ハンターズ区画の一角に、とある酒場がある。  無宿無頼の冒険者、ハンターズが情報を――ここ最近はラグオル調査の情報を求めて、集い語らう。厳しい食料統制も、その遵守を監視する目も関係ない。あるのは美味い酒と、美しい女と、ラグオルの最新情報。とびきりの夜に誰もが胸を弾ませ、一時の憩いにまどろむ。  その店の名は山猫亭……ハンターズの憩いの場であり、ラグオル調査の最前線。 「賑やかですね、師匠! このパイオニア2にこんなにハンターズがいるなんて」 「あんまキョロキョロすんなや、えっと? アイツ等、どこに席取ってんだ」  エステルは混雑する店内で、周囲を見渡す仲間を見つけて。小さく手を上げた瞬間、隣の巨体が立ち上がって声を発した。その為、のろけ話とも恋人自慢とも取れぬカゲツネの独演会は中断される。 「ヨラシム、ザナード君、こっちですよ」 「悪ぃ、遅くなった……この馬鹿がよ、ショーウィンドウの前から離れないでやんの」 「いや、あのブランドは絶対買いですよ。と、カゲツネ先生、エステル先輩、こんばんはです!」  ザナード少年は今日も元気一杯だった。エステル達が陣取るボックス席に駆け寄ると、満面の笑みで頭を垂れる。明朗快活、天真爛漫。今の自分とは対照的だと、苦笑しつつ隣の席を促すエステル。  ヨラシムもカゲツネの隣に収まり、エステルへの挨拶を対角線上に放ってくる。お決まりのやり取りを二、三交わして。四人揃ったのを確認し、カゲツネは卓上のタッチパネルへと指を走らせた。  たちまちメニューがテーブル上へと表示され、光る文字が宙を埋め尽くした。 「しっしょぉぉ! こ、こっ、これ! これ駄目! 駄目ですよ、総督府に見つかったら……」 「あ? ああ、気にすんな。いいからお前も飲み物注文しろよ。酒以外ならなんでもいいぜ」 「ここはハンターズ区画、治外法権ですから。ザナード君、それだけ我々は期待されているのです」  期待されている――或いは危険視されているのか、はたまた藁へも縋る思いか。ラグオルの真実を知る、そのことに対する口止め料とも取れる。どっちにしろエステルは、一般市民が知ればハンターズをどう思うか、それを考えれば気が重い。  滅入った気分が一際ズシンと重くなり、自然と彼女は度数の強い酒を求めてメニューに触れる。白く細い指がなぞる空中のメニューは、軽快な合成音を響かせ点滅した。  最後まで迷っていたザナードが、恐る恐るメニューに触れたのを最後に。光の文字列は集束するなり尾を引いて、店の最奥にあるカウンターへと飛び去った。 「さて、それでは楽しい宴の前に……難しいお話を片付けてしまいましょうか」  頬杖を突いて外の景色を眺めていたエステルは、カゲツネに促されて仲間達に向き直る。  ガラス一枚隔てた外は、一般の市民達が暮らす街明かり……何も知らずただ、緑の大地を待って一日の終わりを享受するもう一つのパイオニア2。 「そうね、とりあえず……今日はわざわざアリガト。アタシがご馳走するから、好きなだけ飲み食いして頂戴。その代わり――」 「まあ、そう固くなんなや。とりあえずほら、あれだ……先ずは乾杯しようぜ。おい、ザナード」 「はいっ! なんですか師匠」 「カウンターに行ってな、飲み物だけ先にもらってこいや」  合点承知と立ち上がるザナードの、袖をつまんでエステルは引っ張った。そのまま首を横に振って、無言で座らせる。  気まずそうに視線を逸らすヨラシムに、心の中で礼を言って。エステルは改めて仲間達を見渡した。 「気を使ってくれるのは嬉しいけどね、ヨラシム。ザナード君も大事な仲間だから聞いて欲しいの。それに……大したことじゃないから、もう」  強がる自分の可笑しさに微笑を零して、エステルは口を開いた。 