携帯端末にもし、メールの量が質量と体積を伴い降り積もってゆくならば。恐らくエステルのそれは、携帯できない程に膨れ上がっていただろう。内側から未練と催促で、食い破られていたかもしれない。
相変わらず、元恋人のメールがエステルを悩ませていた。
内容は一つ、現在のラグオル調査の進捗について。
触れたくもないが、そうもいかず、エステルはクラインポケットから携帯端末を取り出した。よほど嫌な顔をしてるとみえて、向かいに座るザナードの表情が心配そうに変わる。この小動物は、人の感情の揺らぎに敏感な時がある。彼自身そうであるようにちぐはぐで、酷く鈍感なことも多いが。
「駄目、つながらない……ヨラシムもカゲツネも、どこで何やってんだか」
呼び出し音だけが虚しく響く、携帯端末へと耳を傾ける。山猫亭の喧騒の中、その単調なメロディが、通話を告げる相手の声に、切り替わることはなかった。
「ここ最近、師匠も先生も連絡が取れないんですよ。僕、そろそろ色々また、教えて欲しいのに」
「何か、面倒なクエストにでも巻き込まれたかしら。ま、心配ないとは思うけど」
「心配、ない、ですか」
「そ。お互いプロだし、伊達に歳取っちゃいないわよ。それに、詮索は嫌われるしね」
自分がして欲しくないことは、相手にもしない。それはエステルの処世術だった。そして概ね、ハンターズという人種ではその考えは、広く浸透している常識でもある。誰もが皆、スネに傷持つ人間だから。
エステルは通話を諦め、一度携帯端末を切った。
「それで? ザナード君、宿題の方はやってきたかしら?」
「あ、はいっ! 遺跡は戦闘も激しいんで、ログだけ取って、ついさっきまとめ終えました」
ザナードはそそくさと、自分の携帯端末をテーブルの上に置いた。最初の一杯だけが並ぶテーブルの上に、ボタン一つで立体ウィンドウが無数に乱立する。その中の一つを、ザナードはエステルへとひっくり返した。
「どれどれ……『すべてを解読できたわけじゃないけど』、か。そりゃそうよね」
「でも、『あちこちにある例の文字から断片的な情報は手に入った』って言ってます」
結論をせかす様に、エステルは別のウィンドウへと視線を走らせる。その細められた瞳の先へと、ザナードは指を伸べた。そうして、互いに一服。ザナードはグレープフルーツジュースを、エステルは気の抜けかけたビールを。
「結論から言うと、遺跡は遺跡なんかじゃなかったんですよ!」
「報告は簡潔に、かつ丁寧に。それ、言葉としておかしいでしょ」
「あ、いや、ですねっ! ええと……そう、宇宙船! 宇宙船らしいですよ」
「『やはり先文明など無かったようだ』か。それにしても、宇宙船ね」
リコのメッセージが踊るウィンドウが、目の前へと滑ってくる。それをついと指で止め、エステルは中身を覗き込んだ。ザナードは口下手だが、文章の作成は悪くない。読めるか読めないかといえば、読むのに不自由はないというレベルだが。
たとえば、今のような非常時でなければ、ハンターズの学術的な仕事なんかも、教えてみたい。
ふとそんなことを思ったりもしたが、半透明のウィンドウの向こうに、瞳を輝かせる少年にため息を一つ。過程の話に現実逃避している暇があるなら、今は目の前の謎を解かねばならない。
「先文明などはなかったけど、宇宙船ってことは」
「どこか、僕達以外の人類……というか、知的生命体の存在を肯定してますよね!」
「そうね。それでこの『棺』ってのは?」
エステルは、二人の間を漂う立体ウィンドウの、今みているものを大きく広げた。その上で、ザナードがマーカーをおいてる一文に触れる。
「それ、僕も気になりました。原文、読んでみてください。なんか、その……」
「? リコは嘘は残さない奴よ。少なくとも、私が知る限り、この手の記録には」
「だとすれば、それが推論でも……これはちょっとした、ファンタジーですよ」
「どれどれ、ええと…『何者かを封じ込めて、この惑星に宇宙船ごと埋め込んだのだ』か」
その下には、化け物という単語が続いている。確かに、遺跡で遭遇するダークエネミーは、まさしく化け物としか形容しがたい怪物だったが。それを言うならもう、遺跡と呼ばれるあの宇宙船そのものが、化け物そのものだった。
「遺跡そのものが、ですか」
「そう。さしずめダークエネミーは、遺跡という怪物の体内にひしめく、抗体か何かって感じ」
「なるほど、じゃあリコの言ってる『とんでもない化け物』っていうのは……」
