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『こんばんは、市民の皆さん。いえ、私はあえて言いたい。夜明けを待たず、おはようと』

 高らかに響く演説を、賑やかな祭の喧騒が彩る。
 見上げる硝子の夜空は高く――遠く。そして狭い。
 気付けばエディンは、星一つ無い常闇の、その切り取られた一部を見上げていた。コンクリートの大地は容赦なくエディンから体温を奪い去ってゆく。身を起こして辺りを見回し、エディンは真っ先にフェイの姿を探した。

『私、コリン=タイレルはここに宣言します。長い旅の終わりを――そして希望に満ちた始まりを!』

 すぐ近くに彼女はいた。大の字に天を仰いで。

『長い旅……本当に長い航海でした。多くの苦難を前に、忍耐を強いられる日々が続きました』

 慌てて駆け寄るエディンは、不意に出血しだした傷口を手で押さえて。それでも、はうようにフェイに近付き、手を伸べ――慌てて引っこめ、ハンターズスーツの胸元で汚れを拭いた。
 何を今更と、フェイが鼻を鳴らして笑った。

『先ずはこの一年近くで、新天地を踏む事無く亡くなった方々に――その魂に祈りを捧げましょう』

 二人はどうやら、旗艦パイオニア2の地上に戻って来たようだった。どこかは解らない……ビルが乱立するその狭間、路地裏の片隅。細く伸びるその道は、途切れる先に光と歓声を湛えて。祝祭の喜びにはしゃぐ移民達の声が聞こえる。
 周囲には二人きり、他には誰もいない。青い死神も、その作品もいない。八岐宗家の白い影も。

「へへ、パーティに、間に合った、ようだぜ……エディン。よく生きて、帰ったな」
「フェイさん……そんな事より、早く手当を。急ぎましょう、大丈夫ですきっと……多分、絶対に」
「おいおい、手前ぇの、心配しろって。手足、チョン切れてん、だぜ?」
「手や足なんて代えはいくらでも。でもフェイさん、貴女は――」

 震える手を肩に回せば、フェイは素直に応じて身を起こした。
 すぐ目の前、ほんの少し……距離にして数十メートル。光溢れるその場所まで、ほんの少しの距離。
 二人は互いに相手を支えて、弱々しく立ち上がると。大通りへの長い道程を踏み出した。

『我々はこの一年近くで、多くを学びました。このパイオニア2船団が我々に教えてくれました』

 あと一歩という所で、どちらからともなく倒れるエディンとフェイ。二人は狭い路地で互いに向き合い、壁にもたれてぼんやりと見詰めあった。
 移民達のパレード、鳴り止まない歌声と拍手、そして――正面の建物に設置された巨大スクリーンに、総督府からの中継映像。タイレル総督の声は厳かに、粛々と響く。

『この狭い世界で、いかに隣人が己を律し、正し、励まし、支えてくれるかを。我々は実感しました』

 演説は続く。しかしそれもどこか、エディンには虚しい。
 パイオニア2船団の総督、コリン=タイレルの語る日々は事実だろう。多くの者達が今、それを過ぎ去りし時間――乗り越えた苦難として共有している。
 しかし、その誰もが知らない。今宵、ハンターズとしての矜持を賭けて戦った者の存在を。

「へへ、いいねぇ、平和でよ。ヒーローってのはよ、人知れず、苦労するもんだぜ?」

 焦点の定まらぬ目で、フェイは見上げていた。総督の声がする方を。
 エディンはただ、そんなフェイに目を奪われる。純白のボディは大きく破損して、激しい戦闘で汚れていたが。不規則に火花を散らす、フェイは笑顔だった。

「フェイさん、それでも僕は――」
「いいんだよ、いいんだ。オレは少し、解ったぜ……あのババァ、肝心な事を、オレに……」

 エディンは今すぐにでも、助けを呼びに行きたかった。手を伸ばせば届く距離に、平和があるのに……希望が、歓喜が、祝福があるのに。真昼のような明るさの中で踊り、歌い、抱き合う者達は皆。ビルの谷間の闇に沈む、二人に気付く素振りも見せない。
 ならばと携帯端末を取り出し、師へと連絡を試みるエディン。その手を、フェイの言葉が一瞬止めた。

