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 煉獄にも似た洞窟はその奥へ、清涼なる静けさを秘めていた。
 フォトン科学技術の粋を凝らして作られたハンターズスーツを着てさえ、じっとり汗ばむ焦熱の回廊……それを抜けた先は、凍れる静寂。吐く息も白く煙る、天然の氷室だった。灼熱地獄を超えて今、エステル達は極寒地獄を進んでいる。進むが地獄でもしかし、戻るもまた地獄……そう解っていてさえ、エステル達は少しずつだが、日々の調査で洞窟の第二層を踏破しつつあった。
 それにしても、とエステルは僅かに震える己が肩を抱く。小刻みに足踏み。耳が痛くなるような静けさは今、幻想的な光景に満ち満ちていた。ここには、自分以外には三種類の音源しかない。水晶が溶けて広がったような、地下水の泉に雫が滴る音が一つ。その向こう側で、落ち着かない様子の目配せを送ってよこすヨラシムの貧乏揺すりが一つ。そして……エステルの背で、低い唸りを上げる合金製の扉が一つ。

「よぉ、やっぱ連絡すっか? さっき別れた向こう側が、思ったよりも深ぇのかもしんねぇ」

 ヨラシムの声が、高い天井に反響する。その声音の広がりを目に訴えるように、宙をたゆたう洞窟クラゲがゆらりと揺れた。洞窟クラゲ……それは本星コーラルにはいない、未知の生物だったが。おざなりに命名された挙句、その研究は棚上げされたままだった。今、ハンターズが、パイオニア2が最優先でしなければいけないこと……それは、分厚い合金製の扉の向こう側にある。……そうエステルは思う。

「待ってればその内、来るってば。もうっ、相変わらず落ち着かない奴……」

 エステルは苛いでいた。彼女のくるりと大きな瞳が、ダマレと視線の矢を射る。それは真っ直ぐ、フロアの隅に立つヨラシムへ注がれる。効果は絶大で、意図する所がよく解っているらしく、ヨラシムは渋々黙った。
 やはり、自分の判断は間違っていただろうか? エステルは一人、ヨラシムの丸んだ背中に目を細めながら思案を巡らせる。天然の洞穴をそのまま用いた、パイオニア1軍施設……その通路で今日、一行は分かれ道に突き当たった。二手に分かれようと言い出したザナードの言葉に、迷った挙句に頷いたのはエステルだった。
 時間を惜しまず、片方ずつ潰すべきだったか……それを言うならしかし、真にしくじったのは、などと思惟が環を結んで回帰する内に、エステルの携帯端末が鳴り響いた。
 ワンコールで即座に、クラインポケットから飛び出す携帯端末に長い耳を当てる。

《エステル先輩っ! お待たせしました、今そっちに向かってます!》
「そ、お疲れ様。何か収穫、あったのかな?」

 弾んだ少年の声が、聞かなくても大収穫を告げていた。寧ろそれが喋りたくて仕方がないようなので、あえてエステルは気晴らしに聞いてみる。声の奥には、ザナードの先生が慎重に歩く足音が規則的に響いていた。

《コンテナが沢山あって、フレームもバリアもこんなに! いやぁ、スロットのある物も……》
「こんなに、って見えないし。まあ、良かったじゃない?」
《そっちはどうですか? こっちが行き止まりだったんで、もしかしたら……》
「御名答、でも中々手の込んだロックが掛かってるの。そんな訳で、キミ達待ちって訳」

 チラリと肩越しに、再度エステルは頑強な扉を見やる。そこには、フォトンの光が四つ灯っていた。内、半分の二つが緑色に輝いてる。エステルとヨラシムが、それぞれ床に配置されたスイッチを踏んでいるからだ。部屋の四隅に、まるで隠すように散らばったスイッチ……それを同時に四人で踏まない限り、どうやら扉は開きそうもない。

《まかせて下さい、いま全力でそちらへ向かっ「てますっ! 待って》くださいね、先輩っ!」

 通路の奥から、肉声が響いてきた。思わず苦笑して、携帯端末を耳から遠ざけるエステル。ザナードは今日も元気一杯で、ここに来る過程でも大いに騒動を引起した。だが、それと同じ位に――それ以上に、ハンターズとして成長していることを行動でエステルや仲間達に示した。
 だからこそ、とエステルは思うのだ。見栄が胸中に鎌首をもたげる。失態は見せられない。

「エステル先輩っ! ほらこれ、早速インストールしてみたんですけど……先輩も使いませんか?」
「ふむ、これが先程言ってたスイッチですね。ザナード君、先ずはこれを片付けてしまいましょう」

 そうして貰えると助かると、エステルは胸中に呟いた。その間も彼女の小さな足は、交互に地面のスイッチ上でステップを踏んでいる。踊っている訳ではない、足踏みせずにはいられないのだ。
 クラインポケットから、フレームやバリアのインストールチップを取り出し駆け寄ってくるザナード。彼はいつもの、カゲツネ先生の的確な意見に耳を傾け、暫し考え込むポーズで顎に手を当てチップをばらまいてしまう。しかし納得した様子で、大事な調査の収穫を拾い集めるや、空いたスイッチへと走り出した。
 これで扉を開けて、その奥へ――あともう数フロア程調べて、エステルは今日は切り上げる積もりだった。何も、彼女が今、痛恨に思っている失敗故の帰還ではない。ラグオル調査にも慣れ始めた今、ハンターズにはそれぞれチームごとに、自分達に合ったペースを保つことが定石になっていた。ガムシャラに突き進んだチームの大半は、二度とパイオニア2に帰ってはこなかったのだ。

