疾走、緑へ分け入って。  わき目も振らず、ラグオルの森を駆け抜ける一団があった。手には武器を持ち、群がる原生動物を蹴散らしながら。点在するコンテナには目もくれず、一目散に目的地を目指す。  その先頭を走るエステルは、背後の声へと肩越しに振り返った。 「エステル、アタマ代れぇ! バテちまうぜ」 「いいから黙って走んなさいよ、ほら次っ!」  鬱葱と生い茂る木立の奥から、獰猛な肉食獣が飛び出てくる。バーベラスウルフに率いられた、サベージウルフの群。その剛毛と鱗に覆われた体は、幾重にも折り重なって行く手を塞いだ。  しかし怯まず、寧ろ加速して突破を図るエステル。  通常ならフォースの、しかもニューマンの女性が先陣を切ることはまずありえない。ハンターズアカデミーでなら落第物の失格点である。だが、エステルは逆にそうすることで効率良くエネミーを駆逐する術を心得ていた。  全ては、自分の技量と経験、そして何より仲間の存在が大きい。 「コーラルでもっ、散々っ、やったでしょっ!」  迷わず敵中に飛び込むエステル。獲物を察知したエネミーは、彼女を中心に円を描き出す。  敵意の渦中に立って、その中心で足を止めると、エステルはロッドを翳して片手で素早く印を結ぶ。テクニックの実行は、人によって式の組み立て方は様々だが。エステルはごくごく一般的な、型から入る物を好んだ。誰に教わった訳でもない、生きる為に見よう見まねで盗んだ技術。  精神を統一して術式を組み上げ、即座にエステルはザルアを実行。高レベルのテクニックを行使する際の、独特な感覚に肌が粟立つ。テクニックの余波で、元からささくれ立った感情が昂ぶるのを彼女は感じた。 「そりゃそうだけど、よっ! カゲツネ、右の三匹任せるっ」 「了解、了解……まあ、概ねいつも通りではありますがね」  己の身に起こった異変に、落ち着かない様子で足を止めるサベージウルフ。それでも群全体が一つの生き物のように、その牙に獲物を……エステルを捉えようとした瞬間。雄叫びと共に、最後尾の一匹が両断された。  ヨラシムはザルアで耐久力の落ちたエネミーを、苦も無く一刀の元に切り伏せる。返す刀で二匹目の臓腑をブチ撒け、気付いて振り返った三匹目の脳天をカチ割った。彼の背後を狙う獣は全て、カゲツネの正確な射撃で肉塊と成り果てる。  いつも通りのコンビネーションだと、仲間の手並みに感心している暇はエステルには無い。  不要だとは思ったが、万が一の事もある……何より、気に掛けねばならない新米がいるから。続けてジェルンを実行しようとしたエステルはしかし、踊りかかるバーベラスウルフに術式の構築破棄を余儀なくされた。 「っと、がっつかれるのも嫌いじゃないけど。今、そんな気分じゃないのよねっ!」  減らず口と共に、咄嗟に両手でロッドを握って身を庇う。鋭い牙がロッドの柄を噛んで、エステルは血に餓えた獣の臭いを間近で感じた。そのまま力で押し倒されれば、ハンターズスーツを滴る涎が汚してゆく。  まさかの油断に、散漫で感情的になっている自分を戒めながら。エステルは両手が塞がっていても、テクニックによる反撃を試みる余力があった。  燃え盛る炎をイメージし、精神力を紡いでゆくその瞬間。エステルは必死の声を聞く。 「エステル先輩をっ、放せぇぇぇっ!」  ヨラシムが駆け寄るより、カゲツネがライフルを構えるより速く。ザナードが気勢を叫んで突っ込んできた。彼はそのままバーベラスウルフに渾身の体当たり……をして、大きく弾かれ地に転がる。それでも彼は弾みをつけて起き上がると、セイバーを抜刀して身構えた。  我が身に圧し掛かる獣が、僅かによろけて注意をザナードへ向ける。