日が過ぎていた。お目付け役を自称するヨォンとしては、目の届く所に居て欲しいのもあったが…古い知己の事も気になって。しかし誘っても、エディンは気の無い返事でギルドのクエストに勤しむだけだった。代わりに意外にも、ラグナが付いて来たが。

「どれ!それじゃま、気合を入れて探すとするか!…の前に腹ごしらえかね、こりゃ」

 既に用を為さぬ携帯端末を、投げ捨てるようにクラインポケットへ葬り去ると。ヨォンは鳴り出す腹を押さえながらラグナを見下ろす。見上げる少女は同様の仕草で、素直に空腹を訴えた。そんな二人の鼻腔を擽る夕餉の匂い…それはみすぼらしく古めかしい町並みの、その奥から漂って来ていた。

「そんなに引っ張るなよお嬢ちゃん。やれやれ、俺がエスコートされる羽目になるたぁな」

 ヨォンの手を引き、僅かな風に乗る匂いに鼻を鳴らしながら。ラグナはずんずんと大股で、見知らぬ町の一本しかない通りを進んでゆく。彼女が興味を示さぬ寂れた町はしかし、ヨォンにはどこか懐かしく。まだ混迷を極めていた本星コーラルでの日々を彼に思い出させる。良い記憶も、悪い記憶も一緒に。
 そんな一時の追憶に胸中を騒がせながら。ヨォンは自分の手を引く少女に目を細めた。相変わらずの無言無表情だが、不思議と自分には懐いているようにも見えて。そんな仕草を見せる時は、ラグナは外見以上に幼く見えた。そんなヨォンの視線に振り向きながら、ラグナは通りの行き詰る場所を指差す。

「熱いから気をつけて下さ…あ、大丈夫です。ちゃんと皆さんの分ありますから」
「オラオラ!ババァ特製、御馴染みの栄養満点シチューだ。食いたきゃ一列に並びやがれ!」

 器を手に並ぶ人の列の、その先に見慣れた蒼髪を見つけて。ヨォンは立ち止まり手を離した。躊躇う仕草を見せるラグナの、その小さく華奢な背を押してやれば。彼女は確かに頷いて仲間の元へと駆けてゆく。
 サクヤ=サクラギは今、割烹着に三角巾といういでたちで。同じ格好のフェイと一緒に、どうやら炊き出しを行っているようだった。どこか虚ろな、待つ事に疲れた人達の手を取り、言葉を掛けながら食事を振舞う。それはサクヤが生来持つものの、ここ最近は翳り見失っていた純粋な慈しみの精神で。遠目に見守るヨォンは思わず、ホウと顎に手を当て唸った。本来サクヤは、ただ優しいだけの娘だから。

「お、何だラグナじゃねえか。良く来たな…まあ並べって。あ?違うって?」
「ふふ、随分久しぶりに感じるわ。元気そうね、ラグナ。何?手伝ってくれるの?」

 温かな夕食を手に、弱々しくも確かな笑みで家路に着く人々を掻き分けて。ラグナはサクヤとフェイへ飛び込む。彼女なりの再会の挨拶なのか、ぶつかる様に抱き付き強引に抱擁を交わすと。そのままフェイと一緒にパンを配り始めた。

「何があったか事情は知らぬが、いい笑顔だ」
「おや、解るかい?ヨォンの坊やも随分と立派になったもんだね」

 その光景を見やり、笑みを零すヨォン。気付けばその隣に、一人の老婆が立っていた。ヨォンに気配を悟られずに、彼の間合いに忍び寄る事の出来る人間…それはこの船団内では片手で数えても指が余る。見ずとも知れたが、改めて向き直るヨォンは、懐かしい面影と対面を果した。嘗て若かりし頃、まだまだ尻の青い若造だった時代に。本星コーラルで出会った美貌のレイマールは、その気高い雰囲気だけは当時のままに笑っている。

「そりゃもう、三十年近くは経っているからな。俺ももう歳だよ」
「成程、そりゃあたしもモウロクする訳だ。びっくりしたろ?こんなにお婆ちゃんで」
「とんでもない、君は今でも…今こそ美しい。久しいな、ブラックウィドウ…ティアン」
「今はただの老いぼれさ。それに引き換え坊やはどうだい?剣聖だなんてあたしゃ驚きだね」

