目の前に両の手を広げてみる。そのまま親指同士、人差し指同士を触れさせ、ヨラシムは輪を作った。そうして、指を少しずつ離してみる。そう、たしかこれくらい……職業柄、目測で大体の長さや大きさは測ることができた。 「まぁ、アイツもたしかにこんなもんだったかぁ? 中身入ってんのかって感じだよな」  60センチ前後という長さは、ぐるりと繋げば驚く程に小さい。世の女性達が憧れるウェストのサイズというのは、どうにも頼りなく現実感がなかった。  しかし実際、ヨラシムは『折れそうな程に細い柳腰』というものを体験したことがある。思い出せば苦笑が零れて嘆息……そういえば若い頃はアイツも、メジャーと体重計を目の仇してたっけ。  今はどうなのか、それは解らないし知りたいとも思わない。 「お待たせしました、ビェールクトさん。……ヨラシム=ビェールクトさん?」  呼ばれてそのまま振り向くヨラシムは、両の手の平を相手に向けたマヌケなポーズで固まった。  目の前の御婦人は、先程まで自分が象っていたサイズに納まりそうな痩身で。それが今日の依頼主なのかと思わず疑ってしまう。何をどうやったら、半分ほどまで圧縮されてしまうのだろう?  余りに唐突な依頼主の変身に、ヨラシムはまだ動けずにいた。 「あ、やっぱり驚きます? ふふ、私も驚きました……今でもまだ、自分でも信じられません」  眼前の女性はにこやかな笑みを浮かべた。姿形どころか、その表情までが先程とは別人のようで、ヨラシムはより一層目を白黒させる。止めるのも聞かずに目を血走らせて、汗まみれで洞窟を駆け回っていた先刻の姿が嘘のよう。  シシル=バディスは正しく、何もかもが様変わりしていた。  心なしか纏う雰囲気も柔らかなもので、先刻の張り詰めた焦燥感は霧散している。むしろこれが恐らく、シシル本人の本来の人柄や性格なのだろう。 「あ、ああ……その、よ。まぁ……お、おめでとう、ございます」 「ありがとうございました、これで胸を張ってアルバートに会いにいけますっ!」  はあ、と間の抜けた声を返すヨラシムは、まるで狐に化かされたように呆けたままで。ギルドカウンターから報酬を受け取るよう言い残して、軽やかな足取りで去っていくシシルを見送った。  散々足を引っ張り、一つのフロアを制圧する度に息を切らせていたのは夢だったか? 「流石のヨラシムも驚いているようですね。お疲れ様です」  聞き慣れた声が背後から落ちてくる。 「……まあ、な。あれだな、女は化けるな」 「何を今更。まあ、今回の件に関してはちょっとした裏があるのですがね」  やれやれと驚き疲れて、ヨラシムは仲間へと振り返った。そこには、持って生まれた固定値の、意外にも細い腰に手を当て笑うカゲツネの姿があった。  こと女性関係のイロハに関しては、ザナードならずヨラシムも、カゲツネを先生と呼びたくなることもある。最も、実際に師事を請うほどうぶでもなく、その必要性も感じていないが。 「どうせアレだろ? こないだお前さんも関わってた、ケーキ三姉妹の副産物ってとこだろ?」 「残念ながらハズレです、ヨラシム。それと……ケーキ三姉妹ではなく、ナウラ三姉妹ですので」  加えて本業はパン屋だと語り、そこを間違えると当人達の機嫌を損ねてしまうとカゲツネは語り出した。その口ぶりからヨラシムはすぐに、ああまたかと察する。  つまりカゲツネはいつもの早業で、そのナウラ三姉妹とやらと親しい仲になってしまったのだ。  三姉妹の誰かと、或いは全員とか。 「シシル嬢の一時的且つ急激な肥満には、少しばかり複雑な事情がありまして」 「ほう? つーかよ、カゲツネ。何でお前さん、そんなこと知ってんだ? ま、まさか……」 「いえいえヨラシム、よしてください。こう見えても私は、フリーの女性しか興味がないので」  不義理を疑われるとカゲツネは、まるで四方に汗を飛び散らせんばかりの勢いで疑惑を晴らした。 「私の恋人の友人なのです、シシル嬢は。で、その恋人に聞いた話なのですが」  驚くべき情報網の一端を明かしつつ、カゲツネはシシルを取り巻く状況を語り出した。  シシルは婚約者のアルバートと、ラグオルでの結婚を控えていたのだ。入植と同時に式を挙げ、ラグオルに愛の巣を得て二人で暮す……そう誓った仲だった。  しかし、現状はヨラシムも良く知るところである。