無限に続くかと思われる暗黒の空へ、巨大な魔法陣が花咲き浮上する。  その中心で今、エステルは周囲の惨状を俯瞰していた。確かにあの時、神像の如きダークファルスへと、彼女はトドメの一撃を放った。その時声が聞こえて、そして…… 『何がどうなって……あ、あれはアタシ!?』  睥睨する光景、その中心へと降りてゆくダークファルスの中で、エステルは立ち尽くす自分を見た。  目に光のない自分が、無防備にダークファルスの前に立っている。その暗い瞳に映る姿は、闇の淵を圧縮したかのように小さく、しかし魔素濃く凝縮された、異形の邪神像を象っていた。  ギラつく光を反射し、全身に燐光を明滅させるダークエネミー特有の身体。  長く伸びて刃をなす両手。  何より、その異形よりエステルの肉体へ注がれる紅い光。 「先輩っ! 危なぁーいっ!」 『ザナード君っ!』  声は発したのに、届かない。  剣となった両手を振りかぶるダークファルスを前に、エステルの矮躯はただ凝立したまま動かない。それを他ならぬエステルが、まざまざと見せ付けられていた。  ダークファルスがかざした手を振り下ろす。  間髪入れずに、ザナードが割って入り、その手のセイバーが宙を舞う。しかし彼は、切り払われた反動でエステルを押し倒し、不気味に点滅する魔法陣の床を転がった。 「おっしゃ、ザナードッ! しっかり抱いてろ! あとはぁ、俺等がっ!」 「ヨラシム、ここは敵を追い詰めたと見るべきでしょう。恐らくあれが――」  そう、カゲツネの言う通り、これがダークファルスの本性にして本体。後にも先にも、唯一の実体。  ヨラシムが大剣を下段に構えて背後に引き絞り、助走をつけて宙を舞った。その背後では、ライフルを取り出したカゲツネが、援護射撃を開始する。  弾着。斬激。異形の魔神を前に、エステルの仲間達は勇敢に戦った。  刹那、エステルは激痛に呻き、視界の隅に異変を察知する。  ザナードの腕の中で今、ダークファルスが受けた傷と同じ場所から、エステルの肉体は血を吹いた。 「師匠、先生っ! 先輩が、エステル先輩がっ!」 「っちぃ! くそっ、これじゃ手出しができねぇ!」 「なるほど、人質という訳ですか。意外と俗っぽい手で来ましたね。……ド畜生がっ!」  ダークファルスの中に閉じ込められながら、激痛に悲鳴を噛み殺してのた打ち回りつつ、エステルは声を限りに叫んだ。だが、その声は仲間達に届かない。 『構わず戦って! こら、戦いなさいっ! ヨラシム、カゲツネ……ザナード君っ!』  エステルの精神を我が身に内包して、ダークファルスが一際甲高く咆哮を迸らせる。  その手から無数に、光の矢がハンターズ達を襲った。  ザナードはその時、腕の中のエステルを治療すべく、レスタを実行中だった。身動きできぬ彼を庇って、ヨラシムが、カゲツネが傷付いてゆく。互いを守りあう人間達をあざ笑うかのように、ダークファルスの攻撃は苛烈を極めた。 「!? なんだありゃ、闇が、集まる? おいエステル、ってクソ、こんな時にっ!」 「いけませんね……逃げましょう! あれは――」  ダークファルスが頭上で交差した両手へと、あらゆる負の感情が集まり、それは怨霊の実体化という形で紫色の炎をくゆらす。それが自分達へと向けられてるのを察して、ハンターズの一団は丸い魔法陣の外縁を走り出した。  エステルはただ、自分の身体がザナードの両腕で運ばれてゆくのを見送った。  そんな仲間達へと向けて、一際強力なテクニックが発現した。 「うおおおっ、なっ、何だ今のはっ!」 「まさかお目にかかれるとは……ヨラシム、今のはメギドです」  闇の力で全てを滅ぼす、禁忌の術……メギド。それと同質の攻撃に襲われ、仲間達が逃げ回る。その光景を見守るしかできないエステルは、気付けばダークファルスの中に人の気配を感じていた。 『……誰か、中に居る! 誰? アンタ、誰?』 『貴女も聞かれた? その言葉を……聞いたのね、その声を』  エステルは、彼女の意識はダークファルスの中で振り向いた。  そこには、産着に漆黒の闇を抱いた、一人の女性が立っていた。