『こんばんは、市民の皆さん。いえ、私はあえて言いたい。夜明けを待たず、おはようと』
何がおはようだとアタシは思った。
こちとら、ついさっき緊急のクエストをやっつけて、ベッドに飛び込んだばかりだから。
でもいい、許す。
今夜は特別な夜だから。
今夜は……独りの夜じゃないから。
『私、コリン=タイレルはここに宣言します。長い旅の終わりを――そして希望に満ちた始まりを!』
騒がしい。
フォトビジョンの中継は消してって言ったのに、彼はリモコンを手放してしまった。
その大きな手は今、アタシの手を握っている。
『長い旅……本当に長い航海でした。多くの苦難を前に、忍耐を強いられる日々が続きました』
そう、だったかな? アタシには出航した日が昨日のように感じるけど。
苦難? 忍耐? そうでもない、この狭くて不自由なパイオニア2も住めば都だし。
何よりアタシ達ハンターズが仕事に困らないのがいい。
でもそんな事は今、どうでもいいのだ。
だからフォトビジョンを消してと、そう言いかけた口を塞がれる。
アタシは瞼の裏に、唇を重ねる自分と彼とを見た。
『先ずはこの一年近くで、新天地を踏む事無く亡くなった方々に――その魂に祈りを捧げましょう』
彼と出航直後に出会って、もうそんなに……
この時アタシは、彼と一年も付き合ってたのだと気付いた。
新記録、歴代の恋人の中では二番目に長い。
でも昔の事より、アタシには今が一番。
いつでも今が一番。
『我々はこの一年近くで、多くを学びました。このパイオニア2船団が我々に教えてくれました』
互いの呼吸を貪るように、重ねた唇を夢中で吸いあう。
彼はそのまま、アタシの下着に手をかける。
いつものように口では嫌とかいいながら、アタシは脱がしやすいように腰を浮かせた。
『この狭い世界で、いかに隣人が己を律し、正し、励まし、支えてくれるかを。我々は実感しました』
彼はいつものように、アタシの耳へと舌をはわせて優しく噛む。
ニューマンの耳が性感帯だというのは、ヒューマンの男性諸氏がいだく幻想だけども。
でも、こうして身体を重ねて肌を合わせると、そんな妄言に信憑性を与えてしまう。
アタシは鼻から抜けるような声で、彼の背に回した手に力をこめてしまった。
ようは相手次第、ってことかな。
『さあ、旅が終わり……日々は続きます! 我々の日々は続く――否、始まります! あの星で!』
見下ろす彼の両手が、アタシの両頬を包む。
呆けた顔で見上げるアタシの、首から胸、腰と撫で降りた手が――ついに一番敏感なところに触れた。
カーテンの隙間から眩い光が差し込むと同時に、身震いしてのけぞるアタシ。
そのまま彼の指が湿った音をたてるたびに、アタシは浅い呼吸を刻む。
漏れ出る声がどんどん熱を帯びてゆくのが、自分でも恥ずかしいくらいによくわかった。
アタシは快楽の高みへと転げ落ちていたのだ。
『御覧下さい! あれが我々の希望の星! 第二の故郷、惑星ラグオルです』
彼が指と舌で、アタシの全身にくまなく触れる。
その繊細で情熱的な肌と粘膜のふれあいに、アタシも同じように応えた。
そうして互いを求め合い、昂ぶりが最高潮に達したのを感じて。
彼の無言の確認に、アタシは小さく頷き脚を開く。
『さあ、同胞の声を聞きましょう! 我々の声を伝えましょう! 記念すべき最初の交信が――』
彼と一つになろうとした、まさにその瞬間。
愉悦に浸っていたアタシは、突如響いたフォトビジョンからの悲鳴に意識を揺さ振られた。
何かが、起こった。
瞬時にアタシは、気だるい心身に鞭打って僅かに上体を起こす。
情報が欲しい。
職業病――アタシの中で、ハンターズとして長年培った本能と言ってもいい。
危機を察知する感覚ばかりが洗練され、それを回避して利へ転ずることに長けたアタシ。
そして彼の肩越しに、蒼い爆発に照らされた星の映像……それが、アタシが初めて見た惑星ラグオル。
「ん、ゴメン。も少し音を頂戴。何か中継が言って――」
咄嗟にテーブルの上のリモコンに手を伸ばす。
その時、アタシは聞いてしまった。
知らない女の名前を叫ぶ彼の声を。
彼は取り乱した様子で跳ね起きると、乱れた映像のフォトビジョンにかじりつく。
まるでアタシの事など忘れてしまったかのように。
何度も何度も、連呼される女の名前。
彼が揺さ振るフォトビジョンは、すぐに総督府のお詫びを告げる静止画像に切り替わった。
「ね、誰?」
パイオニア1に妹がいるとか、そんな説明をアタシは期待した。
この航海中、一度もそんな話を聞いたことはなかったけど。
身体を許せば何でも話してくれるとは思わないから、だから……
無言でゆっくりと振り返る彼の顔面は蒼白。
その表情を見て、アタシは全て理解してしまった。
どうもパイオニア1に別の女がいるらしい、と。
「何とか言ってよ、つーか言い訳くらい聞かせて」
彼はただ、黙って俯き膝を突いた。
放心状態でただ、先ほどの名前を繰り返すばかり。
さっきまで愛し合っていたのに、アタシのことは眼中になし、か。
百年の恋も冷めるとは、正にこのこと。
それでもアタシは、何か事情があるのだと冷静でいられた。
次の一言が飛び出てくるまでは。
「あれが発現してしまったのか? それで飲み込まれてしまった。ああ、私の愛しい――」
彼はもう、アタシを見ようとはしなかった。
何か意味不明な事を呟きながら、抱えた頭を床にこすり付ける。
それはアタシが、多分最後になるであろうシャワーを借りて、着替えても続いた。
こうしてアタシは、エステル=ロトフィーユは失恋してしまったのだ。
飽きたり捨てたり、時には逃げ出したり……でもこんなのは初めてだったから。
硝子の空が映す夜明けが、やけに目にしみたのは。
やっぱり泣いてたんだと思う。