「ヒーローって、よ……自分から名乗る、もんじゃ、ねぇな……」
「フェイさん……」
「ヒーローは……誰かが、呼ぶんだ。あいつは、ヒーローだ、ってな……人が、決めるんだぜ?」
「……なら、やっぱりフェイさんはヒーローですよ。僕がそう決めちゃ、駄目ですか?」

 意外な顔でしばし驚いて。フェイは満面の笑みを咲かせた。そのまま彼女は、ゆっくりと手を伸べ身を寄せて。エディンの頭をクシャクシャと撫でた。

「な、何ですかもう! 今、ヨォンさんに連絡を……駄目だ、混線しててウグッ!」

 傷が猛烈に痛んで出血し、エディンは携帯端末を取り落とした。拾おうと伸べる左手も、余りうまく動かせない。目が霞んで、薄暗い路地裏に転がる携帯端末は滲んで見えた。

『さあ、旅が終わり……日々は続きます! 我々の日々は続く――否、始まります! あの星で!』

 軽い震動にパイオニア2が、船団中の全艦が揺れた。よろけたフェイは思わず、エディンの胸へと崩れ落ちる。そしてもう、身を起こす余力は彼女には無かった。
 不意に天が明るく輝いた。しかしそれは夜明けではない……船団は通常空間へと飛び出し、白みだした硝子の夜空に星の明かりが戻って来る。
 一際高い歓声があがり、移民達の熱狂と興奮が最高潮に達した。

『御覧下さい! あれが我々の希望の星! 第二の故郷、惑星ラグオルです』

 エディンは呆然と巨大なスクリーンを見上げた。フェイも身を捩って、虚空に視線を彷徨わせる。
 本星コーラルより尚蒼い、その星の名はラグオル。その深い蒼をたたえた輝きに、エディンは一瞬一人の人物を想起した。だがもう、その名を思い出せるほど頭が働かない。
 パイオニア2、ラグオル到着。
 総督府のセレモニーは最高潮に達しつつあった。それは大通りに繰り出し、夜通しの馬鹿騒ぎを演じていた移民達も同じで。しかしやはり、エディンにはどこか現実感のない光景。彼が今感じるのは、フェイの確かな重みと、徐々に失われてゆくその温もり。

「ラグオル、か……エディン? お前さん、ラグオルに、入植したら、よ……何か、あるのか?」
「何か、というと」
「やりてぇ、事とかよ、あんだろ? こう、キボーに満ちた、若者のセイシュンって、奴がよ」
「僕の、やりたい事」

 聞かれるまでもなかった。考えた事もなかった。なぜならもう、彼は手に入れていたから。進むべき道の入口に立ち、その平坦ではない道を歩き始めていたから。
 ラグオルで会おう――青い死神の言葉が脳裏を過ぎる。それもしかし、エディンの行く道が交わる、一つの生き方に過ぎない。そして今、エディンにそれを避ける理由も無い。

「え、ええ……入植時はまあ、結構混乱すると思うんですよ。総督府も移民局も大忙しで……だから」
「ああ」
「絶対に需要あると思うんです、ハンターズ。パイオニア1の移民達とのトラブルとかありそうだし」
「はは、そうだな」
「まあ、多くは地味な仕事だと想います……行政手続きの代理とか。でもフェイさんだって……」
「オレぁ、面倒なのは、苦手だな……エディン、お前さん得意だろ? なら、任す」

