生命の息吹に満ち溢れたラグオル。その空気が香る髪をなびかせ、ザナードはパイオニア2のハンターズ区画へと帰ってきた。ゲートを抜けた彼は、一目散にハンターズギルドへと向う。  ザナードは今、細く小さな手を引いていた。 「あのぉ、さっきのお話なんですけど――」 「大丈夫です! ガツンと言って返して貰いましょう!」 「いえ、その、ええとぉ……私の話には続きがあって」  強引にザナードにエスコートされる、彼女の名はエルノア。ザナードが今日受けたクエストで、ひょんな事から知り合いになったアンドロイドの少女である。  そして今、正義感に燃えるザナードが、一番に救いたい人物でもあった。  ギルドカウンターの前を通りぬけ、彼は目的の人物を……今日のクエストの依頼主を見つけて声をかける。 「ガロンさん! 今日のお仕事の件でお話があります!」 「な、なんじゃ!? もうマグ、おっと……商品を回収し終えたのか、小僧?」 「隠しても無駄ですよ。ガロンさん、ハンターズのマグで商売をしようとしてましたね?」 「そ、それは……まあ、需要もあるしの。第一、持ち主が居なくなったら、どう利用しようと――」  ガロンの反論をしかし、ザナードは全く聞いていない。生来、彼は思い込みが激しかった。  ギルドに集まっていたハンターズ達が、一斉にザナードへと振り返った。しかし彼は意に返さず、厳しい追求の眼差しで依頼主を、商人のガロンを見据えて問い詰める。  その傍らではエルノアがオロオロと困り果てていた。彼女はザナードの誤解を解き、真実を話そうとするのだが……会話の糸口が掴めぬまま、黙ってザナードに手を握られ立ち尽くす。 「マグは僕達ハンターズの大事な相棒、友達なんです……心があるんですよ、ガロンさん!」 「ええい、ばれてるならそれはそれ! それがナンボのもんじゃい!」 「開き直っても駄目です。マグが持ち主にとって、彼女にとってどれ程に大事かっ!」  突き抜けたテンションのザナードは、傍らで何か言いたげなエルノアをグイと前に押し出した。 「さあ、ガロンさん! 彼女にマグを返してあげてくださいっ!」 「……ほへ? 彼女、って、こいつは、例の……ワシの集めたマグを……」 「あっ、あのぉ……これはその、ザナードさんが」  ガロンはハンターズ用のとある商品で一儲けを企んでいた。ザナードが今日受けた依頼は、その商品をラグオルで回収すること。しかし地表に降りてみれば、そこにはマグを探すエルノアの姿。  ガロンの言う商品が、マグであることを直感で見抜いたまではいい。しかしザナードの思考は、極めて単純な単細胞で出来ていた。ガロンの商売とマグを探すエルノアが直結。 「えっとぉ、そのぉ……」 「遠慮はいりませんよ、エルノアさん! 大丈夫です、僕がついてますから」  ザナード少年の視野はこの時、限りなく狭く、果てしなく遠くを見ていた。そんな彼に強引に促され、おずおずとエルノアが口を開く。 「あのぉ、ご、ごめんなさい! マグを逃がしたの、私なんですぅ」 「聞きましたかガロンさん、エルノアさんはこんなにも自分のマグを……ほへ?」  ザナードは硬直した。ガロンはやれやれと肩を竦めながら、深い溜息を一つ。 「えっと、あれ? マグを探してるって……僕、てっきりエルノアさんのマグをガロンさんが……」 「逃がしたマグの中に、前の御主人様に挨拶したがってた子がいたんですぅ」 「で、ガロンさんはマグを売り物にして一儲けしようって魂胆で……」 「それをこの小娘に逃がされたから、小僧を雇って回収しようとしたんじゃろうが」  初めてザナードの頭の中で、会話の歯車がカチリとかみ合った。彼は自分でもそれに驚き、なるほどと手をポンと打つ。  周囲のハンターズから呆れた声が幾重にも重なって響いた。 