エステルが見上げれば、遥か上に小さな光が一つ。  それは、パイオニア1のセントラルドーム近郊にあいた大穴だった。かつてエステルも地上から見下ろした、その場所が今は遠い。思わずずり落ちそうになる帽子を手で押さえて、尚見上げ……そのままゆっくりと、視線を落としてゆく。  こんな地下の遺跡まで降りて尚、その穴は奈落のように暗闇をはらんで広がっていた。  上からの僅かな光を、余さず吸い込みたゆたう、闇。 「エステルせんぱぁい〜! この先で師匠達が、転送装置を、フガッ!?」  遠く背後で弾んだ声が、突如途切れてエステルを振り返らせた。彼女は髪をかきあげるや、瞬時にロッドを取り出し走り出す。既に大半のハンターズが通過し終えて、調査終了区画となったこの場で……一人の少年を内包して、遺跡のトラップが唸りを上げていた。 「せ、せんぱいぃ〜」 「ハイハイ、情けない声出すんじゃないの。っとに、無用心」  目の前に今、通路を塞ぐ巨大な壁がそびえている。その中で閉じ込められたザナードの声がか細い。ここを通過した誰もがひっかからず、今の今まで放置されていたのだろう。あいも変わらずのザナードに溜息を零しつつ、エステルが精神力を紡いで掌をかざす。  小さな火球が爆ぜて、異文明の罠が弾け飛んだ。 「ふう、助かったぁ〜! 先輩っ、ありがとうございますっ!」 「アンタねぇ、何でそうチグハグかな……こんな初歩的なのに引っ掛かって」 「や、さっきまで注意して歩いてたんですよ。師匠と先生と三人で。それで――」 「……そ、れ、で?」 「ええとですね、先生の言う通り転送装置があったんで、先輩を呼びにいこうと思って」  悪びれずはにかむザナードを前に、エステルはこめかみを押さえて俯いた。 「メールを出す、って選択肢はなかったのかな、ザナード君」 「ああっ!? そ、そうですよね……そうか、師匠が呼びとめようとしてたのは」 「ま、いいわ。これでこのフロアは全部、塗り潰したし」  そう言いエステルは、肩を落すザナードの裾を掴むと、大股にツカツカと歩き出す。  既に遺跡が見つかってより数日、ハンターズは異形の魔物に怯む事無く、古代の遺跡を突き進んでいた。日々、ギルドカウンターには最新の調査状況が並び、その進捗はめざましく……いつ、誰がリコに追いついても不思議じゃない。  そして、誰よりもリコに近いのは―― 「そう言えばさっき、カレンさんと擦れ違いましたよ」 「ああ、あの小娘……何か言ってた?」 「えっと、今の先輩と、同じこと、言ってました」 「何それ?」 「先輩が自分のことを、何か言ってなかったかと。僕、そう聞かれましたけど」  ハンターズの最前線、先頭を征く少女。その名はカレン=グラハート。正義と真実の名の下に、ラグオル調査に邁進するその姿は、今やパイオニア2のアイドルだった。その彼女が気になる自分も、自分を気にする彼女も少しおかしくて。気付けば鼻から笑みが零れるエステル。 「張り合う気もないけど……負けちゃいらんないわね。あの小娘に先んじて、リコに」 「大丈夫ですよっ! 先輩なら必ず追いつけますっ!」  何の保障にもならぬ一言が、いやに今は心強い。  エステルは次いで込み上げる苦笑に口元を手で覆いながらも、ザナードを引っ張り遺跡を歩いた。周囲に既にもう敵意はなく、今や見慣れた風景が流れてゆく。そして、彼女自身がまだ未到達だった区画に入ると、すぐに仲間達の姿が見えた。 「おっ、来た来た……何やってんだか。メールすりゃ済む話だろうがよぉ」 「まあまあ、もうこのフロアはあらかたエネミーを排してありますし」  真紅の光を湛えた転送装置。それは確かに、パイオニア2で見る、テレポーターと同様の物に見える。それを挟んで今、待ちくたびれた様子でヨラシムとカゲツネが立っていた。互いに小休止といった感じで、ヨラシムは煙草の煙を燻らし、カゲツネは何やら腕の携帯端末を忙しくいじっている。 「これが、そう。大丈夫なの? 飛び込んだりして。だってこれ、異文明の――」 「私は先日、これを使って奥に一度行きましたよ。クエストで」 「だ、そうだ。他の連中もぞろぞろ入ってったし、大丈夫だろうな」  ヨラシムが煙草を床に捨て、何度も踏み躙る。