その瞬間をエステルは見逃さない。ロッドを手放す右手に、瞬時に火球が現出し、それは炎の矢となって放たれた。  同時に身を捩って大地を転がり、火達磨となったバーベラスウルフから離れる。 「大丈夫ですか、エステル先輩っ!」 「平気、ってかキミも無茶するわね」 「いやあ、それ程でも……エステル先輩に比べたらまだまだですっ!」 「……誉めてないし。それにまだまだって」  とりあえずの無事を確かめ、上体を起こしてエステルは溜息。  自分が先行して補助テクニックで敵を弱体化させ、後からヨラシムとカゲツネが一気に殲滅する。このやりかたで今までは、失敗したことなど無かったが。例えセオリー無視と言われようと、エステルはこの戦術が少しだけ気に入ってさえいる。逃げ回るのには自信があるし、何より仲間の危険が少ないのがいい。  しかし今日は―― 「危なかったじゃねぇか、ええ? らしくねぇな、エステル」  大きな手を広げて、鼻先へと差し出すヨラシム。その手を払って、エステルは自力で立ち上がった。仲間の気遣いは嬉しいが、それが今はヨラシムなのが気に障った。  そんな自分が大人げないと思えば、苛立ちも覚える。 「で、その目的の座標ってのは?」 「この先よ、急ぎましょ……何があるのか、この目で確かめなきゃ」 「何があるのか、ってお前……何かあるから目指してんじゃねぇのか!?」 「何かはある、と思う。腹が立つけど、それに賭けてみよって訳。最近、進展無いしさ」  エステル達は他のハンターズ同様、ラグオル調査に行き詰っていた。  真っ先にセントラルドームに辿り着いた者達は、生活感はそのままに、人間だけが忽然と姿を消したパイオニア1を総督府に報告。エステル達も実際に、市街地を見て驚いた。そこには確かに、数日前まで人が居た……飲みかけの珈琲、リピート再生を続ける音楽、アイドリングのままの車両。ただ、人だけが居ないセントラルドーム。  そしてハンターズは、セントラルドーム到達と同時に調査の方向性を見失ってしまったのだ。無論、エステル達四人もである。 「そりゃそうだがよ。大体お前、その情報のソースは何なんだよ」 「……ゴメン、言えない。ってか、言いたくない」 「はぁ!? おい何だよ、いつもの気まぐれか? よしてくれ、仕事じゃそんな事は今まで……」 「いいからお願い、今は黙ってついてきて。この先すぐだから、急いで――」 「まあ待てよ、エステル。らしくないぜ、何をカッカしてる? ……よく見ろよ、仲間を」  先に進もうとするエステルの、細い手首をヨラシムは掴んだ。そのまま引き寄せれば、意外にも素直にエステルは振り向く。その視線の先に、カゲツネとアイテムを回収するザナードの姿があった。  少年は今、肩で大きく息をしながら汗びっしょりで。しかし笑顔で、エネミーが飲み込んでいたモノメイトをつまみあげる。彼はそれをカゲツネに見せて笑ってはいるが、その表情には疲労が見て取れた。 「俺等だけなら強行軍もいいけどよ、少しペース考えようや」 「……ゴメン、忘れてた」 「忘れちゃいねぇだろ。さっきのジェルンはありゃ、ザナードがいたからじゃねえの?」  何でもお見通しな所が癪だが、妙な安心感もある。勝手知ったるなんとやら。 「ん、まあ、ちょっとメールがね。そのうちちゃんと話すわ」 「ああ、そうしてくれ。俺はともかく、カゲツネやザナードだって心配するしよ」  それだけ言って、ポンとエステルの頭を軽く叩くと。彼女を追い抜き、その先へと歩くヨラシム。茂みを掻き分け、その姿が深い森の中に消えると……エステルは複雑な感情を溜息にして外へと逃がした。 