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 エステルの視界は、その感覚は、認識は全て、真っ白に塗り潰された。
 次いで轟音を最後に何も聞こえなくなり、何も感じなくなった。自分が立っているのかどうかも解らず、エステルはただ、記憶の糸を手繰り寄せた。その先に結び付く、現実で起こった現象を検証しようと試みた。だが、何も感じず解らぬ世界に放り込まれて、彼女の思惟は、手から零れ落ちる清水のごとく、次から次へと流れ出してゆく。

「何が……もしかして、これが、死? ……なら、意外とあっけないものね」

 口に出したか、それが声として伝わったかも解らない。
 最初にエステルが取り戻したのは思考で、それが真っ先に紡いだ言葉は、『死』だった。それは誰しも、生涯一度しか体験できぬ現象。誰しもが逃れられず、誰かは望む……総じて、他者へ。それが今、自分へ訪れたのではと、エステルは考えた。
 厳密には、回復した視界は真っ赤で傾き、自分は凶貌ひしめく地に伏せっていることが解った。
 ハンターズスーツの機能が、戦闘不能を示して、パイオニア2への強制転移を準備している。

「ああ、アタシは……まだ、生きてる。死んでは、いない……」
「先輩っ! 大丈夫ですか!? 今、リバーサーを――」
「ザナード、こういう時はムンアトだ、そっちの方が早ぇ! カゲツネ、連中は?」
「大丈夫です。准将もお嬢様も、勿論ルピカも。ハンターズスーツと軍のスーツが幸いしましたね」

 ぼんやりと仲間達の声が聞こえる。先程から傾いたままの視界は、身体が言うことを聞かないので、瞬きすら許されない。エステルはただ、網膜に駆け寄る仲間達と、その向こうに脈動するソレを見ていた。
 ソレは、醜悪にして荘厳、禍々しくも神々しい。
 神魔一体の偶像、ダークファルス。

「ほれっ、ザナード! よく振ってから使え。蘇生が効いたら、即回復だ」
「テクニックに頼らず、ここはアイテムを惜しまずいきましょう」

 真紅に染まる異界と化した惨状で、ザナードがヨラシムから小瓶を受け取り、一生懸命振ってから、蓋を開封する。そうして、シュッ、と中身を吹きかけられて、エステルの五体は感覚を取り戻した。
 同時に飛び起き、放られたディメイトを受け取る。

「ったあ、痛いッ! 痛いじゃないの、今の何? アタシ今、何を貰ったの?」

 全身が打撲と裂傷、そして火傷に似た感覚で痛む。まるで全身が過敏な、痛覚そのものになった感じだ。エステルは悪態をはばからず叫びながら、口でディメイトを開封した。噛み千切ったビニールを、ぺっ、と吐き出し、固形物を口に押し込む。
 たちまち、全身の代謝が活性化し、傷が塞がって腫れが引く。しかし、痛みまでは消えない。

「さながら神罰か天罰か……あれは避けられませんね」
「じゃあ何? アタシはあれが来る度、ぶっ倒れる訳。……冗談じゃないわっ!」

 カゲツネの声に、エステルは滾る血潮を頭に上らせた。まるで電子レンジに放り込まれたかのように、髪は跳ねて帽子もほつれている。丈夫で長持ちがウリの、ハンターズスーツですら、ところどころが破けていた。寧ろ、その機能がまだ働いているのが不思議なくらい。

「次のあれが来る前に、ブッ倒すわよ! 全力全開っ! っとに、もーイヤッ! ……キれたかんね」
「せ、せせ、先輩っ!? あ、あの」
「あーあ、キれちまったよ……カゲツネ、止めろよ。もしくはあれだ、逃げようぜ」
「逃げられるものなら、とっくに逃げてますよ。……ザナード君、離れてた方がいいですよ」

 大の男が三人揃って、大股に歩み出るエステルの背を、額を寄せて見送った。
 今、エステルは激怒に震えながら、自身を睥睨する邪悪な神像を見上げている。もはや、冷静ではいられない……完全に平常心が霧散し、理論と合理性を彼女は失っていた。今の彼女にあるのは、理不尽に対する怒りと、不条理に対する憤り。そして、それが加速させる闘争心だけだった。

「いいか、ザナード……女は怒らせちゃ駄目だぜ? ……特にアレは、エステルは、だ」
「へ? いや、僕は何度も怒られてますけど。ってか、先輩一人で」
「ヨラシム、経験則ですか? 兎も角、巻き込まれないよう、下がりましょう」

 事情のわからぬザナードを、察した二人が両側から挟んで、身震いしながら下がる。
 それすら今、エステルには解らずにいた。既に彼女は、箍が外れて頚城を解かれた、憤怒に燃える紅蓮の魔女。プロのハンターズでもなく、チームのリーダーでもなく、一人のフォースとして、彼女は静かに、しかし沸々と燃え上がっていた。その内面も露に表情を歪めて、つぶらな双眸を見開き、唇を吊り上げ震わせている。
 燃え上がる怒りに、彼女自身は煮え滾っていた。

