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 執事の運転するリムジンが音も無く着陸すると。御館様、と呼ばれて婆娑羅=イュルドゥルム=桜之宮は面を上げた。深い深い思惟の海から、その意識を我が身へと戻して瞳を開く。隣ではしゃぐメイドが指差す先に、彼女の尋ね人は、エディン=ハライソは居た。ここは旗艦パイオニア2……晴れ渡る硝子の空は澄み切って、午後へと折り返した太陽を鮮明に描き出す。

「御館様っ、居ましたよ。ほら、あそこ……何やってんだろ、特訓?かな」
「成程、型をな。剣聖の名は伊達ではないようじゃ。童は化けるやもしれん」

 セントラルパーク内の駐車場に降り立ち、婆娑羅は目を細めた。まばらな木立の向こう側で、むき出しの上半身に汗を光らせ木刀を振る男へ。そこにもう、口先三寸ばかりの、頼り無い面影は微塵も無い。初めて会ってからまだ、一月も経ってはいないと記憶していたが。彼女の視線に気付かず剣を振る少年の……否、青年の瞳は強い光を灯して輝く。まるで別人のような豹変振りに、婆娑羅はここ最近のパイオニア2情勢を重ね振り返って。ふむ、と唸って暫しその場に立ち尽くした。



「次っ、猛虎ノ型!汝、猛る虎と為れば」
「我、荒ぶる虎と為れば!その剣、鋭きこと白虎爪の如く!」

 傍らで腕組み見守る、剣聖ヨォン=グレイオンの声に応えて。エディンは素早く構えを変化させると、今まで何百回と繰り返した動作を再びこなす。それはあたかも、見えない相手と切り結ぶようにも、一人舞いを踊るようにも見えて。彼は今、その身に叩き込まれた剣術の型を丁寧になぞって肉体を躍動させる。

「ほう……次は怒龍ノ型!汝、怒れる龍と為れば」
「我、怒れる龍と為れば!その剣、煌くこと青龍鱗の如く……はぁ!」

 ヨォンに師事してからエディンは、ひたすらに型の反復をこなしていた。ただ一人で、何度も何度も繰り返し。しかし文句も言わず、寧ろ率先して己の身に刻むように。無心に師の言うまま、正確に型通りに体を動かすエディン。
 もともと剣の腕はド素人だったが、持ち前の応用力と要領の良さがエディンを大いに助けた。僅かな期間で複雑な型を全て習得し、愚直にそれを繰り返す過程で。自然と肉体は引き締まって無駄が削げ落ち、体内を循環する氣の流れはくまなく全身に満ちる。心身共に著しく成長を遂げた彼はしかし、それでも焦りを感じぬ訳では無かった。

「どうしたエディン、切っ先が鈍っておるな。まあ、少し休憩するとしよう」
「僕は大丈夫ですっ!次は、次はっ」
「そう最初から飛ばすものではない。真面目なのは結構だが、迷うままに振るっても上達はせんよ」
「……すみません。やっぱりこう、そういうものは伝わるんですね」

 溜息を吐いて構えを解くと、エディンは木刀を地に突き柄に両手を重ねて。激しい運動で乱れた呼吸を落ち着かせる。木の葉を揺らす僅かな風も、汗に塗れた身には酷く冷たい。急激に下がる体温を感じながら、それでも彼は深呼吸をして気合を入れ直すと。再び木刀を構えて師の声を待つ。

「エディン、お前さんは俺の弟子では一番素直だ。そして正直過ぎるな……焦りを感じるのだろう?」
「僕は剣には明るくありませんから、先ずは師の教えが第一です。それは解ってるんです、ですが」
「毎日毎日、来る日も来る日も型の反復……もっと実戦的な特訓をした方が強くなれると思うだろう」
「浅はかとは思いますが、こうしている間もグライアス卿は船団のどこかで……うわっ!」

 不意に背の野太刀を降ろすなり、ヨォンが斬り掛かって来た。思わず身を反らして、紙一重で避けると同時に。エディンは木刀を蹴り上げ次の斬撃を掻いくぐる。そのまま回転して宙を舞う木刀を手にすれば、身体は自然と身構えて。次々と繰り出されるヨォンの重い一撃を、受けては捌き、避けてはいなす。自分でも驚く程に、己の肉体は俊敏に反応した。