 周囲の町並みも、その空気も。全てが懐かしさを喚起させ、思わずヨォンは目尻を下げた。相変わらずの気風の良さで古い馴染みを一笑に付すと、ショールの裾を合わせるティアン=ノースロップ。その姿は確かに、降り積もる年月が如実に現れていたが。老いて尚、それをヨォンは美しいと思った。
 積もる話は山程あったし、聞きたい事も腐る程あったが。お互い改まって問う必要も無く、だから応える事も無く。黙ってただ、若者達を並んで見守った。
 この町の住人達は大半が、正規の移民IDを持たぬ者で。そうでない者もやはり、パイオニア2の表社会では暮らせぬ者ばかり。だが、誰もが悲観にくれて無為に時を過ごしている訳では無い。この町自体は公的なサービスから見放されながらも、ティアンを中心に良く団結して。互いに支えあい、希望の日を待ちながら今日を懸命に生きていた。

「サクヤがねえ、あたしの仕事を取っちまって…こりゃいよいよ、家で寝てるしかないかね」
「しない善よりする偽善、って訳でもないな。しかしティアン、噂には聞いていたがこの町は」
「はン、お言いでないよ?坊や…ラグオルに入植が始まれば、移民も棄民もあるもんかい」
「…そうだな。しかしいいのか?これではティアン、君の蓄えが先に尽きてしまうぜ?」

 サクヤもフェイも、町の住人から代価を得ている様子が見られない。それは恐らく、ティアンが元からそうなのだろう。しかし現実問題として、一杯の粥にも一片のパンにも金は掛かる。そしてその出所は間違いなく、嘗てブラックウィドウの名で恐れられた、ティアンの懐。しかし彼女は「年金代わりにゃ多過ぎる額でね」と笑って意に返さなかったが。
 ティアンがまだ、ブラックウィドウと呼ばれ暴れていた時代。更にはとある組織の前身と為るチームで、コーラル全土を震撼させていた時代。彼女が得た富と名声は、既に伝説と言っても過言ではない。それは名を継いだフェイは勿論、彼女と接する誰もが実感する事だったが。当の本人はと言えば、幾らでも贅沢な暮らしが望めると言うのに…名も無い町に棄民として、明日をも知れぬ今日をただ生きていた。

「あたしの財産なんて、人殺しで稼いだハシタ金。財産と言えばこの町と…あの子位かねえ」

 そう言ってティアンは、長身漆黒のレイキャシールを指差す。ギルドのハンターズ達が見れば恐らく仰天するであろう…割烹着姿の彼女は今、誰にでも分け隔て無くパンを配って回っていた。その姿は普段の華々しいイメージとはまるで違うが、フェイ自身が身に秘め体現するヒーロー像に合致するらしく。口は悪いが誰にも優しく接して、辛い日々を忍耐強く生きるよう励ましていた。

「いい弟子を持ったな、ティアン。腕だけじゃない」
「そう言う坊やもね。いい娘じゃないか、サクヤは。ちょいと妙な影を感じるけど」
「ん?ああ…まあ、御家の事情が複雑でね。しかし今の本人は、その事ももういいみたいだ」
「あたしゃ言ってやったんだよ、フェイにも言ったけど…ヒーローやんなさい!ってね」

 それはまた…と苦笑するヨォン。しかし今まで、それこそ強引なまでに実直な助言を、サクヤに押し付けた人間がいただろうか?誰もがみな己の立場を鑑みながら、遠巻きに顔色を窺って囁くだけ。あれはいけません、これはいけません…そうして育つ不健全さを感じたからこそ、無理を言ってサクヤは外の世界へ。このパイオニア2という社会に出て来た。皮肉にもその終着点が、パイオニア2最大の暗部であるこの町だったとしても。きっと彼女は、既に尽き掛けた自分の時間と引き換えに、大切な何かを掴むだろう。

「ヒーローやんなさい、か…いいねえ、何かバカっぽくてさ」
「ちょいと坊や、バカっぽいって何?失礼ねえ。っぽい、てのが聞き捨てならないわ」
「…そこに噛み付くのかよ。そうだな、たまにゃバカんならねえとな…俺も」
「大丈夫よっ!坊やは昔から飛び切りのオオバカヤロウじゃない。ほら、あの夜も一人で…」