「今日集まって貰ったのは、この間の――」 「いよぉ、エステェル! お前、大手柄じゃねぇか! どこで情報掴みやがったんだ?」  不意に酔っ払ったレイマーが、エステル達の席に顔を出した。その酒気に澱んだ目はヨラシムから順に、一同を見渡してゆく。  エステルはその顔に見覚えがあった。顔だけではなく、色々と知っている。深く、沢山。 「気安く呼ばないでくれる? 今、ちょっと大事な話をしてるんだけど」 「ツレないこと言うなよ、オレ等も助かってんだぜ? 新しく発見されたテレポーター」  そう言うなり、赤ら顔の男は振り向かずに背へと右手を伸ばす。たまたま後を通りかかったウェイトレスから、彼は二つのグラスを掠め取った。  甲高い抗議の声が上がるが、メセタを押し付け黙らせると……男は酒で満ちたグラスの片方をエステルの前へと静かに置いた。 「こりゃオレのオゴリだ、乾杯しようぜ?」 「もう貴方と乾杯する理由なんて、アタシにはないんだけど」 「ははっ、確かにこの船じゃなかったな。それが少し寂しくてよ」 「……アタシは未練がましいのは嫌いよ。自分で言えたことじゃないけどね」  グラスを押し返して、エステルが笑う。  ヨラシムはカゲツネと顔を見合わせ、いつものアレかと肩を竦めた。この男は、恋多き女エステルの過去を彩る一人なのだろう。ザナードだけが訳も解らず、目を白黒させている。  しかし男は引き下がらず、寧ろしつこく食い下がった。 「はン、お高く留まりやがって、この――」  ワン、聞くにたえない卑猥な言葉が吐き出された瞬間、エステルが咄嗟に隣のザナードの両耳を塞ぐ。  ツー、何も言わずに立ち上がったヨラシムの、固く握られた右の拳が炸裂。  スリー、綺麗に決まったフックで脳を揺さ振られて、男はグニャリとその場に崩れ落ちた。  三拍子の一小節は一呼吸。カゲツネが黙って手を上げると、店の奥から厳つい黒服が数人現れる。彼等はノびてしまった男を、店の外へと放り出した。  暫し騒然としていた店内はしかし、瞬く間に何事も無かったような賑わいを取り戻した。 「あ、あの、エステル先輩?」 「うん? ああゴメン。それよりヨラシム、ちょっとやり過ぎじゃないかな」 「アイツぁいつも酒癖悪いかんな。ああやって馬鹿みてぇに飲んじゃあ悪酔いして――」  ザナードから手を放したエステルは、手首を握って振るヨラシムと頷き合って。 「「明日の朝には全部忘れる」」 「って訳だ、あんなののどこが良かったんだ?」 「いいとこもあるんだけどね。つーか、いい男だったのよ。お酒飲まなきゃね」  笑うエステルとヨラシムを交互に見やって、不思議そうにザナードがカゲツネに目線で説明を求める。ここではしかし、彼の偉大な先生は肩を竦めるだけだった。  エステルは胸中の重く暗い霧が僅かに晴れるのを感じた。今にはじまったことではない、全ては身から出た錆……錆を錆とも思わず今まで、面の皮の厚さでのうのうと生きてきた自分を思い出す。  今更飾る仲でもないし、傍らで不思議そうな顔をしてる少年へもそれは同じ。 「ま、アタシちょっと男運が悪くてね。男癖の悪さに比例するんだけど、それは」 「は、はぁ」 「自分で言うな、自分で……ザナード、こーゆー女に引っ掛かるんじゃねーぞ」 「え、ええ?」 「いやしかし、これはこれで味わい深いものでして……いつかザナード君にも解りますよ」 「それは、つまり」  ウェイトレスが先程の男のグラスを下げ、代って四人が注文した飲み物を配ってゆく。それが行き渡るのを待って、エステルはやっと本題を切り出した。 「カゲツネ、こないだ見つけたテレポーターについては何か解った?」 