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 嵐は通り過ぎた。首魁であるグライアスが去ると、レフトハンターズ達は潮が引くように我先にと逃げ出す。後に残ったのは、廃墟と化した町と住人達。彼等彼女等はしかし、己の命が残った事を安堵する気持ちにはなれなかった。自分達が拠り所とする、この町の支えを永遠に失ったから。

「あ?何だよ…ババァ、ほら起きろよ…帰っぞ。酔い潰れたか?…なあ」

 貪欲に強者との死合を貪る、暴力の牙に敗れて。ティアン=ノースロップは今、冷たくなった身体を大通りの真ん中に横たえていた。既に流れ尽きた血は固まり始めている。
 それは一番身近で親しいフェイならずとも、直ぐには受け入れ難い現実で。だから彼女はティアンの傍らに膝を突くと、その痩せた肩を揺さ振り語り掛けた。ヨォンもエディンも、掛ける言葉無く黙って俯く。

「フェイ、しっかりして。ティアンさんをこのままにはしておけないわ」
「あ、ああ。そうだなサクヤ、とりあえずレスタを…急がないと死んじま」

 珍しく狼狽してオロオロとする友人の、隣にサクヤは寄り添い膝を折って。ティアンの遺体を揺さ振るフェイの手をそっと優しく制止する。救いを求めるように縋る視線に、サクヤは黙って首を振った。その時始めて、フェイは現実を直視して。唇を噛みながら目を瞑り、震えながら恩師の亡骸に突っ伏した。
 誰もが希望を失っていた。一人の老婆によって支えられていた、薄氷の上の耐え忍ぶ生活。その僅かばかりのささやかな日々すら、無情に奪われてしまう。
 元より劣等感に苛まれていた住民達のショックは計り知れない。それが痛い程に良く解るから。フェイは直ぐに面を上げて、バシバシと頬を張ると。改めてティアンを両手で抱き寄せて周囲を見渡した。

「とりあえずみんな、火だけ急いで消してくれ。怪我人は…サクヤ、頼めるか?」
「ええ、任せて。フェイ、貴女は…」

 ティアンを抱いて立ち上がると、フェイはその顔をじっと見詰める。病魔に蝕まれて頬のこけたその顔はしかし、驚く程穏やかで。今はその死を悼みながら、安らかな眠りを祈る他は無く。フェイは心配して覗き込んでくるサクヤへ、弱々しい笑みを返した。

「とりあえずよ、どっかの企業の連中が来ると思うんだ。来たら呼んでくれや、サクヤ」
「解ったわ、それは…それは私が。フェイは少し休んで。ね?」
「ああ、悪ぃな。一人で…二人でちょっと泣いてくらぁ」

 直ぐにでも遺体を適切に処置して、少しでも早く弔うべきだったが。フェイにはその前に、不条理で理不尽な結末を納得する時間が必要だった。10分…いや、5分でいい。彼女は酷く軽い師の亡骸を抱えて、辛うじて全壊を免れた我家へと歩き。ふと一度だけ足を止めて、振り返った。

「ヘイ、エディン…ババァをやったのは何人だ?5人や10人じゃ無ぇだろ。100人か?200か300か…」

 その時始めてサクヤは気付いた。誰もが不安げに立ち尽くす中、エディン=ハライソは大地に屈み俯いていた。その旨にラグナ=アンセルムスを抱き締めたまま。予想だにせぬ再会にしかし、今は動揺する暇も無く。押し寄せる怪我人達を前に、サクヤは治癒のテクニックを励起させる。

「相手は、一人、です…」

 サクヤの治療をやんわりと断り、既に感覚の無い左手を自分もテクニックで癒しながら。ヨォン=グレイオンもまた、言い知れぬ敗北感に沈んでいた。己の血肉を斧に変え、負の連鎖を断ち切る…そう誓った筈が。次代への捨石にすらなれず、女一人守れず…修羅道に堕ちた友さえ救えない。
 剣聖…コーラルにおわします星の巫女が与えた、武芸を極めし剣士の頂点。その名が今は地に落ち泣いていた。

「一人か、あの旦那だな?エディン、手前ぇはあの旦那とやったのか…ラグナも」
「アンセルムスさんは、何か因縁があるみたいでした。僕は、僕は…」
「見りゃ解るぜ、エディン?拾った命、大事にしろな。ラグナも…ありがとよ。ケリはオレが着ける」
「フェイさんっ、駄目だ…あの男には、グライアス卿には勝てないっ!グレイオン師だって」

