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 メビウス達ソラノカケラ一行の、迷宮での初めての一夜は平穏無事に過ぎた。
 変わったことと言えば、保護するような形でパーティに加わったカナエの身の上話を聞いたくらい。それを今も耳にしながら、メビウスは仲間達と共に世界樹の迷宮を進んだ。道中は見慣れつつあるモンスターと戦いながら、徘徊する強大強靭な毒竜や河馬から逃げ回ったり。そうして、多くの冒険者がそうであったように、またそう望むように、彼女達は彼岸より理不尽押し寄せる大河を超えた。
 上から数えて三つ目の降り階段を見つけたところで、メビウスは異変を察した。
「それでアタシ、小さい頃の父の記憶が……メビウスさん? どうかされましたか?」
 カナエは過去、幼い時分に冒険者だった父を世界樹の迷宮で亡くしている。
 その場に居合わせた筈なのに記憶がないという話まで語ったところで、彼女は訝しげなメビウスの横顔に気付いた。
「ん、いや……随分同業者と擦れ違うな、って。それも、みんな糸を手に戻ってゆく」
 メビウスが糸と言うのは、正式名称を『アリアドネの糸』と言う。手にする者達を迷宮の出口へと連れ帰る、不思議な力を持った、しかし冒険者には一般的なアイテムだ。当然、メビウス達も携帯している。
 メビウスが仲間達と目線で確認しあったのは、誰もが皆そうであるということ。
 目の前の階段を昇ってくる冒険者達は、誰もが神妙な面持ちで地上へと戻っていった。
「メビウス、何か妙だ。連中、とても収穫に満足して帰路を辿っているようには見えない」
 普段は寡黙なネモが、真っ先に口火を切った。抑揚に欠く、しかし妙に染み渡る声で、彼は海の上へと消える冒険者達を語る。誰もが皆、首を傾げるカナエにも解るように頷いた。
「つまりな、カナエちゃん。この先には何かこう、引き返さざるを得ない何かがある」
「うん。ぼくもそう思う。問題は、それが何かということなんだけども」
 したり顔で調子に乗ったタリズマンに、グリフィスが静かに応える。
 そうしている間も、次から次へと冒険者達は現れては、道具袋から糸束を出して消えていった。
「……進んで確認するしかないだろうね。我々のこの眼で直接。そうだろ? メビウス」
 メビウスは不安そうなカナエに微笑を返して、スカイアイの提言に力強く頷いた。
「こら、タリズマン。あんましカナエを怖がらせちゃ駄目だって。っとに……兎に角、進もう」
 一同、揃ってメビウスに応じた。
 別のギルドのパーティと擦れ違いながら階段を降り、地下四階へと足を踏み入れる。
「先に進めないって、どういうことだよ! オイラを子供だと思ってなめてんのか!」
 真っ先に耳に入ってきたのは、キンキンと鳴るような少年の声。酷く威勢よく響く。
 そして次に目に飛び込んできたのは、メビウス達に振り返る見知った顔だった。
「お? メビウスじゃねぇか。ってことは……おお、揃ってるなあ。ソラノカケラの諸君!」
 気の抜けた笑みで振り返ったパイレーツは、誰であろうコッペペだった。
 啖呵を切り続ける少年の声を背に、新たなトライマーチの面々がメビウス達ソラノカケラを迎える。その中にはやはりというか、意外というか、先日奇妙な縁を得た者がいた。
「まあ、メビウス様。先日はありがとうございました。お陰でわたくし、冒険者になれましたわ!」
 満開の笑顔を咲かせるのは、依然知り合ったリシュリーだ。その彼女を探していたエミット達も一緒。
 彼女達は紆余曲折を経て、トライマーチの一員となったようだった。
「やあ、お姫様。いや、リシュリー。元気そうで何よりだね。それより……」
「だから、オイラ達はこの先に用があるって言ってんだろ!」
 再会を喜ぶリシュリーも、それに挨拶を返すメビウスも、途切れない少年の声に視線を重ねる。
 そこには、奇妙な光景が広がっていた。
 一人の男が、四階の奥へと続く一本道に立ち尽くしているのだ。それも、ただの男ではない。決して只者ではない。金髪の青年はどこか老成した眼差しで、しかし油断なく道を閉ざしているのだ。
 抗議を叫ぶ少年は、メビウス達に気付かずその男に食って掛かっている。
「まあ、ちょいとうちの連れがな。ええと、なんつったっけ?」
「アガタだ。貴公、どうして男の名前は覚えられないのだ」
「そうそう、アガタ君。いやぁ、オイラは頭ん中、ご婦人の名前でいっぱいだからよ」
「呆れた話だ。もういい、リシュリー。まなび、アニッシュも。戻るぞ……とんだ無駄足だったな」
 へらへら笑うコッペペを置き去りに、一歩を歩み出たエミットとメビウスは目が合った。
