《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》

『人は皆、弱き者。故に力を求め欲する……その事に躊躇いも迷いも忘れた時、人は鬼となるのじゃ』

 突如自分を呼び出した人物の邸宅にて。どうやら忙しい相手を待つエディンは、以前と同じ部屋でぼんやりと天井を見詰めていた。今日は不思議と珈琲の一杯すら出てこないので、自然と彼の脳裏を先日の言葉が過ぎる。白い影は陽炎の様に浮かんで揺らぐ。

『御主は今、鬼を相手にしようとしておる。勝つ気か?童……強邪の念は日々、増すばかりぞ?』

 言われるまでもなく、エディンにも解っていた。正しく鬼としか形容し得ぬ存在が、パイオニア2という小さな人の世を脅かしていた。既にハンターズの信用は地に落ち、企業の間では弱肉強食の市場原理主義が蔓延し始めている。その風潮を煽り駆り立て、闘争の笛を吹く者が密かに暗躍していた。
 それが例え、どれ程に強大であろうとも。エディンの決意は些かも揺らぐ事は無かったから。その旨を彼は、ハッキリと伝えた。いかに心身を鍛えようとも埋まらぬ、絶対的な実力差があったとしても。今出来る最善を尽くし、それを自分にだけ求める。その行いが正しいか否かは、後の歴史が決めるから……大事なのは、そこに正しさを見出し信じて向き合う事。迷いながらも踏み出す未来を、その先に見据える事。恐れは無いとはしかし、自分でも言い過ぎだと解っていたが。

『嘘も方便よな、相変わらず堅苦しい奴じゃ。まあよい、それより……丸腰で挑む積もりかえ?』

 独善だと笑う訳でも無く、潔しと称える事も無しに。ただ放られた太刀が今、エディンの手にあった。白い天井を見上げてしばたいた瞳を、そっと左手の剣に向けると。自然と以前の持ち主の、最後の言葉が脳裏に蘇る。それを彼は何度も何度も反芻して自分に言い聞かせるエディン。それは、待ち人が忙しそうに現れるのと同時だった。

『くれてやる……先日の女中の礼じゃ。心せよ童、鬼を滅するは鬼に非ず。常に人……弱き者ぞ』
「旦那様、この後すぐに第拾工廠の代表と会談の予定が。恐らく……」
「解っている、恐らく援助の申し出だろう。やり手だな、新社長は……やあエディン、待たせたね」

 声の主に立ち上がって振り返り、エディンはペコリと頭を下げるが。時間が押しているらしく、パガニーニ=ヴォーテックは挨拶もそこそこに向かいのソファに腰掛けて。とりあえず座るよう促し同時に、落ちつかない様子で葉巻を取り出す。ナイフで先を削るその手は、僅かに震えていたが。それにエディンが気付くより先に、彼は来客の手にある太刀に興味を示した。それはもはや職業病を発症したに等しい。

「また随分と珍しい剣を持っているね、エディン。ちょっといいかな?」
「やはり貴重な品なのでしょうか?先日、とある縁で譲られた物なのですが、その、まあ、ちょっと」

 エディンからパガニーニが受け取ったのは、古びた実剣の日本刀。ズシリと重い鞘を持ち、柄を握って抜き放てば……刃毀れだらけの痛んだ刀身が姿を現す。アチコチ小さな罅が走るそれを見られて、エディンは苦笑を零す他無かったが。パガニーニは真剣な表情で刃を光に翳し、鍛え抜かれた目利きで正体を見抜く。

「何の謎掛けだと思います?僕は試されてるのかもしれない……でも、その意味が解らなくて」
「エディン、君はやはり頭で考え過ぎる男だな。そのままの意味だよ。これは君の剣、君の力だ」

 最も、使いこなせるかは振るい手の力量次第だが。パガニーニはそう言って剣を鞘に納めてエディンへと返す。訝しげに受け取る青年の姿は、彼には以前とは別人に見えた。今、パガニーニの前に座っているヒューマーは、この場所でレフトハンターズにコテンパンにされたルーキーとは違う。武器や防具のみならず、人物の目利きにもそれなりの自信があるパガニーニは素直にそう思った。

「考え過ぎですか?僕はてっきり、斬らずに済む道を模索しろと言われてるのかと」
「言われて動く前にもう、君は自分の意思で動いているだろ?私はそう思うが」
「それは、そうでもありますが。それよりパガニーニさん、慌しいですね。何かあったのですか?」
「ああ、何。単に倒産寸前なだけさ」

