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 空の蒼が、草木の緑が、花や蝶の彩が……暗く翳って、消えてゆく。
 全てを飲み込む、闇の淵が澱み、広がってゆく。
 既に異界と化した空間で、エステルは即座に、臨戦態勢を整えるヨラシムを振り返った。その隣のカゲツネも、既にショックから回復しているようだった。何より、現状の異変を見れば、暗鬱と落ち込んでもいられない。何より――

「せっ、先輩っ! 何かがブワーッと来ますっ!」

 何より、セイバーを構えて自分を庇おうとする、ザナードの頼もしさがおかしげだった。今、エステルを中心にハンターズの一団は、危機を前に毅然と機能している。そのことに妙な満足感を感じて、エステルはロッドを握りなおした。

「ば、馬鹿な……マザーが、既に? ま、まさか」
「これは……これが、お父様の、マザー計画!?」

 レオ・グラハートとルピカ、そしてカレンにも明らかな動揺が走った。
 どんな人物であれ、今の自分達が置かれた状況を見れば、もはや察するだろう。人の手に余る、計画と言う枠でさえ括れぬ何かは……既に、あの地表での大爆発の時に、始まっていたのだ。そして、それを真っ先に追った者が、選ばれた。闇の淵より生まれし、邪悪なる私生児のマザーに。

「准将。カレン、あんたも。もういいでしょ? ここからはアタシ達の仕事」

 エステルが一歩踏み出す、その大地がたわんで不気味に鳴動を始める。まるで生ある生き物のように、鼓動を響かせ、足元が揺れる。既に緑の失せたそこには、無数の怨霊が顔となって浮かんだ。どれもが皆、辛苦と業苦に身悶え、叫び、泣き嘆いている。
 光を失いつつある空間は今、怨嗟と憎悪で満たされようとしていた。
 そんな中、どちらからともなく駆け寄る、親と子。二人は先程のいがみ合いを忘れたかのように、ルピカを挟んで寄り添い、頼りなげな視線を送ってくる。

「ったく、パイオニア2の英雄様じゃなかったっけ? ま、いいけど」
「カゲツネッ! 連中を守ってやんな。……いいさ、貸しとくぜ?」
「では、借りれる時は借りておきましょう。さ、准将。お嬢様もルピカも、此方へ」

 カゲツネがライフルを手に、三人を保護する。プロのハンターズたるもの、非戦闘員を危険区域で見捨てることはできない。例えそれが、異形ひしめく異界であろうとも。少なくとも、エステル達はそうしてきたし、ザナードにそう教えてきた。それは、エステルがあの女性から学んだことでもある。

「先輩っ、何か浮かんで来ました! あっ、あっちも! こっちにもです」
「マザコンのガキが、危ない玩具振り回してるじゃねぇか……おい、エステェル!」

 自然と背に背を寄せてくる、仲間達と背中を預けあう。そうしてエステルは、周囲に次々と浮かび来る、異形の物体を凝視した。まるで独楽のようなそれは、無数にひしめき、その中央に暗い炎を宿している。彷徨うように行き交うかと思えば、こちらを察知したように、一斉に波となって押し寄せた。

「じゃ、一仕事といきましょ。今日のクエストは……ベビーシッターよ」

 背後で小さく笑う声が聞こえた。ソードを取り出すヨラシムは勿論、ザナードにすら今は余裕がある。今はその旨、よしとして、最後にカゲツネが保護する一団に目配せして、エステルは目を見開いた。同時に宙へと手をかざし、複雑な印を結んでゆく。
 ふわり、彼女の髪が舞い上がった。
 凝縮された熱量が、その手に集束してゆく。精神を集中して術式を紡ぎながら、エステルは脳裏にイメージを結んで、それを撃発させた。眩い炎が空間の中央部に発生して、それは巨大な火球となって膨れて爆ぜた。
 おびただしい絶叫と共に、鋭く尖った周囲の物体が浄化されてゆく。

「さあ、ご対面といきましょうか? あれが、マザーを求める闇の私生児よ」
「レッドリング・リコが、カプセルのメッセージで言ってた奴か」
「あれが……ダークファルス」

