「もうっ、怪我したんならメディカルセンターに行きなよ?キミって奴はまったく」  そうは言うものの、アルピーヌは嫌な顔一つせずに駆けつけてくれた。仕事中だったにも関わらず。船体管理公社のユニフォームであるツナギを着込んだ彼女は、その上を脱いで腰元で結んで。肩も露なシャツ一枚の身をズイと乗り出して叱れば、自然とヨォンは恐縮する他無い。  ここは山猫亭の一室だが、残念ながら今のヨォンに逢瀬を楽しむ余裕は無かった。だから言われるままに黙って頷き、傷付いた左手を差し出す。己のテクニックで一応は血が止まっていたが、全快には程遠く。より高レベルのレスタを求めて、彼は心苦しさを感じつつも知己を頼った。 「メディカルセンターに駆け込んでみろ、他のハンターズが動揺するだけさ」 「そっか、最近色々と不穏だしね。苦労してるじゃん、剣聖様も」  そっと包帯を取り除き、下腕部を貫通した裂傷に手を翳して。複雑な事情に溜息で同情して、アルピーヌはレスタを実行した。精神を統一して意識を集中する素振りも見せずに。しかし多弁になるのは、彼女が心配事に悩む時の癖だと知っていたから。普段以上に口うるさいアルピーヌに頷きながら、ヨォンは心の底で感謝した。  今、パイオニア2社会に小さな変化が訪れていた。異変と言ってもいい。元より余り良いイメージも無いハンターズであったが、ここ最近はその負の面を本質と捉える風潮が蔓延。その元凶を倒すと、大勢の前で公言したヨォンだったが、蓋を開けてみればこの様である。剣聖、敗れる…いかにヨォンが傷を隠そうとも、その真実に変わりは無く。それが世に噂となって広がるのも時間の問題だった。 「っとに、昔から無茶ばっかなんだから。テクニックだって万能じゃないんだぞ?」 「はは、違い無い。しかしこの腕、千切れるかと思ったぜ」 「寧ろ千切れててもおかしくないよ、もう…良くこんなんで剣が握れたね」 「鍛えてるからな。それに何、いざと言う時は気迫でどうとでもなるものさ」 「あ、そ。大体何さ、あのお弟子さんに治して貰えばいいじゃない。ほら、あの此花丸家の」 「…知ってたのか。だがもう、サクヤは嫁いでしまったよ。大蛇丸家の、あの男のところに」  温かなレスタの光をぼんやりと見詰めながら。ヨォンは愛弟子へ思いを馳せた。  異能の力を宿して生まれたが為に、その力が一際強かったが為に…サクヤの人生は歪められてしまった。否、末席とは言え八岐宗家の血筋に生まれた彼女に、最初から自由な人生など無かったのだ。  しかしそれでも、サクヤは自ら望んでその宿命を受け入れた。自分が持って生まれた力に、自分で意味を与える事を選んだのだ。それだけは間違い無く、自らの意思で。 「宗家もさ、外の血とか入れればいいのに。ええと、大蛇丸家の長子って確か…」 「イマチ=オロチマル。文武に秀でた自慢の弟子さ。剣に学問、酒に女…何でも教えてやったわ」  イマチ=オロチマル…それは悲劇の元凶の名か。或いは彼もまた、宿業の血に縛られた被害者なのかもしれない。ヨォンは若き大蛇丸家の跡継ぎを思い出して、彼との賑やかなコーラルの一時を懐かしむ。  超常の力を持つ異能者の古き家系…八岐宗家。その筆頭である大蛇丸家の長子として生まれながら、イマチには全く異能の力が無かった。剣の才に恵まれ、人並みの精神力を持っては居たが。宗家を統べる者には、それ以上が常に求められた。 「ま、アタシみたいな没落貴族と違って、八岐宗家と言えば名家中の名家だからね」 「名家、か。歴史ばかり古くて、力の使い方を忘れた超越者の末裔…ま、今後は変わるだろうが」  変わる…否、変えてゆくだろう。保守的で保身にばかり執心するた、古く澱んだ宗家の雰囲気を。サクヤが自ら先頭に立って、その生き様でゆくべき道を指し示す筈。  