「取りあえず総督府のスタッフの話では、来週中には使えるようになるかと。ただ……」 「かなりこっ酷く破壊されてたみたいね? リコはあの先に……は、これから解るか」 「ええ、少なくともハンターズの携行武器ではあそこまでは。そして転送先ですが」  先日、広大な森の一角に発見されたテレポーター。それはまるで人の目から隠されたように、セントラルドームから離れた位置にひっそりと設置されていた。  現在、急ピッチで復旧が進む、そのテレポーターが指し示す先は―― 「第207貯水池? 何だそりゃ、よくある浄水施設の類か?」 「位置的には我々が普段降下する側から見て、セントラルドームの裏側になりますね」  ヨラシムの疑問に、カゲツネは言葉を続ける。 「この貯水池ですが、セントラルドームに水源を供給していたという記録はないそうです」 「……って事ぁ、少なくとも『貯水池じゃない何か』ってことだな。面白れぇ……で?」  いまいち話の流れが掴めないザナードはしかし、身を乗り出すヨラシムの表情に事の重大さを感じ取った。彼の師匠は今、真剣な表情で見詰める。謎の施設へ繋がる、誰も知らないテレポーター……その入口へと自分達を誘う仲間を。  その追求はエステルには、寧ろ望む所だった。呼吸を落ち着けて、ただありのままを彼女は語る。胸はもう、痛まない。筈。 「こないだ別れ……振った男がね、ずっとメールしてくるの。んで、開けてみたら」 「例の座標が書いてあったってか。何者だ? 同業者じゃねぇだろうけどよ」 「さあ? 総督府の関係者みたいなことは言ってたけど。詳しくは聞いてない」  恋は盲目とは言いえて妙で。身を重ねて心を許した、その実相手の事は何も知らなかった。  不実の仲だとさえ、気付けなかった。 「最初はずっと、言い訳のメールだと思ってたんだけど。開いてみたら何か、ずっとラグオル調査の進捗状況ばっかり尋ねてくる。で、終いには意味深な座標だけ送りつけて……」  どこのチームも調査に行き詰っているという、焦りがエステルに身勝手な正当性を与えてしまった。 「アタシは多分、もっと弁解とか自己弁護を期待してたんだと思う。それがまぁ、調査はどこまで進んだかとか、原生動物の様子はどうだったかとか。……まあ、それでちょっと、その……ムカッて」 「ムカッておま――はぁ、もうガキじゃねーんだからよ」 「それは、でも、こう、何か……良く解らないですけど、ムギーって感じですね!」 「……ザナード、お前はガキだからいいけどよ。ま、話はそれで終わりか?」 「うん、ゴメンみんな……結果的に先が開けたけど、まぁ」 「大いに反省しろよ、このヤロー。今夜はたっぷりと、自分の失敗を悔いるがいいぜっ!」  待ってましたとばかりに、カゲツネが再びメニューを展開した。再び表示されたそれを、ヨラシムは片っ端から物凄い勢いで注文してゆく。  しばし唖然と見守っていたエステルは、意図する所を察して肘でザナードを小突いた。 「……だってさ。ザナード君も、もっと食べなよ。育ち盛りじゃん」 「そうだぞザナード、お前は俺と肉を食え、肉を! 今日は合成じゃない肉を食うぞ!」 「まあ、この辺で手打ちということで。エステル、今後は出来る範囲でいいので……」 「うん。人に頼るの、もっとうまくならなきゃね……頼りにはしてるんだけどね」 「っしゃあ! 奴のおごりだ、ガンッガン飲んでやるぜぇぇぇ!」  一年ぶりの天然肉の、その表示を見ただけで身震いするザナード。躊躇する彼の前で、ヨラシムは容赦なくドンドン注文してゆく。カゲツネの言葉に小さく頷いて、エステルは大量のオーダーが飛び去るのを待って……侘びと感謝の気持ちを込めて、仲間達へ乾杯の音頭を取った。