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 大理石で作られた元老院の建物は、終日出入りする冒険者達で賑わっている。
 だが、その奥深い中枢に、選ばれし者のみが招かれる部屋があることはあまり知られていない。メビウス達が、ソラノカケラとトライマーチの総員が居並ぶ荘厳なこの場所がそれだ。
 案内してくれたフローディアの言葉を借りれば、
「謁見の間、か」
 ひとりごちてメビウスは、ギルドの仲間達にちらりと目配せ。気心知れた者達は心得た様子で、しゃんと身を正して場の雰囲気に溶け込んでいた。
 これより先は、元老院より特別な謁見がある……その緊張がメビウスに満ちる。
 そしてそれは、今や迷宮探索のよきパートナーであるトライマーチも一緒らしかった。
「おばねーさま、小さくて可愛らしい謁見の間ですわ。わたくし、お城に住んでた時は――」
「リシュリー、静かにしていなくてはいけない。それと、あんな国と比べても駄目だ」
 無邪気にはしゃいでいるリシュリーを窘める、エミットの顔は僅かに翳りを帯びていた。彼女達トライマーチの面々もまた、神妙な面持ちで整列して待つ。ただ一人コッペペを除いて。
 コッペペは一番後ろの壁にだらしなくもたれて、しどけなく頭の後ろに手を組み大あくび。
「……できれば私も、貴公のようなギルドマスターを得たかったものだ」
 溜息と共にエミットが、小声でメビウスに囁いてくる。
「今からでもうちにくる? こっちはプリンセスもファランクスもいなくて困ってるしさ」
「リシュリーが世話になった手前、そうもいかないがな。……時には考えてもみる、私とて」
 玲瓏なる無表情のこの重装歩兵は、以外に義理堅い一面をメビウスに覗かせた。それは彼女が時々エミットに感じている、どこか生まれや育ちのよさをうかがわせた。そんなエミットにじゃれついているリシュリーにいたっては言わずもがな。
「まあ、デフィール殿がいてくれるのでギルドの運営には困らないのだが」
「ギルマスはギルドの看板だからね。ま、これでもぼくだって、それなりに頑張ってるつもりだし」
 平らな胸を僅かに張れる、それだけの理由をメビウスは持ち合わせている。そういうつもりで日々働いていたし、仲間からもそう評価されて欲しいと思っていた。それが実感として得られる今はだから、彼女にとっては概ね満足のいく冒険生活……ただ、深まるばかりの世界樹の迷宮の謎だけが頭を悩ませる。
「待たせたね、坊や達……姫様のおなりだよ、お行儀よくしておくれ」
 奥の扉が開いてフローディアが、次いで純白の影が一堂の前に現れた。
 咄嗟に空気が張り詰め、どこか緊張の中にもざわめきを忍ばせていた雰囲気が霧散する。
 メビウスは初めて目にする、この国の姫君を前に言葉を失った。


「皆様、海都の為の冒険ご苦労様です。国を代表してこのグートルーネ、心より感謝を」
 清水の一滴が滴り落ちて、清流に波紋を刻むような声音だった。
 声のみならず、その容姿は筆舌しがたい美しさを湛えていた。正しく、酒場で吟遊詩人が歌っていた白亜の姫君……その白無垢の華美なドレスよりも、尚白い肌はしかし血の気を全く感じさせない。まるでそう、精緻に作られたビスクドールのよう。
 周囲が美しさに息を飲む中、メビウスは言い知れぬ戦慄に肌をあわ立てた。
「もったいなきお言葉、ありがたき幸せ。されどこれも冒険者の務め、どうかお気になさらずに」
「そう言って戴ければわたくしも心が休まります、エトリアの聖騎士様」
 堂々と返礼で相対したのは、トライマーチのデフィールだった。まるで本当にギルドマスターのように、優雅で気品に溢れた定型句を謳いあげる。辺境貴族の出とはいえ、その作法は完璧だった。
 対する白亜の姫グートルーネもまた、騎士にかしずかれることに慣れた様子で応える。
 メビウスはただ、冒険者としての本能と直感が訴える違和感に固まっていた。
「皆様、此度はオランピアなる深都の者を退け、さらなる先への手がかりを得たとか」
「これもクジュラ殿のご助力あっての……ちょっとメビウス? しっかりして頂戴。どしたの?」
 後半は声をひそめて、デフィールが硬直するメビウスを肘で小突いてきた。ギルドの仲間達やエミット、リシュリーといった面々も心配そうに見詰めてくる。
「あ、ああ、はい。ええと……これがオランピアが落としていった宝石です」
「クジュラより報告を受けています。それはそのまま、皆様がお持ち下さい」