それはしかし、誰よりも先を歩く者にとっては茨の道。だがヨォンは、その事に関してはあまり心配はしていなかった。例え血が定めた婚姻関係であっても、イマチには伴侶を支え苦難を共にし、必要とあらば身を盾に出来る男だから。二人の弟子を頭の中で並べてみれば、不思議と納まりも悪くない。 「まあ、エディンには悪いがこれも運命…いかんな、歳を取ると都合良く考え過ぎる」 「ん?何か言った?」 「いや、別に。それでどうだ?俺が知る限り、アル位しか居らんのだ…事情を話せる術者は」 「だーかーらー、何で剣士ってばテクニックを頼りたがるかな?進歩ないぞ、ヨォン君」  昔からそうなのだと、アルピーヌは思い出して。その事に苦言を呈する男の顔が脳裏を過ぎる。嘗て共にコーラルを駆け抜け、数多の冒険に挑んだ仲間。以前は極度にクレバーなヒューマン、いわゆる変わり者だと思っていたが。アルピーヌも人の事は言えないものの、同じ貴族同士で何かと気の合う事もあった。だが、それも昔の話…今のブラウレーベン・フォン・グライアスを彼女は、嘗ての仲間として哀しく思った。  哀しいのだと気付いて、アルピーヌは納得した。旗艦パイオニア2の片隅で先日、一悶着あったのは耳に入っていたし。それを総督府が隠そうとすればつい、元ハンターズの癖で調べてしまう。そうしてツテを辿って確かな情報を手にした時、自分でも驚く程に胸が痛かった。その正体を今、アルピーヌは知った。 「…ブラックウィドウ、落ち込んでた?」 「ああ」 「ティアンが逝ったなんて嘘みたい…寂しくなるね、なんか」 「ああ」 「仇討ちとか考えて無いよね?ってか、もうやっただろ…もう、バカは止めてよね」 「…ああ」  ついつい口数が増えるアルピーヌとは対照的に、ヨォンは言葉少なく頷いて。レスタの光が収束して、僅かながら深手の左腕に感覚が蘇ると。ヨォンは立ち上がって、軽く拳を握ろうと力を込めて…思うように動かぬ左手に眉を潜める。利き腕で無い事が唯一の救いだったが、傷は痛んで主を苛む。 「完治まで二ヶ月、ってとこかな?ゴメン、少し鈍ったのかも…アタシ」 「なぁに、俺が無理を言っただけさ。もう痛みは無い、これなら…助かったよ、アル」  礼を言って傍らの野太刀を背負い、足早にドアへ歩くヨォン。その背に男の決意を見て取れば…無駄と知っても引き止めたくて。気付けばアルピーヌは、その広い背中に抱き付いていた。ドアノブを握るヨォンの手が止まり、腰に回る小さな手を握る。 「悪いな、アル…その涙は惚れた男に取っとけよ。俺は…今度こそ奴を、グライアスを」 「…怖いよ、ヨォン君。今度は腕一本で済まないかもしれないじゃない。アタシ怖いよ」  腕の傷はヨォンにとっては、グライアスの尻拭いをした積もりだったが。それは次にグライアスと対峙する時、必ずやハンデになる…自分自身が良く解っていた。それがどんな結果を招く事になるかも。それで嘗ての友を止められるなら、ヨォンは望んで受け入れる積もりだったが…美人の知己を泣かせるのは些か堪えた。  それでもアルピーヌを優しく引き剥がすと、振り返らずにドアノブを捻った。その向こう側で今正に、ドアをノックしようとする人物が居るとも知らずに。 「済まん…今までありがとう、アル。いい男を見つけろよ?じゃあ、お別れだ」  ヨォンは死地へ赴くべく、勢い良くドアを開け放ったから。その前に立って、やはり出直そうと背を向けた人物は吹き飛ばされた。山猫亭の廊下を転げる、彼の名はエディン=ハライソ。意外な人物の登場にヨォンも、その背から顔を覗かせるアルピーヌも驚いた。だが、エディンは構わず立ち上がる。慌てて涙を拭うアルピーヌはその時、突拍子も無い一言に仰天。 「グレイオン師、お願いがあります!僕を弟子にして下さ」  その瞬間、迷わずヨォンは目の前の若者を殴り倒していた。