 さらりと言われた一言にエディンは絶句して。次の瞬間には、何故?と如何して?を繰り返していた。背後で見守るメイドも、悲痛な面持ちで視線を主へと注ぐ。恐らく彼女は、エディンが発した言葉を今までずっと胸に秘めていたから。
 ヴォーテック社はパイオニア2では、新鋭の中堅企業として確固たる地位を築いていた。筈だった。少なくとも今日、社長の邸宅を訪れるまでエディンはそう思っていた。だが、既に金目の物があらかた運び出された邸宅は簡素で、待つ間に茶の一杯も出なければ。何かあったとは思ったが……倒産という言葉は、今のエディンにはある男の影を感じずには居られなかった。

「パガニーニさん、もしかしてっ!」
「落ち着きたまえよ、エディン。私のミスだ、相手が一枚上手だったのさ……それだけの話だ」
「しかし、ここ最近の経済界の悪い噂は僕も聞いています。クソッ、またグライアス卿に先手を」
「自惚れるなよ、エディン?私は商人として商いに尽力し、その結果を受け止める。それだけだ」

 ヴォーテック社と友好的な協力関係にあり、下請けとして生産ラインを維持していた工場が揃って買収された。地道にパガニーニが築いて来た、相互の利益は確かな物で。それに基く信頼関係は強固な物だったが……金では崩せぬ絆を今、暴力で八つ裂きにする風潮が蔓延していた。理不尽で不条理とは思えど、親兄弟に妻や子を危険に曝してまで、自分と心中する事をパガニーニは仲間に求めなかった。

「それよりエディン、突然呼び出して済まないね……エマ、珈琲を。偶には缶コーヒーが飲みたいね」

 折り目正しい態度で、貧すれども鈍する事無く。メイドはエプロンのポケットから小銭入れを出すと、一礼して部屋を出て行った。どうやらヴォーテック社の状況は、最悪の極みらしく。そんな状況下で長たるパガニーニは、保身よりも優先すべき課題に取り組んでいる……調度品の類も綺麗に無くなった室内をもう一度見渡して、エディンは漠然とだがパガニーニの覚悟を悟った。

「エディン、話は聞いている。君は……本当に大馬鹿者だな。私で何人目だ?この見解を示すのは」
「意外に思われるかもしれませんが、パガニーニさんが始めてです。誉め言葉だと受け取りますよ」
「君の周りも馬鹿ばかりか。だが、その剣や君の成長を見るに……愚か者は一人も居ないようだが」
「その両者は、どう違うのでしょうか。僕はその両方、馬鹿な愚か者かもしれませんよ」

 互いに自然と笑みが零れた。パガニーニにとってエディンは、拾った命を捨てようとしている大馬鹿者に見える一方で。エディンにとってパガニーニも、自分と同じような人間に感じてならない。即ち、最大限の責任を取りつつ、諦めの悪い人間。最悪な状況の中、這ってでも前に進み足掻く往生際の悪さが二人は似ていた。

「さて、本題だ。エディン、君のハンターズスーツだが。アーマーは何を?」
「まだソウルフレームです。以前、武器の購入で散財してしまって」
「そんな事だろうと思ったよ。だから呼んだ……これを使いたまえ」
「パガニーニさんまで。しかし良いのですか?」

 これは投資さ……そう笑って、パガニーニはエディンに小さなチップを渡した。それはハンターズスーツにインストールするプログラム。ギルドが支給するハンターズスーツは、実装されるプログラムによっては鋼鉄の鎧にも賢者の法衣にもなる。

「スーツのスロットが二箇所使用可能になる。ま、君の力次第だ……インストールしたまえ」
「しかし!こんな高価な物は戴けません。みんなそうだ、そうやって……」
「期待が重いかい?それだけの物を背負うんだ、止めるなら今のうちだね」
「……やります、やってみせます。誰よりも何よりも、僕自身の為に」

 小さなチップを胸のIDに翳せば、ハンターズスーツがすぐさま内容を読み取り。パガニーニが見込んだ通り、今のエディンは高レベルのプログラムをリリース出来る程に成長していた。アブソーブアーマーのインストールが終了すると、スーツに設けられたスロットが、自然と二箇所だけ解放される。

「ユニットは悪いが自前で何とかしてくれ。うちの在庫は全部処分してしまったからな」
「悪いだなんてそんな……ありがとうございます、パガニーニさん」
「シールドも更新した方がいいな、何しろ相手が相手だ」
「そっちは先日、師匠のお下がりを戴きました。ユニットは後で見て回るつもりです」
「いい店がある、後でメールしておくよ……いけない、もう時間だ。エマは間に合わなかったな」

 礼を言っても言い足りなかったが、長居も迷惑と感じて立ち上がるエディン。最後にもう一度礼を言って彼が部屋を辞するのは、息を切らせてメイドが駆け込んで来たのと同時だった。その手には場違いな缶コーヒーが二つ。

