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 その装置は、遺跡の深淵に鎮座していた。四方を通路に囲まれた中央、まるで小高い祠のような頂に。
 正確には"それ"は、そうした軍の持ち込んだ、装置群に埋もれていた。

「おい、ボウズ。これがその、お前さんが言ってた軍の装置か?」
「は、はい。多分、そうだと思います。……まだ、動いてますね」

 先ほど合流したギルドのハンターズ、アッシュがヨラシムの問いに答える。しかしヨラシムの思惟は今、不気味なまでの透明度に輝く、白銀の結晶体に釘付けだった。"それ"は、無数のコードをまとい、周囲の機械を震わせている。

「ヨラシム、先ずは電源を止めた方がいいのでは」
「あ、ああ……そうだな。何にせよ、こいつが元凶らしいし、な」

 カゲツネの声に正気を取り戻し、ふとヨラシムは手の甲で顎をぬぐう。噴出した汗が冷たい玉となって、無精髭を濡らしていた。
 "それ"に魅入られるのを今は忘れて、ヨラシムは装置へ手を伸ばす。

「よし、これでいい。……しかし連中、ここでいったい何を?」
「さあ。しかし、これにちょっかいを出した結果が、今回の騒動とみて間違いないでしょう」

 親指でクイと、カゲツネが"それ"を指す。既に装置が停止した今、不気味な鳴動も止み、輝きは沈黙している。ただ、全ての光を吸い込むかのような結晶体を前に、ヨラシムもため息を零すしかない。
 軍は、ここで何の実験を?
 そして"それ"は、果たして何か?
 ――そもそも、この遺跡とは……その目的や正体は?
 全ては今、深い霧の中に沈み、その全容を見せようとはしない。しかしおぼろげながらに、危険な香りと魅惑的な声音で、人を強く惹きつける。その結果が、今回の大惨事だった。

「さて、お二人とも、ありがとうございました!」
「いえいえ、同じハンターズとして、当然のことをしたまでですよ」

 機械の完全な停止を確認すると、アッシュは改めてヨラシムとカゲツネ、二人に向き直った。その顔にはまだ、あどけなさと幼さ、何より安堵感がありありと浮かんでいる。この危機の真っ只中、二人と合流したときは、今にも泣き出しそうな恐れを必死で堪えているようだったが。ここ数時間の調査で、彼もまた得るものを得たということだろう。
 心なしか、ヨラシムにはその面影が、がむしゃらな弟子に重なった。
 そして、アッシュの次の一言までが、綺麗にその人物像をなぞってゆく。

「じゃあ、俺は最後に一回りして戻ります。他に逃げ遅れた人がいないか、心配だし」
「残念ですが、アッシュ君。おそらくもう、この遺跡には」
「……俺も、そう思います。けど、念のため。後悔しないためにも」

 そう言うとアッシュは、転送装置の中へ駆け込み、振り返った。

「俺、前に森でヘマやって、死にかけたとこを助けられたこと、あるんです。だから」

 だから、今度は助ける側に回りたい……彼はそういって、光になった。そのまま転送されるや、見下ろす足元に現れ、手を振りながら遺跡の奥へと消えてゆく。その背を見送りながら、二人もまた、クエストの完了を感じていた。

「さて、ではヨラシム、戻りましょう」
「ん、ああ……先、戻っててくれや。あのボウズ、何だかちょっと、見てらんねぇ」
「道中があれでしたからねえ。それに、よく似ている……危なっかしいとことか」
「ばっ、馬鹿野郎、似てねぇよ。ザナードは俺等が鍛えたんだぞ? 全然――」
「私は、アッシュが誰にとは、言いませんでしたが」
「……チッ、いいから行けよ。さっきの娘、早く帰って、弔ってやれや」

 ヨラシムには、カゲツネの女性関係には、干渉する気はもとよりない。昔から、思うことこそあれ、我関せずを貫いてきた。だが、よく見てきたからこそ解る……自分が切り伏せた少女が、カゲツネと縁のある人間だったことを。
 そして、その感触はまだ手の中にある。

「では、お先に。……感謝を、ヨラシム」
「ああ? 何だ? 俺ぁ別に――まあいい、貸しとくわ。今度別嬪さんでも紹介しろや」

 ダース単位で、と軽口を叩いてみせる、それだけの気丈さを見せて、友は去った。テレパイプの光が、見慣れた巨躯を飲み込み、収束してゆく。見送るヨラシムが身構えたのは、最後の光芒が消え去るのと同時だった。
 遺跡の奥より響いた悲鳴が、瞬時にヨラシムを獣に変える。鍛え抜かれたハンターズの、野生が覚醒する。咄嗟にヨラシムは、転送装置を使う間も惜しんで、高台から飛び降りていた。

「今の声ぁ、ありゃボウズのだな……何だ? 胸が疼きやがる。何が、あったぁ!」

 湧き上がる不安を振り払うように、口を突いて出る独り言。それを置き去りに、ヨラシムは全力疾走で駆け抜ける。扉が開ききらぬうちから通り抜け、既に無人となった静寂の遺跡を彼は疾駆した。
 やがて、速度に反比例して狭くなる視界に、一つの人影が浮かび上がる。それは近付くにつれ、ヨラシムから思考と知性を奪っていった。足元で血の池に沈むアッシュが、その激昂を加速させる。
 ユラリ、と影は、巨大な鎌をもたげて振り返った。
 瞬間、抜刀したヨラシムが身を浴びせるように切りかかる。