その左腕に、真紅の輪がリンと鳴る。 『リコ……レッドリング・リコ? どうしてここに……まさか、マザーって』 『この子が、ダークファルス。パイオニア1が目覚めさせてしまった、邪悪の化身。そしてあたしが選ばれた……この子の、マザーに』  阿鼻叫喚の地獄絵図の中を、ただ逃げ惑う仲間達を背景に。エステルは呆然と立ち尽した。同じくダークファルスに取り込まれたリコは、その時間が長いからだろうか? 既に生気はなく、呆然と闇を抱いて佇んでいる。赤子をあやすように、時々リコは産着を揺すっていた。 『リコ、アンタ……』 『あたしは異変の後、すぐに調査を開始した。森、洞窟、坑道……そしてこの遺跡。解かれた封印の向こう側に待っていたのは……この子だった。あたしは、この子のマザー……憑代になったの』 『じゃあ、アンタが吸い尽くされれば、次はアタシって訳だ』 『そうね……でも、あたしが何とか持たせてる内に……ダークファルスを倒して。あたしと違って、貴女なら……一人じゃないから』 『一人じゃ、ない……そうね』 『英雄は一人じゃないわ……一人では、英雄にしかなれない。だから』  エステルはダークファルスの中心で、身を声にして叫んだ。それは言葉となって空気を震わせることはなかったが、誰かに届けばと声を張り上げる。  果たして、その声に感応する人間が一人だけいた。 「……先輩、師匠っ! やっつけましょう……ダークファルスをやっつけましょう!」 「ザナード、お前……っと! この攻撃だ、どうやって奴を倒す?」 「攻撃すれば、エステルの肉体にもダメージが反射します。この状況で」  ザナードだ。彼はエステルを抱いたまま足を止めると、不気味に笑うダークファルスに正面から対峙した。その目には決然とした怒りが、何より強い意志が灯って輝く。 「僕が全力で回復します! 僕の精神力が尽きる前に、ダークファルスを!」 「……言うようになったじゃねぇか、ザナード。スクールじゃ零点の答案だぜ、そいつぁ」 「ですが、可能性はありますね。……可能性があるってのは大事だぜ、ザナード?」  男達の目に、ザナードの熱意が伝わり、それは燻っていた闘志へと引火する。精神を集中して術を紡ぎ上げる、ほのかに光りだすザナードの前に、二人の男が立ちふさがった。ヨラシムは剣を両手に構えて身を屈め、カゲツネもまたマシンガンを取り出し両手を突き出す。  静寂のうちに睨み合う人間と邪神の間で、圧縮された場の空気が弾け、霧散し、震えた。  絶叫と共にザナードが、ヨラシムが、カゲツネが吼えた。 『そうっ、アタシに構わず……ダークファルスを倒してっ!』  エステルの痛切な声に、剣戟が、銃声が応えた。同時にエステルは、ふわりと浮かびだしたリコへと駆け寄る。彼女が憧れたハンターズの英雄は今、虚空の天上へと吸い寄せられていた。その腕の中で、火がついたように激しく、闇が泣いている。まるで赤子のように。  翔んだヨラシムの剣が、深々とダークファルスを抉り、貫き、切り抜けてゆく。  ぱっくりと開いた傷へと、怒号と共にカゲツネの全弾発射が襲い、集中する火線の濁流が注ぎ込まれた。  その間ずっと、血に濡れ痙攣するエステルの肉体は、ザナードの腕の中で癒され続けていた。  声にならない断末魔を轟かせ、闇の私生児が夢見た夢から醒める時……胎動は止まり、空間が崩壊を始める。エステルは三人の仲間達の無事を確認して、目の前へと手を伸べた。 『リコ! 手を……アンタも帰るの! アタシ達のパイオニア2に……家族の元にっ!』 『……ありがとう、ハンターズ。ありがとう、フォースさん……もう、あたしは』  消えかかるリコの手を、確かにエステルはその細い手首を握った。相手もまた、エステルの手首を握り返してくる。しかし、焼けるように痛むその握力が、不意に消失して、リコの姿が光になった。  気付けば肉体へと引き戻されたエステルの意識は、呆然と天へ上るリコを見上げていた。  主を失い収縮する空間の中、エステルはザナードに抱えられ、リューカーの光へと飛び込んだ。