「どうだエディン!型を完全に自分の物に出来れば、もっと速く、強く動ける」
「これが……僕の剣?信じられない、身体が勝手に……これな、らああっ!?」

 軽い我が身に驚きつつも、調子に乗って攻めに転じた瞬間。あっという間にエディンの視界は引っくり返った。右手一本とは言え、ヨォンは剣聖と称えられる稀代の剣豪。少し本気を出せば付け焼刃のエディンが叶う筈も無い。しかしそれでも彼は、ヨォンと同等かそれ以上の相手と戦おうというのだ。その決意は変わらず、鈍りもしない。すぐさま弾かれたように飛び起き、再び木刀を構えるエディン。

「型には実戦で必要な動きが全て含まれている。エディン、ひたすら型を身体で覚えろ」
「はいっ!もう迷いません、寝食を忘れて没頭します」
「そりゃ駄目だ、良く食って良く寝ろ……それ以外の時間は全部、無心に型を繰り返せ」
「はいっ!」

 世に人の数だけ才があり、その中に剣の才があるのなら。それに恵まれた者は意外に少なく無いとヨォンは語る。例えば自分がそうであり、二人の宿敵や大蛇丸家の倅がそう。しかし剣術とは、剣の道とは一部の天才達によって育まれてきた訳では無い。その多くは、才に乏しくも日々の鍛錬を積み上げた、地道な努力からなるものだから。ヨォンは限られた時間でエディンが強くなる、その最短の道を指し示したに過ぎない。
 嘗てはヨォンも、心を無にして型に没頭した。何百回、何千回、何万回……振るう剣の重さを感じなくなるまで、何度でも繰り返す。そうする事で肉体は剣士として徐々に再構成されてゆくのだ。その身に宿る氣……生体フォトンもしかり。

「焦るなよ、エディン。特訓の仕上げに絶好の相手を用意してある。だから今は」
「一に型、二に型、兎にも角にも型ですね!ものにしてみせる……僕の力にっ」
「はいはい、気張ってるとこゴメンね。剣もいいけど、こっちも鍛えないと、ねっ」

 不意に軽やかな声が響いて、ニューマンの女性が二人の間に割って入った。船体管理公社のツナギを着込んだ彼女の、両手一杯のディスクを向けられれば。エディンは訳も解らずそれを受け取り首を傾げた。

「これは……テクニックディスク。でもこれ、僕程度じゃ読めないものばかりじゃ」
「だからわざわざアタシが来たんでしょ。ちょっと待って、今マグを出すから」
「エディン、俺の古い馴染みだ。アル、この間のほら……って、お前さん何やってんだ?」

 アルと呼ばれた女性は、クラインポケットに深々と手を突っ込んで。何やら中身を掻き回しては眉を潜める。お目当ての物が見つからないらしく、しばし奥を覗き込みながら手を伸べて。不意にパッと表情が明るくなるや、何かを引っ掴んで引っ張り出した。

「おーあったあった、久しぶ……っと、逃がすかっ!っとにもう誰に似たんだか。拗ねてんのよね」
「えーと、まあ……ほら、前に会っただろ?エディン。アルピーヌだ」
「は、はぁ、どうも」
「アルでいいわ、とっとっと……いいから、大人しく、出てきなっ、さいっ!」

 アルピーヌは満面の笑みをエディンに向けながら、再びクラインポケットへと逃げ込んだマグを掴まえる。彼女の手の中で見慣れぬマグが観念して大人しくなった。記憶の糸を辿れば、差し出されるそれは確かオパオパとかいう稀少なマグだと。思い出して受け取るエディンは、その時アルピーヌの品定めするような視線に気付く。

「な、何か?」
「ううん、気にしないで。ちょっと好みかな、って……前に見た時より、少し逞しくなった感じ」
「おいおい、アル。修行の身だからな、エディンは。禁欲して貰わにゃ困るぜ」
「大丈夫だって、ヨォン君。別に、今直ぐ取って食おうなんて思わないから……今直ぐは、ね」

 何やら色めかしい話が目の前を過ぎったが。今のエディンはただ、愛想笑いを返す他無い。確かに美人に……どうやら本人にも自覚と自負があるらしく、アルピーヌは綺麗な女性だったが。美人に好みだと言われても、不思議とどこか他人事のようで。エディンの心は今、一つの事にしか関心を抱けないで居た。

「ま、とりあえずエディン君。そのマグ貸すから、どんどんディスクを読んじゃって」
「え、あ、はい……わっ、何だこのマグ!?うっ、そうか、アルピーヌさんはフォース」
「アルでいいってば。精神力強化に特化したマグなのよね、その子。あ、ちょっと待って」