 ちらりとフェイはヨォンを振り返って。無言の視線で語り合うと、彼女は剣聖の自重を求める眼差しに首を振った。ヨォンが断ち切り損ねた負の連鎖は、その血で汚れた鎖でフェイを縛り引きずり込む。既にラグナが囚われた、怨嗟と憎悪で満ちた暗黒面へ。
 復讐では何も得られないと知りながら、何よりティアン自身が望まぬと解りながら。それでも今、フェイは己の身に昂ぶる怒りと憎しみを抑えるので精一杯で。それを殺意に昇華させて銃口を向ける相手を、彼女は心の底から求めた。
 既にもう、師が教えたヒーローである必要は無い。フェイはみんなのヒーローであると同時に、ティアンのヒーローで居たかったのだから。それはもう、永遠に失われてしまったが。

「グライアスだかダライアスだか知らねぇが、このオレがブチ殺す!絶対に!殺す!」

 涙で声が掠れた。あのブラックウィドウが泣いている…小刻みに震える背中が、何よりも雄弁に語っていた。彼女はそのまま自宅の扉を蹴破ると、皆の前から姿を消す。ややあって響いた悲鳴のような嗚咽と絶叫から、誰もが進んで耳を遠ざけた。

「クソッ!僕は、僕は何も出来なかった!力が無いという事は、こんなっ…畜生」

 胸の中でラグナが呻いた。その華奢な身体を抱く手に、自然と力が篭ってしまったが。それにも構わずエディンは、折れた剣を大地へ叩き付けて放り出し。それでも収まらぬ怒りを込めて、拳を固く握る。しかし握って振り上げた拳を、彼は向ける相手が居なかった。否、強いて今それを向けるとしたら…無力な自分へ。
 今の今まで、正しい言葉はどんな力にも勝ると思っていた。言葉で語り尽くした時でさえ、枯れた言葉を拾い集めて話し合う…そうして人は、完全に解り合う事が出来なくても、理知的に物事を合意出来る。より高い妥協点を模索して、良い方向へ進んでゆける。その理想は崩れた、自らそれだけでは駄目だと悟った。しかし、必要な強さに気付いた時…エディンには、それを表現する力が無かったのだ。

「なんや、酷い有様やなあ?サクヤー、手伝いに来たでー?」

 突如、重く沈んだ空気に場違いな声が響いた。その聞き慣れた声にサクヤが振り向けば…いつも通りの神出鬼没。サクヤのもう一人の友人、リリィ。彼女は弱々しく微笑むヨォンに「ヨォンはん、お疲れはん。せやけどもう少し…今がその時やで」と意味深な言葉を投げ掛けて。サクヤの隣にちょこんと並ぶと、彼女に代わって怪我人の手当を始めた。

「リリィ、私もまだ精神力に余裕があるから。二人でやった方が」
「…見てみぃ、サクヤ。この町の人達を。体の傷は癒せても、心の傷は治せへんで?」

 続々と運ばれてくる怪我人へ、テキパキとレスタを施しながら。軽傷者はその口に、モノメイトを放り込みつつリリィは言葉を続ける。その眼はまるでその場に居る事を最初から知っていたかのように…人混みに屈むエディンの震える姿を見つけて。指差しながらサクヤに語りだす。いつに無く厳しい表情で。

「負けてもええんよ、諦めなければ…力の無い者は。んじゃ、サクヤ。力の有る者は?」
「…力の有る者は、私は」

 面を上げたエディンと、視線が交わるサクヤ。しかし瞳を逸らさず両者は見つめ合うと…複雑に絡み合う思惟に想いが重なり合う。
 誤解で隔てられた両者は、互いに相手へ伝えたい言葉が有った。それは今、この瞬間が最後のチャンス…サクヤの身から零れ落ちる刻の砂が、既に尽きてしまったから。彼女は最後にエディンに無言で微笑んで、クラインポケットから小さな風呂敷包みを取り出す。

