男は多分に多忙で、多岐に渡る悩みを抱えていた。だから、素人に毛が生えたような新米フォースの面倒をみるなど、もっての他で。何よりも先ずは、自分が引き受ける仕事を優先したかった。  しかし不幸なことに、進む道が重なってしまった……赤毛を長く伸ばした少年と。  男の名はバーニィ。名乗る時はそうとしか名乗らないが、本名かどうかは定かでは無い。ただ、彼がどこか自他共に投げやりな態度で、しかし人懐っこく名乗る時はいつも……いつもいつも、誰も疑いを抱かせなかった。 「おいボウズ、待てって。あーもうっ、何で俺が子守なんか」 「だってバーニィさん、あれは……あれはエルノアさんじゃないですかっ!」  今までずっと"毛の生えた素人"だった少年が駆け出す。最早完全に見えない毛が抜け落ち、素人丸出しの無防備さを露呈して。無色透明無味無臭、時折プロらしさを垣間見せた道中での生え揃わぬソレを、バーニィはやれやれと思い返した。  ザナード=ラーカイナはある面では非常に卓越した、まるで熟練ハンターズのような一面を覗かせた。覗かせていた……今までは。今はもう、見た目通りのただの子供だったが。 「エルノアさんっ、しっかりしてください! どうしたんだろう、まるで……」 「人形みてぇだ、ってか? そりゃそうだ、YN-0117ってんだからな」  事実を告げたバーニィを、ザナードは肩越しに振り向き視線の矢を射る。ガキが一丁前に、と思いながらも、バーニィはその細腕に抱かれた鋼鉄の乙女を覗き込んだ。  外傷ナシ。ザナードの依頼人であるシモンズ=オロの予見通り、単なるバッテリー切れのようだった。  三種族が一つとして認知され、人類として生きるアンドロイド達……フォトンにより稼動する彼等彼女等にも、たった一つだけ枷がある。それが、空気中のフォトンをエネルギーに変換する、フォトンリアクター。それを稼動させるバッテリーだ。  補器電源が切れた今、YN-0117は……製作者やザナードがエルノア=カミュエルと親しみを込めて呼ぶレイキャシールは、行動不能に陥っていた。  今なら、やれる――バーニィの胸中を過ぎる、最も安易で穏やかな選択肢。 「兎に角、僕がパイオニア2まで運びます! 待ってて下さい、エルノアさ……重いっ!」 「そらそうだぜ、ボウズ。つーかお前さん、何を運んできたのかもう忘れたのかい?」  呆れながらもバーニィは、額に手を当て天を仰ぐ。青みがかった岩の壁面や天井が、涼やかに彼の決断を問い質してきた。それでいいのか、バーニィ? 今が好機ではないのか、バーニィ? 雇い主は……あのお方はどう思うかな、バーニィ? ……無言の内なる声は、洞窟内に反射して肌に寒い。 「……ま、いいさ。こっちだってまさか、もう一人のマザーがこんな所で……ん? まてボウズ」 「そうでした! 僕は確か、シモンズさんからバッテリーを……待ってて下さい、エルノアさ――」 「いいから離れろボウズッ! 危ねぇ!」  咄嗟にバーニィはザナードの襟首を掴み、エルノアから引っぺがす。それはエルノアが身を横たえた大地に、鮮血にも似た真紅の色が滲むのと同時だった。まるでエルノア自身から溢れるように、それは瞬く間に広がり、エルノアの可憐な姿を包んで醜悪な身をもたげた。 「ブフィスライム!? こんな色の個体が……それよりっ、エルノアさん!」  バーニィがその辺に投げ捨てたザナードは、立ち上がるや抜刀と同時に、転がるように駆け出した。その疾さたるや、バーニィが制止の声を叫ぶ先の先で。後先考えぬ踏み込みはしかし、地より沸き立つ無数の鋭い粘液に遮られた。  やれやれとクラインポケットからフレイムビジットを取り出し、バーニィが戦闘準備を終えて冷静に敵を見定めた時には……傍らに逃げ戻ったザナードは肩で呼吸を貪っていた。 「突然変異か? まあいい、好都合っちゃー好都合だが……」  傍らのザナードを、横目でチラリと舐めるバーニィ。その消耗しきった肉体と、そこに宿る無茶で無謀で、しかし挫けぬ意思を確認して彼は唸った。 「さて、どうするかね」 「そうですね、どうしましょう! こんな時、師匠や先生、先輩ならどう助けるんだろう?」  期待した答は返って来なかった。ザナードは助けることが前提で、その手段を問われているのだと思ったらしい。  鋼の乙女を圧して内包する、真紅の敵意が牙を剥いた。 「考える前に動けっ、ザナード=ラーカイナッ! 先ずは距離とって、回復し――」  はいっ、と返事だけは元気よく、大きく退いたバーニィの耳朶を打つ。