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「よう、アンタか……はっ、ザマぁないだろ? ……シノ? どうしてここに」

 深手を負ったバーニィの、途切れがちな声が引き絞られる。彼の驚きを引き出した張本人は、カゲツネの横で今、主人の相棒だった男を静かに見下ろしていた。
 ミヤマ家に仕えしアンドロイド、シノ。その端整な無表情が、抑揚に欠く声を淡々と零した。
 しかしカゲツネには、密かに滲む焦りがありありと感じられる。

「マスターは、ゾークは無事ですか? 今、どちらへ」

 無言で頷くバーニィは、震える手で奥の扉を指差す。その先へと迷わず、シノは駆け出した。
 追いかけようとするカゲツネの足が、つい鈍る。放ってはおけぬほどに、バーニィは重傷だった。しかし今、無謀にも先行するシノを止める言葉が見つからない。
 焦れるカゲツネの背を、どうにか押しやる声。それは血に濡れかすれていた。

「行けよ……俺ぁいい。あのお方のツテもあってな……死ねねぇのよ、こんなとこじゃ」
「しかしその傷、放置すれば長くは――」
「放置できねぇ、のは……シノの方だ。急げよ……こちとら一応、これでも仕事でね」
「ほう。それはまた。では、後ほど詳しく聞きましょうか。貴方の言う"あのお方"について」

 それだけ約束させて、カゲツネは武器を構えて駆け出した。たちまちバーニィの希薄な気配が遠ざかり、周囲に立ちこめる魔素が濃度を増してゆく。
 バーニィは、恐らく死なない。まだ、死ねない。カゲツネは直感とも言うべき閃きで、己にそう告げられて走った。蹴破るように勢い良く、開かれる扉の向こうへと転がり込む。

「シノ! 後退を! ここは貴女のような方が戦える場所ではありません!」

 ラグオルの地下深くに沈められた、謎の遺跡……その中を跳梁する、恐るべき敵。闇の淵より澱み出る異形は、人の常識を超えた破壊の徒でもあった。並のハンターズでは歯が立たず、まして旧式のアンドロイドとなれば話にならない。
 全てのはじまり、ゾーク=ミヤマがシノを連れなかったのも、それが原因だった。
 ハンターズギルドでも『豪刀』の名で恐れ敬われる剣豪、ゾーク。ハンターズとしても歴戦の古強者である彼の判断は、ある一面では間違ってはいなかった。この場所はシノのような、旧式が生き残れる場所ではない……しかし、長い時間苦楽を共にした女性に、それを告げるにはもっと注意を払うべきだったとカゲツネは思う。
 無論、シノが女性だから。

「カゲツネ様、マスターが……ああ、ゾーク。起きてください……どうか、私を」

 シノは悪意と殺意の中心に突っ伏していた。その腕には、既に亡骸となったゾークを抱いている。

「どうか私を叱って下さい。命令を破った私を……マスター」
「くっ、シノォォォ! 戻れぇぇぇい!」

 マルチロックオンを告げる視界の光点を捉えて、絶叫と共にカゲツネはショットのトリガーを引き絞った。連続して放たれる散弾の反動に、厳つい巨体が震えて後ずさる。それでも構わず斉射三連、続いて重量のかさむショットを投げ捨てるや、彼は一目散に駆け出した。
 群がるD型亜生体――総督府がディメニアンと銘打った個体――が、フォトンの礫を浴びて四散する。文字通り、周囲の瘴気に溶け込むように消えてゆく。その後に残る紫色の染みを踏みながら、カゲツネはシノを庇うようにマシンガンを抜いた。
 耳をつんざくいななきと共に、新たな敵意が目の前に顕現する。

「ファック! デカブツの登場だぜ! ヘイ、シノ……シノ?」
「カゲツネ様、マスターが……私も、もう」

 虚ろな瞳で見上げるシノに、今は構っている暇がない。
 人馬一体となりて邪を象る……カゲツネも始めて見る巨大なダークエネミーが、すぐ目の前に屹立していた。禍々しい刃を形成する右手が、異常フォトンの唸りと共に振りあげられる。
 退けぬ位置に陣取り両足を踏ん張ると、カゲツネは振り下ろされた兇刃を、交差させた銃で受け止めた。火花が飛び散り、愛銃が金切り声を歌う。

「シノ、逃げろ! ……逃げてください。ここは、私が。ゾークも弔ってやらねば」
「カゲツネ様こそ、お逃げください。私にはもう、生きる理由がなくなりました」
「……貴女はミヤマ家に仕える身、次なる当主を支える義務があるでしょう!」
「久しぶりにゾークをこの腕に抱き、この胸に迎えて気付いたのです……カゲツネ様」

