その場所は公には、セントラルドーム第207貯水池という名称で記録されていた。入植直後のテラフォーミングで作られた100番台に対し、パイオニア2受け入れ態勢に備えて第七次ラグオル追加開拓計画で新たに作られた200番台……その七つ目の貯水池。  しかし、第207貯水池がセントラルドームに水源を供給していたという事実はなかった。 「つまり、貯水池じゃない何か……ホントかな」  小石を拾って、独り言。眼前に広がる水面へと、エステルは軽く振りかぶって小石を放る。二度、三度と跳ねる礫は、小さな波紋を幾重にも刻んだ。  実際に足を踏み入れ、調査してみて解ったことはまだ一つだけ。この第207貯水池には、実際に浄水施設としての機能があるということだった。他の貯水池同様、浄化装置や大型のポンプが並び、汲み上げパイプは何処かへと伸びる。  その先へと今、エステル達は進もうとしていた。 「っと、ここにもあったか。ザナード君、こっち」  背後でコンテナを開封していたザナードへ、振り向きエステルは手を上げる。少年はわたわたとアイテムを整理しながら駆けて来た。つまずき転んで、両手に抱えたモノメイトが散らばる。その光景に顔を手で覆って苦笑しながら……改めてエステルは向き直った。 「リコ、貴女はここからどこへ? あるいはもう――」  最悪の事態を口にしてみながら、エステルはその可能性を一切信じていなかった。  リコ=タイレル……通称、レッドリング・リコ。この名を知らぬハンターズはハンターズにあらず。軍の英雄ヒースクリフ=フロウウェンに師事し、高名な学者でもあるトップハンター。  その足跡が今、目の前にある。そしてそれは、この先へと続いているとエステルは信じていた。 「エステル先輩っ、お待たせしましたっ! あ、ホントだ……どれどれ」 「これの他は? ザナード君」 「ええと、こっちに来てから二つ。だから、これで三つ目です」  巨大な原生動物、ヒルデベアへの注意を呼びかけるものが一つ。そして、スイッチで浮上する稼動橋の存在を示すものが一つ。そして目の前に今、三つ目のメッセージカプセルが光を放っていた。  ザナードはもう、慣れた手付きでその光へと手をかざす。 《大変なことが起きた……! 大きい地鳴りと共に地下から何かが吹き上がってきて……》 「ん、エステル先輩! このメッセージ、もしかして……」 「しっ、まずは聞こうよ」  血相を変えて大袈裟に慌てるザナードを、唇に人差し指を当てて制するエステル。地下から何かが吹き上がって――何のことだろう? 近辺には火山活動の類は観測できないし、地下水による異変も考え難い。  赤い輪の英雄は、その声に僅かな怯えと焦りを滲ませながら言葉を続ける。 《セントラルドームで大爆発が……あれじゃ中は……! ……何を言って良いか判らない。この惑星に降りて七年、せっかくみんなでゼロから環境を整えてきたのに……いったい何があったの? ここんとこの異変と何か関係があるの?》  リコのメッセージが途切れると、沈黙が訪れた。腕組み思案を巡らすエステルの横では、同じことを考えているらしいザナードが言葉を選んでいる。  そのままもう一度メッセージの再生をうながし、エステルは俯き瞼の裏へ情報を纏めてゆく。 《大変なことが起きた……! 大きい地鳴りと共に地下から何かが吹き上がってきて……》  異変の元凶、あの青い大爆発の原因は地下から来た。らしい。それが何かを調べるのもエステル達の仕事。ラグオルの地下深くより『何か』が地表へと噴出し、そして爆発した。 《……いったい何があったの? ここんとこの異変と何か関係があるの?》  ここんとこの異変――事件の前兆はあったらしい。そしてリコは、それを調べていた。  恐らくリコの言う異変とは、原生動物の凶暴化だろう。その原因を調査すべくラグオルの森へ分け入って……隠されたテレポーターよりこの地に跳んだ直後。目の前で光るメッセージカプセルを手に、この場でリコは遭遇したのだ。あの、煌々と宇宙の闇を照らす青い爆発に。  そして……その後、テレポーターは何者かに破壊された。まるで証拠を隠滅するように。 「この場所にリコは立ってた。あの日、あの時――あの瞬間」  そっと目を開け、遠くへ視線を投じる。風に波打つ森の彼方に、セントラルドームの巨大な構造体がそびえていた。 「何かそちらは、目新しい発見がありましたか?」 「あ、カゲツネ先生。これっ、見てください! 新しいリコのメッセージなんですけど」  原生動物の返り血に汚れた身を、僅かに気にしながらカゲツネが現れた。二手に分かれた最、行動を共にしていたヨラシムの姿はない。しかしエステルは、何の心配もしなかったが。  そして三度、リコのメッセージが再生される。ふむ、とうなって巨体を屈め、真剣に聞き入るカゲツネ。 「なるほど、あの時リコはここにいた訳ですか」  新天地ラグオルを襲った、突然の悲劇。その悪夢の夜をエステルは思い出した。リコがこの場所から、セントラルドームを飲み込む光に驚きうろたえながらも……メッセージを残して先へ進んだ時。エステルは一夜の愉悦と快楽から転げ落ちて、惨めな破局を味わったのだ。  それはいい。しかし、未練はないが千切れた縁は尾を引いた。  そしてそれは今も続いている。ラグオル調査という当面の仕事に、その不思議で不可解な縁は絡み付いてくるのだ。星の海を旅する長い航海の、蜜月の日々を忘れたかのように事務的に。 