「オイタが過ぎたわね……人が大人しくしてれば、何? 捨て子が神様気取り? 笑わせないでっ!」

 バチバチと音を立てて、エステルを幾重にも取り巻く空気が、目に見えて沸騰する。燐光が瞬き、青白いプラズマが閃く。昂ぶる彼女の精神力に呼応するように、その薄栗色の長髪が、ふわりと浮かび上がる。
 激昂するエステルの脳裏を、無数の術式が駆け巡り、それは互いに結び付いて、連鎖するように無限に展開されていった。

「さあ、どの属性がお好み? 炎かしら? それとも氷? 雷? 遠慮は、いらないわよっ!」

 啖呵を切ってロッドを突きつける、エステルの周囲にテクニックの顕現が泡立つ。それは、常軌を逸した数で、次から次へとダークファルスへ浴びせられた。たかだか初級のテクニックとはいえ、高レベルのフォースが、特にフォニュエールが行使する術は強力だ。
 フォイエは特大の火球を象り、爆炎となって敵へ殺到した。その後を追うように、絶対零度に等しいバータが、地を這う大蛇となって炸裂する。ゾンデは雷神の咆哮となって、激しく轟き煌々と辺りを照らした。
 遠巻きに男達が戦々恐々と見守る中、エステルは夢中で術を紡いで放つ。
 止むことを知らぬテクニックの連続波状攻撃に、僅かにダークファルスがよろめいた。

「あら、冷たいのがお好み? オッケェ……凍てつき凍えろっ!」

 バータ系が有効と察知するや、エステルの興奮は最高潮に達した。
 再びダークファルスは、その手を天へとかざし、件の光を降らせようとしている。その不遜とも思える気配に、エステルはあらん限りの声を張り上げ、あらゆる分子凍結の公式を唱え叫んだ。
 たちまち、彼女を中心に世界が凍り、その余波にザナードやヨラシムが身を震わせる。

「見ろ、おっかねーだろ……な、ザナード。あれを怒らせちゃマズイぜ、気をつけろ」
「は、はいぃ……師匠、女の子って怖いですね。僕、誠心誠意気をつけます」
「女の子って歳でもないですけどね、見た目以外は。まあ、お互い気をつけましょう」

 男達の勝手な呟きも、今はエステルの耳に入らない。彼女は精神力を振り絞り、集中力を研ぎ澄まして、両手でロッドを握り締めた。それを、今にも攻撃態勢に入らんとする、ダークファルスへと強く突き出す。

「マイナス一兆六千度っ! 人間様をなめるんじゃないわよ、このっ! 神様モドキッ!」

 今度はエステルが、ダークファルスの世界を白く染める番だった。彼女が握るロッドの先に、極大の光が収束して、凍てつく輝くが濁流となって迸る。特大のギバータが炸裂して、その照射は永遠にも思える時間、ダークファルスへ注がれ、貫き、キラキラと光を波打った。
 もはや、物理法則をも無視した、超々絶対零度、絶対を超越した絶対零度の光が、周囲を白く塗り潰す。
 エステルは歯を食いしばり目を見開いて、ただダークファルスだけを睨んで、全身全霊で冷気を放射し続けた。それは生あるモノが触れれば、瞬間的に凍り砕ける、死の息吹だった。

「――っ! まだ、まだあああああっ! 凍って砕けろ、消え、失せ、ろぉぉぉっ!」

 ロッドを持ち替え、片手で尚もエステルは、捻じ込むようにダークファルスへ向ける。同時に、クラインポケットからディフルイドのタブレットを取り出すや、それを一ケース丸々、貪るように飲み込んだ。
 瞬間、迸る光は一際苛烈に、壮烈に、凄烈に輝きを増す。

「勝負アリ、って感じだな。おー、怖えぇ……どれ、ちょっくら助けてやっか」
「え、あ、ええと、師匠? 先生も……」
「アレがエステルのマキシマムパワー、ですが。それは無茶で無謀、無理というものですよ」

 千年紀の怪物を白銀に染める、エステルの薄れゆく意識が仲間の声を拾った。
 同時に、その気配が三者三様に、背中へと近付いてくる。
 ――その時、彼女は確かに、直接心に響く声を聞いた。

「オ・マ・エ・ハ・ナ・ン・ダ……お前は、何だ?」

 その声は嘆くような、すがるような声音だった。それがずるりと、エステルの意思を擦過し、取り巻き、圧してくる。目の前の邪神は確実に崩壊してゆくのに、そこから零れる何かが、エステルの意識を犯してくる。総身があわ立ち、全身の穴という穴が弛緩する。
 ふらりとよろめき、ギバータの照射が途切れると同時に、目の前のダークファルスが停止し、エステルは駆けつけたザナードに倒れこんだ。
 それは、またも周囲が鳴動して蠢き、地面の消失という形で、四人のハンターズだけを次のステージへといざなう。ダークファルスを中心に、異文明の文字で象られた紋章が、魔方陣が展開する。
 エステルはただ、ダークファルスからの紅い光を受けて、意識をその中へと吸い取られた。

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