しかし、彼の鼓膜を震わせる言葉の主は、先ほど同様一直線に異形へと突進した。鎌状に鋭い刃が無数に屹立し、ザナードの行く手を塞いで切りかかる。援護の射撃をするには、バーニィの得物は高火力過ぎた。 「馬鹿野郎っ、何考えてんだ! ザナァァァドッ!」 「何もっ、考えてなんか、いま……いられませんっ!」  たちまち華奢な身へ、数え切れぬ裂傷が刻み込まれる。フレームやバリアをアップデートしていようとも、フォースの着るハンターズスーツの物理的防御力はたかが知れていた。青い着衣に染みが広がり、それがアチコチで繋がろうとも、ザナードは止まらず駆けた。駆け抜けた。  そうして真紅のスライムにセイバーで切りかる。太刀筋は綺麗に型をなぞり、真っ直ぐ縦に泡立つ真紅を両断した。しかしそれは突然変異のエネミーにとっては、ダメージではないらしく。煮立った鍋底のような音をたてて、傷口が塞がり始める。  構わずザナードは、己の切り開いた亀裂へと飛び込んだ。 「エルノアさんっ! 今っ、助けっ、ますっ!」 「……その、声、は……あれ? 私、は、どう、して……ザナー、ド、さん?」  突然質量の増加したスライムは、一瞬グラリと大きく揺らいだ。  狙うなら今だね! そう心に叫んだときにはもう、バーニィの人差し指は銃爪を砲身へと押し込んでいた。灼熱の業火が迸り、スライムよりも赤い焔が爆ぜる。  耳障りな絶叫と共に、異形のスライムは内より異物を吐き出した。  高い天井へと、少年と少女が放り出される。 「出れてしまった!? ならっ! エルノアさん、お届けもの、ですっ!」 「ボウズッ、下を見ろっ! クソッ、速射性はちっとな……なあ、相棒?」 「それ、は……そう、だ、私、バッテ、リー、が――!」  僅か一秒にも満たぬ、永遠にも等しい体感時間。天を仰ぐバーニィは見た。空中で少女は、リボン状のバッテリーパックを最後の余力でパージし……間髪いれずに、少年が新たなバッテリーパックを捩じ込んだ。  僅か一瞬の空中換装で"彼女"は目を覚ました。 《システム再起動、「マザー計画、フェイズ3実行……》ザナードさんっ!」  重力に掴まり自由落下する中、即座にエルノアはザナードを手繰り寄せて。そのまま両手に抱きながら、真下で牙を剥くスライムへと急降下した。鋭角的に突き出した、強靭な蹴り足を向けて。  アンドロイドの全体重に、抱える少年のささやかな質量を加えた一撃。エルノアは、呆然と胸の中で見上げるザナードを意識の外に、渾身の力でスライムを蹴り抜いた。  ――穿つ。  そのまま大地を抉り、轍を刻んで砂煙を上げながら着地するエルノア。四散したスライムは弱々しく再統合を図ったが……そこを見逃すバーニィではなかった。  一際強力なフォトンをチャージされた砲口が、弱々しく集まり合う粘液の中心へと向けられる。スイッチと同時に、紅蓮の炎が火竜の如き咆哮を上げた。 「ふう、こっちはいい。問題は……まあ、いいか? だが、今の力は――」  奇跡を起こしてみせた少年少女を、見やる目元が自然と険しくなる。  エルノアは未だ腕にザナードを抱いたまま、普段通りの――普段、定期的にバーニィが監視している通りの、どこにでもいるアンドロイドの少女に戻っていた。ザナードはあまりの事に腰を抜かしているらしく、大人しく抱かれてアワアワと言葉をまさぐっている。  これが逆であれば、どれほど絵になったか……バーニィは一時仕事を忘れて苦笑した。 「ああ、あっ、あの、エエ、エルノアさん。その、僕、助けに、きたん、ですけど」 「はいっ、私助かりました。危くあのまま、消化されてしまうとこだったですぅ〜」 「は、はぁ……でも、その、何と言うか。と、取りあえず下ろして貰えますか?」 「はいですぅ」  すごすごとザナードは、優しく地面へ返された。バツが悪そうに裾を払いながら、改めて彼はエルノアに向き直る。エルノアはただ、まるで何事もなかったかのような笑みでザナードを見上げていた。  二人の間に漂う空気が、バーニィに仕事を諦めさせた。  バーニィは結局、この日のことを雇い主に報告しなかった。もともと、本来は洞窟奥まで来るはずではなかったから。見てられない程に保護欲をそそる少年に、ギルドに報告の無いスライムの変異種、そして……"彼女"の一瞬の覚醒。全てがイレギュラーなことだと思えば、無かったことにする方が気楽だった。  例えそれが、後に遺恨を残して後悔を刻むことになろうとも。今はただ――