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 旗艦パイオニア2、中央病院は今日も混雑していた。
 ラグオル到着から二週間、沈黙を守り通す総督府に移民達の不安は増す一方。誰もが皆、表向きは平静を装い、今までどおりの生活を続けていたが。この場を訪れれば、それを保つ自信を失うだろう。
 中央病院は今、ハンターズ区画のメディカルセンターで処理しきれぬ怪我人であふれかえっていた。

「――やっぱり、帰ろう。どんな顔して……ううん、駄目よシャーリィ! でも」

 明日こそ、会おう。そう心に結んで、シャーリィ=マクファーソンは今日も踵を返して帰路へつく。もはや日課になりつつある病院通いは、混乱で休校していた大学の授業が再開されてからも続いていた。
 シャーリィの友人シーレンは、総督府と移民局への協力に追われる傍ら、彼女の為に貴重な処理能力の一部を動員してくれた。ほぼ接収同然の扱いであるにも関わらず。
 エディン=ハライソが重傷で、中央病院に運び込まれた事。大切な仲間を失ったらしい事。そして――

「これ、早く返した方がいいんだろうな。何か、頻繁にメールが届いてたし……はぁ」

 エディンの個人用の携帯端末を、シャーリィは回収していた。それは旗艦パイオニア2の大通りに面した、路地裏の一角に落ちていた。黒く固まった血の海へ。
 数日前までは、ほぼ毎日メールを受信していたエディンの携帯端末。まるで何かの、定期連絡を告げるように。しかし、ここ最近は大人しい……その事も気になってはいたが、シャーリィは持ち主へ渡すことが少しためらわれた。
 シャーリィは今、異なる二つの感情の、内なる対立に小さな胸を悩ませていた。
 最も、彼女も以前とは違うから――心に囁く天使と悪魔を無視して、先ずは何をおいてもエディンに会いたい。無事を喜び、傷を見舞い……できるならその痛みを分かちあいたい。身体の痛みは無理でも、心の痛みを。
 そんな彼女はしかし、手の中の携帯端末に堆積したメールが気になる。
 差出人は――その事を思うとつい、足が遠のく。会ったら、相手が誰かを聞きたくなり気が重い。
 それでもシャーリィは、他人の携帯端末を無断でのぞくような真似だけはできなかった。だから尚、少し辛い。

「あら、あなた今日も……今日も帰っちゃうのね。ま、総督府の決定だからしかたないか」

 両手で胸に携帯端末を抱き歩く、シャーリィを引きとめる声があった。
 振り向くとそこには、一人の看護師の姿。見知った顔ではないが、相手はそうでは無いらしい――無理もない。シャーリィは毎日決まった時間に訪れては、憂鬱な顔で引き返していくから。

「お見舞いでしょ? ハンターズの人の。毎日ご苦労様」
「は、はい」
「でもゴメンね、ラグオルに降りたハンターズとの面会は禁止されてるの」

 総督府と移民局は、どうやら徹底的な情報封鎖を行おうとしているらしかった。
 しかし、人の噂とは水のようなもの……出口が狭まるほどに、勢い良く大量に噴出すこともある。
 そうと知ってさえ、頑なに愚策に走る行政を見れば、シャーリィは漠然とだが今起こっていることの重大さを感じもするが。
 それより何より、今はただ一人の事が気がかり。

「や、私は別に――」
「婦長! すみません、また804号室の患者さんが!」

 不意に若い、ニューマンの看護師が現れた。白衣の彼女はシャーリィ達の元まで駆けて来ると、膝に手を付き呼吸を整える。
 やれやれ、と肩を竦めて、婦長と呼ばれた看護師はシャーリィに別れを告げる。呼ばれるままに踵を返した、彼女の一言がシャーリィの耳朶を打った。

「またハライソさんね……全く! どうしてハンターズって、ああいう人ばかりなのかしら」

 気付けばシャーリィは、足早に急ぐ二人の看護師を追っていた。
 鼓動が高鳴り、呼吸が浅くなる――エディンの身に何が? その答は中庭にあった。

「ハライソさん! 私はいいましたね? 絶っ! 対っ! 安っ! 静ぇ! だと!」
「す、すみません看護婦さん……ほら、怒られたじゃないですか、ヨォンさん」
「いや、俺は身体がなまるといけないからとリハビリに――」
「貴方もです、患者を勝手に運動させる見舞い客がありますか!」
「はは、手厳しい。こいつは一本取られたな」

 弱々しい木漏れ日の中に、エディン=ハライソの姿があった。彼は離れて一部始終を見守るシャーリィに気付くと。一緒にいた壮年のハンターに木刀を渡して、手を振り駆け寄ってくる。
 その右手は、肌がいやに白い。

「やあ、シャーリィ。久しぶり、元気だった?」
「それ、私の台詞……シーレンは重傷だって言ってたのに」
「はは、確かに重傷だったけどね。一命は取り留めたよ――仲間達のお陰で五体満足さ」
「もうっ! 全然五体満足じゃないじゃない。その手……!……足も」