「つまりアレか? 小僧は、ワシがこの小娘のマグを取り上げたと……」 「あっ、ザナードさんは悪くないですぅ! 私が上手く説明できなくて、それで」  一転してガロンが事態を飲み込み強気に出る。ザナードは長身を縮めて恐縮する他なく、エルノアが一生懸命彼に変わって弁明を始めた。しかしガロンは、そんなエルノアにも食ってかかる。 「ワシがそんな非効率的な事をするか! そもそもこの小娘は、ワシの大事な商品を……」 「ご、ごめんなさいですぅ……で、でもっ、マグにも心があるんですぅ」 「ココロで腹が膨れるかっ! 今すぐワシの売り上げ見込みを弁償しろっ!」 「そ、そんなぁ〜、困りますぅ……私、月に500メセタしか博士から御小遣い貰えないんですよ」  まるで人間のように、エルノアは全身からガロンへの謝意と困惑を発散していた。そんな彼女に構わず、ガロンは伝票の束を片手に詰め寄った。しかし、両者を別つべく、混乱の元凶が割って入る。  ザナードはやっと事態を理解し、現状を把握し終えた。彼の出した結論は―― 「ガロンさん、僕は……僕は勘違いをしていましたね!」 「は? あ、うむ、そうじゃ! 小僧、お主は勘違いをしておったぞ!」 「そう……僕の誤解は、ガロンさんがエルノアさんのマグ泥棒ではないかという勘違い」 「小娘のマグ一匹なんぞどうでもいいわい! あれだけ大量に集めたマグを……」 「そこです、ガロンさん!」  ズビシ! とガロンを指差し、ザナードはエルノアから引き離して詰め寄った。  周囲は既に、野次馬が取り囲んでいる。誰もが皆、ギルドでも最近有名な問題児のザナードが、また何かをやらかすのではと期待を寄せて見守った。 「ガロンさんはマグ泥棒ではありませんでした、僕は間違っていた……でもっ!」 「な、なんじゃい」 「そもそも、マグで商売しようなんて言語道断ですっ!」  ハンターズになってまだ一週間もたたない、ド新人のザナードが断言する。  周囲からは複数の笑い声が上がった。だが、当の本人は全く意に返さない。 「エルノアさんが言ってました、マグは心があるって……友達だって!」  傍らでエルノアが大きく頷く。 「先輩も先生も師匠も言ってました、マグは相棒、マグは分身……マグはハンターズ本人だと」 「だ、誰じゃそれは……しかしマグは特殊とは言え、流通面では単なる防具に過ぎん!」 「心のあるモノを売り物に出来ますか? ガロンさん、マグには心があるんですよ」 「んなこたぁ関係ないのじゃ! ココロで腹が膨れるかっ!」  根拠に乏しい感情論で押すザナードに対して、ガロンは異様な剣幕で捲くし立てる。  しかし、ザナードはいささかも揺るがなかった。 「それは先ほどもお聞きしました。でもガロンさん、心を感じないと……」 「感じないと? 何じゃ、言うてみい」 「人間とはそもそも、心を感じないとお腹が減らないんじゃないでしょうか!」  一瞬の沈黙。真顔のザナードと、何度も頷くエルノア。  静寂を破ったのはガロンの笑い声だった。爆笑と言ってもいい。だが、笑ったのはこの場では彼だけだった。それに気付かず、ガロンは今にも転げ回りそうな勢いで笑い続ける。 「片腹痛いわ、小僧……腹が減るのは人間も生き物ゆえ当然! そっちの小娘は別かもしれんがの」 「いえ、僕はこう思うんです。毎日動いて働いて、語って喋って見て聞いて……それって全部」 「全部、ココロとやらのお陰じゃと言うのか?」 「そうです。そう思います! そしてそれは、マグもガロンさんも一緒だと思うんですよ」  ザナードは本気だった。 「ガロンさんだって、自分が売り物になったらお嫌でしょう?」 「それはまぁ、ワシは商人じゃからな……自分が商品になるのは御免被るわい」 「それはマグも同じです。