誰もが皆、そう呼ぶ。固有の名などなくとも、それで意味は通じた。  つまり、エステルが今、仲間達と駆け抜ける地下への迷宮は……ただ洞窟とだけ呼称、明記されている。発見者であるエステル達の名を冠して『エステルとその勇敢な仲間達の洞窟』などとは誰も名付けない。  無論、エステルを中心とする三人はその事に内心胸を撫で下ろしていた。 「エステル先輩っ、東にまだ未調査の区画がありますよ! 僕、先行しますねっ」  ――そう、安堵したのは三人だけ。約一名、大いにこだわりを見せる少年がいた。  先駆者たれと勇む彼は今、手元の携帯端末に洞窟の調査状況を映し出して。その立体映像が消え去るより早く駆け出していた。制止する師匠を振り切り、冷静を呼びかける先生に手を振る。そうしてザナードの背中が通路の曲がり角へと消えるまで、僅か数瞬のことだった。 「おい待てぇ! ……ったく、フォースが一人で先行するってのはよ」 「まるで誰かさんのようなスタイルですね。腕が伴えばいいのですが」  すぐさま追いかける素振りを見せつつ、ヨラシムとカゲツネが肩越しに振り向いた。意味深な視線の二重奏を吸い込み、エステルは見えないタクトを振るようにそっと手を翳して。腐れ縁が育む穏やかな皮肉にピリオドをうつや、二人の間を抜けて走り出した。  突出先行は自分の十八番、むしろ専売特許だと言わんばかりに。 「戦闘になったら位置取りもあるし、それなのに……あのバカ」  自然と不満が唇から零れる。背後に二人の男の苦笑を聞くエステル。  それでも三人は、ザナードが無遠慮で無防備に、何より無用心に走り去った後をなぞる。慎重に周囲の気配に気を配り、互いの死角を庇いながら。  この地底には、そうするだけの理由があり、そうするべき必要があった。 「にしても熱ぃな……オーケー、クリアだ。いいだろう」 「こちらも大丈夫です、敵意は感じません。それよりも」  僅かに緊張を解いて、構えたソードを下げるヨラシム。その横を抜け先を急ぐエステルは、カゲツネの言葉尻を胸中に拾った。それよりも今は、ザナードが――心配。  つまりザナードは、フォースとしては素人同然のヒヨッコで。ラグオルの森で随分と鍛えられて、幾分マシにはなったが……それでもエステルから、実戦叩き上げのフォースから見れば稚拙に過ぎる。未熟なのはしかし罪ではない。未熟さに覚えがないことはしかし、エステルには許し難かった。  最も、件の少年は今、一言二言のたしなめで許せる場所で後続を待っていたが。 「あっ、先輩! ここ、まだ開けてないですよね」  ザナードは、合金製の扉の前で――そう、"合金製の扉"、つまり人工物――エステル達を待っていた。無謀にも独断専行したかと思えば、未踏の地へチームで挑む意味を知っている。そのちぐはぐな所もまた、ハンターズとして半人前なところを際立たせていた。  悪びれた様子もなく、満面の笑みでザナードはスイッチを切ったセイバーを手に回している。  まるでドキドキワクワクの冒険に出る、物語の主人公のような表情。生き生きとして、燦々と。実際に、そんなアドベンチャーを期待するハンターズは意外に多い。自分から"旅団"とか"騎士団"とか名乗ったりして、同好の士を集めて徒党を組んだ挙句、自己陶酔的な戒律をでっち上げる連中が実在するのだ。  無論、その存在に対してエステルは否定的ではない。利害が一致すれば手も組むし、利用すべきは利用し、時には利用される。ただ、その手のやからと仕事をするたび、丁寧且つ丁重に慎ましく断りの辞を伸べる話術が育つのだった。 「ザナード君、キミね。私達の財布を空にする気? 進んで粗食を食べたがるタイプなの?」  エステルの皮肉に、きょとんとザナードは首をかしげた。  これが長年苦楽を共にしたヨラシムや、今や勝手知ったる仲のカゲツネであれば、ウイットに富んだジョークの一つも期待出来るのだが。残念ながらザナード相手では、一から口で説明するしかない。説明で理解してくれれば、身を持って思い知る必要はない……そこだけは期待しているエステル。 「それはつまり――」 「戦闘不能でパイオニア2からのサルベージを受けると、所持金を全額払う規定があるの」 「ああ、はい。それ、知ってます。この前、規約を全部読みました!」  ひょろりと細長い影を、エステルは見上げて眉根を寄せた。何も、あの膨大な量のデータを……ハンターズ心得的なギルドが用意した、テキストと音声&映像ガイダンスを見た事に呆れたのではない。それを知ってて、この結果に、である。 「僕、気付いたんですけど……人の手が入ってますよね、この洞窟」 「今気付いたの? 前に言ったじゃない、恐らくパイオニア1の軍によるものだ、って」 「ええ、それで……ここ、セキュリティ動いてません? エネミーが出ないんですよ」  ――ああ、と思わず漏れる声。  思わずエステルは、脳裏に豆電球が閃く古典的なイメージを見た。