血よりも赤いフォトンの波間が、旧文明の転送装置に揺れる。その波頭を飛び越えたエステル達は、太古の昔に定められた場所へと、再び肉体を再構成され現出した。  鮮明になる意識と共に開く瞼の向こう側には、意外な光景が広がっていた。  ――抜けるような蒼穹の下、広がる一面の草原。  蝶が舞い、鳥が歌う。草が萌えて、花が香る。思わず動揺する仲間達の声を、エステルはあえて思惟の外へと押し出した。そうして、一歩踏み出す。確かに、現実の大地が、靴の底から感触となって脚線美を這い上がった。 「ほう、ギルドも優秀な人材を揃えているな。この日を嗅ぎ付け、追い付いて来たか」  エステル達を迎える声が、巨大な石碑の前で振り返った。  仲間達が武器を手に、そのセフティを外す。緊張感が満ち、それを共有する心身に、いつもの呼吸が伝わってくる。しかし、エステルだけがロッドを手に足を止め、口を開いた。  その声が喉を通って、名を呼ぶ前に……横から絶叫が飛び出した。 「お父様っ! いえ、レオ・グラハートッ! お覚悟っ!」  ハンドガンを構えて、エステルの横をカレン・グラハートが駆け抜ける。彼女は銃口をピタリと父親に向けて、草花を散らして地を抉り、目を見開いて立ち止まった。  対するレオ・グラハートに、動揺の色は全くない。  ただ、手を引く隣の少女だけが、ビクリと身を震わせ、長身の陰に隠れた。 「あれは……馬鹿な。あれは、ルピカ」  カゲツネが額を手で覆い、俯き足を止めた。気遣うザナードの肩に置く、鋼の手が震えている。  かつて地表で、グラン・スコール号からカゲツネが助けた筈の少女が、目の前にいた。不安げに長い耳を揺らして、レオ・グラハートの軍服の裾を握っている。カレンの銃口に、殺気に怯える目をしていた。 「久しいな、ギリアム……いや、カゲツネか。どちらにしろ、この娘の護衛、ご苦労だった」 「レオ・グラハートッ! 今すぐその娘を……マザーを手放し、投降なさいっ!」  カゲツネをねぎらうレオ・グラハートの声は、穏やかで静かだった。  その響きを遮り、カレンが声を荒げる。向ける銃は小刻みに震えながらも、必中の距離で父親を、照星の中へと捉えていた。人差し指が僅かに、銃爪を押し込んでいる。 「おいエステル、どうするよ? カゲツネがあの調子だ……まあ、奴なら大丈夫だろうが」  成り行きを見守るヨラシムが、そっとエステルに耳打ちする。そうして二人は、肩越しにカゲツネと、その手を取るザナードを振り返った。  エステルは以前から、グラン・スコール号のことは聞いていた。  他ならぬ、カゲツネの口から。それが、彼の決意と責任だと受け取っていた。 「そうね。もう少し親子喧嘩でも見物しましょ」 「お、おいエステル!? ……いいのか? あのお嬢ちゃん、自分に負けて撃つぜ?」  ヨラシムの言葉に、エステルは心の中で同意する。パイオニア2の英雄、カレン・グラハートの背中はとても小さく見えたから。既に共をする者もなく、素顔の彼女がそこにはいた。かろうじて体裁を繕っていはいるが、仮面の下から感情がとめどなく零れる。  だが、エステルには確信があった。  カレンは撃つが、殺せない……親と子だからではない。それがカレンの、英雄を飾った少女の限界だと察していたから。使命感を胸に、多くの民を背負うには、彼女は若く、清廉で気高過ぎた。清濁を飲み込む器量が、まだ育っていないのだ。 「さて……ここまでたどり着いたハンターズは、君達がはじめてだ――」  レオ・グラハートの言葉が、再度遮られた。今度は銃声によって。フォトンの弾丸を吐き出したカレンのハンドガンは、僅かに加熱して煙をあげている。  弾着は、レオ・グラハートの背後にそびえる、漆黒の石碑に小さく響いた。 「ふむ、カレン。私はここだ。撃つなら、しっかり狙って撃ちなさい」 「おっ、お父様はっ、こんなことをして……恥ずかしくはないのですかっ!」 「恥ずかしい? 何を恥じる必要がある。恥じるべきは私を排斥した、あの星の者達だ」  あの星の……コーラル本星の者達こそが元凶と、レオ・グラハートが語り始めた。  