「手前ぇ……見つけたっ、見つけたぞ! ブラックハウンドォォォォッ!」

 一息に叫ぶその間に、二合、三合と切り結ぶ。怨嗟と憎悪に満ちた絶叫と入れ違いに、燃えるように冷たい遺跡の空気が肺腑になだれ込んでくる。ヨラシムは構わず、夢中で剣を振るった。
 手ごたえはないのに、斬激は全て弾かれ、流される。
 最初の反撃を受けたところで、ヨラシムは距離をとって剣を構えなおした。

「よぉ……会いたかったぜぇ。手前ぇ、ブラックペーパーのブラックハウンド、キリークだな?」

 影は、濃紫のヒューキャストは無言でヨラシムを見詰めてくる。
 彼の名はキリーク。ブラックハウンドと恐れられる、ブラックペーパーの始末屋。その事実だけで、今のヨラシムには十分だった。何故この場所にいるのかも、どうしてこうも気配が不穏なのかも、今は意中の外。大事なのは、偶然とはいえ、友の仇に邂逅したこと。

「ヨ、ヨラシム、さん……逃げて……こ、この人、は……」
「ボウズ、黙ってな。こちとらちょいと、この野郎には因縁があるんでぇ」

 苦しげに呻くアッシュが、伸べた手を再び鮮血に沈めた。それを合図に、再びヨラシムは地を蹴る。
 かつて、互いに背中を預けあった友がいた。共に挑んだ、都市伝説があった……謎の武器密売組織、ブラックペーパー。しかし、真実に近付き過ぎた友は、命以外の全てを奪われた。
 ザナードを育てることが報いならば、仇敵を討つことは罪滅ぼし。ヨラシムにとって、友の仇であるキリークを倒すことは、ラグオル調査の陰に隠れた、真なる目的でもあった。

「へへ、余裕じゃねぇか……何とか言えよ、おいぃ!?」
「……オマエ、ハ……コロ、ス……ヤミ、ニ……」
「手前ぇは殺し過ぎた、始末屋ぁ! 悪ぃが全うな死に方できると、思うなよっ!」
「コ、ロス……オマエ、ヲ……オマエ……オマエ、ハ、ダレ、ダ」

 刃を交える、その隙間に感情をねじ込む。言葉に乗せて浴びせる。しかし、ヨラシムの怒りは、高揚感は響かなかった。まるで深い穴の底へ落ちてゆくように、ただ吸い込まれるだけ。そして、返ってくるのは空ろな声。キリークは動きどころか、その声まで空虚だった。
 本能的な直感が、ヨラシムの脳裏で警鐘を鳴らす。コイツはヤバい、と。宿敵を前に怒りに燃える一方で、どこか冷めた俯瞰をヨラシムはまだ保っていた。その冷静さが、危機感を訴えてくるのだ。
 だが、それを振り切るようにヨラシムは剣を突き出す。

「俺が誰かは関係ねぇ! 手前ぇにダチをやられたぁ、ハンターズだっ!」

 全てを薙ぎ払うかのような、強力な一撃が襲いくる。それをヨラシムは身を伏せ避けるや、身をバネにして飛び上がった。その眼下に、ゆるりと大鎌を翻すキリークが見上げてくる。その双眸に光はなく、どこまでも深い闇が澱んでいた。
 迷いはなかった。ヨラシムは振り上げた剣を、力の限り叩きつける。キリークは脳天からの直撃を受け、しかしよろめく様も見せずに反撃を繰り出してくる。

「おおおっ、さっさとぉ、おっ死ねぇ!」

 全身で叫ぶ怒声と共に、ヨラシムは渾身の力で、深々と剣をうずめてゆく。激しく火花を散らす鍔元から、血や潤滑液の類とは異なる、黒いもやが噴出した。同時に、まるで糸の切れた繰り人形のように、キリークが全身をのけぞらせる。

「オオオ、オマママエエエエエエエ、オ、オッ、オマ、オマ、エエエハ、ダダダダダ、ダレ――」
「ただのハンターズだ……いや、手前ぇを恨んでも恨みきれねえ、大人げねぇ……ただの男さ」

 私怨、発散。
 ヨラシムはキリークを縦に両断したとこで、初めて呼吸をむさぼり背を向けた。
 死神と恐れられた黒い猟犬は、またも遺跡に吸い込まれるように霧散して消えた。後にはただ、不気味に光る巨大な鎌が残される。それを一瞥して目を逸らすと、ヨラシムは緊張感からの開放に思わず膝を突く。

「ヨラシム、さん……あの人は、キリークさんは……様子が、変でした。もしかしたら……」
「ああ? ……奴ぁ何も、おかしくねぇよ。あいつは元から……ただの、人殺しだ」

 自分もそうだと、ふと思う。否定しても逃れえぬ、顕然たる事実だとも。
 不思議とヨラシムは、悲願達成に喜びを感じることができなかった。いつの日かと誓いを立てた、友への義理を果たしたのに……得るものもなく、感じることもない。
 彼は鼓膜の奥に残る、キリークの断末魔を振り払うように、アッシュに向かって立ち上がった。

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