トランクルーム前の広場には今、すがるような祈りが満ちていた。  集うハンターズ達は誰もが、落ち着かない様子で各々、数人単位で集って声をひそめる。皆が皆、一人の勇敢な男を、その生還を待ち侘びていた。  ヨラシムもその一人だった。彼はまんじりともせず、先程から同じ場所をいったりきたり。逞しい体躯に似つかわしくない、小刻みな歩幅で熊のようにうろうろと歩き回る。焦れる気持ちは指先まで行き渡り、右手は先程からせわしなく無精髭を撫でていた。 「ヨラシム、少し落ち着かれてはどうですか? 今は吉報を待ちましょう」  傍らではカゲツネが、携帯端末をしきりにいじっている。彼は彼で、そうすることで平静さを保っているようだった。精密に光学キーボードを叩くはずの指が今、僅かに震えている。  何かを言い返そうとしてそれに気付き、黙ってヨラシムはフォトンチェアを展開。そのまま頭の後に腕を組んで身を放り出した。仰ぐ硝子の低い空は今、夕闇を映してハンターズ達を圧してくる。 「待つだけってなぁ辛ぇな、カゲツネ。俺ぁ、性に合わねぇ」 「大丈夫です、ザナード君なら上手くやりますよ。エステルもそう言ってますが」  そう言うとカゲツネは、左前腕部に浮かび上がるメールを指差し、ヨラシムへとかざして見せる。しかし、それが根拠の薄い気遣いの言葉だと、ヨラシムは苦笑に唇を歪めた。そわそわと苛いだ自分の姿が、向こうには手に取るように解るのだろう。 「大体なんだ、エステルも来りゃいんだよ。今日はどうした?」 「例の男ですよ、ヨラシム。まだ一方的なメールが続いているらしく……会いたいと」  不愉快な話だった。  ヨラシムは広がる鼻の穴から、荒い息を吐いてずるるとフォトンチェアに身を崩す。腹の上で組んだ手は、親指と親指が絶え間なく互いの先をこすっていた。  この場にエステルがいないことが、どういうことかを如実に語っていた。 「ったく、ブラントほどの男が飛び出してって、オマケにお嬢様が後を追って、か? ああ?」  一人小さく、唸るように吼える。そうして、腹の内のわだかまりを吐き出す。 「さらには、その護衛がザナードときてやがる……仕事選べっつったのによ」 「ですから、多分ザナード君は真っ先に依頼を受けたのかと」 「……カゲツネ、ブラントがどういう男か知っているか?」 「グレイブ家の執事、元ハンターズ……周りの動揺を見るに、なかなかの人物だったようですね」  そうだと頷き、ヨラシムは一つだけ訂正する。ブラントはグレイブ家の執事にして、元"凄腕の"ハンターズだった。そんな彼が一人守る、グレイブ家の御令嬢……マァサ=グレイブ。彼女の為にと、ブラントが現場へ復帰したのが、そもそもの悲劇のはじまりだった。  未だ情報の規制も厳しく、一般市民にはラグオルの全ては伝わっていない……正確な情報の欠如が、かえって不安と想像力を刺激し、あらぬ噂が蔓延している真っ最中だった。マァサもまた、実際よりも危険なラグオルを思い描き、その中に飛び込んでいった執事を案じて、ハンターズギルドへと駆け込んだのだ。 「俺等も泡食ったぜ……なにせ、あのブラントが無謀にも、何の前準備もなくよ」 「しかし、それを知ったのも後の祭り……そうですね? ヨラシム」  そう、全ては遅かった。ヨラシムやカゲツネが事態を把握した時には、マァサもまたラグオルへと降りた後だった。彼女の護衛を引き受けたのはなんと、あのザナードだ。すぐさま話は広まり、一人、また一人とハンターズがブラントを、マァサを案じて集まり出したのだ。  その一人であるヨラシムは、お嬢様と執事の無事は無論のこと……ザナードに何かあったらと思うと、気が気でいられない。最近は洞窟での仕事も一人でこなしているようだが、今回ばかりは危険度が違いすぎる。ド素人を守って戦う難しさも、その困難を克服する術も、まだヨラシムは教えていなかった。 「ヨラシム、とりあえず深呼吸しましょう。気持ちを落ち着けて、最悪の事態を想定する」  少し癪だが、カゲツネの言う通りに深く息を吸い込んで、ゆっくり腹から吐き出す。 「希望は捨てず、絶望にも挫けずに。ただ現実と向き合え、と」 「ありがたい話だぜ、カゲツネ先生よ。もし最悪の事態になったら……その調子で頼むわ」 「お断りしますよ、ヨラシム。