「ではパガニーニさん。全て終わったら、また……今度はもっとスロットの多いのを買いに来ます」
「解った、仕入れておくよ……約束だ。私も君に依頼したい仕事が沢山ある。また会おう」

 剣をクラインポケットに仕舞い、エディンは颯爽と場を辞した。約束を胸に。それを見送るパガニーニは、以前よりも逞しく感じる背中に目を細めて。大事な会談に挑む前に、ヴォーテック社の社長として……ヴォーテック家の家長として最後の仕事に取り掛かる。

「行ってしまいましたね、旦那様。御命じ下されば私が、例の男を始末するのですが」
「君が死んだら、誰がこの家の家事をするんだい?ま、それも今日で終わりだが」
「例の男がそれ程ですか?私は負けません!旦那様の為なら、この命惜しくは……旦那様?」
「君は優秀だよ、何よりメイドとしてね。だがもう、給料が払えない。残念だがお別れだ」

 メイドの手から、小さな缶が転げ落ちた。その顔に驚きと悲しみの表情が浮かんでいるであろう事は、パガニーニには手に取るように解ったが。それを直視して確認する勇気が、彼には持てなかった。苦渋の決断を下し、それを相手へ伝えるので精一杯。
 この家唯一のメイドにして、パガニーニ=ヴォーテックの絶対的な守護者。エマ=ストウナーは一人で家事全般をこなす傍ら、敵対企業の不法な経営努力から常に主を守って来た。それは何も、高額な報酬が目当てでは無い。銃爪を引くしか能の無い人生に、生きる意味と目的を与えて貰ったから。それを与えてくれた人の為なら、彼女はどんな相手を敵に回しても戦える。戦い抜いてみせる……例えそれが、今パイオニア2を震撼させている青き死神でも。

「エマ、私に付き合って路頭に迷う必要は無い。実際私は、客に出す珈琲にも困る有様なのだから」
「嫌です、旦那様っ!最後まで御供します、例え旦那様が全てを失っても」
「私は再起を志している積もりだよ。ただ、失敗の責任は取らねばならない……経営者として」

 玄関先に迎えのエアライドが着陸した。黒服の男達が降りてくるのを窓から眺めながら、パガニーニは言葉を選ぶ。本音を言えば、手放したくは無い……常に側で支えて欲しい。それはもう、性別を越えた信頼関係で。いつでも安心して仕事に忙殺されたいし、帰宅すれば暖かい食事で迎えられて、真っ白なシーツに温かな布団で眠りたかった。
 だが、今はそれは望めない。彼は経営者として、自分に付き従って来た者全てに責任を取らなければいけないから。私財も投げ出すし、豊かな生活も放棄する……これはその一環なのだと自分に言い聞かせる。

「旦那様は嘘を吐いていらっしゃる……旦那様が居なければ、私はまた狂犬に戻ってしまいます」
「言わないでおくれ、エマ。会社を立て直したら直ぐ、また戻って来て欲しい。だから」
「嫌です!御給金なんていりません、旦那様と一緒に餓えて凍える方がましです……そうしたいんです」

 いつでも恭順なメイドが、こんなにも自己主張する事は初めてで。その一途さに思わず甘えそうになるパガニーニはしかし、それだけは駄目だと自分に言い聞かせながら。背中で初めて、自分を支えて来た一番身近な人間の泣き声を聞けばもう、徹底して公明正大な経営者では居られなかった。震える手で葉巻を取り出し、それも今後は慎まなければと再度仕舞って。窓の外で自分を待つ、第拾工廠の黒服達を黙って見やる。

「……この屋敷も出てゆく事になる。その、次はワンルームの小汚いアパートなんだが」
「私が徹底的にお掃除します!どんな豚小屋でも犬小屋でも、旦那様に相応しい御住まいに」
「ああ、うん、まあ、それは嬉しいんだが。住み込みはちょっと無理だと思う」
「私も部屋を借りて御仕えします。どんな豚小屋でも犬小屋でも……」
「はは、そこまで酷くはないよ。とりあえず、先方を待たせてるし……ゴホン!行こうか、エマ」

 パガニーニはあらかた財産を処分し終えていたが。何より大事で貴重な人材を、遂に手放す事が出来なかった。その事が後に、何度も彼自身の命を救う事になるが。今はただ、眼鏡を外して瞼を擦るメイドが居てくれる事に安堵して。彼は再び、ヴォーテック社再建と言う過酷な戦いへと、大いなる守り手に背中を預けて挑む事が出来るのだった。

《前へ 戻る TEXT表示 暫定用語集へ | PSO CHRONICLEへ | 次へ》