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 ヨラシムには銃を携帯する癖が昔からなかった。概ね銃器による射撃、および援護や威嚇が必要な場合……彼の仲間達が全てこなしてくれたから。それはかつて相棒だったザナードの父親であり、公私共にパートナーだったエステルであり、今はカゲツネ。
 そのカゲツネに先日、銃の携帯を約束したばかりなのに。ヨラシムは今の今まで、そのことを失念していた。結果、このラグオルの地表で最も大型の凶暴な哺乳類と、近接距離の格闘戦を演じるハメに陥っているのだった。

「っせえぃ! これで、六匹目……畜生めっ、こいつは流石に骨が折れやがる!」

 必殺の流し斬りを浴びせて、なお倒れぬ巨躯へとトドメの突きを放って。強靭なその肉体へと、根元まで深々とソードを突き刺し、ヨラシムは独り呟いた。
 言葉とは裏腹に、己の顔が笑っていることに気付いて、彼は嫌悪に頬をしかめて剣を引き抜く。
 大きな音を立てて崩れ落ちるヒルデベアの向こうに、新手の姿が見えた。

「チィ! ヤだね、おお嫌だ。これが楽しくなってきちゃ、いよいよ俺も救えねぇ」
「あっ、あの! ヨラシムさん、あのっ、私は……私は、どうすれば……」

 機先を制するべく地を蹴ろうと、身をバネにしたヨラシムを引き止める声。
 振り向けばそこには、震えて竦む一人のフォマールがいた。今日のクエストの依頼人、アリシア=バズ。以前に不可解な仕事をもちかけた、謎の機関の研究者……だった女性。
 初めてフォースとしての力を使い、真実を自分の目で確かめると決意した彼女はしかし、凶暴な原生動物が跳梁跋扈するラグオルでは非力に過ぎた。

「俺から離れるな! アンタ、初めてなんだろ? ピッタリ背中に張り付いてろや」

 何度も頷き、アリシアが駆け寄ってくる。その気配と一定の距離を守りながら、ヨラシムはヒルデベアと正面から組み合った。
 豪腕が唸り、その怪力を受け流したソードに衝撃が走る。握る手が痺れて、ヨラシムは歯を喰いしばった。同時に刃をひるがえせば、躍動する筋肉に全身が膨張する感覚。昂ぶり激した己の感情に感応して、ソードのフォトンが一際眩く輝いた。

「っせーのぉ! デェェイッ!」

 雄々しく気勢を叫んで、力一杯ソードを叩き付ける。鋭い粒子の切っ先が肉を抉る感触と共に、ヨラシムは血の雨を浴びながら剣を振り抜いた。だが、グラリと揺れたヒルデベアが踏み止まった。
 怒りに充血した目をギラリと輝かせて、ゆっくりと丸太のような腕が振り上げられる。

『ツメが甘ぇな、相棒! 俺がいつも背中にいると思うなよ』

 不意に幻聴がヨラシムを襲った。
 今、背中にいるのは今日の依頼人……だが、確かに彼は聞いた。今はその力を奪われた友の声を。いつも、いつまでも背中を預けられると思っていた。しかしそれは一瞬で失われてしまった。永遠に。

『ほら、しっかり最後までやんなよ! 無茶されてフォローする側の身にもなってよね』
『ヨラシム、やはり銃器を携帯すべきでしたね。いい店があります、すぐ紹介しましょう』

 俺が無茶ならお前は無理と、勝手知ったる声に本音を返す。気のいい仲間の厚意にも、感謝の言葉が自然と零れた。思えば互いに相手を気遣いすぎていたような気がすると、場にそぐわぬ思惟が浮かんでは消え。同時に、武器屋の恋人でもできたのかと無粋なことへ考えが及ぶ。
 その刹那、思いもよらぬ声にカゲツネは叫んだ。

