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 パイオニア2船団六番艦ヒマリアの半分を占める、広大なサバンナ地帯。本星コーラルの自然を丸ごと、自然と共に生きる少数民族ごと持ち出した仮初の大自然を横切って。極一部の者だけが利用する船団の僻地にフェイはやって来た。特別な人を悼み、その安らかな眠りを祈る為に。

「悪いなババァ、家を買ってやる積りがよ……墓になっちまったぜ」

 パイオニア2特別慰霊墓地。船団内でも限られた富裕層の、その中でも極僅かな者達が墓碑を建てられる最後の地。ティアン=ノースロップの亡骸は荼毘に伏された後、大勢の者達に見送られてここに埋葬された。
 恐らく本人が生きていたなら、酷く無意味な無駄遣いだとフェイに目くじらを立てて怒るだろう。ここは土地の限られた移民船団内なれば、一般人が納まる墓はコインロッカーよりも狭く小さい。それでもフェイがこの墓地を選んだのには理由があった。高い金を払った訳も。

「でもよ、半分だけだけど約束は守る。墓になっちまったけど、ラグオルで成仏してくれや」

 パイオニア2特別慰霊墓地は、最終的にはラグオルの地表へとそのまま移転することが決まっている。だからもう、フェイには後顧の憂いは無い。自分の生死に関わらず、灰になった師の肉体はラグオルの土に還るのだ。それが保障されるからこそフェイは、今まで稼いで溜めた貯金を迷わず使う事が出来た。

「お陰でもうすっからかんだぜ……コイツを買うのがせいぜいだった。味わって飲めよ、ババァ」

 白い十字の墓碑に向って立ち、その下に眠る師に語りかけながら。フェイはクラインポケットから一本のボトルを引っ張り出した。守銭奴のフェイが普段から愛飲する、クリッパー印の合成酒では無い……わざわざ山猫亭の女将を頼って取り寄せた、本物のスコッチウィスキー。その栓を抜くとフェイは、沢山の花が並ぶ墓碑へと、ゆっくりと酒を注いだ。
 琥珀色の液体が静かに、色とりどりの花束を濡らしてゆく。一杯数千メセタの美酒もしかし、何の慰めにもならない。その事はフェイが一番良く知っていた。例え師が望まず周囲が止めても。命は命で贖い償わせる。そう自分に誓いを立てなければ、フェイは平常心を保っていられなかった。

「止めろってか?バカ言えよ。オレぁ殺るぜ、ブチ殺してやる。仇を討つ、復讐する」

 ヒーローは復讐などしない。何一つ得るものなど無く、唯一失われたものさえ還らない……ただ虚しいだけだから。復讐が無意味な憎しみの連鎖反応である事を、ヒーローならば自覚して己に戒めなければいけない。しかしもう、フェイにはそうする理由が無い。その理由を奪われたから。一瞬で。永遠に。
 師の引き止める姿が、フェイには手に取るように想像出来る。もし生きていたなら、引っ叩かれて抱き締められてる……きっと「馬鹿はおよしなさい、それ以上馬鹿んなる必要ないわ」と笑いながら。だがもう、そんな日常はフェイの心の中で思い出になってしまった。触る事の出来ない原風景として、眩く綺麗に輝きながら。決して手の届かない、触れられないものになってしまった。それは同時に、フェイがヒーローとして生きる時間の終わりをも意味していた。

「サクヤがよ、宜しくやってくれたぜ。町の連中、みんな移民ID貰えんだ……安心したかよ」

 ティアンが支えた町のみならず、全船団の棄民達へと……フェイの友、サクヤは無償で手を伸べた。自らの宿命を受け入れ、その使命に目覚めたから。それはフェイにはどこか、羨ましかった。友は今、人から必要とされている。自分が失ったものを、大勢の人から求められていると錯覚する。しかしそれも、自分が持余す自由を引き換えにしているのだとフェイは知っているから。妬み羨む気持ちもどこか空虚なものだった。

「っし、これでオレの全財産は終わりだ。ババァの金は町の皆に分配したからよ、いいだろ?」

 最後の一滴まで酒を注ぎ終えると、空になったボトルでトンと肩を叩いて。フェイは似合わぬ作り笑いで墓標を見詰める。返事は無いが、脳裏を師の声が過ぎった。気風のいい、良く通る愛嬌に溢れた声。いつも自分を励まし叱り、元気と勇気をくれた……何より、誉めてくれた声。そんなティアンに今、別れを告げる時が来た。だから顔を上げて笑顔で鼻を親指で擦るフェイ。泣き尽くして涙が枯れたのは、何も彼女がアンドロイドだからでは無い。