 剣聖ヨォン=グレイオンにも、若くて初心な時代があって。それを知るティアンは、思い出し笑いを噛み殺しながら語り出した。慌ててそれを遮ろうとするヨォンは、心なしか気持ちが若返るのを感じて。しかし若気の至りを目の前で、しかも至ってしまった本人に吐露されるのは流石に堪えたから。カカッと笑って誤魔化しながら、しきりに彼は頭を掻く。

「でもいい、坊や?バカやってもいいけど、無理は駄目よ。無茶も駄目」
「…俺を止めるのか?うーん、もうちょい若くて泣かれたら、流石の俺も止めちゃうかもなあ」
「覚悟のある男って生き物は、女にはすぐ判っちゃうものよ。で…誰とやるつもりだい?」
「ブラウレーベン・フォン・グライアス。その名が我が身を斧とし、断たねばならぬ宿命の鎖だ」

 ティアンの顔から笑みが消える。その名は、二人の世代にとって特別な人間の名前だから。否、人間では無い…それは知性を持つ獣の名。貪欲に力を追求する修羅の権化。その脅威はパイオニア2を静かに、しかし確実に蝕んでいた。
 だからヨォンは、その野望を阻止する事を己に誓った。野望と言うよりは純粋な、ひたむきな求道者にも似た蒼い生き様を。それが次代を導く老いた身の責務であり、嘗て交わした友情に報いる唯一つの決着。その為ならば、修羅をも喰らう悪鬼羅刹と成り果てても構わない…ヨォンにはその覚悟があった。

「どれ、ティアンの手料理でも食ってみっかな?腹も減ってるしよ」

 そう言ってヨォンは一歩踏み出ると。サクヤやフェイに向って声を掛ける。応える返事の清々しさに、サクヤの迷いが吹っ切れたのを感じて。それが迷いながらも前進する事を選んだのだとヨォンは知る。彼の愛弟子はだから今、出会ったあの日の頃の様に…眩い笑顔で師を迎えた。

「坊や…ヨォン、ヨォン=グレイオン!」

 列に並ぼうとするヨォンを、初めてティアンは名前で呼んだ。三十年近くそれを待っていたヨォンは、それでもさり気なく振り返ると。穏やかな笑みで憧れた女性を見やる。二人の間を漂う空気が、少しだけ両者を素直にさせた。だがもう、時は戻らない。それでも二人は互いに、良き友で居られたが。

「フェイがね、あたしに家を…ラグオルで家を買ってくれるんだって」
「なっ…ヘイ、ファッキンババァ!何言ってやがる、オッ、オオ、オレは別にそんな…」
「あらフェイ、それであんなに貯金してたんだ。素敵じゃない」

 ヨォンにはティアンの言わんとしている事が痛い程に解った。それ以上言わずとも解るし、言う必要も無いと感じたが。長年溜め込んだその想いが発せられるなら、受け止めたいと思ったから。静かに笑って、言葉の先を促した。

「あたしゃ幸せだよ…毎日ね。あたしはこのまま、幸せになっていいのかね?」

 それは人生の大半を鉄火場で生きて来た、殺戮の人生を生きた女の本音で。それは数の差こそあれ、ヨォン自身も己に問う事があったから。それは恐らく、フェイやラグナもいつかは直面するだろうし、サクヤもその運命からは逃れられないだろう。誰かの命を犠牲に、それを糧として生きる…そんな時は望むと望まぬとに関わらずやってくる。増してティアンは望んでそれを積み重ね、屍を血で飾る人生だったから。いつかその報いを受けると、彼女は自分でも解っていたから。

「当然さ、ティアン。全ての女性は幸せになる権利がある。俺はそう思うがね」

 思うままの気持ちが言葉になって口を出たが。その時ふと、ヨォンは思い出す…その理由について事細かに理屈を並べるであろう、ついこの間大人の仲間入りをしたばかりの若造を。いちいち持って回って、小難しい事を捏ね繰り回すであろう彼はしかし、何故か自分と同じ結論に達するような気がして。この場に彼が…エディン=ハライソが居ない事だけが、ヨォンは何故か残念に感じるのだった。

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