その横ではカゲツネが、まるで追想にふけるように遠くを見詰めた。自然とエステルも、横ではしゃぐザナードを意識の外に、その視線を追う。  転送装置の奥には、ガラスでもプラスチックでもない、不思議な透明度の窓。そしてその向こう側には、この広大な遺跡が延々と続いている。闇の中、僅かに明滅する光が、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせる。  気付けばエステルは不思議な感触の窓に手を突き、外の景色に魅入っていた。  同時に脳裏を過ぎる、リコの言葉。 「『窓から遠くが見える……かなり大きい遺跡のようだ』、か。確かに、ね」  こんな文明があったなんて、と赤い輪の英雄は、メッセージカプセルに感嘆の一言を残していた。その意味が今、実感となってエステルを包む。  この広い遺跡の奥、ずっと奥で……恐らく今も、リコは先へ先へと進んでいる。  遺跡に踏み込んでから発見されたカプセルは、普段通り真新しいものばかりだった。 「しっかし、ラグオルに先史文明があったとはね」 「パイオニア1は何故、このことをコーラルへ報告しなかったのでしょう」  ヨラシムやカゲツネも、並んで絶景に目を凝らす。  地中深く埋められた遺跡は、冷え冷えとした空気を纏い、時折鈍い輝きを返すだけだった。 「報告の必要がなかった、とか。えっと、そうだ! もうホントは、知ってることだったとか!」  ザナードが鼻息も荒く、べったり窓に張り付いた。改めて見渡す遺跡の風景に、しきりに「おお〜」とか「うわー」などと声をあげ、まるで子供の様にはしゃいでいる。  自分もつい先程までそうだったかと思うと、気まずい雰囲気にエステルは咳払いを一つ。  そしてそれは、どうやら自分だけではないようだった。 「ばっ、ばば、馬鹿言ってんじゃねぇよ。それよかホラ、進もうぜ?」 「そ、そうですね。私としても、お嬢様やギリアムには先んじたいものです」 「そゆこと。ほらっ、さっさと次行くわよ?」  ひょいと背伸びして襟首をつまみ、ザナードを窓からひっぺがすエステル。そうして彼女は、仲間達をずらり背後に、改めて転送装置に相対した。  それは血よりも赤い鮮やかさで、定期的にフォトンの波にゆらいでいる。  一同が緊張感を帯びたのも束の間、真っ先に飛び出したザナードが転送装置へ飛び込んだ。 「あ、おいっ! こらぁ、だから先走るなって――」 「だって師匠、まだまだ先があるんですよ? 僕もう、待ちきれなくって!」  デコボコ師弟コンビが、揃って転送の光に消えた。低い唸りを上げて、太古の装置が作動する。やれやれと肩を竦めるエステルが、続こうとしたその時。誰よりも慎重で思慮深いカゲツネが、そっと呟いた。 「成程、既に周知の事実ならば……報告する必要はない訳ですね」 「ん? ああ、この遺跡のこと? やだ、ザナード君の話を真に受けちゃうんだ?」 「いえ、可能性の問題ですよ。そして、この遺跡を知っていたのは誰で、いつからか……」 「さあ、十カ国同盟のお偉いさんとかに聞いてみたら?」  意地悪く腰を屈めて覗き込めば、フムとカゲツネが顎に手を当て唸る。  全ての人が消失してしまった、パイオニア1……その真意は今は量りかねた。しかし、一つだけいえるのは、この遺跡を進めば、真実に巡り合えるかもしれないということ。  少なくとも、そう信じて先を進む英雄がいる。  ならばエステルは、続くと息巻く自分の気が逸るのも無理はないと言い聞かせた。  その実、ここ最近はザナードのことが言えない位、急いて落ち着きのない自分に。 「では、行きましょうか」 「オッケー、あのバカ二人組みに先行させると、ロクなことないもんね」 「ヨラシムはああ見えて慎重ですよ。ご存知では?」 「慎重にして大胆、時々おっちょこちょい……だから心配なの」  カゲツネの頭部を走る光に、不規則さが混じった。それはどこか、笑ったような印象をエステルに刻む。 「……ザナード君が心配じゃない。たっよりない師匠と二人っきりじゃ、さ」 「はいはい、そういうことにしておきましょう。では」  自分の倍ほどもある巨躯が、身を僅かに揺すって光の中へ消える。  続いてエステルも、真紅の波動ゆらめく転送装置へと、新たな一歩を踏み込んだ。