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 震える手に錠剤を取り出し、それを喉の奥へと流し込む。それもまた彼、ブラウレーベン・フォン・グライアスの戦い。決して終わる事のない、鼓動が脈打ち呼吸する限り続く永遠の闘争。日課の成長抑制剤摂取を終えて、グライアスは玉座にもたれ掛かった。
 正しく玉座としか形容出来ぬ、だだっ広いグライアスの部屋の、唯一の調度品。それは彼自身が望まずとも、周囲の人間が勝手に用意した物で。己の強さを追求する事以外、とんと関心の無いグライアスだったが……立場上、時には不遜な態度で豪奢な椅子に身を沈める必要もあった。例えばそう、今の様に招かれざる客を迎えた時など。

「そうまでして老いに抗い、若さにしがみ付きたいものかの。まあ、所詮は俗物なればそうであろうな」

 パイオニア2の地下に並ぶ構造物。その中でも一際大きな建物は、恐らくラグオル降下時には行政の中心になるのだろう。だが今は、今日までは無法者の巣窟で。本来なら議事場になるであろう大広間は、グライアスの修練の場であり、一時の憩いに身を休める場でもあった。

「私はまだ、昇り詰めていない。これは言わば、欲求を叶え続ける為の必要経費みたいなものだよ」

 高慢さをそのまま、世界中の白で象ったような珍客を前に。グライアスはあたかも、それがさも当然であるかのように語った。激しい副作用や、一般常識的なモラルですら一笑に伏す。
 修羅道を邁進して悪鬼羅刹となり、三千世界の神も仏も区別無く斬り倒そうというのだ。この程度の狂気はグライアスにとっては、もはや自覚するまでも無い。己の本質的な狂気に関しては、それこそ狂おしい程に痛感していたが。

「時に……無頼の輩は皆が皆、此処より逃げ出していると聞くが。貴様は良いのか? 明日には――」
「明日以降も変わらぬよ。この都市は生まれる事無く、このまま方舟の中で眠り続ける」

 グライアスの不思議と悟ったような、あらすじを読み上げるような物言い。その響きに白い影は――シオ=クシナダマルは片眉を吊り上げた。表面上は、ほう、と言って驚いてみせる。

「これはまた異な事を。何の道理があって、その様な戯事を……」
「御得意様との噂話でね。少なくとも、古臭い宗家の異能の力とやらよりは信じるに値するよ」

 その一言がシオの逆鱗に触れた。彼女は黙って白木鞘の太刀を手に取り抜刀する。渇いた音を立てて、白い鞘が床に転がった。

「よう言うた……もはや我等に言葉は要らぬな! 修羅道に堕ちし強邪の念、我等八岐宗家が滅する!」

 まるで見えない弓に剣の矢を番えるような、独特の構えでグライアスを睨むシオ。その手の中で、櫛名田丸家に代々伝わる業物が冷たく光る。彼女は全身から、凍て付く殺気を解放した。
 それを退屈そうに見詰めて、グライアスは足を組み替えると。悪趣味な装飾で飾られた肘掛に頬杖を突きながら。決してその身を起こして相対しようとはしなかった。

「どうした? 力強き者との戦こそが、貴様の望みであろ?」
「――何故、あの娘では無いのだ? 命惜しさに……盟主の座惜しさに退く娘にも見えなかったが」
「我等が盟主は未熟者故、今宵はこのシオ=クシナダマルが御相手仕る――御不満か?」
「私は、強き者との闘争を欲している。結果の見えた勝負や、一方的な勝負は嫌なものだよ」

 ニヤリと薄い笑いを浮かべて、グライアスはじっとシオを見詰めながら。頬杖突く手とは逆の手で、肘掛を焦れるように摩り、握って、指でトントンと叩く。
 露骨な挑発だったが、シオにはそれがただの強がりに見えた。八岐宗家の中でも、大蛇丸家と対を為す名家中の名家――櫛名田丸家。その跡取りとして生まれ、血の力も強く発現したシオは、若輩ながら何度も世界の敵を……宗家の敵を屠って来た。それが表層化する前に。