 一緒に、やるんだろ? そう呟いてフェイが見上げる。エディンは満面の笑みで頷いた。

「そうですよ、僕はハンターズを続けます。フェイさんも一緒に……死んじゃ、駄目です」
「誰が、死ぬつった、よ……オレは死なねぇよ。生き方、変わるだけだ……ヘヘッ」
「ですよね! そうですよ、今日から新たなフェイさんの伝説が始まる訳じゃないですか」
「そーゆーのも、いいよな……人は、誰からも、忘れられた時……本当に死んじまうし、な」
「?――フェイさん」
「とりあえず、あれだ……ストレス解消とか、適当抜かして、サクヤはくんだろ……な?」
「え、ええ」
「ラグナは、へへ……オレが、色々とよ、教えて、やんねーとよ。オレ等の、流儀ってのを、よ」

 フェイの声が細く、薄く、小さくなってゆく。出血で朦朧とする意識の中、エディンは既に冷静な判断力を失い――ただ呆然と、己に身を寄せるフェイを見下ろしていた。
 そうして、人類が至福の時を終える、その瞬間を……二人もまた迎えた。

『さあ、同胞の声を聞きましょう! 我々の声を伝えましょう! 記念すべき最初の交信が――』

 スクリーンに大きく映し出された、眩く輝く希望の星――ラグオル。その表面に突如、蒼い光が爆ぜた。それはどんどん膨らみ、遅れて届く衝撃波にパイオニア2が揺れる。
 ノイズが混じる映像は乱れながらも、ラグオルの姿を映し続けた。一瞬で変貌したその姿を。
 それはまるで、闇の因子を受胎した胚にも似て。ラグオルは紫色の瘴気に覆われ、激しく胎動する。  一筋の流れ星が、その中へと吸い込まれてゆく光景を最後に……映像は途切れ、総督府のお詫びを告げる画像に切り替わった。

「?……どうした? エディン、なんか、おかしい、ぜ……妙に、騒がしく、なった」
「あ、はい、ええと……こう、何かあまりの楽しさに、周りがハメを外し過ぎてるんですよ!」
「そ、そうか? そうか……そうだな、長い旅だったもんな……ババァ、見てるかなあ」
「見てますよ、見てますとも! ティアンさんのお墓、一番景色のいい所にしてもらいましょう。海が見える丘とか……いやぁ、アリガチだな! これは駄目だ、僕はちょっとセンスが。フェイさんが選んで下さいよ、もう海でも山でも! もうお金は払ってるんですから、少しぐらい無茶言ったって……僕が交渉しますよ、いいお墓を――」
「……エディン、ラグオルはどんな感じだ」
「い、いやあ、綺麗ですね。正に宇宙の深淵に蒼く輝く、僕達の希望の星! って感じで。その――」

 気付けば夢中でエディンは喋っていた。不自然な程に。そんな彼を手探りでフェイは触れて。その頬を撫で、唇に指を立てる。彼女は黙ったエディンを、見えない視界の真ん中に据えて微笑んだ。

「嘘が下手だね、ベイビー……その妙な優しさ、オレは、嫌いじゃ、なかっ――」

 思わず抱き寄せ、頭髪が失せてしまった頭に顔を埋めるエディン。彼はもう、嘘を吐き通す事ができなかった。涙の重さに瞼が負けてしまうから。

「おいおい、よせよ……エディン、オレはヒーローなんだろ? これじゃ……」

 これじゃ、まるで映画のヒロインだと。そう笑ったフェイの声が、大通りの混乱と悲鳴に掻き消されてゆく。
 それっきり、途絶えてしまった。声も、音も。

「こちらは移民局治警課です。市民の皆さんは速やかに、自宅へとお戻り下さい。繰り返します――」

 回転灯の赤いフォトンを引きずって、移民局のフォトライドが上空を通過する。その警告する声も今、エディンには届いていなかった。
 彼はただ、遠退く意識の中で慟哭していた。言葉にならない声を叫んで、胸の中に眠る仲間を抱きしめて。迸る涙も拭わず、身を声にして泣き叫んだ。
 大通りの混乱を追い払うように、硝子の空に日が昇る。
 長い夜が明け、そして始まる――ハンターズの、それぞれの一日が。永く繰り返される、その一日が。

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