「私とヨラシムが前衛を代りましょう。エステル、貴女はザナード君と」 「ん、解った。ちょっと焦ってたみたい」 「そんなこともありますとも。エステルが愛しい女性である限り、私は一向に構いませんよ」 「……さんきゅ、なるべく可愛くいられるよう努力してみるわ」  ライフルを肩に担いで、カゲツネの巨体がヨラシムの後を追う。それを見送り、エステルは続こうとするザナードの袖をつまんだ。  軽く引っ張られて、ザナードは前のめりによろけながら振り返る。 「ど、どうかしましたか先輩? あっ、フルイドですかメイトですか、それとも……」 「その、もういいから……急がなくてもさ」 「あ、いや、でも師匠も先生も行っちゃいましたよ? 追わないと」 「ゆっくりでいいよ、無理に走らせちゃったみたいだし。それと……さっきはアリガト」  それだけ言って、ゆっくりエステルは歩き出す。  何を言われたのか解らず、その言葉を頭の中で反芻して。ザナードは暫し呆気に取られていたが、やがて満面の笑みで顔を綻ばせる。彼はそのままニコニコと、子犬のようにエステルを追った。  その瞬間、歩を向ける先の森から獣の咆哮。エステルとザナードは顔を見合わせ、頷くと同時に走り出した。一息ついたのも束の間、ラグオルの大自然はハンターズ達に休息を許してはくれない。  森を突っ切ると、不意に視界は開けた。 「おう、こいつを探してたんだろ? ドンピシャだぜエステル!」 「壊れてますが、総督府へ報告を入れて修理を依頼しましょう。その為にも……先ずは掃除ですね」  既に戦端は開かれていた。  ヨラシムとカゲツネは、互いに背を合わせて多数のブーマと戦っている。その中には、先日ヨラシムが見たと言う亜種――ギルドがゴブーマと名付けた個体も複数入り混じっていた。  そしてその奥にエステルは見た。壊れてはいるものの、どこかへと通じるテレポーターを。  瞬時に頭に血が昇り、あらゆる思考を感情が押し退けてゆく。気付けばエステルは叫んでいた。 「二人とも下がって! あんの馬鹿、何か知ってる! それをアタシは……」  言うが早いかロッドを放って、術式を組み立て両手で印を切る。ワンランク上のテクニックを構築しながら、エステルは押し寄せる獣の波へと歩み寄った。次の瞬間、渦巻き暴れ回る炎の濁流。  中級の炎系テクニック、ギフォイエが発現し、荒れ狂う双頭の炎蛇が周囲を焼き尽くした。 「相変わらず見事な物ですね」 「あ? お、おうよ……」 「私はアンドロイドなので解りませんが、あの手の術は制御が難しいと恋人達は皆言います」 「普段はもっとこう、必要最小限って感じなんだけどよ……何をカリカリしてんだか」  ブーマやゴブーマは、次々と炎に焼かれて逃げ回る。そのまま燃え尽き絶命するものが大半だったが、そうでないものはカゲツネがライフルで丁寧にトドメを刺した。  炎を纏って獣を焼きながら、壊れたテレポーターへと歩み寄るエステル。その背中を、小刻みに震える肩を眺めてヨラシムは目を細めた。しきりに無精髭を撫でて思案しながらも、もう無遠慮に踏み込んでいい仲ではないと思えば気も引けるが。一抹の不安が彼の胸中を過ぎり、それを愛弟子が代弁した。 「エステル先輩、なんか……怖い、ですね」  炎に揺らぐ陽炎の向こう側に、エステルの姿はどこか遠く。その立ち姿は美しいが、近寄り難い雰囲気を発散していた。  この時、エステルは後悔していた。嘗ての恋人のメールを、言い訳と謝意の言葉を期待して読んでしまったことを。彼女の期待をメールの山は裏切り……ただラグオルのある場所を指す、座標だけが最新の一通に記されていた。いま仲間達と立つ、この場所の座標が。