天然の洞窟はここにきて、とうとうその地肌を完全に失ってしまった。  今、エステル達を包むのは、人工の被造物のみ……危険な調査の終着点は、轟々と水の流れる巨大な水路。濁流はただ無言で、激しく泡立ちながらとめどなく押し寄せる。その中にただ、一隻のボートが繋留索でつながれ揺れていた。 「水だ……水です、多分あの貯水池からきてる水ですよ! エステル先輩っ!」 「みたいね。カゲツネ、水質をスキャンして。ヨラシムはとりあえず、テレパイプで――」  今日はここまでと、エステルが淡々と指示を出す。それは二人のハンターズの行動を追認する形になった。既にカゲツネは飛沫を上げる岸壁に膝を突いており、背後ではパイオニア2とのゲートが開く音。  流石と満足気に髪の毛を指にもてあそぶ、エステルの視界の隅で真紅が翻った。 「こ、こらっ! ザナード君っ! 危ないから戻って!」 「あー? どうしたエステ……ザナード、お前なぁ」  ひょいと身軽に、ザナードはボートの上に降り立った。貨物の大量輸送用に使われる、平坦な船体。その隅を彼は、縁取るように歩いてゆく。足元で音を立てる、急流に眼を細めながら。  ヨラシムが呆れた溜息を零すように、エステルもまたガクリと脱力して肩を落とした。 「兎に角、上がって。危ないから」 「いやでも先輩、この先! きっとこの先に……」 「この先は多分、外へ……上へ通じてますね」  見上げるザナードの視線が、カゲツネの巨体へと注がれる。彼の先生は淡々と、分析結果を述べ始めた。  エステルはそれを聞きながらも、じと目でザナードを睨むのだが……彼はいまだ船上にあり、カゲツネの言葉に眼を輝かせている。当分、上がってきそうにもない。 「水温が高いのは、恐らく冷却に使用したあとの排水だからですね。そしてこのボートは恐らく……」 「外へ『何か』を運び出す為のもの、か……ってことはアレか、さっきの洞窟は」 「別の場所で、『何か』を作っている『どこか』へ通じてる筈ね」  三者が三様に見解を持ち寄り、その中心でエステルが謎へと見えない手を伸べる。それはもう、おぼろげにだが輪郭を現しており、真実への道は開きかけている。それが解るのか、ザナードは腕組み考え込む先輩と師匠と先生に何度も頷いて見せた。  以前からエステルは、この洞窟と呼ばれる空間が何なのかを考えていた。  パイオニア1軍が、何らかの目的をもって開発、整備した通路……それは何処へと通じているのか? その答えが今、目の前にある。つまり洞窟は本来、地下にある施設への連絡路。大量の冷却水を必要とし、何かを作り出す……例えばプラントのようなものが、このすぐ近くにある。  エステル達が辿り着いたのは、その出口といったところだろうか。 「じゃあ早速、その『どこか』を探しにいきましょうよ!」 「……それはまた、明日ね。今日はもう、時間も力も使い過ぎたわ」 「それにお前、それに乗ってると多分、外に出ちまうぜ?」 「ザナード君、今日のところは出なおしましょう」  口々に浴びせられる大人の意見に、ザナードは頬を膨らませる。こうなるともう、彼は年相応に(或いはそれ以下に)子供だった。  どうにもチグハグな、時に賢明、時に無防備……駆け出しハンターズの少年を前に、エステルはまたも眉を潜める。最近になって気付いたのだが、ザナードは時折進歩を見せたその後には、必ずと言っていい程、大きなミスをやらかす癖がある。  まるでそう、三歩進んで二歩下がるように……それでも進んでいればまだいい方で、時にはまるっきり初期化されたかのように、簡単なことでトラブルを起こすことも多かった。  今日は、今日こそはそのことを指摘するいい機会だと、エステルが胸に手を当て呼吸を整える。頭ごなしでは駄目だし、感情的になってもいけない……言葉を選ぶエステルの思惟をその時、擦過する敵意があった。 「どうせ帰るなら、最後にこれ、乗ってみませんか? 本当に外に通じているかどうか――」 「! 危ないっ!」  瞬間、エステルは床を蹴るや、ザナードに飛び付き押し倒していた。そのまま二人は船上を転がる。同時に、ザナードが立っていた場所に鋭い一撃が突き立つ。  ヨラシムとカゲツネの反応は早かった。それが何であるかを見極めるよりも、現状の危機回避へ向けて行動を移す。ソードにフォトンが灯り、ライフルの狙点が見据えるそれは―― 「なんだこりゃ、触手? なのか?」 「ヨラシムッ! 次が来ますっ!」  