「ふっ、恐ろしかろう。私とて斯様な弱い者いじめは好かぬ。が、これも務めなれば――」
「真に恐ろしきは、正に貴女だ。貴女達、八岐宗家」

 気だるげに深々と、その身を玉座に埋めながら。淡々と語るグライアスに戦意が無い事を知れば、シオは満足気に頷いた。次の一言が飛び出てくるまでは。

「八岐宗家……古い異能の血に囚われ、研鑽を忘れた化石のような連中。その無知が私は恐ろしい」

 ふう、と呆れるような素振りで溜息を一つ。グライアスは、異能の血筋やら超常の力やらを、少しばかりも恐れていなかった。ただ、それをただ持って生まれたというだけで、強き者として振舞える無知が恐ろしい。
 確かにその力は、人の世を影から支え、政治や経済に多大な影響を与えて来たのだろう。また、宗家の戦士達は皆、その血故にさぞ強い力を振るったのだろう。だが、それだけではグライアスの興味は惹かれない。

「あの娘だけはいい。気高くとも、足掻く術を心得ている。泥に汚れても己を通す、覚悟だけは――」
「抜けぃ、ブラウレーベン・フォン・グライアス! 貴様、私に丸腰の相手を斬らせる積もりか!」

 シオは激昂した。宗家を侮辱され、家名を汚された……のみならず、目の前ではっきりと言われたのだ。自分があの娘と――サクヤ=オロチマルと比べるに値しないと。憤怒に燃えるシオは、グライアスが重い腰を上げると同時に斬り掛かった。
 小柄な体躯から繰り出される、俊足を生かした鋭い切っ先。それをグライアスは難なく、クラインポケットから引っこ抜いた大剣で受け止める。二度、三度と襲い来るシオの太刀筋を、彼は片手で難なく捌いた。その大剣にはまだ、フォトンは灯されていない。

「この後に及んでまだ私を……宗家の力を侮るか! ならば見よ! 聞け! その身に……刻めっ!」

 力任せに押し切ろうとするグライアスの剣を、古流の技で受け流すと。そのままシオは、二、三度軽く剣を振るいながら距離を取る。同時に下駄を脱ぎ捨てれば、彼女の着衣がはらりと散った。

「ふむ、色仕掛け――は、無いか。宗家の手品とやら、見せて貰おう」
「その余裕がいつまで保てるか見物ぞ?」

 普段であれば不要だが。今のシオは、目の前の敵を圧倒的な力で――全力で叩き潰す必要を感じていた。だからこそ己の力を、その真価を発揮する為に裸足となり。邪魔な着衣を全て振り払う。
 フォトンを灯さずとも嫌に赤い、稀代の業物を肩に遊ばせて。グライアスは何の警戒心も無く、シオを見詰める。起伏に乏しい肢体に興味は無かったが、その脚へと視線は吸い込まれる。シオは独特な脚捌きで、地を蹴り続けていた。そのリズムが次第に速まれば、本能的に剣を構えるグライアス。

「我が血に宿りし力は龍脚……シオ=クシナダマル、参るっ!」

 トーン、トーン――その場で跳ねるシオの身体が、不意に波打ち拡散した。幻術やまやかしの類では無い、物理的に増えたとしか見えず、思わず唸るグライアス。無数に増えた白い影は、一様に鋭い刃を翳して四方からグライアスを襲った。
 咄嗟に斬り結ぶも、その全てを捌き切れずに。頬を掠めた一撃が肌を裂き、真っ赤な血がとめどなく流れた。絶え間ない連続波状攻撃が一先ず止むと、グライアスの背後で玉座が木っ端微塵に砕ける。

「ふむ……さしずめ、超人的脚力による多重残像攻撃といった所か。それで? 余興は終わりか?」
「強がりも大概にせい。終わらぬよ――貴様の息の根を止めるまではっ!」

 クイと上げた右足をピシャリと叩いて。再びシオの姿が増えてゆく。この時シオは既に、勝利を確信していたが。不意にゆらりと構えたグライアスから、凄まじい剣気が迸る。それは瞬く間に空気を沸騰させた。彼は真っ赤なフォトンが揺らめく大剣を片手に、シオを手招きして挑発した。

「これだから無知は怖い。血の力に、龍脚とやらに頼らねばそんな事も出来ないのではな」
「その言葉を飲み込めっ、下郎! 素っ首落として、無頼の輩の見せしめにしてくれ――」