 自然と目礼を交し合う中、メビウスは重装歩兵の麗人が背負った受難をすぐに看破した。そんな彼女にエミットは、鼻から溜息を零して語りかけてくる。
「貴公は先日の。その節は世話になったな。お陰でこうしてリシュリーを見つけることができた」
「いや、礼には及ばないけど……何か、思うようにはいかなかったって感じかな?」
「ああ。我が妹……姪ながら、なかなかに頑固でな。さりとて、捨て置ける筈もない」
「あの笑顔には勝てそうもないからね。ま、いいんじゃない? 冒険者も悪くはない筈さ」
 メビウスの言葉にエミットは、条件付でというような具合で肯定を返した。
 それを皮切りに、自然と互いのギルド同士、メンバーの自己紹介や挨拶が行き交う。そんな和やかな雰囲気の中でもしかし、異変は着実に現在進行形で存在し続けた。そして、
「アガタ! もう、どうして一人でいっちゃうの? アタシ、すっごく心配したんだから!」
 メビウス達の後に控えていたカナエが、アガタという名の少年をついに見つけて声をあげた。その剣幕に流石に、とうせんぼうにいきり立っていたアガタも振り返る。
「ありゃ? カナエ? なんだよ、来ちまったのかよ」
「来ちまったのかよ、じゃないわよ! ねえ、どうして? どうしてアタシを置いていくの?」
「どうしてって、そりゃ……」
「いつもそう。いつもいつも……今日こそ説明して貰いま――」
 アガタへ詰め寄るカナエを静かに制して、メビウスは一同を静かに見渡すと、その視線を先へ……迷宮奥への道を塞ぐ男へと注いだ。
「話は後だよ、カナエ。それより、説明して欲しいな。どうして先に進めないんだい?」
 メビウスの言葉は、この場に居た全員の意を代弁していた。コッペペでさえ、無言で不敵な笑みを浮かべる。だが、比較的若いメンバーが中心のトライマーチは、とりわけ少年少女は黙ってはいなかった。
「そうだそうだ! だいたいアンタ、いったい何物なんだ!」
「そうですわ、せめて説明して頂けないでしょうか。わたくし達、もっと冒険したいのです」
 アガタの喚き散らす声よりも、手を組み指を絡めて見詰めるリシュリーの眼差しが勝った。
 腰の左右に二刀を佩き、その柄に手を置いていた男は深い溜息と共に語りだした。


「これより先は、今は通せん。通りたくば、元老院にてミッションを受けることだ」
 朗々と決められた台詞を詠うように、男は短く静かに言い放った。
 次に口が開かれた時、男はクジュラと自らを名乗り、再度同じ言葉を続ける。
「つまり、ミッション……元老院の依頼を受けた人間だけが、先に進めるってことかな」
 メビウスの声に、クジュラはただ頷いた。
 それで周囲は、にわかに慌しくなる。
「つまり何だ? ええと……誰君だっけ? 兎に角、ここは通行止めなんだよな?」
「アニッシュです、タリズマンさん。さっきからクジュラさんはそう言ってるんですけど……」
「アガタの奴が。あ、アガタはね、あたし達が途中で危なっかしいから拾ったんだけども」
 両ギルドのメンバーが口々に呟きぼやき、揃って肩を竦めた。トライマーチのモンク、まなび嬢の説明によれば、アガタもカナエ同様、一人でうろうろしていたところを保護されたらしい。
 再会の幼馴染を横目に、メビウスは腕組みなるほどと小さく唸った。
 目の前のクジュラは、てこでも動きそうにない。
 そしてメビウスには、ことを荒立てて騒ぎを大きくする気はなかった。恐らくトライマーチも、コッペペ達もそうなのだろう。だが、アガタだけは押し通るの一言で譲らない。
「その元老院のミッションってな、オイラも知ってるよ! ……あんなの、無理に決まってらぁ!」
「ならば退け。さもなくば……死ぬぞ」
 にべもないクジュラの言葉には、濡れた刃のような鋭さがあった。それは冴々として、見守る一同を黙らせてしまう。リシュリーだけが眉根を寄せて、考え込む仕草で腕組み難しい顔を作った。
 埒があかない問答を切り上げ、事態を収拾すべくメビウスが口を開いたその時、
「先程から気になっていた……元老院のミッションとは、その内容は何だ? 話せ、少年」
 エミットだ。彼女は頭から見えない煙を噴出すリシュリーを撫でると、手にした槍を肩に遊ばせながらアガタを問い質した。その声はクジュラに負けず劣らず、尖って刺さる。
 何だか少し気の毒で、ついメビウスは助け舟をアガタに出してしまう。
「ね、カナエは心配してたんだよ? それでも君がむきになる……その理由は?」
「ナルメル……魔魚ナルメル。この先に居座る、すげぇモンスターだ」
 その討伐が元老院のミッションだと、アガタは力なく呟いた。
 立ち塞がるクジュラはただ、沈黙を持って小さく首肯を見せた。

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