あと……アタシはザナード君にそう教えた、とメールにありますね」  舌打を零してヨラシムは飛び起きた。カゲツネは鼻を鳴らすように笑って、左腕のメールをしまう。  広場の端、ハンターズの誰もが帰還座標として登録している一角に、光の柱が屹立したのはそんな時だった。あちこちから声があがり、誰も彼もが足早にリューカーの光芒へと詰め寄る。  俯き加減の少女が現れ、先ずは安堵の声が伝播していった。 「護衛対象は無事か、ってこたぁ……」 「ええ、まあ、私は心配していませんでしたけどね」  一歩を踏み出しよろけた少女を、後から現れた長身が支えた。僅かに手傷を負ってはいるが、ザナードはしっかりと最後まで、マァサを助けて並び立った。  ただ、ブラントだけが帰ってはこなかった。ハンターズ達は我先にとマァサに押し寄せて、口々に説明を求める。ブラントは、あの男はどうなった……彼はグレイブ家の執事である前に、多くの同業者に愛された、一人のハンターズだったのだ。 「ブラントさんは……ブラントさんは、残念ながら行方不明です。遺体は確認できませんでした」  マァサに代ってザナードが、居並ぶハンターズ達にぼそぼそと呟く。その言葉を改めて耳にし、マァサは無言で顔を手で覆った。誰もが望んだハッピーエンドが、望み過ぎだったと解る瞬間。皆、最初は信じられぬと互いに顔を見合わせ、問い詰めるようにザナードを睨んでいる。  駆け寄ろうとするヨラシムの肩を掴んで、カゲツネが静観を求めた。 「ブラントさんは僕達ハンターズに、二つのものを託しました。それを、お伝えします」  ザナードは帽子を脱ぐと、それを胸に当てながら言葉を搾り出した。一つ、自分に代ってグレイブ家を……マァサ様をどうか頼みます。二つ、この星を……ラグオルの異変を、ハンターズの手で―― 「最後に回収したカプセルに、ブラントさんはそう言葉を残していました」  場が静まり返った。ただ、しゃくりあげるマァサのか細い声だけが、たゆたうリューカーの光に溶け込んでゆく。ザナードも最後の一言を言い終えるや、唇を噛んで顔を逸らした。ただ、胸に握り締めた帽子だけが、主に代って潰れてゆく。  かつて名だたるハンターズだった男、ブラント――逝く。  ヨラシムは、余りにもあっけない幕切れに、まだ実感が持てないでいた。あの好々爺然とした、初老の紳士が本当に? 今も老練にして巧みな技で、アルダービーストと死闘を繰り広げているのでは? そう錯覚すら覚える。 「――お集まり、いただいた、皆様」  静寂が震えた。それは少女のわななく唇が象る、グレイブ家当主としての言葉。 「お集まりいただいた皆様、本日は当家の執事ブラントの為に、本当にありがとうございました」  一度だけ、ぐいと涙を拳で拭うと。マァサは真っ赤に腫れた目で、微笑を湛えてハンターズ一同を見渡した。その気丈な姿がかえって、見守る人間達の何割かに嗚咽を伝染させる。 「わたしはこれから、ブラントの意思に従い……グレイブ家当主として生きます。そして」  潤んだ瞳で、マァサはしっかりと前を向くと、面を上げて決意を述べた。 「そして、皆様と共にラグオルの謎に挑みます。沢山の御助力をお借りすると思いますが――」  それが、ブラントを弔い、グレイブ家の誇りとなる……若き当主の言葉は、感極まって思いを叫び出したハンターズの中に消えていった。皆、新たな仲間を迎えて、古き仲間へのたむけとしたかったのだ。 「マァサさん、俺になんでも言ってくださいっ! 一緒にラグオル調査、頑張りましょう!」 「私は生前のブラントさんにお世話になった者です。是非、協力させてください」 「マァサ=グレイブ、お見事……気高いそなたの力になろう。我が友、ブラントの名に誓って」  押し合いへし合い、マァサは揉みくちゃにされながら感謝を述べた。そして誰よりも先ず、真っ先に礼を言うべき人間を振り返る。そこにもう、ザナードの姿はいなかった。  マァサはその時、見てしまった。二人の仲間の元へ戻るや、声を上げて泣き出すザナードの背中を。激しく震える肩を。彼は大柄なレイキャストの繊細な手で肩を抱かれ、同じヒューマンの男の「あーもぉ、しゃーねぇな! 飲み行くぞ、今日はおごってやる! ザナード、お前はよくやった、最善は尽くした」と叫ぶ声にブンブンと頷く。  そうして遠くに消えて行く少年に、マァサは心の底から感謝を思った。