 永劫への回帰を繰り返す、千年紀の途切れる時、それは復活を果たす。何人たりとも倒すこと敵わず、ただこの地に、ラグオルに埋葬するしかなかった……まさしく、闇の淵が産み落とした、誰からも望まれぬ私生児。しかしそこには、その生まれゆえに、余の全てを憎悪する強力な敵意があった。
 それは爆発の余波を集めて、エステル達が立つ場の周囲を切り取り浮かばせながら、次第に象を結び、実体化していった。見るも禍々しい、邪神が降臨する。

「カゲツネ、いつもよりポジションを後へ。准将達は大事な生き証人よ。守って頂戴」
「了解、では後からのんびりと、貴女の小さなお尻でも眺めさせて貰いますよ。さ、准将」
「あら、お言いじゃない? 見た目ほど小さくないんだけど」

 軽口を叩き合う余裕を確認して、エステルはカゲツネを下がらせた。
 同時に、目の前に今屹立する、醜悪な闇の権化を見上げる。邪龍が根をなし、怨念が花咲いていた。その幹にあたる部分が、僅かに人の姿に見えなくもない。

「ヨラシム?」
「オーライ、いつでもいいぜ。いっちょ斬り込んでみるかよっ! それとよ」
「何?」
「小さくない、って言えば、嘘にならないから便利だよ、なっ!」
「経験と実体験に基づく、正確な感想って訳だ……いっぺん死ね、もうっ!」

 豪快にエステルの雑言を笑い飛ばして、ヨラシムが地を蹴った。一番、特別な男だった剣士は今、長大なソードにフォトンを灯すや、巨大な影へと斬りかかる。その背へと手を伸べ、補助のテクニックを練り上げるエステルは、隣で既にそれを終えかけた少年へ振り返った。

「いやぁ、師匠は殺しても死なないですよー! ……デバンド、できましたっ!」
「上出来っ! ……そうね、死んだら殺してやるんだから。ザナード君、キミは近くに!」
「はいっ! 先輩は僕が守りますっ!」
「いっちょまえに言ってくれちゃってさ」

 ここにきて、ザナードのメンタリティがプラスに作用した。彼は今、ここにきてようやく、ハンターズとして花を咲かせつつあった。それは、エステルが日に当て、ヨラシムが水をやり、カゲツネが肥やした、結実。シフタを走らせるエステルは、その背中に何の不安も感じない。
 不思議と、頼もしくすらある。
 今日もまた、ザナードは何ややらかすだろう。突っ走るだろうし、ともすれば暴走するかもしれない。けれども、今この状況で正気を保って、いつもと同じペースを維持している。同じ仲間として、目の前の現実に対処できている。既に准将の娘へと戻ってしまった、カレンとは真逆に。

「さて、と……それじゃ、とっておき。……いくわよっ!」

 咆哮を迸らせて、そびえる異形が迫ってくる。その身へと駆け上がるヨラシムの剣が、その光が見える。背後には絶えず治癒のテクニックを用意する、ザナードの息遣い。そして更には、かつて組織の長と仰いだ人物の、うろたえ狼狽する姿を庇うカゲツネ。
 今、未曾有の危機を前に、エステルの意識が拡張してゆく。
 濁りきった空気のなかへと、思惟が研ぎ澄まされてゆく。
 自然と印を結ぶ手が、無より光を引っ張り出す。それはエステルの手の中で、次第に輝きを増して、大きく弓なりに伸びた。眩しさが弦と張って、それに手をかければ、自然と光の矢が現れる。

「先輩っ、それ何ですか!?」
「とっておきよ」
「とっておき……あっ、それ! えっ、どこでディスクを――」
「そう、とっておきっ! だからっ、とっときなさいっ、ダークファルスッ!」

 傍らのザナードを一瞥するや、エステルは光の矢を放った。
 グランツの光が、邪神像の中心に、苛烈な光芒を屹立させた。

「まあ、こんなもんか。属性は何が通るのかな、っと……ザナード君?」
「え、あ、はい……取り合えず、気圧が下がって! 耳がキーンって……来ますっ!」
「ヨラシムッ! カゲツネも! 冷却系の攻撃がくるわよっ! 聞いてるの、ヨラシムッ!」

 瞬間、エステルの視界が白銀に染まった。辛うじてレジストしながら、即座に隣で凍り固まる、ザナードを氷の棺から助け出してやる。心配に反して、ヨラシムはテクニックの顕現した範囲の外で、勇猛果敢に剣を振るっていた。
 闇の私生児、ダークファルスとの決戦は、その火ぶたが切って落とされたばかりだった。

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