「15分だ……それ以上は時間を割けん」
「充分だ」

 不意に声がして、フェイはその響く先へと首を巡らせる。目線の先、十歩に満たぬ距離に二つの人影があった。ティアンが死んでからというもの、どこか気の入らぬ日々を送っていたフェイだが。こんなにも近い距離に接近する気配を、全く察知出来ぬ事はありえない。しかし彼女は自嘲気味に鼻を鳴らすと、ありえない現実は続くものだと妙に納得した。
 どうやら二人は、ティアンの顔馴染みらしく。その片方、見るも厳つい紫色のヒューキャストは、手向ける花を携えていた。もう片方は可憐な幼い少女……彼女は憂いを帯びた視線でフェイを一瞥して、繰り返し「15分で迎えが来る」とだけ告げて踵を返す。向かう先には黒服の青年が身を正し、端整な白い顔で控えていた。

「お前は……そうか、ティアンが銘を継がせた者がいるとは聞いたが」
「フェイだ。今は……ただのフェイ。あの銘は……っと、旦那は?」
「オレの名はキリーク、ティアンの……友だ。大昔の、な」
「ああ、そうか……どうりで。礼を言うぜ、キリークの旦那。良かったな、ババァ」

 キリークと名乗った男は、その巨躯を屈めて。ティアンの墓に跪くと、そっと手の花を置いたまま……しばらくじっと、墓碑を見詰めて沈黙。それは恐らく先程の自分と同様、今は亡き友と語らっているのだろう。その背を見守るフェイはしかし、眼前の男が秘める力に半ば圧倒されていた。成程これでは、平時の自分でも接近に気付かないかもしれない……フェイは改めて、パイオニア2の広さと自分の了見の狭さを痛感した。

「病か?」
「ん……あ、ああ。不養生が祟ってよ、その、あれだ……まあ、最期は安らかに」
「気遣いは無用。組織の方で調べはついている。よもや、とは思ったがな」
「組織?それは……アンタ、昔のダチって言ったな。ババァの昔の事、何か知っ……」

 身を乗り出すフェイの言葉を遮って。キリークは立ち上がると同時に振り向いた。その巨躯は長身のフェイよりさらに頭一つ大きく、見上げれば迫力に圧倒される。押さえ込んで尚、その身から溢れるように滲む力の片鱗。それが嫌という程に感じられた。同時に、どこかで知ったような違和感を覚えるフェイ。

「知りたければ、オレと組織に来い。お前にはその力がある」

 キリークは語った。今、己が身を置く組織が力ある者を欲していると。その組織は嘗てティアンが……ティアン・ザ・ブラックウィドウが、自分達と生み育てた物だと。黒の猟犬だとかブラックロッドだとか、聞き慣れない単語がフェイの中を通り過ぎてゆく。
 ティアンは決して、フェイには己の過去を語らなかった。ただ、厳しくも優しいフェイの師は、己の生きて来た人生を誇りに思い胸に秘めて。それを刻んだ銘を愛弟子へと譲ったのだ。ヒーローを目指せと一言添えて。そうして後は、不治の病に身を蝕まれながらも棄民達を支え続けた。それが当然の、罪滅ぼしにもならぬ自己満足だとは言わずに。
 唐突な理解がフェイを襲う。ティアンの、愛する者の死で曇った心が突如晴れ渡ったようで。同時に鋭気が蘇れば、先程から感じる違和感の正体に感付いて。自然といつもの不敵な笑みが零れた。

「オレは、ババァと一緒に……ババァの言葉まで。意思まで、葬ろうと……してたな!」
「そうだ、気付けフェイ。自ずと答えは出る筈だ」
「悪ぃが旦那、お断りだ。旦那からは同じ匂いがするぜ……あの男と、ババァの仇と同じ匂いがな」
「……それでいい。ティアンの示した道をゆけ。自分の足でな」

 不意に、眼前のキリークが笑った。決して表情は変わらなかったが。ほんの一瞬だけ笑ったような、そんな気がしたから。フェイは現実として受け入れたティアンの死を、改めて認識した上で乗り越える方法を理解した。