「私は、正しい事の為に…私が正しいと思う事の為にだけ力を使います。私の全責任において」

 それは本質的には、この地を破壊と死で満たした男と変わらぬ選択かもしれない。それでも、あの男が自らの為に力を使う、その事に正しさを求めていないのなら。サクヤは今、力を持たざる者の為に自らの力を使う、それを正しい事と信じる。
 リリィに力強く頷いて、彼女は風呂敷包みの結び目を紐解いた。出て来たのは、古い古い布切れ。その意味を、それを託した者の意を汲んでサクヤは突如吹き荒れる風にそれを遊ばせながら高々と掲げた。

「この町に住む全ての皆様、その生活を私が保障します。八岐宗家が筆頭、大蛇丸家の名において」
「こちらの方は只今をもって大蛇丸家に輿入れ嫁ぎ、十七代目盟主となられた!みんな、安心やで〜」

 突如飛来したフォトライドが、突風を巻き上げながら強行着陸してくる。その車体には、パイオニア2船団でも有数の大企業の社章が輝く。サクヤは歴代盟主が身に着け、その血と汗が染み込んだ古いリボンで髪を総髪に結うと。黒スーツ姿の男達へと、毅然とした態度で向き直る。その瞳には強い光が宿り、凛とした声はこの地を狙う者達の機先を制した。

「私の名はサクヤ=オロチマル。八岐宗家の長として、貴方達の長に話をしたく思います」

 黒スーツの男達は動揺した。手筈では無法者の捨石集団でこの地を掃除した後、手頃な金を握らせ町の住人を追い出す予定だったが。その為にも、この町を取り仕切る人物だけは確実に始末するよう、社長自らあの男に…青い死神に依頼した筈なのに。これでは話が違うと浮き足立つ。それに構わず歩み寄るサクヤを、リリィとヨォンの声が後押しした。

「八岐宗家は政界や財界に、ごっつー太いパイプがあるんや。悪いようにせえへん、話聞いとき」
「失礼の無い様お連れしろよ?何かあったら、この俺が…剣聖ヨォン=グレイオンが叩き斬る」

 脅し文句にしかし、黒スーツの男達は即座に平静を取り戻すと。自分達で処理しきれぬトラブルを前に、適切な対処を試みるべく携帯端末を手に取る。しかしサクヤは手を伸べそれを制して、直に会うと押し通して。渋々フォトライドへ案内する男達に連れられ…最後に一度だけ振り向いた。

「リリィ、後をお願い…皆様、どうか私を信じて下さい。それと、今後の責任が全て私にある事も」

 それだけ言って、最後にリリィとヨォンに大きく頷くと。まるで周囲の男達を従えるように、フォトライドへと乗車。彼女を飲み込んだ車両は、再び風を纏って上昇すると…瞬く間に飛び去り見えなくなった。余りに突然の事で、何が起こったかも解らず。エディンはただ呆然と、それを見送る以外に無い。

「あんさん、エディンはんやろ?サクヤがえろう世話になりましたなあ」

 リリィと呼ばれたニューマンの少女が、神妙な面持ちで近付いて来る。彼女は、自分を恨んでくれていいと前置きしてエディンへ語り出した。サクヤの本当の名は、サクヤ=コノハナマル…八岐宗家が一つ、此花丸家の一人娘。八つの血筋の中では現在は、最も力の弱い家の出だが。異能の血が色濃く出た為、幼い頃より盟主となるべく生き方を決められていたと。その伴侶までも、宗家筆頭である大蛇丸家の長子と定められていた。そして今、この町を救う為に力の継承を…その超常の力が納まるべき場所へ嫁いだのだ。

「勝手な話やけど…ありがとうな。サクヤが一人で戦えるのも、エディンはん達のお陰や」

 既にもう、自分の与り知らぬ場所で話はどんどん大きくなって。自分だけが一人、取り残されたような悔しさに奥歯を噛み締めるエディン。サクヤが遠くへ行ってしまう…それは覚悟していたが。こんな形でこのタイミング…彼はまだ拳を、爪が食い込む程に強く握っていた。どうすればいいか解らない…自分に何が出来るのか、何がしたいのか。
 固く握った震える拳に、小さな手が触れて。エディンの腕を振り解いて立ち上がると、ラグナは弱々しい足取りで折れた剣を拾う。その切断面…まるで鋭利な刃物で切り裂かれたかのような、鮮やかな切り口に眼を細めると。彼女はエディンの拳を優しく解かせ、再び剣を握らせて。そのままよろけながら、行ってしまった。最後に一度エディンを、そしてヨォンを振り向いて。引き止める視線を振り切るように、ラグナは一陣の風となって消えた。

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