つまり、曲がり角でエネミーとバッタリ! という局面が(警戒していたにも関わらず)全くなかったのは、そういう理由が打倒だと今更ながら合点がいく。  天然のマグマが噴出し、熱風が吹き荒れるフロアにだけ、エネミーは出現した。今のような、各区間を繋ぐ通路での遭遇戦というのは、少なくともエステルの記憶にはなかった。  しかし、だからといってザナードが――その言葉を遮り、追いついたヨラシムとカゲツネが交互に喋り出した。たちまち未知への扉前は、反省会の会場へとはやがわり。 「ザナードッ! 手前っ! ……っと、避けんなよオイ。いいか、そもそもなぁ」 「まあまあ、ヨラシム。暴力はいけませんよ、暴力は……しかしですね、ザナード君」 「コイツの真似するなんざ、十年早ぇ! それとよ。剣をオモチャにすんな、その回す癖やめろや?」 「スカウト役をフォースがやる事はありますが、ザナード君には少し早いですね」  ヨラシムはエステルを指差しながら、叱るべきは叱るべしと険しい表情。それが伝わったのか、ザナードは身を正すと、手にもてあそんでいたセイバーを握り締めた。そこにカゲツネの理路整然とした分析と解析からくる客観的指導が加わり……もはやエステルが口を挟む余地はない。  懲りましたとばかりに、そっと救援要請の視線を感じて、エステルはゴホンと咳払いを一つ。 「兎に角、以後気をつけて。ムーンアトマイザー代もバカになんないしね」 「リバーサーはよ、あんま使わねぇんだわ……俺等みたいなレベルだとよ」 「式の構築と実行が手間ですからね、あのテクニックは。エステルに無理はさせられません」  それでも過去、幾度となく……エステルは身を挺して命を拾い繋ぎとめようとした。光弾飛び交う鉄火場で、或いは戦場のド真ん中で。蘇生薬であるムーンアトマイザーが尽きれば、自然とフォースに期待は寄せられる。エステルはその全てに応えてきたし、その都度仲間達が守ってくれた。  もっとも残念ながら、全ての命が拾われた訳ではなかったが。 「取りあえずザナード、帰ったら素振り100回5セットな。それと型もだ……おい、行くぜ?」 「ザナード君はエステルと一緒に、ヨラシムに続いてください。背中は私にお任せを」  言うが早いか、ヨラシムが一歩を踏み出す。合金製の重々しい扉は、その見た目に反して軽快な音と共に四散する。まるで花びらが開くように、圧搾空気が抜けて渦を巻きながら……四分割された扉の向こうへと、四人は一斉に飛び込んだ。  刹那、網膜を闇が侵食し、あらゆる色彩が奪われる。 「!? ――カゲツネ、レーダー見て! 索敵! ヨラシムは……いい? 普段通りに、ひうっ!」  闇夜より尚暗い、漆黒に塗り潰された空間に敵意が満ちていた。それは肌を刺す無数の針となって、エステルの警戒心を刺激する。言うより先に動く仲間達を追認する形の、エステルの声が突然短い悲鳴に変わった。 「ちょ、ちょっ……どこ触ってるのよっ!」 「その声はエステル先輩っ! どこって……どこなんですか!? ――柔らかい!」 「痛っ、こんのバカ……胸よっ、胸っ!」 「解りました! いやあ、僕初めてです!」  唯一遠くへ灯るかすかな光へと、ヨラシムが全速力で走る。照明が闇を払うと、エステルは込み上げる怒気を拳に込めて、打ち貫きたい衝動を必死で抑えた。今は「なるほど、これが――」と自分の両手を見詰めているザナードに構ってはいられない。  周囲には危険なエネミーがひしめいていたから。 「ギルシャークと、その亜種でしょうか? 赤いのがいますね……アルダービーストです」  アルダービースト――それがこの洞窟内で遭遇する"敵"の名。既にギルドでは、多数の接敵報告と戦闘データから、固有名を割り振るところまで解析が進んでいる。これらは全て、何かしらの外的要因で突然変異体となった原生動物とのことだった。 「どうでしたか、ザナード君。初めてというのは、全てが特別なものなのですよ」 「はい、先生っ! いやぁ、不思議な感触でした。こう、布越しに――解らないけど感動です!」 「う、うるさいっ! だいたいキミね、初めてじゃないでしょ? おかあ……」  怒りに任せて言葉を象る、その口を噤んだ。  生きていれば確かに、ザナードが初めて触れた女性はエステルと同年代位だろう。だが、それは仮定の話であり、現実には若く美しいまま……歳をとることなく、その人は時間を止めたと聞いていた。 「お前等、何乳繰り合ってんだ? いいから手を動かせや! ……ザナード、後で聞かせろや」 「は? は、はいっ!」  寧ろ乳繰られていたことに赤面しつつ、エステルは目の前に迫る敵意に意識を集中した。最近常に三者が三様に感じる、取り分け自分が強く感じているらしい親心……それがつい、命のやりとりでしか交われぬ異形との戦いに顔を出す。  気付けばエステルは、危なっかしくテクニックを放ち、それを追うように剣を振るザナードをフォローする動きに身体を押し出していた。