「っと、少々お待ちを……もしもし? ああ、私です。今ですか? ええ、ラグオルに――」

 不意に、スイッチへと歩むカゲツネが歩を止め、己の左腕に埋め込まれた通信機能に呼び出された。その声色から直ぐに、相手が女性であるとエステルには知る。同時に、長くなるとも。

「はい、ありますよ……ええ、スロットが二つ使える物が丁度。ええ、私は宜しいですが」

 きっとカゲツネが言ってるのは、前のフロアで新しい物をインストールした為、必然的に外されカゲツネに譲った、エステルのギガフレームの事だろう。同時に、スロット数が多い物の方がと、玄人ぶってお下がりを辞退するザナードの、いかにも誇らしげな姿まで思い出してしまった。
 可愛らしいやら小憎らしいやら、そんな事を思っているエステルの肢体を、冷気が這い上がってくる。いよいよじっとしていられない。

「ええ、丁度先程空いたものでして。デッドストックになるよりもシェアしたほうがいいでしょう」

 話が長い。寧ろカゲツネには、それを楽しんでいるようだ。更なる楽しみを呼び込む為に。

「そうですね、では今度……今夜、お逢いしましょう。いえいえ、そんな、滅相もない」

 見えない相手を敬うように、カゲツネが空いた右手を振りながら恐縮して見せる。そんなところは本当に、この男はマメで抜け目がないのだ。
 エステルは歯噛みしながら、スイッチの上で足踏みを繰り返す。カゲツネの長過ぎる通話は、終る気配を微塵も見せなかった。そしてそれを感じ取っているのは、エステルだけではなかった。

「先輩っ! 見てくださいよ、あっちはどうも資材置き場か何かだったみたいですっ」

 足元のスイッチが、改めてオンになる音を響かせる。ザナードが無邪気に、手に沢山のチップを抱えながらエステルにじゃれついてきた。相変わらず子犬のようで、屈託も遠慮もない。
 薄栗色の長髪をかきあげ、帽子を被り直すと……エステルは気を紛らわせるため、ザナードが先頭に立った冒険譚と、そのささやかだが貴重な収穫に付き合うことにした。実際、使える物があれば有効に使いたい……何より先ず、真っ先に目の前の少年に使わせてやりたいから。

「ソリットフレームのスロ3ですよ? これ、先輩がさっき脱いだのより一つ多いじゃないですか」
「そ、そだね。んー、まあアタシは、スロット数より防御力を優先する。申し訳程度でも、ね」

 そう言って首元のIDに手をやる。先程インストールしたハイパーフレームは、スロットこそ無いものの、その防御力は信頼出来るものだった。エステルは余程稀少で高性能なユニットが手に入らない限りは、スロット数に拘らない主義だった。
 目の前で、いわゆる普通のハンターズが唱える"スロット数至上主義"を語り始めたザナードに、違う見解を述べようとも思ったが……いよいよエステルの集中力は散漫になり、身震いが止まらない。

「では今夜、山猫亭で……ええ、楽しみにお待ちしてますよ」

 甘い甘い、聞いてる側が砂を噛む様な気持ちになる言葉を紡いで。カゲツネはやっと、はるか頭上のパイオニア2にいる、恋人の一人との通話を終えた。同時に、待ってましたとばかりにエステルはザナードの熱弁を遮る。
 慌ててスイッチに走るザナードの、その頼りない背中に安堵の溜息を零して……三度エステルは扉を見上げた。いよいよ、また一つ真実へと近付く時。この奥には、リコのメッセージが、パイオニア1軍の陰謀が……何より、ラグオルの異変の真相が待っている。……筈。
 だが、緑のフォトンが三つ灯ったまま、扉は相変わらず機械的な唸り声を上げていた。

「……よお、エステル。何か今日、調子悪いんじゃねえの? なんかこう、ピリピリ、つーかよ」

 道の開けぬ原因が今、エステルの傍らにキマリが悪そうに立っていた。ヨラシムだ。彼は既にエステルの異変に気付いた様子で、頬をポリポリ、髪をバリバリ掻きながら控え目に気遣ってくる。それは最接近した過去を経て、今は仕事仲間という関係を意識した態度だった。

「なっ、何よ? 別に……いいからスイッチ、踏んできなさいよ」
「あ、ああ。まあ、アレだ、次のフロアを片付けたらよ。……今日はもう、あがろうや」

 不意にエステルの身を縛る緊張感が、その精神力が弛緩した。それが身体に及ぶ前に、今度は慌ててエステルが一歩踏み出す。扉の緑は二つになって、遠くでザナードが不思議そうにカゲツネに質問をしている。
 もう、限界だった。

「ごご、ごめんっ、今日はここまで! ヨラシム、マッピングしてるでしょ? 明日、ここまで午前中でこれるかな……大丈夫よね。カゲツネはザナード君とアイテムの管理、よろしく! いい? ちょろまかして女に貢ぐのも、それをザナード君に教えるのも駄目だかんね。そ、それじゃ……かっ、解散ってことで」

 既にもう、扉のフォトンは全てが赤だった。エステルの顔と同じで。
 何事かと集い、三者が三様に見詰める中……エステルは半端な指示を矢継ぎ早に繰り出すや、同時にリューカーを実行。最後の一言が言い終わらぬ内に、己の醜態を悔いながら光へと飛び込んだ。
 エステルはパイオニア2に実体化するや、全力で花を摘みに走った。

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