「ババァは死んだ、墓ん中だ!でもオレは生きてる、ババァが育てた俺は……それでも生きる!」
「ならばどうする、フェイ。あの男に……ブラウレーベン・フォン・グライアスに復讐するか?」
「復讐はしねぇ、だが闘う!オレはヒーローだ、だったら迷う事はねぇ。私怨を捨てて悪を討つ」
「クハハハハ!吼えたな、良かろう……今日は銘だけ持ち帰ろう。そうか、悪か」

 貪欲に力を求め、その為だけに力を振るう。それをフェイは悪だと断じた。それは同時に目の前の男を、キリークをも否定する事になる。しかしそれをキリークはフェイに求めた。嘗て共に戦い、袂を別って尚……鋼の絆を亡き友へ感じるから。
 手向けた花に、愛弟子の再起を添えて。キリークは踵を返して歩き出す。古き友に永遠の別れを告げて。彼は帰る……嘗ての友と礎を築いた、仲間達の待つ戦場へ。キリークもまた、力を求め血に餓えた一匹の猟犬だから。組織という名の細い鎖が、辛うじて繋ぎ留める獰猛な獣。

「最後に一つ、忠告しておく。奴と戦うなら急ぐ事だ……このオレが殺意を抑えていられる間にな」
「旦那、そいつぁ……」

 一度だけ立ち止まったキリークは、肩越しフェイを振り返って。もはや漲る力を隠さず周囲に重圧を発散しながら、搾り出すように言葉を紡いだ。その背にフェイは見る……目に焼きついて消えぬ青い影を。その者同様にキリークもまた、修羅の道を征く武侠。

「勘違いするなよ、フェイ。オレもまた強き者を求めている。久々に血が踊るわ」
「……どうすりゃそれは治まる?旦那、どうしてアンタ等は力に、強さに餓えてんだ」
「その答を求めて、オレは闘い続けるのかもしれん。奴も或いは……恐らく」
「それで誰かが泣くようなら、オレが止めるぜ……奴も、旦那もだっ!」

 ティアンの命が奪われた時、フェイは声をあげて泣いた。その亡骸に顔を埋めて、声を限りに泣き叫んだ。その痛みは今もまだ、胸の奥で膿んでいるから。しかし師を失って尚、見失いそうになった師の教えを取り戻したから。今のフェイは、名も無きただのヒーローとして生きる。そう決めて歩く先にあの男が、キリークが居るのなら。持てる力を限りに、ただ打ち倒すのみ……そう思う一方で、今となっては何故か懐かしい声が心の中で叫ぶ。

「ほう、ならば順序は逆でも良かろう……オレは今直ぐでも構わん。貴様もまた、相手に足る強者よ」
「オレの舎弟……いや、ダチが、仲間が言ってた。先ずは言葉を、ってな」

 あの男は、エディン=ハライソはどうしているだろうか?ふと、フェイの脳裏を頼り無い横顔が過ぎった。恋に破れ、死に直面して命を拾った彼は、今はどうしているだろう。そう思うフェイは気付けば、エディンの言葉を実践していた。
 キリークは間違い無く、純粋に力を求めて争いを望む者……あの男と同じ暴力の権化。だが不思議な事に、そんな彼が自分の尻を叩いて奮い立たせてくれた。ティアンに殉じるように死のうとしていた、自分の魂を蘇らせてくれた。だからフェイは、例え後に禍根を残すと知っても……銃口を向ける気にならない。そんな時、エディンの言葉は何より役に立つ。

「フン、生ぬるい……しくじるなよ、フェイ。オレは奴とも闘いたいが」
「ああ、解ってる。我が師ティアン・ザ・ブラックウィドウに誓って。奴はオレ等が倒す」
「オレ等?」
「英雄は一人じゃねえ、ババァにもアンタが居てくれた。オレにもきっと……いいや、必ずだ」

 フェイの言葉にキリークは、何かを思い出して懐かしむように視線を外し。暫し遠くの空を黙って眺めると。そのままやはり笑って、最後に「オレ達は英雄には程遠い」と呟き歩き出す。その背を見送るフェイはもう、普段の気概に満ちた表情で。銘が無くとも、その生き様に暗い情念は微塵も無かった。

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