陶酔した権力者にありがちな高説を、眉をひそめながらもエステルは聞き流す。その横では、露骨な嫌悪感も露なヨラシム。そして、ショックから立ち直りかけたカゲツネが並ぶ。 「私は、この星に眠る力を得て、かつての栄光を取り戻す。私の可愛い部下達もだ」 「その力が! WORKSさえ狂わせたのです! 二度に渡り、マザー計画は失敗した!」 「それは、マザーが紛い物だったからだ。マザーには、ぬくもりがなければいけない」 「ギリアムは私に優しかった……人にあって、キャストにないものなんて、ないっ!」  そのギリアムを使い捨ててまで、この地へたどり着いたカレンが叫ぶ。三文芝居を見物し続けるエステルが、付き合いきれなくなって口を挟もうとした、その時。彼女がうんざり声をあげるよりも、明瞭で明朗な声が、親と子に割って入った。 「そうだ! それだけは、カレンさんの言う通りだ! エルノアさんは、ポカポカしていたっ!」  ザナードだ。  彼はセイバーに光の刃を灯すと、それを片手にエステル達三人を追い抜き、カレンに並ぶ。そうして、あどけなさの残る顔を緊張させながら、要領を得ない言葉を必死で紡いだ。 「エルノアさんは、マザーなんかじゃない。僕の……大切な友達だった!」 「……YN-0117のことかね、少年」 「それは、エルノアさんを指す言葉じゃない! おじさんは、間違っている!」 「ほう? 少年、私の何が間違っているというのかね」 「全てを、目的の為の道具として見ているっ! 例えば、今のその子がそうだ」  静かに、しかし毅然とザナードは指差した。レオ・グラハートの背後で震えながら、僅かに顔を覗かせるニューマンの少女を。カゲツネがルピカと呼んだ、グラン・スコール号唯一の生存者を。  レオ・グラハートが困った顔で、エステルを見詰めてきた。  子供に絡まれた時、その保護者に善処を求める視線だ。 「レオ・グラハート准将。アタシ達は仕事できたんだけど……もう、いいかしら?」  自然を装い、エステルはカレンに並ぶ。肩で息切る少女に手を沿え、その銃口を下ろさせる。そうして、鋭い視線の矢を射ると、エステルは語りだした。今こそ、真実が暴かれる時。 「准将も一度、マザー計画に失敗してるわね? グラン・スコール号の件で」 「おやおや、どうしてそれを知っているのかな?」 「グラン・スコール号には、遺跡を目指すWORKSの隊員が乗ってた。政府高官を装って」 「ほう、面白い推理だね。続きを」 「しかし、事故で遺跡突入は失敗。貴方はバーニィを通じて、マザーを……ルピカを回収した」  その顛末は、カゲツネが詳しい。彼は、グラン・スコール号そのものを出した、シップ業者からの依頼で、ギルドを通じて事件に関わっている。そして目にしている……生存は絶望的な状況下で、生き残ったニューマンの少女を。今、目の前にいるルピカを。 「その後は、みんなが知る通りよ。現WORKSの独断、ウルトの暴走。そして――」  目の前でザナードの背中が震えている。その手がぎりりと握られている。 「そして今、アンタは自らの手で、真のマザー計画を実行しようとしてる」  それは、闇の私生児へと、母親を与えること。このラグオルに眠る、巨大な力を手中へと収めること。その為に……闇の淵より、大いなる力を蘇らせるのだ。マザーを、ネオニューマンのルピカを介して。  だが、そこに彼の誤算があると、エステルは言葉を続けた。 「――アンタ、リコに……レッドリング・リコに会った?」 「? なんのことかな、ハンターズのお嬢ちゃん」 「お嬢ちゃんって歳じゃないわ、悪いけど。それで? 会った? アタシ達は……会えなかった」 「何の話を――」  二人の会話を遮り、突如激震に大地が揺れた。  それに構わず、エステルは言葉を続ける。それが、緑に溢れた穏やかなこの地の空気を、最後に振るわせる一言となった。 「何故追い付けなかったか、今なら解るわ。捨て子なら、母親を自分で選ぶことだってあるもの」  周囲の風景が四散し、闇の淵がその漆黒を覗かせた。