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 エステルが病室に入ると、彼は外を見ていた。一般病室に移って以来、ずっとこの調子だと仲間達は言う。窓にそって備え付けられたベッドに上体を起こして、ずっと外の景色へ眼を向ける……その背中は、エステルの視線を気付く気配さえ見せない。

「忙しい中、来てみればこれだ……ま、しゃーないか」

 エステルは、血相を変えて自分の前に再び現れた、ヨラシムやカゲツネを思い出した。ここ最近は腑抜けと化していた彼等が、何を慌てていたかと思えば、ザナードが遺跡で重傷を負ったと言う。
 内心、動揺した事実をエステルは今、しぶしぶ認めていた。
 だからこそ、こうして調査の合間を……調査というよりは、諜報活動の合間を縫って、メディカルルームに顔を出したのだ。意を決して、コンコンと壁を叩く。

「あ……エステル、先輩?」
「あ、じゃないわよ、っとに。何で疑問系な訳?」

 振り返ったザナードの目には、いつもの溌剌とした生気がない。眩いばかりの、暑苦しいとさえ感じる活気がない。まるで抜け殻のように、ザナードは虚ろな目でエステルを向かえた。
 だが、これしきのことで怯むエステルではなかった。

「いや、だって……先輩、酷い顔ですよ」
「徹夜続きだもの。悪かったわね、酷い顔で。ザナード君も、人のこと言えるのかな?」

 連日連夜、複数のディスプレイ前を行ったり来たり。ちょいと法のあちら側と、こちら側を行ったり来たり。エステルのここ数日は多忙を極めていた。今でこそ一度自室に戻り、シャワーを浴びて身なりを整えてきたが。それが三日ぶりのことであったという事実は、伏せねばなるまい。
 対するザナードも、顔に大きな絆創膏を何枚も張られて、不恰好極まりなかった。
 それでも、エステルの方が酷い顔かもしれない。眼の下には、シャワーでは洗い落とせないクマが、どんよりと刻まれていたから。何より睡魔が、普段からキツめの目元を、半目にさせている。

「ヨラシム達から聞いたわ、遺跡で事故ですって?」
「………………はい」
「事故で処理されちゃったか、今回の事件は」
「……それも、もう、いいんです。ただ……」

 エステルはザナードのベッドまで歩を進めると、面倒臭そうな態度を隠そうともせず、見舞いの花束を放った。勿論、パイオニア2の花屋で作らせた、それなりの値段のものだ。
 それを膝で受け取ったザナードは、花とエステルとを交互に見た後、そっと手に取る。

「マザー計画。ザナード君、キミはそれに近付き、触れた。違う?」

 一瞬、ビクリとザナードが身を強張らせた。
 それが、明瞭な返事となった。
 構わずエステルは言葉を続ける。

「WORKSによる一連の事件はでも、本来のマザー計画にはないシナリオだったわ」
「本来の、マザー計画……」
「検体となったキャストこそ、マザー計画に基づく専用設計の機体だったけど」
「検体……機体……違うっ!」

 不意に声を荒げて、ザナードがエステルに向き直った。握ったままの花束から、みずみずしい花びらが舞い散る。それは二人の間に芳香を残して、ひらりひらりと落ちていった。

「エルノアさんは、エルノアさんは、そんな……」
「YN-0117、エルノア・カミュエルはマザー計画の根幹だった。それは事実よ」
「それだけがエルノアさんの全てじゃない……そんなの、彼女には必要なかった」

 ザナードは肩を震わせ、必死で耐えた。しかし、彼の瞼は涙の重さに屈する。
 一筋の光が、少年の頬を伝い、絆創膏を濡らした。

「……それをさ、キミが覚えててあげればいいじゃない」
「エステル、先輩?」
「キミはずっと、YN-0117としてではなく、マザー計画も関係なく……さ」

 ただ、エルノア・カミュエルを覚えててやればと、エステルはそう思う。
 思った次の瞬間には、ザナードの頭を胸に抱いていた。驚く声を上げる間もなく、エステルの胸の内で、ただただザナードは泣き続ける。

「キミさ、この件でちゃんと、泣いてなかったでしょ」
「……いや、そんな」
「一人で、泣いてばかりいたでしょ」
「……はい」
「そゆの、まずいんだって。いいから、泣いときなよ。声上げて、ワンワン泣いときな」
「………………すみません」

 途切れ途切れの言葉が消え入るや、火がついたようにザナードは泣き出した。
 エステルは何も言わずに胸を貸し、ザナードの背をポンポンと優しく叩く。流石にぐいと抱き寄せられたときは、声をあげそうになったが、驚きを隠して泣かせるがままに時間を使った。
 ただ、静かな病室内に、赤子のような鳴き声が響く。
 それもやがて、しゃくりかえすだけの嗚咽にかわり、終息していった。

「あのね、ザナード君。男って、単純なモンなんだよ? って、まだ解らないか」
「グスッ……なんですか、それ」
「女の胸で泣けば、多少はスッキリするって話。どう? もういい?」
「……もうちょっとだけ」
「はいはい、手のかかる後輩ね」

 それでもザナードは、多少ぐずりながらも、おずおずとエステルから身を離した。それでエステルは、気付けば真剣に抱きしめていたことに気付いて、その手を慌てて解いた。
 気まずい沈黙に、ザナードが鼻をすすりしゃくりあげる声だけが響く。
 しかしそれも、彼が枕元のティッシュで鼻をかむまでのことだった。見てて気持ちよくなるほどの音をたてて、勢いよく鼻をかむと……顔を覆うティッシュの底から、少年の輝く瞳が現れた。

「先輩、ありがとうございました。少し落ち着きました」
「そ、よかったじゃない」
「先輩の方は、どこまで進んでるんですか?」
「レオ・グラハートの尻尾を掴んだわ。ヨラシムやカゲツネの話と合わせて、裏も取れたし」

 ザナードはティッシュをくずかごに葬るや、乱れに乱れた長髪をかきあげた。そうして顔を上げた彼の眼差しには、まだ弱いがいつもの光があった。
 それでエステルも、改めて仕事の話を切り出せた。

「マザー計画については、ザナード君が知った内容で間違いないわ」
「闇の私生児の、マザー……確か、そんなことを」
「そう……その名は、ダークファルス。キミが取ったリコのメッセージにも、記述があるわ」
「……ダークファルス。それが、災厄の元凶」

 繰り返し、その名を呟くザナード。
 ダークファルス。それが、この星に太古の文明が埋葬した、闇の名。奈落の深淵にも似た、遺跡の中枢でもある。具体的なことは何も解らないが、一つだけ確かなことは……一連の事件の原因は、全てダークファルスが原因であること。
 もう少しだけ想像の翼を広げれば、それを求めた人間が、犯人ということになる。

「来週、レオ・グラハートが動くわ。第三のマザーが、彼の手の内にあるもの」
「第三の、マザー?」
「不思議なものね……ヨラシム、カゲツネ、そしてキミ。みんな、何らかの形で関わってる」

 そう言ってエステルは、きびすを返した。最後に、肩越しに振り向き、病室を後にする。

「あいつ等、ザナード君を見るや、腑抜けた根性もどこへやら……アタシ達で、やるわよ?」
「はいっ!」

 ラグオルを巡る調査と冒険、その最終章の火ぶたが、切って落とされた。今にもベッドから飛び出しそうなザナードを残して、エステルは再び激務へと戻った。
 彼女が追う真の黒幕は今、再度マザー計画にて、闇の淵へと触れんとしていた。

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