ガロンさんが商人であるように、マグもハンターズの大事なパートナーなんですから……そうですよね、エルノアさん」  ザナードの問い掛けに、エルノアはアンドロイドとして不自然なほど自然な笑みを返した。  同時に、周囲から拍手と歓声が上がる。最初は散発的だったそれは、終いにはギルド内の全ハンターズに伝播した。鳴り止まない拍手が、ガロンを追い詰める。 「泥棒だと思った事はお詫びします、ガロンさん。ですからもう……」 「マグでお金儲けは、やめて欲しいですぅ」  真っ直ぐ見詰めるザナードの眼差しと、煌く星の如きエルノアの瞳。純真無垢な少年少女に気圧され、ついにガロンは白旗を上げた。普段なら子供の戯言に付き合う道理も無いが、ここはザナードの所属するギルド……ひしめき合うは無宿無頼のハンターズである。  周囲の空気が見えない力でガロンを圧した。  完璧にアウェーな雰囲気を悟って、早々にガロンは諦め立ち去る。その姿をザナードは、先輩ハンターズ達に頭を小突かれ脇を小突かれしながら見送った。  去り際、一度だけ振り返るガロン。 「フン、まあいいわい……甘ちゃん小僧、カウンターで報酬を受け取るのを忘れるなよ」 「えっ、でも今回はこうした形ですので、クエストエラーで報酬は」 「見くびるなよ小僧。ギルドには前払い、これは鉄則。それを守るのが……商人の心ってやつじゃ」 「……ありがとうございました、ガロンさん!」  最後に居並ぶハンターズ達へ悪態をつくと、ガロンはギルドを出て行った。 「あ、あのぉ……ザナードさん」 「大丈夫ですよ、エルノアさん。もうガロンさんは、マグに手出しはしないと思います」  ザナードは満面の笑みで、エルノアの手を取った。しかしエルノア本人は困惑気味で。  そもそも、エルノアの問題はまだ半分しか解決してはいなかった。ガロンが商売目的で集めた、大量のマグを解放する目的は達成されていたが。 「ザナードさん、あのぉ、実は……」 「ザナードって呼んで下さい、エルノアさん」 「え、えとぉ、それはぁ……ごめんなさい、ちょっと無理です、けど」  エルノアは気恥ずかしそうにザナードの手を解くと、手に手を重ねて背中に隠した。そのまま彼女は、もじもじと喋り出す。その姿に周囲の、ごく一部のハンターズが違和感を感じた。無論、ザナードは気付かない。  今やヒューマンやニューマンと並んで、一つの種族として認められたアンドロイド。だが、目の前のエルノアほど感情表現の豊かなアンドロイドも珍しい。感情の起伏が激しいアンドロイドは多いが、こうまで自然体のアンドロイドを見るのは、誰もが初めてだった。 「実はぁ、あの、私、マグ探してて……まだ見つかってないんですぅ」 「……あ、そうだった……すみませんっ! すっかり忘れてました!」 「い、いえっ、ザナードさんは悪くないですぅ……私がうっかりしてて」 「探しに行きましょう、今すぐ! 僕も一緒に探しますから!」 「えっ、でもぉ……」  躊躇うエルノアの姿はいじらしい。まるで本物の、十代の少女を髣髴とさせる。  エルノアの迷いには理由があった。ハンターズとは基本的に、ギルドを通したクエストで日々の糧を稼ぐ者達である。どんな些細なクエストでも、ギルドを通すのが筋だが……今、彼女には月に500メセタの御小遣いすら無かった。 「いいから急ぎましょう、エルノアさん! 今なら日が沈む前に見つけられるかも」 「あっ、でもぉ……その、お金が……」 「お金ならガロンさんから貰ってますから! まだ僕等のクエストは終ってないです」 「は、はいっ!」  こうして少年少女は、日の傾きかけたラグオルへと再度降りていった。  この日、ザナードにはハンターズになってはじめての友達が出来た。