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 読む気にならないメールが、未練がましく堆積してゆく携帯端末。気だるげにフォトンチェアに身をうずめて、エステルは結局一通も読まずにメールボックスを閉じる。そのままぼんやりと思惟をめぐらせていた彼女は、スリープモードになった画面に見知った姿が近付いて来るのを見た。
 ハンターズ区画の大通りを、トランクルーム前の広場へ向けて。ザナードが意気揚々と、息せき切って走って来る。

「カゲツネ、アンタの生徒が来たわよ?」

 そう言って床を蹴ると、エステルのフォトンチェアはターンしてカゲツネに並んだ。

「おやおや、確かに我が教え子、親愛なるエステル女史の後輩ではありませんか」
「あっ、転んだ……バカ、何やってんだか」
「ふふ、相変わらず元気イッパイですねえ」

 往来のヒューキャストと肩がぶつかり、慌てて振り返って頭を下げたザナード。彼は詫びる声も高らかに、再度駆け出して派手にスッ転んだ。思わず顔を覆うエステルと、微笑を零すように身を揺するカゲツネ。
 駆けつけたザナードは無邪気な笑顔で、手を振りながら大声で挨拶を叫びつつ二人の前で急停止。改めてカゲツネに向き直ると、クラインポケットに手を突っ込みながら教えを請う。

「カゲツネ先生っ! 僕にコイツの……マグの事を教えて下さいっ!」

 エステルは眉を潜めた。ザナードにとっては初めての、気になる相棒との付き合いのイロハ。それは多くの者にとって、今更な話題だったから。うんざり半分だが、同時に安堵もしている。だからエステルは、ザナードが自分の憎めない後輩ではなく、カゲツネの勤勉な生徒である事に胸を撫で下ろした。
 最も、複雑な表情で溜息を吐くエステルの姿はザナードには見えていない。彼はいつでも前しか見えないから。そして今の彼の前には、少年の素朴な知的探究心の答を無数に従えたカゲツネの姿。

「ふむ、今日はマグの事ですね。ではザナード君、貴方もおかけなさい」

 生マグを力一杯握り締め、カゲツネへと突き出すザナード。その姿にカゲツネは、大きな手を差し伸べ椅子を勧める。エステルは始まる講義に耳を傾けながら、肘掛に頬杖をついた。
 カゲツネは今、無数のマグに囲まれていた。先ほどからエステルと、ラグオル調査に関する見解をやり取りしたり、相変わらずの雑談に花を咲かせながら――彼はマグに、手を休めず餌をやっていた。

「ザナード君、マグの事は」
「ギルドでハンターズになった時は、防具の一種だって言われて支給されたんですけど」
「ラグオルの異変でゴタゴタしてたでしょうからね……ギルドの糞野郎、手ぇ抜きやがって」
「何か、聞いた話だとこのマグってのは、育つ防具だって!」

 一瞬だけ野太い声で、地の本性を見せたのも束の間。気付いたエステルの視線を受けて流し、カゲツネはザナードを、その手に握られたマグを見詰める。

「ザナード君、マグはハンターズの相棒にして分身です。マグが育てば……貴方も強くなる」

 そう言ってカゲツネは、興奮気味に身を乗り出すザナードの手に手を添えて。固く握る指を優しくほどき、カゲツネは新品のマグを解放した。ふわりと宙に浮いたマグは、主であるザナードの周囲を回る。
 エステルにはそれは、ザナード本人を彷彿とさせた。自分やヨラシム、カゲツネを追いかける少年の面影がマグに重なる。

「例えば、そうですね……このマグをちょっと、身に付けてみてくれませんか?」

 カゲツネは周囲に浮かぶ無数のマグから、無造作に一つを手にしてザナードへと差し出す。

「これは……え、こんなに大きくなるんですか!? うわー、でも、ええと、じゃあ」
「いいよ、アタシが預かったげる。っとにもう、要領悪い子……しまえばいいじゃん」

 自分の生マグを両手で包んで、おろおろするザナード。別に、そのマグを捨てる訳でもないのに。ただクラインポケットに収納すればいいものの、ザナードは心底困ったように手元を見詰める。
 やれやれと苦笑しながら、エステルが手を差し伸べる。放せば主の意思に従い、そのマグはエステルへと羽ばたくのだが。ザナードは立ち上がって、そっとエステルの小さな手に自分のマグを置いた。

「ええと、これは……えっ!? 何だこれ」
「そのマグの持ち主はレイマールの方なんです。どうです、凄いでしょう」

 マドゥとはまた珍しいマグだと、エステルは久しぶりに触れる生マグの感触をもてあそびながら見やった。そのマドゥとシンクロしたザナードは、自分の身に起こった異変に戸惑う。

「そのマグの持ち主は素っ気無く無愛想ですが、非常に繊細で優しく家庭的な女性で。強がっていても根は恥じらいに満ちた可愛らしい、正に鉄火場に咲く一輪の花。その上スタイルも――」
「カゲツネ、それはまた別の時にゆっくり聞くし。ザナード君、困ってんじゃん」

 エステルが口を挟むまで、カゲツネは暫し恋人の一人に想いを馳せて。その素晴らしさを称えつつ、腕組み頷きながら力説していた。

「まあ、それはさておき……ザナード君、解りますね? そのマグの価値が」
「あ、あの、これ……こんな事って」
「マグはハンターズの身体能力に補正をかける生体防具です。鍛えられたマグは、御覧の通り」
「凄いっ! 力が漲るっ! これなら、ヨラシム師匠のソードだって振り回せそうですよ!」

 ザナードは滾る血潮に拳を握って、軽く繰り出してみる。体が軽い――誰も殴った事のない拳が、まるで鍛え抜かれた武道家のもののように空を裂いた。
 無邪気なものだと、生マグを撫でつつ呆れるエステル。