『師匠っ! 今、僕が援護しますっ!』
「危ねぇ、下がってろ! 手前ぇにゃまだはええっ!」

 せき止められていた時間の流れが、濁流となってあふれ出した。空高くかざされた鉄拳が、身を捩るヨラシムを掠める。あらゆる攻撃を想定して編み上げられた、フォトン科学文明の結晶であるハンターズスーツが裂けて赤く染まった。一瞬遅れて突風が、容赦なくヨラシムの肌を叩いて吹きぬける。
 僅かによろけながらも、二本の足が大地を掴む。滾る血潮が沸騰して、ヨラシムを何でも屋のハンターズから一人の戦士へと変貌させた。
 戒めを一時だけ、止めると書いて――「武」
 ヒルデベアの攻撃を避けたヨラシムは、そのまま大きく捩れた上体を爆発させた。限界まで引き絞られた筋肉が弾けて、手に持つ武器の重さが消失する。一閃……咆哮とも慟哭ともとれぬ絶叫を迸らせて、ヨラシムは闘争本能を解放した。
 空気を泳ぐように刃が透過し、一呼吸おいてヒルデベアが真っ二つに両断される。その上半身は、ズルリと滑る血を溢れさせながら、鮮やか過ぎる切り口の断面を滑り落ちていった。

「っぷう! ……っは。やべぇやべぇ、何だ今のは。ガラじゃねぇだろ、ガラじゃ」
「あ、あの……」
「あ?」
「ひっ! す、すみません。でも、あの、せめて傷の手当くらい……ごめんなさい」

 背後のアリシアはうろたえ萎縮しながらも、レスタの準備をしながら駆け寄ってくる。その姿へ険しい視線を投じてしまったヨラシムは、思わず恐縮して素直に厚意に甘えた。
 静けさを取り戻したラグオルの森は今、身を横たえるヒルデベアの死骸が埋め尽くす。

「その、悪ぃ……別にあれだ、アンタに言ったわけじゃないからよ。さっきのは」
「いえ、いいんです……自分の力で真実を見ると。そう誓ったのに、私は結局何も……」
「じかに戦うだけがフォースじゃねぇよ。その、レスタとか助かるしよ」

 精神力をさまざまな公式で練り上げ紡いで、物理的な力として顕現させるテクニック。その発現には、使用する者の思いが時折入り混じる。だから今、ヨラシムは切実であたたかな温もりに包まれていた。
 レベルの低さゆえに身を寄せ、じっとヨラシムへ手をかざして傷を癒すアリシア。その髪が風に揺れて、ヨラシムは甘い匂いに鼻腔を擽られた。御無沙汰して久しい感覚が身をもたげて、慌ててそれを押し潰す。
 禁欲している訳ではないが、今のヨラシムに異性へ向ける余裕はなかった。最も、肉体は本能に正直だったが。特に、戦闘の興奮に高揚し、その残滓が燻る今は尚更に。

「も、もういい、大丈夫だ! ほら、血も止まったしよ! いや助かった、もう平気だ!」
「そ、そうですか……ごめんなさい、こんなことでしかお役にたてなくて」

 切なげに微笑み、アリシアが離れる。
 ――軽く、落ちかけるヨラシム。
 先日、カゲツネが褒めちぎっていた言葉が脳裏でリフレインした。確かに、これは転びそうになる。先日同様、一人でギルドカウンター前を彷徨う姿は、以前にも増して哀愁を感じさせたが。
 儚げに思い詰めたその横顔は、少し破壊力がありすぎた。

「でも、ヨラシムさんがまた依頼を受けてくださって……本当にありがとうございます」
「よ、よっ、よしてくれ! あれだ、まだ仕事は終っちゃいねぇ。そ、それにあれだ、ほら」
「そうですね……この星の原生動物に、遺伝子レベルで起こった異変。その正体を確かめなければ」
「お、おう。まあしかし、ゴリもそうだが全部が全部……っと、まだいたか」

 不意に獣の唸り声がして、ヨラシムはアリシアを庇いながら剣を構え……眼前の光景に顔を歪めた。
 自慢ではないが、ヨラシムはこの手の話に弱い。仲間から揶揄される程に。
 それはしかしアリシアも同じようで、ヨラシムの腕に両手を置いて、何かを訴えるように首を何度も横に振った。殺気を感じなければ、身の危険がある訳でもない。黙って剣を降ろすヨラシム。
 物言わぬ肉塊となって、その体温を大地に奪われ冷たく横たわるヒルデベアの死骸。その亡骸をすがるように揺さ振る、小さな影があった。それは恐らく、ヨラシムが斬り伏せたヒルデベアの子。

「ヨラシムさん、あの子は……」
「ああ、大丈夫だろ。が、万が一もある……わーった! わーった、見ててやる、行けよ」
「すみません、気になるんです。パイオニア1の記録とは、余りにも違いすぎるので」