 幾重にも群為すシオの全てが、構える剣を引き絞ってグライアスへ殺到。その瞬間、シオは信じられない物を見た。不意にグライアスの輪郭がぼやけて歪むと……その影は四方に散って全ての攻撃を避けた。のみならず今度は、重い一撃が連続してシオを襲う。それは自分のみが振るえる、異能の力にも等しい。

「お前が誇り、満足しているそれは……数多の先人が駆け抜け、私もまた通過した過去に過ぎん」
「馬鹿な! 宗家でも最速を誇る私に――如何にして!?」
「血や才など目安に過ぎん。我等人の力を決め、極める道は一つ。それは、たゆまぬ努力」
「ば、馬鹿か!? 努力で人がこの技を――」

 しかし現実に、シオの繰り出す分身は尽く、残像を引き連れるグライアスに切り裂かれ。シオ本人も気付けば、眼前に紅ノ牙が迫っていた。必死で防ぐも防ぎ切れず、渇いた音を立てて剣が折れた。その切っ先が宙を舞い、床に突き立つまでの僅かの時間。彼女は突き抜ける暴力にただ、蹂躙される。
 龍脚とは即ち、大地を掴む二本の両足に生体フォトンを圧縮する技。原理的には単純だが、それを実行に移す事は難しい。八岐宗家の異能の血が無くば。難しいがしかし、不可能では無い事をただ、シオは知らなかっただけ。遠くで折れた刃が、乾いた音を立てて落ちた。

「努力を口で語り誇るは愚だが……それ自体を知らぬもまた愚。狭き世しか知らぬ、それが弱さ」

 無数の影が集い像を結んで。グライアスが着地すると同時に、シオは脳天から床に落下した。辛うじて身を起こし、這い上がろうとした彼女を襲う激痛。容赦無く真紅の大剣が振るわれ、シオの両の踵が鮮血を吹き上げた。肉が裂けて健が割れ、骨は砕けて神経が寸断される。甲高い悲鳴が高い天井に木霊した。

「宗家が一つの血筋を絶やすも、また一興か。喰い足りぬが、前座ゆえこれで良しとしなければ」
「あ、ああ……バケモノめ……ひっ! バケモノッ!」

 トドメとばかりに、剣を振り上げるグライアス。その超然とした揺るがぬ表情に、シオは恐怖の余り絶叫した。未だ嘗て無い、あってはならない恐怖――八岐宗家の力を持ってしても抑えられぬ、それは余りに純粋な暴力の結晶。

「バケモノ? とんでもない、私はただの人間だよ……宗家の者達こそどうなのだ?」
「わ、私達はこれでも人間だっ! 人間で充分だっ!」
「充分? 足りぬ、足りぬよ……全く足りぬ。歩みを止めたモノに、人間は名乗れない」

 それでもシオには意地があった。込み上げる恐怖にとめどなく流れ、止まらず頬を濡らす涙を拭って。既に感覚のない両足をガクガク震わせて立ち上がる。折れた剣を無意味と悟るや放り投げ、彼女は呼吸を整え精神を研ぎ澄ますと。懸命に氣を練り、テクニックによる最後の抵抗を試みる。

「ほう、立つか。それでこそ人間、まだ人間……そう思わないかね? エディン?」

 呼びかけ振り返るグライアスの、眼を細めて放る視線の先で。ドアを勢い良く開け放って、一人のヒューマーが現れた。同時にシオは、集束する光を紡いでグランツを放とうとして――それを見る事無く振るわれた剣に弾き飛ばされる。既にグライアスの興味の対象外になった彼女は、スイッチを切られた大剣で激しく殴打されて転がった。

「待っていたよ、エディン……君の強さは、正しさは見つかったかね?」
「グライアス卿、それは遥か高みに……それでも僕は見つけました。未だ手は届かずとも」

 それは確かに存在する。エディンは静かに、足元へ吹き飛ばされてきたシオを抱き上げると。戦いの及ばぬ部屋の隅へと、そっと身を横たえる。そうして立ち上がり振り向く姿は、グライアスには以前とは別人に見えた。自然と高揚に鼓動が高鳴り、彼は興奮に震える指で大剣にフォトンの刃を走らせた。

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