謎の大爆発に端を発する、パイオニア1の大失踪事件……その影に潜む数々の謎。もはや入植がいつになるかなど、タイレル総督でさえ先が見えないのが実状だった。 「それでも、だからこそ。こんな時だからこそ、式をあげようとシシル嬢は思ったのです」 「それと突然の激太りと、どう繋がるんだ? 何より一瞬での激痩せ」 「まあまあ、ヨラシム。話は最後まで聞いてください」  これは長くなるなと察するや、二人は自然とギルド内のコミュニケーションスペースへと移動する。飲み飽きた味気ないドリンクが並ぶ自動販売機にメセタを捩じ込んで、不味いと解ってても選択の余地を得られずヨラシムは珈琲を選ぶ。  プラスティックのコップがコトンと落ちて、湯気を上げだすのを待たずにカゲツネは説明を続けた。  つまるところの、すべてはシシル嬢の挙式費用稼ぎが原因だった。ハンターズとしての登録をギルドにしているものの、どちらかと言えば手続き代行や交渉、悩み相談等で普段は暮らしているシシル嬢である。それが報酬に釣られてラグオル調査に出れば、結果は誰の目にも明らかだった。 「つまり本人も言う通り、モノメイトの食い過ぎか……でもありゃ、食い過ぎってレベルじゃ」 「ええ、ええ。その事に関しても裏がありまして。時にヨラシム、最近はモノメイトを食べましたか?」 「あ? いや、俺ぁ別に……怪我って怪我もねぇし、疲れた時ぁコイツのほうがよ」  右手で杯を煽る仕草で、ヨラシムはクイと見えない酒を飲み干す。  カゲツネに言われて初めて意識したが、ヨラシムはここ最近どころか、数年レベルでモノメイトを食べていなかった。怪我をした時は自分のレスタで何とかなったし……それこそ大怪我をすると、真っ先に駆けつけてレスタをしてくれる人間がいたから。  まだ尻の青い、右も左も解らず夢中で剣を振ってた本星での青春時代――その懐かしい記憶に、モノメイトの味は埋もれて思い出せなかった。 「で? 問題はあれか、モノメイトの方にあったって訳か?」  自動販売機から珈琲を取り出し、一口飲んでからヨラシムがフォトンチェアを展開する。カゲツネも「モノメイトの方にも、が正しいですね」と巨体を畳むように腰掛けた。 「先ず、シシル嬢の過剰摂取は明らかですが……モノメイトの方に関しても少し問題が」 「ほう? 毒でも入ってたか?」 「おや、何故知ってるのですか? 先程私が自分で調べてきた仕事の情報なのですが」  冗談半分でふざけて放った一言が、思いがけず真実を貫いた。  予想外の答えを返すカゲツネに、つい驚いたヨラシムは珈琲を吹きかけてしまう。レイキャストの癖にカゲツネは、露骨に嫌な顔をしてみせた。表情らしい表情の灯らぬ顔が、全身全霊で嫌悪も露にハンカチを取り出す。 「汚いですね、ヨラシム。まあ、過ぎたる薬は毒になるという話なのですが」  白地に緑色のラインが走る身体を、ゴツい身体に似合わぬ洒落たハンカチで拭きながら。カゲツネがやっと話の種を明かした。  ラグオルで異変が起こり、ハンターズがその調査に乗り出して……パイオニア2でモノメイトの需要は極端に膨れ上がった。総督府命令で大増産されたが追いつかず、一部の高レベルハンターズには購入が禁止される始末。  そして悲劇は、起こるべくして起こった。 「無茶な増産命令に生産ラインはパンクし、大量生産ゆえの粗悪品が生まれたのです」  性質の悪いことに、粗悪品は従来の品と薬効こそ同じだが……不純物が混じってカロリーが倍以上高いらしい。それを怪我の度にシシルは、持てるだけ持った中からどんどん食べたのだ。  その姿を想像してヨラシムは、健気なことだと溜息を一つ。ブーマに吹き飛ばされてはモノメイトをパクリ。ラッピーに囲まれ逃げ回りながらまたパクリ。それも、粗悪品と知らず。 「まあしかし、あくまで一時的に増えた脂肪ですので。急激な有酸素運動で落ちたのが一つ」 「急激な有酸素運動、ねぇ……一つ、ってことは」 「ええ、もう一つ。粗悪品は人体に悪影響があります。私の調査では、腸の活動が一時的に……」  ヨラシムは、憑き物が落ちたようなシシルの、つやつやとした満面の笑みを思い出して合点がいった。  男女を問わず人間を悩ませる、お通じが訪れた結果らしい。  粗悪品は全て、カゲツネが依頼主に報告した結果、パイオニア2の店頭から姿を消した。