「あの時、ね……で? そっちは何か見つかった? ……から、アンタが来たんだろうけど」 「ええ、とりあえずヨラシムと合流しましょう。ザナード君も。少々妙な物を見つけましてね」 「了解ッス! あ、リコのメッセージとか、そっちにはありましたか?」  勿論、と応えてカゲツネが巨体を翻す。その広く大きな背を、ザナードは意気揚々と追った。エステルも今はとりあえず、考えてもしかたのないことだと自分に言い聞かせながら。過ぎてしまった過ちに取りあえずは蓋をして、二人の仲間の後へと続く。  広大な森の中に、ポツンと開けた第207貯水池……その敷地はしかし以外に広く、施設としては規模が大きかった。その全部をくまなく調べようと思えば、今日一日を丸々潰して尚足りない。 「それにしても頭が痛い……謎が多すぎる。そもそも、この事件は――」  この事件はラグオルで、パイオニア1の中だけで起こった事件なのだろうか?  とりとめもない思惟が無数に脳裏を巡り、エステルを苦い経験から遠ざけてゆく。前をゆく二人に合わせて足早に歩きながら、彼女は少ない情報を持ち寄り事件の真相を組み立てる。しかし未だ、事件の真相の、その輪郭さえ定かでは無い。  そして足りぬパズルのピースは、全てがこのラグオルに散らばっているとは思えなかった。 「おっ、来たか。よぉ、そっちはどうだ?」  森の木々が開けて、その中央でヨラシムが手を上げる。  その姿よりも、彼が今まで寄りかかっていた物体にエステルは目が向いた。自分に代ってヨラシムに応えるザナードを追い越し、気付けばエステルは駆け出していた。 「何これ? 何かの装置……って訳じゃなさそうね」 「ああ、さっきカゲツネの奴が見つけた。ザナード、そこ見てみろ」 「あっ! ここにもメッセージが」  それは晴れ渡る蒼穹へ屹立する、巨大な柱状のモニュメント。  絡みつく無数のツタを払って、エステルは直接手で触れてみる。その質感は金属ではないが、油脂系その他もろもろの化合物とも思えない。強いて言えば、切り出されて尚呼吸をする、木材の手触りを僅かに感じる。そして良く見れば―― 《このでっかい柱は、パイオニア1の移住を記念して建てられたものだと言われてるけど……そんな最近のものとは思えないなあ。詳しくは調べてないけど……それにこの模様は……文字だろうか? 》  振り向けばザナードが、足元のメッセージを再生していた。その言葉を反芻して呟き、エステルは再び目の前のモニュメントに向き直る。  リコに言われるまでもなく、一目瞭然。年代測定の機器は手元にないが、計測するまでもなくかなり古いものだと容易に推測できる。その全身を覆うツタの育ち具合は、十年や二十年といったレベルではない。まして七年前、パイオニア1の入植時の物などでは決してない。 「エステル、ここ見てみな。リコの言ってる模様ってなぁ、多分こいつのことだ」  ヨラシムがツタを手で掻き分けながら指し示す。そこには確かに、文字らしき模様が刻まれていた。手触りから察するに、塗料による印字でもなく、掘り込んだりしたものでもない。 「文字……に、見えなくもねぇな。俺の記憶じゃ、こんな字みたこともねぇけどよ」 「アタシも。ちょっと今、手元にツールがないからなんとも……」 「少なくともパイオニア1の記念碑ではありませんね。それらしき記述がどこにもありません」  熱心にリコのメッセージを記録する、ザナードを見詰めながら。三人のハンターズは互いに赤い輪の英雄に賛同した。  この謎のモニュメントもまた、欠けたピースの一つなのだろうか? しかし今、この奇妙なピースがカチリとはまる場所はどこにもない。エステルは自分の推測がミスリードへと誘われていることを疑い、それを一笑に伏した。  だが、ラグオル調査を阻害する者の存在については否定しない。 「えっと、ラグオルは確か先史文明の類は――」 「公的な記録では、一切無い……ということになってますね」  無精髭をなでながら、珍しく難しい顔でヨラシムが考え込んでいる。その横顔を眺めながら、エステルはカゲツネに確認を取った。期待通りの答に頷き、改めて眼前のモニュメントを見上げる。 「取りあえず、総督府には報告を入れるとして。これ、関係あると思う?」 「どーもよ、繋がらねぇ……あの爆発と、コイツはな。だが、秘密基地にあるってのが臭ぇ」 「秘密基地? なにそれ」 「秘密基地だろーがよ、こりゃ。貯水池をうたって何をやってたか、それは解らないけどよ」  その存在を隠され、さらには隠蔽まで謀られた形跡のある第207貯水池。それを秘密基地と称するなら、言いえて妙だとエステルも思った。しかし、謎は謎を呼び、さらなる謎へと彼女を……ハンターズを誘う。 「よしっ、記録完了っ! で、模様というのは……ああ、これですね!」  ザナードはリコのメッセージを記録し終えると、携帯端末をクラインポケットへ放り込んで。三人に混じってモニュメントを見詰める。真剣な表情で眉をひそめる彼が、うんうん唸りながら記憶の糸を手繰る様を見やって……エステルもぼんやりと思い出す。  昔取った何とやら、学業に勤しむ女学生だった時期も確かにあった。もっとも語学の成績はどれも微妙だったが。ハンターズとしては何事も経験、当って砕けろだった若かりし日々。フォースの技術は独学の我流。  込み上げる懐かしさをしかし振り払って。エステルは仲間達に、この地をさらに調査することを提案する。探求の保留されたモニュメントは、傾きかけた日の光を受けて長い影で、立ち去るハンターズを見送った。