合金製の甲板を苦も無く貫いた、それは巨大な触手としか形容できない。ヌラヌラと粘液にぬめって光り、鞭のようにしなるかと思えば、槍のように鋭く尖る。初撃を放った一本が引っ込むや、返す刀で二本目が伸びてきて――まるで狙ったかのように、繋留索を岸壁ごと貫いた。  ボートは唯一の寄る辺を失い、激流に揺れながら滑り出してゆく。  その上で身を起こすエステルは、岸を走る二人の仲間が、合い付いで身を躍らせるのを見て叫んだ。 「馬鹿っ! パイオニア2へ――ああもっ、馬鹿」  口では罵りの言葉を紡いで、ありったけの呪詛を練り上げながら。エステルは素早く脳裏に術式を走らせる。身体能力を向上させるテクニック、シフタが組み上げられるや、自分を中心に集まる仲間達へと素早く実行した。  その後を追うように、ザナードのデバンドが実行され、四人を淡い光りが交互に包む。 「これが本当の、乗りかかった船って奴だ……カゲツネェ! 奴ぁ何だ? 該当データは!」 「敵はアルダービーストである可能性が高いですね。もしや、これがリコの言っていた……」  激流の中、木の葉のように揺れるボートの中央。エステルはザナードを守るように、カゲツネやヨラシムと背をあわせて周囲の気配を探る。  恐れていた事態が現実になった。未知なる敵との遭遇……しかも、逃げ場のない船上で。 「先輩、師匠、先生ッ! すみませんっ!」 「その話は後、来るっ!」  ボートに平行して、波間を走る影が浮上した。  それはリコのメッセージにあった通り、巨大なワームだった。  全身を粘液の光る甲殻で固め、その頭頂部にあたる部分には……まるで冗談のように、骸骨上の凹凸が刻まれている。まるでホラー映画に出てくる、気色の悪い化物そのものだった。違うのは、CGでも着ぐるみでもなく、現実に敵意を持った生き物であるということ。 「思い出してっ、リコのメッセージッ! あの触手に触れれば恐らく――」 「俺等もアルダービーストになっちまう、って、かぁっ!?」  文字通り四人は四散するように駆け出し、各々がバラバラに触手の連続波状攻撃から逃げ回る。  道中、ザナードに記録させたリコのメッセージがエステルの脳裏を過ぎった。巨大なワームが、原生動物へと触手で触れて……アルダービーストへと変態させる。それが事実はどうかを疑う段階ではなかった。まして、自分達の体で確かめてみるのもゴメンだと心に結ぶ。 「クソッ、剣が届かねぇと話にならんっ! お前さん達で何とか――うおおっ」  視界の隅で、ヨラシムが横っ飛びに身を躍らせるのが見えた。同時にエステルも身を伏せ、飛来する光球から身を守る。精神を紡いで束ね、テクニックを行使する隙もない。ただ甲板上を転げ回りながら、押し寄せる攻撃から逃げ惑うのみ……反撃の糸口もつかめぬまま、彼女は水面を裂いて自在に泳ぐ敵を睨んだ。  その視界に一人、立ち上がるや剣を構える蒼い影。帽子が飛び去り赤い髪が舞った。 「ザナード君っ! 危な――」  エステルが叫ぶより早く、セイバーを片手にザナードが印を結ぶ。彼はまた、無謀にして果敢な試みで、自身を危険に晒していた。甲板の中央に陣取り、掠める光球にも集中力が途切れることはない。集束してゆく空気が凝縮されて、次第に気圧が下がってゆく。  まさか……エステルは場に満ちつつある氣をなぞって、驚き息を飲んだ。  同時に駆け寄ると、実行直前のテクニック詠唱に追いつけとばかりに、同じ術式を実行する。エステルの精神力は何倍もレベルが高く、直ぐにザナードの処理速度に追いつき、追い越してゆく。 「続いて、ザナード君っ!」 「はいっ、先輩っ!」  巨大な火球が連なり爆ぜた。  同時にエステルはヨラシムに、ザナードはカゲツネに庇われ甲板上に伏せる。爆光に照らされた巨躯が、水柱と同時に持ち上がり……のしかかるや船体は大きく傾いで、四人のハンターズは激震に身を硬くした。 「危ねぇ、エステル……お前さんまで、ザナードの真似か? ったく、どっちが先輩だか」 「いいからっ! 上がって来た、叩いてヨラシム。カゲツネもっ! ザナード君は私と補助!」  かじりつくように右舷に乗り上げた、巨大なワームの頭部。そこへと、エステルから離れるやヨラシムが駆け出す。マシンガンを構えてカゲツネが続き、ザナードはもうベテランフォースのようにフォローの体制に入っていた。  まさか自分が……そう思うエステルはしかし、実際にザナードに乗せられた自分に宿る熱量が、加速してゆくのを感じていた。