アルピーヌが止める間も無く。 「目ぇ覚めたか?エディン…そんな事をしてティアンが、他の連中が喜ぶと思ったかよ」 「僕は本気です。僕には、正しい事に使う、その力すら…だからっ!」  頬を押さえて立ち上がるエディンはしかし、食い下がって再度ヨォンの鉄拳を貰った。何事かと部屋から飛び出して来る、他の宿泊客にも構わずに。ヨォンは大きくよろめくも倒れなかったエディンの、その襟首を片手で掴んで軽がると吊るし上げる。その目には怒りが燃えていたが…見詰め返す瞳には迷いは無い。 「小童が知った口を!そんなに…そんなに力が欲しいかよっ!どいつもこいつも、畜生っ!」 「僕はもう、黙って見てはいられない!自分で自分を許せなくなる前に、僕に出来る事を」  締め上げるヨォンが手を放すと、エディンはその場にへたり込んだが。それでも彼は懇願を止めない。一時の感情では無く、もっと大きなものがエディンにそうさせるのだと…ヨォンは男の決意を感じ取るものの、それに甘えようとはしない。だから黙って背の野太刀を降ろすとエディンに放る。 「…抜いてみろ。そいつが抜けたら、剣を教えてやる」  手にズシリと重い実刀を、暫し呆然と見詰めて。意を決してエディンは、その柄を握って力を込めた。見守るアルピーヌの予想通り、その刀身は鯉口三寸どころかピクリとも動かない。それでもエディンは立ち上がると懸命に、封印されし星刀を引き抜こうともがく。必死で、無我夢中で。 「これが抜けたら…ハァハァ、剣を教えてください!僕に、剣をっ!」 「…何故、そうまでする?エディン、一度拾った命を粗末にする気か?」 「僕はっ、死ぬ気はありません!でもっ、もう誰も死なせない!グレイオン師、貴方もっ」 「奴は、グライアスは強い。俺よりもだ…それでも挑むか、エディン?」  息を切らして顔を真っ赤にしながら。エディンは何度も強く頷いた。相変わらず剣は抜ける気配は無い…それもその筈、封印されし野太刀は伝説の星刀。母なる星コーラルに降り積もった、人の想いを結晶化したその刃は…真にその力を必要とされる時まで、抜き放たれる事は無い。そして今はまだその時では無かった。今はまだ、人の手で…人の力で。 「僕は全て力よりも、言葉で解決を図るべきだと思ってきました。今もそう思います。でも…」  言葉が伝わらない人が居る。その現実を前に、既にエディンは選択した。言葉を交わす自分のやり方を相手が拒むなら…相手が望む力で語り合う事を。それが愚かな選択だと解っていても、今この瞬間を選ばなければきっと後悔するから。 「でも僕は、僕等は…ハンターズは、あの人を倒さなければいけない!あの人を認めてはいけない」 「エディン、そうやって自分の責任感に酔ってる訳ではあるまいな?甘い覚悟で奴は倒せぬぞ?」 「私怨でも復讐でも、自己陶酔でもありません…誰かがやらなければいけない、なら僕がっ!」  アルピーヌはその時、古い友人が折れる瞬間を確かに見た。若く青臭い決意が、悲壮な覚悟を上回った。悔しさに涙目になりながら、渾身の力を込めて野太刀を握るエディン。その手から軽々とヨォンは自分の愛刀を取り上げると。驚き見上げるエディンを置いて踵を返す。 「アル、迷惑次いでにもう一つ頼まれてくれるか?俺はこのバカを鍛える…徹底的にな」 「ホントにもうっ、男って何でこうも不器用かな。まあ、良かったじゃん。ええと、確か…」 「エディン=ハライソです!ありがとうございます、グレイオン師」  ヨォンでいい、とだけ言い残して。剣聖はこの時、自分の時代が終わるのだと悟った。その最後に何を為すべきか…今は先程よりも少しだけ良く解る。それは捨て身で勝算の無い死合に挑むのではなく、次代に力と意思とを委ねて託す。自分がその礎となる時が来たのだと、ヨォン=グレイオンははっきりと自覚した。