 それは例えるなら、急激に五感八識が広がってゆくような感覚。アルピーヌのオパオパで精神力が増強されたエディンは、自分でも突然飛躍的に向上した己の力に戸惑った。そんな彼に構わず、その手のディスクをアルピーヌは順にめくって。目的のディスクを探し当てると抜き取る。

「レスタは駄目、ハンターが急に高いレベルを習得しても困るだけ。後はドンドン読んじゃって」
「あの、でもこれ……こんなにタダでは戴けません。かと言って、そんなに持ち合わせも」
「エディン、それは勘違い。バカやってる昔の仲間を止められるなら……賭けてみたくもなるわ」

 博打よ、博打……そう言って笑うアルピーヌが進めるままに、次々とテクニックのディスクを読んでゆくエディン。必要最低限のテクニックは覚えてるつもりだったが、未収得の物も多く。エディンの今の力量に合わせて、用意されたディスクのレベルは決して高すぎる物では無かった。無論、アルピーヌのオパオパ無しで読めるほど低くも無いが。

「まあ、本来は自分の成長に合わせて覚えるものだが……今回はこれ位はさせて貰うぜ」
「このレベルのテクニックなら、今後のハンターズ生活でも支障が無いと思うしね」
「ありがとうございます、アルさん。ヨォンさんも。僕はでも、何もお返し出来ない」

 深刻な顔でディスクを読み続けるエディン。彼が発した一言に、ヨォンとアルピーヌは顔を見合わせ突然笑い出した。思えば二人とも、声を上げて笑うなど久しぶりで。ここ最近の重苦しい空気を振り払って、セントラルパークに明るい笑い声が響く。

「エディン、気にするな……これは俺の務めさ。お前もいつか、歳を取れば解る」
「そうそう!それにホラ、若い子に死なれちゃ目覚めも悪いし。だから、後悔しないように、と」

 そう言うヨォンもアルピーヌも、何故眼前の若者にあの男が……ブラウレーベン・フォン・グライアスが拘ったのかが、少しだけ解ったような気がした。理詰めで考え過ぎる口先だけの少年が、今はもう違う。何の才も持たず、特別な力も無いエディンだが。その心の強さだけは今、確かな物だと感じられるから。自然と先達として、無償で手を差し伸べたくなる。それはどうやら一人や二人では無いらしい。

「ま、御節介はアタシ達だけじゃないみたいだけど……あれ、ヨォン君のコレ?紹介しなさいよ」
「だったら面白いんだがね。生憎と覚えは無いな。美人は忘れん筈だが、どこかで顔を……」
「じゃあエディンが?もう、隅におけないねっ!愛想無いけどスッゴイ美人よ、アタシ負けそう」
「アル、何でも男女関係を基準に考えるのは止せよ。それにしても、人の縁とは面白いものよな」



「あ、見つかっちゃいましたね、御館様。どします?それ、私が渡して来ましょうか?」

 遠巻きに見守っていた婆娑羅に気付いて、エディンは軽く頭を下げた。その姿を遮って、メイドの顔が視界に飛び込んでくる。それに構わず、手にした太刀の感触を確かめて。婆娑羅は居並ぶ一同へと向って一歩を踏み出した。
 既に一連の事件は婆娑羅の耳に入っていた。今、このパイオニア2で何が起こっているのかも。そして誰が、どう立ち向かおうとしているかも。全てはしかし俗世のうつろい、うたかたの夢現。ただ世界の敵に対する反射でしかない自分とは無縁。貪欲に力を貪り、強者の理で混沌を招く者……青い死神はまだ、ただの人だから。婆娑羅が動くのは、それが人を超え外道の存在として世界に敵対した時。ずっとそう思っていたが。

「世に仇なす強邪を見過ごすも愚であろ……まあ、童は死なぬが。これも何かの縁よの」
「あ、それって例の御力ですか?凄いですよね、御館様は人なのに見えちゃうって」

 肩越しに振り向き「ただの女の勘じゃ」とメイドに言い返して。婆娑羅は僅かばかりの縁で知り合った、今は当時とは別人と思える位に逞しくなったエディンに目を細めて。その孔雀色の瞳で真っ直ぐ見据えて、ゆっくりと歩み寄った。気侭に蔵を開け放ち、適当に引っ掴んで来た一振りの剣を手に。

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