 自身のフレームが軋んで、人工筋肉が悲鳴をあげる。負荷限界を訴える四肢に鞭打って、カゲツネは眼前にそびえる巨躯を蹴り飛ばした。その反動で自らも転がりながら、咄嗟にトラップを放り投げる。僅かに揺らいだ程度のダークエネミーは、蹄を鳴らして前脚で床を蹴っていた。
 即座に武器をライフルにスイッチ、宙を踊るフリーズトラップを狙点に捉え、カゲツネは銃爪を引いた。

「私はミヤマ家ではなく、いつからか……ゾークに仕えていたのです」

 凝縮された冷気が爆発的に拡散すると同時に、闘争の空気が凍りついた。そして訪れる静寂の間隙に、静かなシノの独白が染み渡る。
 古いタイプのアンドロイドには、自我を抑制され、特定の人間や組織に仕える者も少なくない。シノもそのタイプだが、彼女ははっきりと今自覚した感情を吐露した。ミヤマ家という組織ではなく、ゾークという個人に……一人の男に仕えていたのだと。それがどういう意味を持つか、カゲツネには痛い程よく解った。

「ならば尚のこと、死んだゾークの分まで――」
「ゾークのいない世界に、私の居場所はありません。ですから、これが私の最後の務め」

 氷の彫像と化したダークエネミーを前に、シノは振り向き立ち上がった。その手に、ゾークが最後まで握っていた、一振りの太刀。ぎこちなく青眼に構えれば、ダークエネミーを閉じ込めた氷塊に無数のひびが走る。
 それからの出来事は一瞬で、カゲツネの判断も即決だった。
 轟音と共に氷が弾けて、後脚で立ち上がりつつ周囲のフォトンを吸い上げるダークエネミー。その正面へと、無防備に歩み出るシノ。振りあげられるは、既に刃の欠けた剣……名は散華。東方の戦士が、戦場に散るを華とした言葉である。
 瞬間、狙い定めて。迷わずカゲツネはライフルを構え、ダークエネミーが突き出す、上下に展開して光が集束をはじめた右手を狙い撃つ。光弾が僅かに砲身を揺らして、ダークエネミーの右手から迸る光芒はシノを照らしながらすぐ横を突き抜けた。
 それはシノが、弱々しく地を蹴るのと同時だった。

「――ゾーク、今、まいり、ます」

 人馬一体の異形は、その人と馬との境目を両断された。断末魔に空気が沸騰し、ずるりと上体が滑り落ちる前に霧散する。一際強力な瘴気が拡散して、残る馬の下半身もまた崩れ落ちて床に溶け消えた。
 ゾークの最後の一振りに、豪刀の魂が宿った……そうとしか説明のつかぬ一撃だった。
 あるいは、幼少よりゾークを見てきたシノには、その技を模することは容易だったかもしれない。しかし、豪刀とまで称えられた男の技を、そこまで完璧に再現することは不可能だろう。まして得物は、朽ちた実刀である。
 だが、それは現実に起こった。
 ミヤマ家のシノでも、旧式のアンドロイドであるシノでもない――豪刀ゾークだけのシノによって。

「シノ、あとは私が……貴女は最後の務めを、いえ……最後の望みを」
「望み? 私の……ゾークの、望み」
「ゾークは貴女の為に、貴女の留守を望みました。しかし貴女は待てなかった」
「そう、ゾークに何か……私は、確かに、感じ、たの、です」

 ゆらり、大きくシノがよろめいた。駆け寄るカゲツネに倒れ込みながらも、必死で目が訴えてくる。
 カゲツネは大きく頷き、背後で地に伏すゾークの横へ、並べてシノを横たえた。

「私の、望み……ゾークと、一緒に……」
「わかりました、ミヤマ家には私から」
「お願い、します。これを、添えて……お世話に、なりま、した、と――」

 差し出された太刀を受け取るや、カゲツネの握る手から力が抜けた。ずるりと大きな手から零れ落ちる、華奢で細く白い手……それを拾い上げて左右重ねると、カゲツネは並んで眠りに付く二人から目を背けた。逃げるようにテレパイプを放り、その中へと重い足取りで歩む。
 この遺跡と呼ばれる魔窟では、死者がどうなるか……ここ最近の調査でハンターズには知れ渡っていた。
 美しき主従と、それを超えた悲恋。その結末を汚すように、この遺跡は貪欲に生なき肉体をとりこんで胎動する。その事実から目を背け、それでもラグオルの地の底、二人で一つに溶けて混じれば……種族や身分の差を飛び越え、結ばれれば。それはまた一つの結実だと、カゲツネは太刀を握る手に力をこめた。

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