 深都への道を開く鍵だと、静かにグートルーネは言葉を続けた。
 そして静々と歩み出ると、ギルドの一人一人にねぎらいの言葉をかけ、その手を取ってゆく。タリズマンやネモ、エイビスですら緊張した様子で、酷く畏まっている反面……先ほどから一団より離れてだらしないコッペペは面白くないようだ。
 メビウスもまた、敏感に何か得体の知れない居心地の悪さを感じ取っていた。
「貴女がメビウス様……ハイ・ラガートのリボンの魔女と謳われた。どうか、よしなに」
「……は、はい。兎に角、ぼくらソラノカケラは全力をあげて迷宮を進みます」
 メビウスはかつて踏破した世界樹を、ハイ・ラガートの都を思い出していた。そこの皇女様はやはり気高く美しかったが、眼前で微笑を顔に貼り付けた姫君とは明らかに雰囲気を異にする。普段から見慣れたリシュリーとはまるで別物だ。同じプリンセスとしての優美で典雅な空気を纏いながらも、その奥に何かが澱んでいるような、そんな予感がするのだ。
 何より、グートルーネが握ってくる手は酷く冷たい。
「あの、メビウス様……あちらの方は」
「ああ、あいつは……いえ、彼はトライマーチのギルドマスターで」
 デフィールが、トライマーチの面々が揃って顔を覆った。
 コッペペの態度は無作法に過ぎる。こうして冒険者達と同じ場所に立つ姫君を前にしても、まるで興味のない様子で、一同の輪に加わろうともしない。
 意外なことだと思う反面、同じ感覚を共有してるのかとメビウスは察した。
 美しい婦人を前にすれば、獣を秘めた少年に戻ってしまうのがコッペペの常だから。それが今、まれにみる麗人を前にして不遜な態度で、どこかいじけた様子で壁に寄りかかっている。
「まあ、では貴方様がコッペペ様ですわね。わたくし、噂はかねがね……ゴホ、ゴホッ!」
「姫様! ちょいと、今日は悪いけどここまでだよ。姫様はお体の加減がよくなくてねえ」
 不意にグートルーネは咳き込み、白い顔をさらに蒼白に伏せた。慌てて駆け寄るフローディアに、メビウスは初めて逼迫の表情を見る。
 仕える老婆に支えられて、白亜の姫君は一団から離れ扉の前に立った。
「大丈夫です、フローディア。それより」
「は、はい……いいかい、坊や達。その宝石は……海珠は預けておくよ。そいつを使ってこじ開けな」
 ――深都への扉を。
 それだけ言うと、フローディアはグートルーネの背を摩りながら寄り添い扉の奥へ消えていった。
 一同にざわめきが広がる中、メビウスはギルドの仲間達を落ち着かせるとコッペペに歩み寄る。だが、そんな彼女よりも歩調も強く、デフィールが眉を吊り上げて詰め寄った。
「ちょっとコッペペ? さっきの態度は何? 仮にも一応、ギルドマスターでしょう」
「まー、オイラ名前だけだけどな。デフィール、お前さんが全部仕切ってるじゃねぇか」
「そういう話をしてるんじゃないの。いい? こういう公の場ではギルドマスターは――」
 眉間にしわを作ってお小言のデフィールに、その迫力に居並ぶ面々は圧倒されていた。それでもどうにか、伴侶でもある相棒の星詠みがなだめると、エトリアの聖騎士はその矛先を納めて溜息を零す。
 堪えた様子もなく飄々としたコッペペに、メビウスは咎めるでもなく語りかけた。
「好みじゃない? 結構、っていうか凄い美人さんだったけど」
「んー、オイラ火遊びは大好きだけどな。勝算もスリルもないのは、ちょっちいただけねぇ」
「火遊び?」
「心に決めた男のいるご婦人は、そりゃ美しいもんさ。……だが、何か妙に気にかかる」
「……やっぱり? ぼくもさ、何だろう……胸の奥で何かがざわめく、この感覚」
 不意に表情を引き締めたコッペペに、メビウスは自分と同じ気持ちを垣間見る。
「コッペペの旦那ぁ、何が気に食わないんで? ありゃー凄い美人じゃないですか」
「うん、ぼくもそう思う。リシュリーちゃんもそうだが、あれこそお姫様の貫禄じゃないかな」
「まあ、グリフィス様! 本当ですか? わたくし、そんなにお姫様でしょうか」
 グリフィスが朴訥ながらも自然とそう言うので、素直なリシュリーが黄色い声をあげてしまう。タリズマンを含め、それを囲む面々の空気が緊張から解き放たれて和らいだ。
 ただメビウスだけが、目の前のコッペペ同様に不安を胸中に曇らせていた。
 その手の中には今、深い青を湛えた宝玉の輝きが、世界樹の迷宮へ……その奥の深都へせかす様に確かな重さを訴えてきた。

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