 眼前に立つエディンの右手は義手だった。思わず目を背けて俯けば、左足も同じ色の義足。
 背後では何やら、看護師達が壮年の男に口説かれている。それを振り返って苦笑する、エディンはシャーリィには元気そうに見えた。表面上は。

「あの、これ――」
「あっ! そうそう、探してたんだ。ここに運ばれる前、落としたんだけども」
「GPS機能が付いてるから、すぐシーレンが探してくれたの」
「助かったよ、シーレンにはお礼を言わなくちゃな。もちろん、シャーリィにも」

 両手で目の前の、寝巻き姿の胸に携帯端末を押し付けるシャーリィ。
 その手に、受け取るエディンの手が触れた。ヒヤリと冷たいように感じる感触。

「プソネットが使えないと不便でさ、ラグオルの話も全然入ってこないし……シャーリィ?」
「……どうしてそんなに平気でいられるの? エディン、貴方――」

 両手でそっと、エディンの右手を握る。包みこむように重ねる手と手の中に、金属特有の質感があった。

「死にかけて、手も足もなくなって……まだ、ハンターズでいようとしてる」

 先程シャーリィは見た。師とおぼしき男と、舞うように斬り結ぶエディンを。怪我人とはもう思えぬその動き……剣を振るうエディンを初めて見て、素直にシャーリィは凄いと思った。
 今日、初めてシャーリィは、ハンターズギルドに登録されたヒューマーのエディン=ハライソを見たような気がした。
 でもその姿は、どこか遠く――目の前にいる今でさえ、遠く感じる。
 エディンの右手はしかし、確かにシャーリィの手を握り返してきた。そこには血が通うエディンの温もりを感じられる。その意味を伝えたいのか、エディンが口を開いた瞬間。彼の携帯端末がメールの着信を告げるメロディを奏でた。

「っと、サクヤさんだ。ゴメン、ちょっと待って。返信を……うわっ! 凄いメールが溜まってる」

 シャーリィの手を優しく振り解いて。エディンは携帯端末を両手で握ると。義手に不自由も見せずに、とりあえず新着の一件にだけ返事を打ち、それを返信した。
 エディンが口走った女性の名前に、シャーリィは思わず身を硬くした。
 やっぱり……だが、だからといって揺るがない。そう決めて頷くシャーリィ。

「これでよし、と。それで……何でまだハンターズを続けるか、だっけか」
「え? え、ええと……うん」
「僕自身が望むから。それをね、後押ししてくれる仲間もいるし」
「……でも、死んじゃった人もいるんでしょ?」

 思わずシャーリィは、はっと口をつぐむ。しかしエディンは、穏やかに笑うだけだった。

「大事な人を失ったけど……でも、生きてるんだ。この手に足に、あとは――ここに」

 そういって、ドンと胸を叩いて。流石に照れ臭いのか、視線を外してしきりに頭をかく。

「悲しくないの? エディン」
「……悲しくないと言ったら、嘘になる。失って気付くことが、余りに大きく多いから」

 でも、だから。だからこそ――改めてシャーリィに向き直ると、エディンは口を開いた。
 言葉を選ぶ必要はなかった。思うままに、自然と気持ちが言葉になるから。

「シャーリィには全部話す、そう約束したから。でもきっと、僕は……泣いてしまうと思う」

 あの人が今も自分に、仲間達の中に生きている。そう信じて前に進む為にも。その肉体的な死を認める必要をエディンは感じているようだった。例えそれが、辛く悲しく耐え難くとも。
 そんな彼に、意外な言葉を放つシャーリィ。

「その時はっ! その時は……私が一緒に、泣いたげるよ。ほら、私泣き虫だし……」
「――ありがとう、シャーリィ。君のお陰で僕も思い出したよ、悲しいと人は泣くんだ」

 だが、今はその時ではないらしい。鼻の奥がツンと痛むのを堪えて、エディンは込み上げる悲しみに抗う。押さえ込むように胸に当てた、その右手がまるで自分を叱っているように感じられた。
 すぐにまた、ハンターズとしての日々が始まる……舞台をラグオルへと変えて。しかしその前に、一人の仲間を悼んでエディンは泣くだろう。幼子のように声をあげて。
 だが、それよりも先に――

「その前にでも、最後のケリをつけなきゃ。その後で……全部聞いてくれるかな、シャーリィ」
「うん」
「シャーリィの気持ちにも、その時ちゃんと向き合うよ」
「うん……もう少しだけ、待つよ。私」

 だから今は笑顔で。精一杯の笑顔で、エディンに微笑むシャーリィ。
 エディンは確かに頷き振り返って。両手に花で賑やかに談笑する、我が師へと呼びかけた。その一言に、看護師達は仰天したが。ヨォンは何も言わなかった。
 この日、エディン=ハライソは早々に退院してハンターズに復帰した。

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