「そのマグは持ち主の意向で、生体フォトンの粒圧に対する補正に特化しています。つまり……」
「つまり、このマグは力がすっごく上がるマグなんですね!」
「端的に言えばそうですね。さ、次はこっちのマグです」

 フォトンチェアから立ち上がったカゲツネは、ザナードから焦桃色のマドゥを奪い取る。不意にマグとのシンクロが切れたザナードはしかし、先ほどとは別のマグをセットされた。脱力感に襲われしなびるかと思われた体に、再び活力が満ちる。

「おっ、次のマグは……これもさっきと、いや違う! これは……」
「これも同じレンジャーの、まあレイキャシールの娘なんですけどね」

 お次は定番のシャトだと、エステルは一連のやり取りを眺める。彼女の手の中で、まるで飽きたように新品のマグが震えた。よくよく見れば本当に新品で、餌を与えられた形跡も無い。
 腹を空かせてるのだと思えば不憫に思い、手持ちの何かを与えたくもなるが。あえてエステルは我慢して、なだめるようにそっと撫でる。新米ハンターズなら、マグ育ても一からはじめなければいけない。
 カゲツネの悪い癖がまた始まった。

「今度のマグの持ち主は非常に情緒豊かで愛くるしく、まるでアンドロイドである事を忘れてしまいます。何しろよく食べる、本当に惚れ惚れする程の食べっぷり。正に健康美、その上スタイルも――」
「カーゲーツーネー? いいから話進めて。っとに」

 またも別世界へと旅立ったカゲツネが、その更なる深みへと踏み入れようとした寸前。エステルは咎める声を発して彼を止めるしかなかった。
 何も今に始まったことではない。カゲツネは自分の恋人を誉めることにかけては、間違いなくエステルの知る限り一番だった。数多く付き合ってきた男達の誰よりも。

「今度のはさっきの奴より大人しい……けど、何か……」
「ええ、粒圧補正を程々に抑えて、その代わり集中力を高めてくれるよう育ててあります」
「集中力……つまりっ! ……ええと、何だろう」
「射撃や剣術の精度が上がったりしますね。さ、ザナード君? 少し解ったんじゃないですか?」

 再びマグを取り上げられて、そのシンクロが途切れると。少しよろけたがザナードは、感激に瞳を輝かせて両拳を胸の前で握る。

「マグには色んな育て方があるんですね! 同じレンジャー用でもこんなに違う」
「ええ、それはハンターやフォースも同様。自分の長所を伸ばしたり、短所を補うのがマグです」
「じゃあ、僕の場合は……」
「それを決めるのはキミでしょ。ほら、返す。お腹すかせてるぞ、その子」

 エステルは手にしたマグを、本来の持ち主へと放る。

「ザナード君、私達フォースの精神力もマグで補正できるの。一応教えとく」
「さらにマニアックな話をすれば、耐久力……というよりは忍耐力も支えてもくれますね」

 先輩と先生の言葉に、思わずザナードは受け取ったマグをじっと見詰めた。

「何か凄いんですね、マグって。どうすればコイツは育つんですか!?」
「言ったでしょ、お腹すかせてるって……モノメイトとかまぁ、割と何でも食べるから」
「正し、どの方向性に育つかも全て餌が決めます。その事だけはお忘れなく」
「ええと、じゃあ何を……」

 ザナードは言葉を待ったが、エステルもカゲツネも黙って首を横に振る。

「ザナード君、アタシ達が教えるのはテクニックとか、銃とか剣とか。まあ、技術ね」
「マグとの付き合い方は知識です。そして知識は経験を伴わなければ……解りますね?」

 解ったような解らないような、しかし厚意には敏感に反応するザナード。たちまち顔を綻ばせると、元気の良い返事で何度も頷く。
 エステルを助手にしたカゲツネの講義はここまで。後はザナード本人の問題。
 また一つ、一人前のハンターズとして成長する……成長するような気がするザナード。早速クラインポケットのアイテムを漁りながら、彼は素朴な疑問を先生へとぶつけてみた。

「でもカゲツネ先生、何でそんなに沢山のマグを育ててるんですか?」
「これですか? ふふふ、ザナード君も大人になれば……いや、今教えてあげましょう」

 険しいエステルの視線を背中に受けながら、カゲツネは不思議そうに見上げるザナードの肩を抱いて。額を寄せると間近で囁いた。

「ザナード君、女性は昔から贈り物が大好きです。最も、このマグ達は彼女達の持ち物ですが」
「は、はぁ……あ、それで餌をあげてるんですね。自分の時間をプレゼント」
「正解です。と、言ってもマグはハンターズの大事な相棒です。それを預かるという事は……」
「凄いじゃないですか、きっとカゲツネ先生は信頼されているんですよ! うんうん」
「ええ、ええ。私もそう思います。これは寧ろ、愛ですよ。しかし一度でも餌を間違えたりすると」
「間違えたりすると?」

 表情のないカゲツネの顔に、鋭い光が走った。

「猛烈に怒られます、恐らく絶交を言い渡されてしまうでしょう」
「た、大変なんですね……」
「そう、いつかザナード君も経験し、そこから知識を得て下さい。恋愛は大変なのです」

 一人で納得するように大きく頷き、ザナードの肩をポンポン叩きながら。カゲツネはしかし、技術ならば惜しみなく与えると言い出した。そうして彼は、エステルの鋭い眼光の矢を浴びながらも、純情無垢なザナードに女性の口説き方を伝授し始めるのだった。
 最も、その大半がザナードには理解不能で。理解可能なもう半分は、物理的に実行が不可能な技術だった。

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