 アリシアの潤んだ瞳に、ヨラシムは己の甘さを笑いながら折れた。我ながら甘い……だが、それでいい。そう思うヨラシムは、ヒルデベアの子供に近付くアリシアを見送った。その背中に警戒の色は全くない。
 己の甘さは時にヨラシムを苛み、窮地に追いやって来た。しかし彼は、自分の情に弱い甘さは嫌いではない。許せないのは、己の甘さではなく甘え。

「酷い傷……どうして? こんなに衰弱して。まるで育児を放棄されたみたい」

 小さなヒルデベアの子供は、無防備に近付くアリシアに危害を加えなかった。ヨラシムには、すでにもうその力がないほど弱って見えた。その姿は、先程のアリシアの言葉を暗に肯定する。

「ヒルデベアは本星コーラルの多くの哺乳類同様、付きっ切りで子育てする……そうだよな?」
「ええ、パイオニア1の記録ではそうだと。でもこれは異常です、このままではこの子は……」
「育児放棄をする動物の生態は、時々報告されたりしてねぇか? こいつも――」
「それは特殊なケースです! こんな、成体が揃って警戒色も露に人を襲うなんて……だから……」
「アリシア、さん……」
「研究よりまず、保護すべきです。それを、ラボの人間にまで頼って上層部は」

 アリシアは生物学の専門家、しかも大型哺乳類の研究を専攻している。その言葉を聞けば口を挟む余地はないと感じるし、ヨラシムも実際経験していた。この森は――ラグオルの森は、異常な程の敵意に満ちていた。
 それは全て、新天地の異変を調査するハンターズに向けられている。
 今日の仕事はここまでか、と。ヨラシムはソードの血糊を拭ってクラインポケットへ納刀する。依頼主の希望通り、ラグオルの真相へと彼等は辿り着いた。ヨラシムにとって日常化しつつある、アリシアにとっては過酷過ぎる現実。ヨラシムが体感的に感じて、そのまま流している些細な事も……専門家であるアリシアが見れば、違った意味を持つだろう。
 それを自ら求めたアリシアは、意を決してヨラシムへと振り返った。

「ねえ、ヨラシムさん。この子をパイオニア2に連れていくと言ったら……どう思われます?」

 表情を変えずにその言葉を受け取り、理解して。僅かにピクリと、ヨラシムの眉が跳ね上がる。しかし否定の言葉を吐き出す前に飲み込んで、彼は無精髭の目立つ顎をしきりにさすった。
 素人のヨラシムが見ても、眼前のヒルデベアは衰弱しきっている。このままラグオルの大地に放置すれば、例え他のハンターズが手を下さずとも結果は明白。そして、そんな子供を他のヒルデベアは決して守らないだろう。
 ひとしきり考えに考え、僅かな時間で熟考を重ねた末に……ヨラシムは重い口を開いた。消えゆく命を救いたい……そんなアリシアの気持ちを汲みつつ、彼の頭は冷静に事態を予測できてしまった。

「ん、いいんじゃねぇか……しない善よりする偽善、まぁ間違いなくそいつの命は助かるぜ」
「……ほんとうにそうかしら……命さえ助かればなんて、人の驕りかもしれません」
「気付くか、やっぱしよ。ああそうだ、アンタが考えてる通りだ」
「この子はパイオニア2では、実験動物として生かされ続ける」
「そうだ。捻じ曲げられた大自然で死ぬか、人の手でアレコレいじられて生きるか……」
「どうして、この子に選択肢はそれしかないんでしょう」

 そういってアリシアは、せめてもの慰めにとレスタを紡ぐ。しかしその温かな光に満ちた手を、小さなヒルデベアは振り払った。そして、立ち尽くすヨラシムを――親の仇を睨んで低く唸る。見捨てられてなお、親子の情を感じてヨラシムは迷った。
 結局しかし、その迷いを振り払う機会を与える事なく、ヒルデベアの子供は森の奥へと消える。多くの仲間や他の原生動物が、取り憑かれたように暴れ回る危険な森へ。
 頼りなげに手を伸べ、その小さな背中を見送って。アリシアは実行寸前のレスタを霧散させると、手に手を抱いて俯いた。その姿にいたたまれなさを感じながらも、この時ヨラシムはテレパイプを放るしか出来なかった。
 風が吹きぬけ枝葉が揺れて……ラグオルの森はむせび泣いているようだった。

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