「さしずめ、抗体の親玉か、それとも遺跡の中枢……怪物の脳味噌か心臓ってとこでしょ」
そう締めくくって、エステルは他のウィンドウを閉じる。次々とザナードの携帯端末に、光の筋が吸い込まれていった。几帳面に、ダークガンナーやカオスブリンガーに関する記述も整理されているが、それはザナード本人にこそ必要なもの。エステルは最近、遺跡での戦闘では別段、困ったことはなかった。
だが、一つのウィンドウに綴られた文字が、エステルの白い指を止めた。
「『もう、どこかに逃げ出したい』か……アタシ等、コーラルから逃げてきたんだけど、皮肉ね」
もう、どこかに逃げ出したい。……そう思うけど、ふと気が付く。帰るとこなんて無いんだってことを。
このメッセージだって、受け取る人なんて誰もいないのかもしれない。
後から来るパイオニア2だって、この惑星が危険と判れば降りてきやしないだろう。
それでも、パイオニア2の誰かが降りてきてくれるだろうか。……それは、わからない。
でもあたしは、これを残す。これは証なんだ。あたしが、今ここにいる……
「今、ここにいる、証か……リコ」
「……早く、追いつけるといいですよね。すぐ目の前に、いると思うんですけど」
「せめて、伝わればね。あんたのすぐ、後ろにいるって。追いかけてるって」
そうして最後のウィンドウを閉じると、ザナードのまっすぐな瞳がエステルを見詰めていた。
「な、何よ。そんな、珍しいものでも見るような、その目はっ」
「いや、先輩も女の子なんだなあ、って思いました!」
「……ぶつわよ」
「すみません、もう思っても口にしません!」
ザナードはまっすぐ過ぎて、真っ白すぎる。白無垢の無邪気さはまだ、何にも染まってはいない。そういう人間を前にすると、エステルは自分の思い出したような気遣いが、恥ずかしく思うこともある。
それも大概、過剰に正直なザナードこそ恥ずかしいのだと、言い訳をして納得するが。
とりあえずは話を終え、料理でもとメニューを引っ張り出したその時、にわかに店内の騒がしさが増した。
「ん? 先輩、あれっ! あの人!」
「ああ、別に興味ないし。……もっとも、あっちはそうでもないみたいだけど」
賞賛と歓迎の声を受けながら、凛とした空気を纏った少女が近付いてくる。その隣には、ザナードの先生と全く同じ外見のレイキャスト。
英雄を着飾ったカレン=グラハートは、いちいち周囲に応えながら、エステル達のテーブル前で足を止めた。微笑を湛えた彼女の表情が、一瞬だけ目元を引き締める。
「確か、エステルさん、だったでしょうか?」
「エステル=ロトフィーユです、お嬢様。ギルドのフォニュエールの」
まるでしもべのように、いちいちカレンの言葉を、傍らのギリアムが補った。
その様子を気にも留めず、あわあわと落ち着かないザナードに目配せしながら、エステルはメニューを展開する。いちいち相手をしているほど、エステルも暇ではない。さっさと飲んで食ったら、今日はシャワーを浴びて寝たいのだ。ザナードに宿題をやらせてる間、彼女とて遊んでいた訳ではない。
「そう、エステル=ロトフィーユ。貴女、何を嗅ぎまわっているのです」
「ザナード君、何注文してもいいわよ。おごったげるから」
「え、あ、いや、その……先輩、カレンさんが」
「お父様やWORKS本隊の動向を探ってますわね……何が目的?」
「いいからいいから、子供が遠慮なんかするんじゃないの」
「はあ。えっと、じゃあ――」
「少し、お話を聞きたいといっているのです! この私が!」
ダン! とカレンが苛ただしげにテーブルを叩いた。それを呼び水に、出しっぱなしだったエステルの携帯端末が突然鳴り出す。横目にカレンを見上げながら、エステルはそれを確認するや、クラインポケットへと葬り去った。
同時に、足を組み替え、テーブルに肘を突いて上体だけでカレンに向き直る。
「アタシは子供に付き合うつもりはないわ。目の前の坊やで手一杯なの」
彼と違って、面白くない子なら尚更と、しれっと付け加えるエステル。一瞬カレンは眉根を寄せたが、自制を促すように深い呼吸を一つ置いて、よく言葉を選んだ。
「これ以上、マザー計画には近付かないことですね。これは、貴女の為のご忠告」
「だってさ、ザナード君。まあ、アタシには関係ないけど。話はそれだけ?」
フン、と鼻で笑うと、カレンは再びハンターズ達の歓声の中へと消えていった。
その背を見送るエステルは、今日の調べごとに意外な成果を見出していた。